ふと意識が浮上する。ぼんやりとした視界が捉えたのは、普段見慣れないフローリングの木目だった。
硬い板の上で眠っていたせいか体が重い。目蓋も重ければ、頭も重かった。
「あ゙〜〜だる……」
近くに転がっている空き缶で何となく状況を察する。つい数時間前まで、千切の家で、凪や國神たちと交えて飲んでいたことを。
電気も点けっぱなしのままだから、全員酔い潰れて寝たのだろう。静かな寝息だけがリビングに響いていた。
「……このまま寝るか」
現実を直視したくないと言わんばかりに目を閉じる。
ちゃんと空き缶を片付けて、電気を消して、ひとりにひとりに毛布の一枚でも掛けてやるべきだろうが、まだアルコールの抜けきらない体では動く気にもならない。ふわっと欠伸を零し、右腕を枕替わりにして、本格的に寝る体勢へと入る。
あと数分もすれば眠れるだろうなと、うとうとし始めたときだった。何かがゴロンと転がってきて、背中にぶつかった。
「いたっ」
「ん……れお…………」
すぐ後ろから声がして、ハッと息を詰める。
どうやら、凪が転がってきたらしい。それだけならよかったが、あろうことか凪の腕が腹に回ってきた。
「……う、」
「…………」
腹に回った腕に力が入る。抱き枕か何かと勘違いしているのか、ぎゅうぎゅうと抱き締めるような形で凪の足が絡み付いてきた。
「ちょ、凪っ……!」
「んん……おっきい…………ちょきだ…………」
チョッキってなに!?
一体、どんな夢見てんだよ!?
慌てふためきつつも、凪の腕から逃れようと必死にもがく。だけど、凪はひっついたままだ。
「棘ないね……」なんて、意味の分からない寝言を言いながら抱きついてくる。
困った。とても困っているけれど、このシチュエーションは自分にとっておいしい。凪に甘えられるのも、くっつかれるのも嫌な気がしないからだ。
むしろ、ここ最近は無意味に凪に触れたいと思ってしまう。ブルーロックを経て、プロになり、別リーグへと散り散りになった期間もあったせいか、久しぶりに凪と一緒に居られる時間が増え、嬉しく思っているのだ。
そのせい、だろうか。凪に会えなくて寂しかった時間を埋めるように、凪に手が伸びそうになる。
昔は毎日のように凪のふわふわの髪を整えてやっていたな、とか、ゴールのたびに凪に抱きついていたな、とか、そんなことばかり思い出して、凪に触りたくなるのだ。
凪とまた一緒にいられるようになったことで、自覚していなかった欲望に気が付いた。もはや、飢えに等しい。
気付くと凪に手を伸ばしている。自分でもおかしいと分かっているけれど、それでも無意識に手が伸びて、触れるか触れないかのところで我に返って手を引っ込める。その繰り返しだった。
だから、この状況はやっぱりおいしい。だけど、
「凪っ……」
後ろから抱き締められているこの体勢はまずい。
怖いぐらいに心臓が鳴っている。自分の中から生まれてくる音を、こんなふうに聞く機会なんて早々ない。このままだと心臓が壊れそうだ。早く、凪の腕から抜け出さなければ。
「おい、凪……ひゃッ!!」
べろん、と、うなじに柔らかいものが這って、ぢゅうっと吸われる。そのぞわぞわした感触と、互いの髪が混ざり合うくすぐったさに、びくびくと体が跳ねた。
「ん……、何……? なんかあった?」
驚く声を聞いて目を覚ましたのだろう。遠くの床で転がっていた千切がむくりと体を起こす。
表情のコントロールが効かないまま、助けを求めて千切を見つめたら、何かを察してくれたようだ。
「あー、凪がくっついてんな」
「ち、千切! 助けてくれ!」
半ば叫ぶように声を上げた瞬間、腰に絡み付いていた腕がぴくりと動いた。
「……んー、なに……」
ふわっとあくびをした凪が、ガサガサの声で返事をする。ふわふわのテディベアを可愛がるように、体を撫で回されたところで、やっと凪が違和感に気付いたようだった。
「あれ……レオ?」
「凪! 寝惚けんのもいい加減にしろ!」
「あで」
軽く凪の腕を叩く。酷いよレオ〜〜と言いながらも、やっと腕の力を緩めてくれた。なんとか凪の腕から脱出し、体を起こす。だけど、凪の方は振り向けなかった。
「ごめんね、レオ。抱き枕と勘違いしちゃったみたい」
「…………」
「おーい、こっち向いてよ。れーおー」
「分かったから、また抱き着こうとするな!」
凪に抱き締められる前に立ち上がる。虚しく空を掴んだ凪がぺしゃりとフローリングに潰れた。
「千切、シャワー借りる」
「へいへい」
「えー、レオ。もうちょっと一緒に寝ようよ。さっきみたいに間違えないようにするから。ね?」
きゅるんとした目で見つめられて、うっ、と尻込みする。が、このまま眠れるか! と心の中で悪態をつき、逃げるようにリビングを出た。そのとき焦りすぎて空き缶に躓いたし、後ろでクスクスと笑い声がしたけれど、最後まで振り向けなかった。
◆
「で、どこまでが計算だったわけ?」
シャワールームから水の流れる音がしたのを確認して千切が口を開く。
その問いに対して、凪はどこ吹く風だった。なんのことやら、と言わんばかりの顔である。凪はぽりぽりと頭をかいたのち、むくりと体を起こした。
「割と最初から」
「うわ、えっぐ」
「レオが起きた気配がしてさ。そのときには俺も起きてた」
「あーあ、可哀想。さっき、顔真っ赤にして、半泣き状態で俺のこと見てたぜ」
「は? なにそれ。その顔、絶対可愛いじゃん。てか、その目、潰していい?」
「ダメに決まってんだろ。相変わらず、レオがいないところで酔うと暴力性が上がんな……」
ハァ、と千切がため息をつく。
凪にしてみれば軽い冗談及び牽制のつもりだったが、どうやらそうとは思われなかったようだ。
「あんま、レオのこと困らせんなよ」
「困らせてないよ。レオの嫌がることは絶対にしないもん。さっきはちょっと味見しただけ。」
「味見って、お前……。それはお手付きっつーか……」
マーキングだろ、と喉元まで言葉が出かかる。凪も千切の言わんとすることに気付いたうえで、「俺のだからね」と言った。
「誰も取って食ったりしねーよ。お前じゃあるまいし……」
それにもうお互い好き合ってるんだし、時間の問題だろ。ということは伏せたままにする。
案外、外野のほうがよく見えているものだ。凪も玲王もそれとなく互いの気持ちに気付きつつも、万が一の恐怖からなのか踏み込めずにいる。こちらからすると、とばっちりを受けることになるので、早く収まるところに収まって欲しいが。
「ま、早く味見以上のこともできるといいなー」
もう寝ると言って、フローリングに転がる。
それから数分後、玲王が無防備な姿で出てきて、また一悶着あったのだが、そのときちらりと見えたうなじには赤い痕がくっきりと残っていた。