「なんで、レオがいるの……?」
「……なんだよ、いちゃいけねーのかよ」
久しぶりに見た玲王はムスッとした顔で俺のことを見た。三年ぶりに見た玲王の顔に、年月の衰えは感じさせない。同棲していた部屋を、せーの、で出ていったときと変わらず綺麗なままだ。
玲王はムスッとしつつも、ちょっとだけ腰を上げて席を詰めた。俺が一番最後に来たから、もう玲王の隣しか空いていない。絶対、謀ったな……と確信しつつ潔を睨みつけたら、ぷいっと顔を逸らされた。黒だ。
「ほら、凪。早く来いよ」
「……お邪魔シマス」
空けてくれたスペースに腰を下ろす。割と大きな座敷だったようで、テーブルの上は皿やジョッキで大渋滞だ。ただ遅れに遅れて来たこともあり、大皿の中身のほとんどが誰かの胃の中だったけれど。
「お前と会うの、久しぶりだなぁ」
玲王が頬杖をつきながら俺のことを見る。心底懐かしいみたいな顔をしているけど、元はと言えば俺から離れていったのは玲王の方だ。というと、女々しさが滲むので嫌だけど、間違いなく距離を作ったのは玲王が原因だった。
玲王とはブルーロックを出てから三年前の今日まで同棲していた。理由は同じ海外のチームに行くことになったから。慣れない海外で一人放り出されるのも心細かったし、玲王とはなんとなくずっと一緒にいるものだと思っていたから、いろいろと都合がよかった。
それからチームが変わって国内へと拠点を移しても、W杯で優勝するという夢を叶えても、玲王とはずっと一緒にいた。直感みたいなものだけど、玲王とは最後まで一緒にいると思っていた。俺が学生の頃に約束させた"最後まで"に、そこまで深い意味は持たせてなかったけど、行き着くところまで行くと思っていた。
玲王はおはようからおやすみまで、俺の世話をしてくれる。朝は優しく起こしてくれて、できたて熱々の朝食を用意してくれて、着替えも手伝ってくれる。夜は濡れた髪を乾かしてくれるし、たまにシャワーを浴びるのが面倒でぐずってたら風呂にも入れてくれた。玲王としてないことなんて、キスとセックスぐらいだ。そのときはしたいとは思わなかったけど、しても嫌悪感はないだろうな、ぐらいには思っていた。それぐらい、俺たちは最後まで一緒にいると思っていた。それなのに、だ。
『もう夢も叶えたし、俺も家業を継ぐことにしたから同棲やめよーぜ』
鈍器で頭を打たれたかのような衝撃だった。
この生活が終わるとは思っていなかった。だって、最後まで一緒にいるって約束したし。そこでようやく、俺が思う"最後まで"は、人生の最後までだったことに気付いた。
『……別にやめなくてもいーじゃん』
『そういうわけにもいかねーだろ。それに俺、来月見合いしなきゃだし』
『は?』
『まぁ、そういう年頃だしなー。お前だって、彼女のひとりやふたり、家に気兼ねなく連れ込みたいだろ』
そう言われて、今度こそ鋭利な刃物で心を切り裂かれた。比喩ではなく、本当に心臓が痛かった。玲王は頭もよくて要領もいいから、俺の知らないところで彼女のひとりやふたり、こっそりとこの部屋に入れたのかもしれない。じゃなきゃ、気兼ねなく連れ込みたいだなんて言葉は出ない。
『……レオがそう言うなら止めないよ』
だって、俺たちただの友だちだし。家族とか恋人なら我儘を言えたかもしれないけど、ただの友だちが人生設計にあれやこれやと口出しするのも違う気がする。
本音を言えば、ずっとこの部屋で暮らしたい。玲王が揃えた玲王好みのインテリアに囲まれて、玲王の気配がするこの部屋に住み続けたい。だけど、それを言うには遅すぎた。
それからはあっという間にお互いの行き先が決まって、あっさりと同棲していた部屋を出た。部屋を出てから気付く。玲王に対して、恋愛感情なんて一ミリも持っていなかったけど、そのはずだったけど、この名残惜しさこそが恋なんだって気付いた。
『レオ』
玲王を呼ぶ。だけど、玲王は迎えにやってきたリムジンに手荷物を積んでる最中で、俺の声なんか聞いちゃいなかった。そうだった。玲王って、時々怖いぐらいさっぱりしてるんだよなぁ、って思い出した。
結局、俺は玲王には会えず、そのまま。というより、玲王が参加する飲み会や集まりには尽く顔を出さず、会わないようにしていた。だって、もうあの濃密な時間を過ごせるほど、玲王と俺の人生が交わることはないと分かっていたから。ある意味、うまく線引きしたのだと、そう思って。
それなのに、玲王がいるからびっくりした。いつも誰かに誘われるたびに、誰が参加しているのかを事前に聞いていた。玲王がいないときは参加。いるときは不参加。あと、超絶面倒くさいときとゲームのイベントを走るときも不参加。そんな感じで避けてたのに、潔に一杯食わされた。俺を誘ったのはアイツだから、玲王に頼まれて謀ったに違いない。
「凪、ちょっと痩せた?」
玲王の手が真っ直ぐ頬へと伸びてくる。ちょっとどころじゃない。お前が俺の面倒みないから、どんどん筋肉も体重も落ちた。今はもう一線を退き、コーチ業をやったり、大好きなゲームの配信業をちまちまやったりしてるぐらいで、筋力が落ちても困りはしないけど。
「そうかも。逆にレオは変わんないね」
「そう? 俺、ちょっと太ったけどなー」
「全然、そんなふうには見えないけど」
「それが、そうでもねーの。どうでもいい接待とかクソつまんねー接待とかあくびがでそうな接待とかで外食続きでさ。おまけに海外に行ったりもしてるから、時差ボケにもなるし、食べる時間も乱れまくるしでかなり太ってさー」
バシバシと背中を叩かれる。これは相当、酔ってるくさい。とりあえず、俺の分らしい水を玲王に渡した。逆にビールジョッキは取り上げる。
「もう、レオってば飲み過ぎ」
「んだよ、まだ俺は飲めるっての! お前も飲め!」
「アルハラだー」
横暴なんだから、と、詰め寄ってきた玲王の体を押し返す。目も潤んで、頬も赤らんでいて可愛い。あのときはそんなふうには思わなかったのに。恋を自覚すると、なんでも良く見えるらしい。おまけに、三年の月日が経った玲王はどこか艶っぽく見えた。これも、惚れたせいかもしれないけれど。
「ほら、凪も飲めー」
「飲まないよ。俺、もう帰るし」
「はぁ!? 来たばっかだろ」
「そうだけど帰る」
だって、玲王がいるとは思わなかったし。
帰りたい理由を本人の目の前で言うわけにもいかないので、ビールジョッキを置いて立ち上がる。気付いた周りからも来たばっかじゃん! と批難されたが、無視だ。そもそも謀ったのが悪い。
「じゃあ、俺も帰る」
「は?」
「凪が帰るなら俺も帰る!」
勢いよく立ち上がった玲王がふらつく。そのまま俺の方に倒れ込んできた。慌てて玲王をキャッチし、座らせようとする。
「ヤダ。俺も帰る」
この店の飲み代はすべて俺が持つから! という玲王の一言で、どっと周りが沸く。さっきまでは早く帰ることを責めていたくせに、そういうことならどうぞどうぞと追い出された。あれよあれよと玲王が店の人に何かを言いつけて、支払いに関する取り引きがなされる。ひとりで店を出るはずだったのに、隣には出来上がった玲王までついてきた。
「あー、飲んだ飲んだ!」
玲王が、ん~~っと気持ちよさそうに伸びをする。さっきまでよたよたしてたのに、店を出た途端元気だ。足元もしっかりしている。
「さっきまでの酔いは何処にいったの?」
「あんなのは嘘だっつの。こうでもしないと、凪クンは俺から離れようとするだろー」
捕まえたとばかりに腕を掴まれる。無邪気に笑う玲王が可愛いくてたまらないのに憎たらしい。乱暴に引き剥がしたら、ムッとした顔で俺を睨んだ。
「なんだよ、つれねぇな」
「ってか、なんなの? わざわざ俺を此処に来させて」
仕組んだのは玲王だろう。という意味を含んで言ったら、玲王が「なんだ、バレてんのかよ」と、悪い顔で笑って舌を出した。
「お前、俺のこと避けてただろ」
「……避けてないよ」
「なんで避けてたわけ?」
「だから、避けてないよ」
「嘘。てか、それに対してイエスかノーかなんて聞いちゃいねぇよ。理由が知りたいから聞いてんの!」
それを玲王が聞いちゃうんだ、と思う。玲王はどうするつもりなんだろう。どんな理由であれ、困るか傷付くことになると思うんだけど、好意的な理由が飛んでくるとでも思っているんだろうか。だとしたら随分、都合がいい思考をしている。
「……そんなに知りたい?」
わざと声を落として、玲王に迫る。これで逃げるなかなと思ったけど、逆に玲王の方が俺に近付いてきた。
「逆に、俺がお前に、こうまでして会いたがってた理由を教えてやろうか?」
玲王が俺の手を握る。俺も、玲王の指もつるんとしている。不純物が一切ついていない、綺麗な指が。いつか玲王の左手薬指に豪奢な結婚指輪がおさまるかもしれないと思って怯えていたのに、見事なまでに綺麗なままだった。
「俺さ、凪ともう一度、一緒に住みたい」
ハッとして息を呑む。玲王の頬がまたじわじわと赤くなる。酔いだけでは誤魔化せないほどに真っ赤だった。
「それって、どういう意味?」
「ど、どうって……」
「こういうことも含まれる?」
調子に乗って玲王の左手の指を絡め取りながらぎゅうっと握る。そのまま強く引っ張った。よろめいた玲王を受け止めて、逃げられないように抱き締める。
「キスもセックスも、ってことでいい?」
って言ったら、玲王が「もうちょっと言い方があんだろ!」って怒ったけど、俺たちに残された余白なんてそれぐらいしかないんだし仕方ないよねってことで、手始めに俺は玲王の唇に吸い付いた。