親友の恋人/ディアミリ定例会議のために移動をしている最中に、見覚えのある後ろ姿を見つけた。首筋に沿って明るい色の髪をピンと外に跳ねさせて、ここではめずらしい他国の軍服を着ている彼女は背筋を伸ばしてまっすぐに日の差し込む廊下を歩いていた。
何週間も前から決められていた予定表にはたしかに彼女の名前が記されていたが、それならば護衛兼世話役がそばにいないのはどういうことなのだろう。オーブから出向している尉官ではあるが、軍人としての経験なんてほとんどないし、なにより彼女はナチュラルだった。生まれたときから植え付けられた意識というものは簡単には変えられないことは先の二度の大戦で分かりすぎるぐらいに分かっていた。だから、思わず声を掛けてしまったのだ。
「ハウ三尉」
彼女がピタッと立ち止まり、ゆっくりと振り返る。走り寄るわけにはいかなかったので、足早に歩み寄って、隣に並んだ。久しぶりに会った彼女はほんの少し痩せているようだったが、変わらず素直なまなざしを持っていた。
「……ジュール隊長」
彼女がはっきりとした声で名前を呼ぶと、どうしてか違和感をおぼえた。思い至った理由はとくにない。ただ、なんとなくそう思っただけだ。
軍人らしくない会釈に敬礼を返し、そろって廊下を歩いていく。定例会議に自分が出席することを知っているのだろう。聞かれても「違う」と返す予定しかない類の質問はされなかった。そういうところを好ましく思うと同時に、報われないものだなとも考えた。
「ハウって呼んだからなんだけど」
視線をまっすぐに向けたまま、彼女はそう切り出した。横目でみると、ちらりとうかがうような視線を投げかけてくる。
「ザフトだし、お互い体裁もあるからきちんとしないとダメよねって思ったんだけど。違った?」
胸に抱えたバインダーをしっかりと両手で持ちなおし、わずかに首を傾ける彼女をしばし見つめた。そうして、やっとで自分が覚えた違和感に気づいた。いままで彼女はイザークをファミリーネームで呼ぶことはなかったのだ。
「いや、合っている。しかし、どうしてわかったんだ?」
自分が無意識に行った呼びかけに期待通り返してくれたのだから聞く必要はなかったが、すでに周りにはだれもいないことが分かっているので、たしょうは気にせず会話をしていいと判断した。
イザークの問いかけに、彼女は目を開いて「えー」と笑い声をにじませた。
「だって、すごく変な顔してたわよ。睨まれたのかと思っちゃった」
「……すまない。そういうつもりはなかったんだが」
「わかってる。どちらかというと、良いところだと思うし」
「どこがだ?」
「ちゃーんと、体裁や立場を気にするところ」
「……ずいぶんと含みのある言い方だな」
「ええ。ただの愚痴だもの」
肩をすくめている彼女の言葉を借りるのならば、体裁や立場を気にしない男がいるのだろう。おそらくそれは、この隣を歩くナチュラルの彼女をとても大切にしていて、口は軽いがずいぶんと真面目に任務についているイザークの親友であり、戦友だ。一度フラれたらしいが、諦める気なんて毛頭ないと今はプライベートで絶賛彼女を口説くことに躍起になっている。
あいつもちゃんと考えているんだと、一言フォローをいれることもやぶさかではなかったが、しなかったのは彼女の声音が優しく、親しみを感じたからだ。なんだかんだと二年。会ったことは数度しかないが、彼女の人となりはよく知っている。それはきっと、彼女も同じだろう。
(まあ、フォローなんて必要ないと思っていたがな)
イザークは隣を歩く彼女の表情を見つめたあと、まっすぐに前を向いた。隣から、軽やかなヒールの音が響いていた。あと数メートルも歩けば会議室の無駄に重厚な扉が見えてくる。
戦後処理は気苦労が多く、めまいがするほど時間はあっというまに過ぎていく。それでも、この苦労の先には、彼女がなにも考えずに堂々とこの土地を歩く未来につながっていると思えばたしょうは報われるというものだ。その隣に、締まらない顔をした親友がいればさらに良い。
「ところで、お前につけていたやつはどうした」
イザークはミリアリアに尋ねた。彼女はナチュラルであり、オーブから出向している尉官である。いくら停戦したとはいえ、情勢が落ち着いているとは程遠く、まともに軍人としての経験のない彼女を一人で歩かせるわけがない。もちろん、理由はそれだけではないが。
答えを待っていると、視界の端で彼女の丸っこい頭が揺れ動いた。明るい廊下に、優しい声が広がっていく。
「赤ちゃん。病院から電話がかかってきたから、行ってもらったの」
今日は定例会議だけだし、それにイザークがいることも分かってたしね。彼女はこともなげに言う。イザークはため息を吐いた。報連相はどうした、報連相は!
「……では、仕方ないな」
「ええ。仕方ないわよ」
「明日、別の者を着任させる」
「……ありがとう。でも、ディアッカはやめてよね」
つんとした声で彼女が言った。その言葉は聞き届けられそうにないので黙っておいた。
彼女はイザークを信用していて、今回の護衛兼世話役を自身のまったく知らない人間に任せたことをいたく気に入っていたが、本当はこの采配を決めたのはだれでもない、彼女の元恋人であるディアッカだ。心配することはやめられないので、二人が一番信頼している者に任せることにした。彼女と自分たちの気持ちを最大限に尊重した結果だ。
――適任を考えるとさ、どう考えたって俺なんだよ。ザフトに序列はないっつっても、無意識でそういう空気はできるもんだし。あからさまじゃなくたって、ナチュラルに対して尊大な態度をとるやつだっていなくなったわけじゃないだろ。それで意見を潰されちゃかなわねーからな。
――なら、どうする。彼女は嫌がるんだろう? それともお前が説得でもしてくるのか?
――ジョーダン! 俺がどれだけ言ったって、あいつは気にするよ。実力でこっちに出向してんのにさぁ。というわけで、俺の次に適任のやつをつける。心配だから!
――はぁー……、それは構わんがな。ただ、そこまで考えているのなら腹を割って話したらどうだ。そして、フラれるならきっちり引導を渡されてこい。
――いやだっつーの。つうか、引導なんて一生もらうつもりはないね! 俺はあいつを諦めたりしねえから。
――……フンっ、どいつもこいつも世話の焼ける。
二度の大戦のあと、ミリアリアがプラントに、ザフトに来ることが分かった日のことを思い出す。彼女には悪いが、初めから味方をするほうは決まっていた。彼女の素直なまなざしが変わっていないのと同じように、彼女を大切にするディアッカの気持ちも変わっていない。みていてもどかしいほどに。
そのことを言うつもりも、恩に着せるつもりもないけれど、心配のあまりフラれてしまった親友を気の毒に思っているのも、イザークが想像以上に彼女を気に入っていることも確かだった。そして、二人の関係をいい加減にどうにかしたいと思っていることも。きっと、彼女は知らないのだ。
「開けるぞ」
会議室の扉に手をかけた。ノックのうち、彼女の細い腕がぎゅっとバインダーを抱える。
「ええ」
彼女の凛とした声が耳に届いた。
この会議が終わったら、ねぎらいついでに後任を紹介しよう。嫌がっても知るものか。今すべきことは、自分のやれることをすることだ。ミリアリアをディアッカが補佐すれば、きっといい結果をもたらすだろう。そんな予感がする。
背筋を伸ばし、声を張る。イザークは確信に満ちた気持ちで扉を押し開いた。