真ん中バースデーの奇跡② こんこん。
休日のお昼過ぎ。
午後の面会時間が始まって間もないというのに、その病棟はしんと静まり返っていた。
少し離れた別棟の方からは、小さく、でも幸せに満ちた笑い声が、さざ波のように響いているというのに…
その日、ボーダーのエリート隊員・迅悠一は、後輩・空閑遊真のお見舞いに来ていた。
正確には、遊真を見舞いにきた三雲修に用事があったのだが。
静かにドアをノックしたが反応がない。
「あれ…返事がない」
いつもなら優しい声が、
「はい、どうぞ」
って返ってくるのに。
ドアの前で軽く首を傾げながら、居ないのかな…と呟きつつ、もう一度ノックしてみる。
こんこん。
だがやはり返事がない。
この時間はいつも彼はここにいるのだが…と思いつつ、そっと迅は扉を開いた。
「メガネくん?」
もう一度、今度はいつも呼んでいる、彼のあだを呼んでみた。
ふいに室内から風が起こり、迅の頬を柔らかく撫でて駆け抜けた。
どうやら窓が開いているようだ。
白いカーテンが大きく揺れて、風が初夏の爽やかな空気を室内に運んできた。
そのカーテンの下。
白いベッドに横たわる、幼い顔の少年。
その窓側、ベッドに突っ伏している青年がいた。
「メガネくん?」
慌てて声をかけて駆け寄り背中に手を乗せると、ゆっくり呼吸に合わせて背中が動いていた。
どうやら疲れて眠ってしまっただけの様だ。
「はあ…驚かせるなよメガネくん…」
ほぅ…と大きくため息を吐き、乱れた自身の髪の毛をかきあげた。
遊真のトリオン体の換装が切れたのは一年程前。
レプリカも取り戻し、さあこれからという時の事だった。
遊真の生身の身体について、レプリカから詳しい状態を聞いていたのが幸いし、すぐに手術の手配が進み、なんとか一命は取り留めた。
だが、それから一度も遊真の意識は回復せず、混々と眠り続けている。
手術後面会可能になった時から、修はずっと…毎日遊真の病室に足を運んでいた。
学校と任務で面会時間が取れないような時も、数分でも時間を作っては遊真の元に通っていたのだ。
面会時間より移動時間の方が多いのかもしれないが、修は満足そうだし、周りも、
「修がそれで納得するなら」
と、止めもせずに見守っていたのだが。
修の幼馴染の千佳から泣きながら、
「最近…修くんが眠れずにいるみたいで見ていられないんです…」
と、相談されて、様子を伺いにやって来た次第。
ん〜、と言いながら頭をガリガリ。
迅は小さくため息をつき、ベッドに視線を移した。
ベッドに身じろぎもせず、青白い顔色をして横たわる遊真。
沢山のコードがその痩せ細った身体に繋がれていて、左目には大きなガーゼ。
あの元気いっぱいだった頃の遊真を思うと痛ましいとしか迅は思えなかった。
そっと顔を覗き込み遊真の前髪をかきあげる。
訳あってトリオン体になったのが11歳。
成長せずずっと小さいままだった遊真。
もちろん生身の身体もそのままで。
額が露わになると、幼い顔立ちになる遊真が微笑ましい。
以前と違って黒くなった遊真の髪。
そしてそれが長く伸びている。
意識がなくても身体は確実に成長し続け、生きようとしているのに。
なのに肝心の遊真の心が伴わない。
いつまでそうしているんだい?
お前には聴こえているだろう?
いつも側にいる、大切な人のことを。
大好きな人のことを。
一生共に過ごすと決めた人を。
お前の目の前に居るのに。
お前の左手を握り締め、目覚めるのを待つ人を。
メガネの奧の、泣き腫らした瞼。
閉じた目元に浮かぶ涙。
気丈なふりをしていても、ふと緊張の糸が切れてしまった。
そんな所だろう。
目の前で少しづつ成長しながらも、物言わぬ恋人に焦りの気持ちが募るのは仕方ない。
「…よく頑張ったな、メガネくん」
千佳からの相談があった時点で、迅には何がしかの動きがある気配があった。
それがいいことなのか、はたまた辛いことなのか…
霞の中、手探りで歩いている状態だった迅だったが。
ふわり。
一瞬、優しい風が入り込み、白いカーテンを揺らして眠る遊真の横顔に影を映す。
その影が。
眠る遊真の頬を撫でているように見えて、はっと迅は息をのんだ。
ああ…そう言うことか
迅の、凪いだ湖面の様な瞳が忙しなく揺れた。
もうすぐ…きっとまもなく。
紅く輝く生命のカケラが、強く輝き照らすのだろう。
幸せなその風景を見ることなく、優しく微笑み迅は静かに病室を後にしたのだった。