一軒家で一人と三匹で暮らすファルガーの自宅は、稀に来客を迎えることがある。
頑なにオフコラボに対して拒絶の姿勢を見せていた彼の扉を開かせたのは、壁を二つ三つ乗り越えてオフコラボへ漕ぎつけ、何かと口実を見つけては上手く言いくるめて全員がたまに集まる場所としてファルガーを丸め込んできた仲間たちの絆だ。言うまでもなく、必ず参加しては片付けを手伝うという名目のもとで他の客人より一泊多く泊まり込み、ご褒美と称して二人で囁やかな愛を紡いできた浮奇の涙ぐましい努力も含まれる。そうして少しずつ溶かされた彼の心は、特に同じグループのメンバーに対しては格段に塀を取り払ったようで、俄には信じがたいことに今日のいわゆる「宅飲み」を提案してきたのはファルガーだった。
「ふぅふぅ、ねぇ、ふーふーちゃん」
「どうした、うきき」
語尾にハートでも付いていそうな甘えた声でファルガーを呼ぶのは、もはや半分も瞼が開いてない浮奇だ。ソファに寄り掛かって座る浮奇の膝では、いつかの旅行の話でも聞いたような体勢でサニーがすっかり寝入っている。酒のせいか少し赤みを帯びている気がする浮奇を横目にチーズを摘んだアルバーンは、サニーが眠そうにしている辺りから浮奇とファルガーのやり取りに心底呆れ返っていた。
「今度のはなぁに?」
「ブルームーンだよ」
誰の目から見ても既に酔っていることは明白なのに、そのグラスが空くや否や浮奇へカクテルを作り続けるファルガーが、今度はサニーの瞳の色にも似たような薄い紫色のカクテルを浮奇へと手渡した。気怠げに持ち上げられた白い手がグラスを受け取るのを見届けたファルガーの視線が今度は此方へ向けられたので、片手に持っているまだ半分ほど入ったグラスを黙って掲げることで返事をする。
「ん、おいしい」
「そりゃあ良かったよ」
酔っ払い特有の舌足らずな賛辞に嬉しそうに笑ったファルガーは、アルバーンの向かいで浮奇の隣へと座った。途端に金属の腕へと白い手が絡みついて思わず視線を逸らす。酔った浮奇は見慣れたと思っていたが、普段よりアルコールを摂取しているせいか此処が他の誰でもないファルガーの家であるせいか、いつもより箍が外れている気がした。
「ふーふーちゃんてば、こんなに酔わせて俺をどうするつもり?」
「どうするんだろうな?」
もう多分アルバーンのことなど視界に入っていないのだろう浮奇は、つれない態度を崩さないファルガーにむっと頬を膨らませている。浮奇は記憶を無くすタイプではなかったと思うが、明日の朝にいま言ったことをそのまま繰り返して言ってやりたいと思った。別にサニーが選んだ膝が自分のものではなかったことへの腹いせではない、誓って。
「うきき、眠いか?」
「...ねむくない」
ファルガーの肩へと額を擦り付ける浮奇はさながら猫のようだった。いつもは甘えて欲しがりな言葉を吐くうちに眠っていることを考えると、グラスを空け続けた割には随分と頑張っている方だと思う。「ファルガーの肩じゃ硬いんじゃないの」と喉まで出かかった揶揄は、糖度が高すぎる言葉を返される未来を容易に想像できすぎるため飲み込んだ。
「寝ても構わない。後でちゃんとベッドに連れてくから」
「やだ、まだふーふーちゃんといたい」
「明日も一緒にいるだろう?大丈夫だよ」
意地だけで意識を繋ぎ止めていたらしい浮奇は、背中をトントンと優しく叩く手には抗えなかったのか数分もしないうちに小さく寝息を立て始めて、起きているのはファルガーとアルバーンだけになった。
「アルバーンはまだ大丈夫か?」
「おかげさまで」
先程より幾分か時間の流れがゆったりとした空間には、時折グラスの音が響くだけで静寂が満ちていた。このメンバーでお酒を飲む時は大体こうなるのがいつものパターンで、ぽつりぽつりと言葉を交わすのみの二人はすっかりリラックスしている。決して順調とは言えない滑り出しに加えて酸いも甘いも経験して、ようやく形になったものが世の中へ届けられる今だからこそ、この空間が尊いと思えた。勿論、ファルガーのお酒と浮奇のつまみが美味しいからこそ成り立つ飲み会であるという大前提があってこそだが。
「ねぇ、なんで今日はやけに飲ませてたの?」
藪蛇だと分かっているのに何となく突っ込んでいきたい気持ちになったのは、きっとアルコールのせいだ。全員分のお酒を作っていたファルガーが、そんな質問に答えるほど酔ってないかも知れないと気付いたのは口にした後だった。
「浮奇は酔うと甘えたで欲しがりになるだろう」
予想に反してすんなりと答えたファルガーに驚きながら、アルバーンは首を傾げる。
「それっていつものことじゃん」
「酔うと普段より酷くなる」
「...言わせたかったってこと?」
好きな相手に甘えられたり頼られたりすると嬉しくなる気持ちはアルバーンにも理解できる。だが普段はそんなことを滅多に言わない慎ましやかで奥手な人物ならいざ知らず、ファルガーの相手は浮奇だ。
「そうとも言う。アルバーンだって気分が沈む日は、そういうのが欲しくなることがあるだろ」
「まぁ、分かるけど。何もそんな回りくどいことしなくても、浮奇はいつも割とストレートに言ってない?わざわざ飲ませなくてもいい気がするけど」
自分が思ったよりも咎めるような響きが声に混じってしまったことにちらりと視線を向けたが、ファルガーは眉を下げて笑うだけだった。それ以上は語る気がないのを察して再びグラスを傾ける。しばらくグラスの音だけが響いて、沈黙を破ったのはファルガーだった。
「愛されてる、って思えるだろ」
ぽつりと落とされた言葉に、アルバーンは小さく瞠目する。その真意を探るように視線だけで続きを求めれば、ファルガーは真っ直ぐに見つめ返す。
「酔ってる浮奇が俺しか見えなくなるのは心地良いから」
言葉の割に軽さを持ったそれは、けれどファルガーなりの浮奇への答えなのだと思った。
「...タチ悪ッ」
「自分でも分かってるよ」
思わず脳内に浮かんだ感想を、アルバーンは態と声に出す。苦笑を漏らしたファルガーは浮奇が残したまま眠ったグラスの中身を一気に煽った。それに倣うように、アルバーンも手元のグラスを煽る。ファルガーが作ってくれたカカオフィズは、悪い大人の狡くてほろ苦い恋の味がした。