夏の空は高い。雲がわたあめみたいだ。ぐうっと背をしならせたら、前から「落ちるぞー」と咎める声が聞こえてきた。慌てて自転車を漕ぐ玲王の背中にぎゅうっとしがみつく。だけど暑くて、くっついていられない。また、背を反らして顔を空に向ける。
「こーら、凪。ちゃんと座れって」
「無理。だって暑いんだもん。っていうか、なんで夏休みも練習するのさ……」
何もしなくても汗が吹き出すっていうのにやっていられない。蝉すらも暑くて鳴いていない有り様だ。だけど、玲王は本気でサッカー選手になり、W杯で優勝することを目指しているから、練習をサボることはない。そのため、学生としての休みはあったが、サッカー部としての休みはほとんどなかった。
「毎日、練習しすぎて肌が痛い……」
「あー、凪って焼けねぇよな。皮がめくれるタイプ?」
「うん。あと真っ赤になる」
「確かに! 鼻先とか赤くなってるもんな」
「玲王も焼けないよね」
「俺はSPF50のかなり強い日焼け止め塗ってるし」
「えすぴーえふ……?」
「とにかく海外製のスゲー強い日焼け止め塗ってる」
「なるほどね」
自転車を走らせることで生まれる風を感じながら、扇風機の前に座る子どもみたいに「あ〜〜〜」と間抜けな声を出す。ちょっとは涼しくなるかと思ったが、むしろ暑さが増した。砂利を踏んだのか、がたんと自転車が揺れる。振り落とされないように、またぎゅっと玲王の背中にしがみついた。
「わりっ、なんか石踏んだわ」
「ん、」
咄嗟にしがみついたからか、鼻先が玲王の背中にぶつかる。玲王も自分と同じだけ汗をかいてるはずなのに、ふわっと甘い匂いがした。柔軟剤の匂いだろうか。爽やかな甘さを感じるのに、その反面、汗で湿ったシャツにイライラする。……というよりは、性的な何かを彷彿させる感じだ。ふと視線を上げたら、玲王のうなじに汗が伝っていた。いま舐めたら、柔軟剤と同じような味がしそう。なんて、馬鹿なことを考える。
「ダメだ、あっちぃ! ちょっと休憩していこうぜ」
「……うん」
玲王の提案で、邪な妄想から解放される。暑いのだからさっさと帰ればいいのに、頷いてしまった馬鹿な自分の背中を蹴りたい。
玲王は少し先のコンビニまで自転車を漕ぐと、白線が剥げた駐車スペースに自転車を停めた。
「アイス買おうぜ、アイス!」
さっさと自転車から降りて、中へ入って行こうとする玲王を追いかける。部活用の鞄は重いから財布だけ持っていこうとしたら、振り返った玲王に怒られた。不用心だ、ってことらしいけれど、取られたって別段困るものはない。だけど、玲王から貰ったスパイクだけは大事かも。そう思ってスパイクが入った袋だけを持っていこうとしたらやっぱり怒られた。
「なんでスパイクだけ持っていこうとすんだよ。むしろ、そっちは置いといていいだろ」
「よくないよ。玲王から貰ったものだもん」
結局、ぜんぶ持ってコンビニに入る。すぐに人工的な冷気が肌の熱を鎮めた。涼しいーと思わず声が漏れる。
「凪はなに食う?」
「んー、俺はガリガリ君かな」
「いいな、それ! でもこっちも気になる……」
さっぱりしたものが食べたいのはお互い一緒らしい。だけど、玲王はソーダアイスの中に小さな粒が入った新作のアイスも気になっているようだった。ガリガリ君か、いやでも新商品か……と変なところで真剣に悩む玲王の綺麗な横顔を盗み見る。
「好き……」
「は? なにが? こっちのアイスが?」
「いや、なんでもない」
ぽろりと落ちた本音に自分でもびっくりして口を引き結ぶ。暑さでいろんなものがイカれてしまったらしい。っていうか、自分でも自分でびっくりしている。玲王が好きってなに。
「あーー、決まんねぇ!」
「どっちも買えばいいじゃん。お金はあるんでしょ?」
「そうだけど、そういうことじゃねーの!」
「じゃあ、なに?」
「今どっちも食べたら、次に凪と来たときの楽しみが減る」
「…………」
……は? なにそれ、次も一緒に来るのは確定ってこと? そんなことで悩むなんて可愛すぎる。
「だったら玲王は新商品の方、俺はガリガリ君。で、半分こしようよ」
「お、いいなそれ!」
「決まりー」
二つのアイスをレジに持っていき、それぞれお金を出し合う。どちらもソーダ味のアイスだが、玲王の方はちょっとだけパッケージがリッチだった。
「やっぱ外あちー」
「中で食べたいよね」
「それはダメだろ」
生憎、イートインスペースはない。ので、太陽に焼かれた自転車のそばで食べるしかない。
暑さのせいで既に溶け始めているのか、アイスが袋にくっついてベタベタしていた。早く口の中を冷たくしたくて端っこを齧る。冷たさに、キンと頭の奥が痛んだ。
「ん〜〜〜! うまっ!」
「ん、」
しゃくしゃくとアイスを齧る。冷たいソーダと砕けた氷が急速に口の中を冷やしていく。
玲王の方は中につぶつぶが入っているのか、断面がカラフルだった。うま、うまっ、と美味しそうに食べる玲王と視線がかち合う。
「こっちも食う?」
「うん」
「お前のと交換なー」
互いのアイスを交換し合う。「ガリガリ君もおいしいよな」という玲王に、案外庶民的なところもあるんだよなぁ、と再実感する。
玲王はお金持ちだし、言動の節々に育ちの良さを感じるときがある。だけど、意外にも庶民的だし、美しい所作が崩れる瞬間もある。なんだか、そうさせている要因が自分みたいで、玲王を汚しているようにも感じて、ちょっとだけ背徳感があった。だって、本来ならコンビニの前で百円程度のアイスを買い食いするようなタイプじゃないし。
「おーい、凪。垂れてるぞー」
「あっ……てか、玲王の方も垂れてるよ」
「えっ、どこ?」
「腕のとこ……」
生白い腕を握る。咄嗟に、垂れたアイスを舐め取った。
「あっ、こっちも」
「お、おまっ、」
「ダメだ、いっぱい垂れてる」
「ちょ、凪……!」
玲王の慌てる顔を見て、やっと自分のしたことに気付く。でも、美味しそうだと思ったのだ。あと、勿体ないとも。
「ごめん」
「……変なことすんな」
ぶわっと顔を赤くした玲王が、やけっぱちみたいにアイスを乱暴に齧る。大きく二口齧った玲王の顔はまだ赤いままだった。それに、これって間接なんちゃらって奴では……? と思うと、急に自分まで恥ずかしくなってくる。というか、アイスを咥える玲王の唇も美味しそう。食んでみたい。
「あのさ、レオ」
「……なんだよ」
「俺、どうもレオのことが好きみたい」
「ハ、ハァ!?」
ぼとり。アイスのかけらが落ちる。玲王の顔は真っ赤だった。信じられない! と言った顔で見つめられる。だけど、この気持ちは嘘じゃない。確かに、暑さで脳みそがポンコツになっているけれど、玲王を好きだと思う気持ちは本物だった。その証拠に、言葉にしたら思いの外しっくりきた。
「お前、なに言って、」
赤ら顔でぱくぱくと口を動かす玲王に悪戯心が湧く。追い詰めたいような、でもこれ以上は可哀想だから優しくしたいような、そんな気持ちに駆られる。
「レオは?」
「へ、」
「レオは、俺のこと好き?」
じっと玲王の目を見つめる。うろうろと忙しなく視線が動いた。う、あっ、と途切れ途切れに玲王が何かを言おうとする。玲王はごくりと喉を鳴らすと、いろいろと吹っ切れたのか――もしくは都合よく捉えることにしたのか――薄く笑った。
「俺も、」
「うん」
「凪のことは好きだぜ、宝物だし!」
「知ってるよ。でもそうじゃなくて、俺が言ってるのはラブの方なんだけど」
「だ、だよな……」
「はっきりさせないなら、そーゆー好きってことで都合よく捉えるけど」
手に持ったアイスがダラダラと溶け続けている。
またしても緊張がやってきたのか、玲王の顔が赤くなった。こちらを見つめる目には恥じらいが混じっている。困ったように潤む目を見て、玲王も自分と同じ気持ちかも。と、確信する。
「じゃあ、これぜんぶ食べきったら答え教えてね」
もうほとんど溶けてなくなっているけれど。
だけどきっと、次に玲王と一緒にアイスを食べるときには、その冷たい唇にも触れられる。そんなことを思いながら、最後のひとくちを頬張った。