痛みと慣れの話/ディアミリ戦争をしているし、前線で戦うモビルスーツ乗りなんだから当たり前といえば当たり前なんだけど、ディアッカはしょっちゅう怪我をする。それは集中していて手の平の皮膚がパイロットスーツと擦り合って赤くなっていたり、衝撃による打ち身だったり、または単純に整備班の手伝い中にうっかり火の粉が皮膚を焼いたり、そんな感じだ。本人の中でも日常的にあることだからか、私が指摘をしても「ああ、気づかなかったぜ」と肩をすくめるぐらいしかしない。
そういう小さな怪我に見慣れてしまったというのもあって、大きなガーゼを包帯で適当に巻いた額が目に入ったとき、一瞬驚いてしまったのだ。今はまだ戦闘中で、私が一瞬目を開いたのを見ていたのかいなかったのか、ディアッカは私の座る椅子に手をかけてぐっと身をよせる。
「平気だ。俺もついてる」
その声は、しっかりとした響きがあって、汗と血と、消毒のにおいがした。
見当違いの言葉は私の意識を一瞬にしてモニターに移して、まるで守っているかのように隣に立っているディアッカの存在は私にちょっとした安心感をもたらした。戦闘中に何考えてんだか、と停戦を迎えた今になって思うのだけど、それはきっと心に余裕が生まれ始めている証拠なんだと思うことにした。
だから、終わりなんか訪れないんじゃないかと思っていた戦争が停戦を告げ、ほっと息を吐いて緊張していた体が脱力をしていくとき、ふと顔を上げてみえたディアッカの瞳の色がとてもきれいだと思ったことを思い出すのも、やっぱり仕方がないのだと思っている。
救急箱を持って、あわただしくも和やかな雰囲気のある乗組員とあいさつや雑談を交わしながら歩き回ったすえに、一番最初に覗いたはずの食堂にディアッカはいた。テーブルには紙コップが一つ置いてあって、ほんのりと白い湯気がのぼっている。
もともと敏いのかは知らないけど、ディアッカはいつも私が近づいたことに気が付いていて、ちらっと視線をよこして首をわずかに傾ける。それが最初は嫌いで、私は反発ばかりしていた。来いよって偉そうに言われているみたいだと思ったからだ。でも、最近は慣れた。来るなら来いよ。そう言っているのだ。だから、もとより行くつもりだったのもあって大股で食堂に入っていった。座っているディアッカが、分かりやすくうれしそうだった。
「移動診療中?」
テーブルにドンと置いた救急箱と正面に座った私の顔を見比べて、ディアッカはからかうように目を細める。私はムッと眉根をよせた。
「そうよ。アンタのためのね!」
「俺ェ?」
「怪我してるの、忘れてんじゃないでしょうね?」
「いや、覚えてるって。さすがに」
ほんとうにそうかしら。
ねめつけると、ディアッカはいつものように肩をすくめて苦笑いした。眉の上に張り付いた白いガーゼがいびつに歪んで、今度は違う意味でムッと眉が寄った。
「じゃあ、隣にいきますか」
「いいわよ、座ってて。額だから、立ってやったほうがしやすいし。こっちだけ向いて」
立ちあがろうとするのをピシっと止めて、足をテーブルの下から出すように伝える。なんで座っちゃったんだろ。そんなことを考えながら腰を上げ、ディアッカの正面に回った。
「こんな感じでいい?」
両手をあげて、おどけるような声に気が抜ける。本当、怪我していることを忘れてんじゃないの。そのポーズをあえて無視して、救急箱を開ける。消毒に包帯、テープ、そしてハサミを取り出してテーブルに広げた。消耗品とはいえ、毎日毎日少しずつ包帯や消毒が減っていくのに気が付くのは胸が痛い。
「ちょっと首を下げてもらえる?」
「オーケー」
包帯止めのテープは頭の後ろにあった。ディアッカの肌は浅黒く、髪はきれいな金色をしているからか、真っ白な包帯はコントラストのせいでとても痛々しくみえる。
「外すわよ。痛かったら言ってね」
声を掛けて、爪でテープをはがしとった。二重に巻かれた包帯を回し外していき、ガーゼの張ってある額を抑えて、顔をゆっくりと起こす。どのくらい怪我をしているのか分からなかったから、ここからはもっと慎重にいかなければならなかった。手をかけると、ガーゼと皮膚のひっついた感触が伝わってドキッとした。すると、緊張しているからか、触れている頭が揺れて見えた。どんどん揺れが激しくなっていって、さすがになんだかおかしいわね、と思ったときには口元を隠したディアッカが肩をゆらしていた。
「痛くねーから、思いっきりいけよ」
ディアッカがまっすぐに見つめる。ふんっとあいかわらずそっけない返しをした。
「痛くて泣いても知らないから」
「そんときは慰めてくれよ」
「ぜーったい、お断り!」
軽口に押されるように、思いきりガーゼをはがした。思ったよりも怪我はひどくないようだった。額だから大げさに血が出たのかもしれない。皮膚が剥けて広い範囲で赤くなっているけれど傷はそう深くなく、ほっと胸をなでおろした。
「まずは傷口をきれいにするわね」
「ああ」
脱脂綿にアルコール消毒を含ませて、赤くなった額に当てる。ゆっくりとこすって汚れを落としていくと、白い脱脂綿がピンク色になって、わずかになにかの破片がくっついてきた。ほら、言わんこっちゃない。
「あんた、医務室に行かなかったんでしょ」
新しい脱脂綿に消毒を含ませて、再び押し付けながら言った。ディアッカは「あー……そうだったかも?」とおぼろげな声で答える。
いま私に治療されているこの男は、被弾してアークエンジェルに着艦したあと、そこにあった救急箱で適当に処置してすぐにブリッジにやってきたらしかった。医務室に行けよって言ったマードックさんの声も聞かずに、だ。どうしてそんなことをしたのか問いただすほど鈍いわけじゃないから言わないけど。
「ばい菌が入ったら大変なんだから」
「そんなにひどいのかよ」
「ううん、見た目よりはマシ」
私はそうっと傷口に顔を近づける。ディアッカの額をこんなに間近でみるのは二度目だった。初めてみたのは、私が彼にナイフを突きつけたときだ。そのときは思ったよりも傷が深くて治るのに時間がかかった。指先でそうっと傷があった場所を触ると、そこには傷跡なんてなく、なめらかな肌があるだけだ。
「でも、痛そうだわ」
「そうでもないって。それに、俺、怪我は慣れてんだよなー」
「そうなの? たしかに、擦り傷とか打ち身とか、どこかしらにあるものね」
思い返せば、トールも運動や遊びにいくたびにいつの間にか怪我をしていた。幼年学校時代の運動会や、遠足でも、いつも男の子が怪我をして先生や友達を心配させていた。男の子っていうのは、女の子よりもそういう怪我とかに無頓着なのかもしれない。
だから、困ったような口調のディアッカの言葉に、私はとてもびっくりしてしまった。
「ザフトに入るまでは士官学校にいたんだ。銃とか格闘技とか、訓練ばっかでさぁ。毎日傷だらけだったぜ?」
「……え?」
「そういえば、おまえはオーブで何してたんだ? 学生?」
「……ええ。工業カレッジの、学生してた」
「ふうん。だから、ブリッジにいるんだな」
私の驚きに気づいたのか、ディアッカはさらっとした自然さで話題をずらしてくれた。私はずるいと思いながらも、それに乗っかることにした。
ディアッカは軍人で、私のように成り行きで戦艦に乗ってしまったから戦争をしているわけじゃない。そんな当たり前のことを、今の今まですっかり忘れていた。歳も近いし、馴れ馴れしいし、調子に乗るし、すぐに心配するやつだから。だから、分からなかった。怪我が慣れているってことは、そういうことなんだ。
「痛いの痛いの、とんでいけ」
幼いころ、親からよく言ってもらった呪文を唱えてガーゼをペタッと張り付けた。ディアッカが顔を上げて目をぱちぱちと開いているのを見ながら、包帯を手にした。
「ちょっと、頭動かさないでよ。危ないじゃない」
両手でこめかみのあたりを押さえつけて、顔を覗き込む。文句を言われているはずなのに、焦ったふうに慌てているディアッカに笑ってしまいそうになるのをグッとこらえた。
「え、わ、わりぃ! でもさぁ、今のってなに? オーブで流行ってんの?」
「おまじないよ。聞いたことないの?」
「ないね。それに、とんでいけってどこにいくんだよ」
「さぁ? 小さな子どもにするやつだもん」
「はぁ!? 俺、一応おまえより年上だぜ?」
「たった一つじゃない。年上とか、偉そうに言わないで」
「はいはい、すみませんでしたァ!」
おどけた声に、もう、と一言言っておく。ディアッカが笑っている。
この一年ほどで、包帯を巻くことも自然と慣れてしまった。これも戦争の副産物なのかと思うと悲しくなってしまうけれど、こうやって大切な人達を守る力になるのなら、これはきっと持つべき力だったのだと思いたかった。辛くて悲しいことがたくさんあったとしても。
包帯を丁寧にテープで止めた。金色の髪がお礼を言っているみたいに指をくすぐる。
「はい、できたわよ」
「サンキュ」
「どういたしまして」
包帯や消毒を救急箱に仕舞っていると、ディアッカが「休憩中?」と聞いた。休憩中よ、と短く答えるとヨーグルトをくれた。おまえ、好きだろ。ディアッカが言って、好きよ、と言った。だから、好きなのはヨーグルトのことなんだから、そんなにうれしそうにしないでほしい。
「それで? お前はどうなんだよ?」
「どうなんだよって?」
甘くて冷たいヨーグルトを食べながら聞き返した。頬杖をついたディアッカが視線を左右にうろつかせて、ああこの仕草は心配してるんだわ、と気づいた。こういうやりとりもだいぶ慣れた。
「怪我とか、どこか痛いとか、そういうのだよ」
戦闘中、ディアッカの搭乗するバスターが被弾したときは胸がぎゅっと苦しくなった。怪我をしていないかどうか、心配した。だから包帯を巻いてブリッジに現れたときはもっと苦しくなったし、でも来てくれたことに安心もした。そして、すぐさま私のところに来てくれたことにうれしくもなった。
「今は平気」
「今はってどういうことだよ」
「どういうも、そういうも言ったとおりよ。今は平気。さっきまでは、ちょっと……痛かったかも?」
私はあいまいに答える。戦争になって、戦闘にでて、だれかが怪我をしたり、亡くなったりする。悲しくて辛いのに、どこかでほんの少し当たり前になって心が鈍くなっていたのかもしれない。傷は目に見えていても、麻痺してしまった皮膚に爪をたてても痛くないのと一緒だ。
けれど、ディアッカは聞き逃さない。この人は思ったよりもずっと心配性なのかもしれない。
「どこが?」
「分かんないわよ。でも、慣れたと思ってたのかも」
「なんで分かんねーんだよ。つうか、慣れんなよ。痛いなら痛いって言えばいいだろ」
「それをアンタが言ぅ!?」
怪我は慣れてるとか言うアンタが!?
私たちはしばらくにらみ合った。そして、観念して言った。
「……ヨーグルトのおかげよ。たぶんね。だから今は平気なの」
思ったとおり、ディアッカは目をみるみる開いたあと、へたくそに取り繕おうとして変にニヤついた顔で余裕ぶった。
「へ、へえ?」
「……なによ」
「いいや、食い気なんだなーと思ってさ。でも、じゃあ怪我したり、痛くなったら俺のところに来いよ。ヨーグルト置いとくぜ?」
「……それ以外で行っちゃだめなわけ?」
「へ!?」
「ごちそーさまぁ!」
私は手早くテーブルを片づけて、救急箱を持った。食堂を出るときに、ごみ箱においしくいただいたヨーグルトの空き箱を捨てる。さて、今から私にできることはなにがあるだろう。考えながら、足取り軽く歩いていく。
このさき、きっと心が痛くなるときが何度もあると思う。何度も泣きたくなることがあると思う。そのたびに、ゆっくりと向き合っていければいい。私を心配してくれる人がいて、私もそれをうれしく思っていることに、いま気づけたことを褒めてあげたい。
後ろから「なあ、ちょっと今のって」と声が追いかけてきた。笑いをこらえながら、無視してずんずん歩いていく。
誰のおかげとは言わないけど、私は思ったよりもずっと元気で、ちょっとだけ強くなった気がしている。