インターホンの鳴る音に、浮奇は作業をしていた手を止める。窓から見えたのは運送業者の車だが、ルームメイトに受け取りを頼まれた覚えはなかった。とはいえ頼んでいたこと自体を忘れることはお互いに多々あるため、待たせるわけにもいかず足早に玄関へと向かう。
「はーい!」
「浮奇・ヴィオレタさん、お荷物が届いてます。」
この地域を担当するいつもの配達員が笑顔でダンボールを渡してくる。浮奇より同じかやや歳下であろう彼は、イケメンな上に配達業をやっているだけあって適度に筋肉もついている浮奇の推しである。丁寧にお礼を言って受け取った浮奇は、帽子をとって挨拶する彼が背中を向けたのを確認してからドアを閉めた。
ちなみに引っ越してから初めて受け取りに出た時の話をルームメイトにした際に、自分が出る時に気まずいから電話番号を渡すなと強めに言われたのも今となっては笑い話だ。浮奇だって誰彼構わずアプローチを掛けている訳でなはいのに。
「また、足長おじさんだ…」
リビングのテーブルに箱を置いて宛名を確認する。そこにはしっかりと浮奇の名前が書かれていたが、送り主の名前は書いていない。シールに印字されたそれでは送り主の筆跡を辿ることもできなかった。
「わ!これ気になってたやつ!」
箱から出てきたのは、浮奇がSNSで新作の告知をリツイートしたデザイナーのグッズだった。思った通りの色味と世界観にやっぱり好きだなと自覚する。こういう可愛いものは心も生活も潤してくれるから出し惜しみはしたくない主義なのだけれど、最近の忙しさにすっかり頭から抜け落ちていた。
「でも、どうして毎回わかるんだろ…」
数ヶ月前から名前も知らない送り主から不定期に送られてくるそれは、いつも浮奇が欲しいと思っているものだった。わざわざ出掛けて買いに行くほどではないけれど、いいなと思っていたもの。他人にプレゼントするなら最適であろうものを選んで送ってくれるスマートさにいつも感嘆を覚える。
初めて送られてきた時にはあまりの恐怖に数日間は部屋で放置していたが、警察に届けるべきなのか悩んだ末に中身が分からないのに届けても仕方ない上に怖いもの見たさも相まって、何だか嫌そうな顔をするうきにゃを引き寄せ片手で抱きしめながら開封した。箱の中身を見た浮奇は嬉しさに舞い上がって、送り主に「足長おじさん」と名前を付けた。
送られてきた数が片手で足りなくなった頃にルームメイトに話をした時には、怖いんだけどと妙な顔をされたが、浮奇自身はそこまで気にしていなかった。害を及ぼすのが目的なのであればこうも何回も欲しいものを送る理由がないし、住所を知っているくらいなのだから直接向かった方が早い。
送られてきた数がついに両手に達した頃には、誰なのか分からないこと自体に怖さよりもお礼を言えないむず痒さを覚えた。住所を教えた覚えのある友人たちにも聞いてみたが誰も知らず、最近は足長おじさんの正体が気になって仕方ない。
「ふーふーちゃん、見てこれ。」
「また足長おじさんが送ってきたのか?」
お互い翌日に配信がない夜に通話しながら飲まないかと声を掛けられ、浮奇はワインを片手にファルガーと飲んでいた。
「そうなんだよね、今回は俺がフォローしてるデザイナーさんのグッズ。気になってたやつ。足長おじさん、俺のファンなのかなぁ。」
「概ね、そうだろうな。」
「でも、俺が持ってないってどうして分かるんだろう。やっぱり送ってるものに何か付けてるのかな?」
「超小型のカメラとか盗聴器とか?ぬいぐるみとか厚みがある触って分かりにくいものなら付けられるだろうな。」
「じゃあ、ないはず。そういうのは送られたことない。」
考え込みながらワインを口に含むが、もう2時間近く話しながらゆっくりと飲んでいるせいで酒の回った頭では、たいした結論は導き出せそうになかった。
「浮奇、ちゃんと水も飲んでるか?」
「うん、飲んでる。」
「飲んでなさそうな返事だな。」
やや呆れた色を載せたファルガーの台詞に浮奇は口を尖らせる。飲んでないのは本当に事実だが、見透かされているのも悔しかった。
「ふーふーちゃんが一緒に飲んでくれれば、ちゃんと水も飲むのに。」
「一緒に飲んでるだろう、今。」
「違う、俺の目の前で!」
「…始まったな?」
同じ時間で同じくらいの量を飲んでいるはずなのに、酔ってテンションが高くなったり下ネタが多くなる姿は見たことがあっても、いつだってファルガーは浮奇より遥かに冷静だった。
「ふーふーちゃん、キスして。」
酒に酔って甘えたくなるのはいつものことで、キスを強請るのもいつものことで、だけど今は配信中ではない。浮奇はほとんど確信を持って言葉を投げた。
「…2人きりだからな。ちゃんと聞いてろよ。」
姿が見えないことは分かっているのに、浮奇はこくこくと頷くことで示した。布擦れの音で理解したのか、ファルガーがふっと笑ったのが聞こえる。目を閉じて耳を澄ませると、耳元でリップノイズが響いた。2回、3回と聞こえた後にぴちゃりと濡れた音がして、浮奇は思わず息を呑んだ。
「…終わり、今日はもうしないぞ。」
「んん、べぃびぃ。」
浮奇のすっかり溶けた声にファルガーの笑い声が重なる。これだから浮奇と2人きりの時のファルガーが誰よりも一等好きなのだと、世界に言って回りたかった。…否、誰にも知られたくない。
「ふーふーちゃんと会えたら、俺、我慢できる自信がない。」
「何をとは聞かないでおこうか。」
「いつまでおもちゃに俺の相手をさせるつもりなの、ベイビー?」
「あー、いつだろうな。」
すっとぼけたような台詞がキスのおかげで許されていると、この男は分かっているのだろうか。浮奇がキスひとつで簡単に流されているのも事実なのだけれど。
「俺が欲しいっていったら、足長おじさんは俺におもちゃくれるのかな。」
「どうだろうな?」
「あったかくなって震えるやつ。」
「いいな、それ。」
思わず具体的に考え始めてしまった浮奇は、以前見たことのあるサイトを開こうとマウスに手を掛けた。残りの少なくなったワインを口に含んだ瞬間、ファルガーが溢すように呟く。
「気持ちは分かるが、おもちゃは少し送りにくいから別のものがいいな。」
辛うじて吹き出さなかったことを褒めて欲しかった。今夜飲んでいたのは赤ワインで、パソコンやら機材の並ぶテーブルの上で吹き出しでもしたら大惨事だっただろう。
「今、なんて!?」
さすがに口が滑った自覚のあるらしいファルガーは電話の先で黙りこくっている。おかげで一気に酔いが覚めたようで、やけに視界も聴覚もクリアだった。
「…言うつもりはなかったんだ。」
苦虫を噛み潰したような声でファルガーが弁明する。
「本当にふーふーちゃんなの?」
「...そうだよ、俺が足長おじさんだ。」
「信じられない…」
今まで送られてきた数々のプレゼントが頭をよぎって、浮奇はようやく納得した。確かにファルガーとの通話で話をしたものが中心で、配信やゲームも関係なしに2人きりで通話するとなれば大体お互いに飲んでいることが多かったから、浮奇の記憶が朧げなのも頷ける。
「俺、相当な数を貰ったよね?」
「俺が勝手にやってたことだから気にするな。」
「気にするよ、ファンからふーふーちゃんに送られたお金でしょ!」
「だから、俺が何に使おうが自由だろう?」
「俺に貢がないで!?」
生きていて口にするとは思わなかった台詞を吐けばファルガーがケトルを沸かす。
「笑ってる場合じゃないの!」
言葉にできない感情でいっぱいになった浮奇がテーブルを叩くが、ファルガーは余計に笑うだけだった。怒っている姿が好きな男には、怒っていることが伝わらなくて困る。一頻り笑ったファルガーがまだ落ち着かない声で拗ねている浮奇へと声を掛けた。
「俺が貢ぎたかったからいいんだ。」
「そういう問題じゃないんだって…」
「じゃあ、お返しをくれるか?」
「もちろん!何がいいの?」
ファルガーの提案に浮奇は大きく頷いた。今まで受け取った分は倍にして返したかった。もちろん金額の問題もあるが、興味がないようなフリをしておいて浮奇の知らぬところで愛を送られていたことが悔しかったから。
「浮奇の住んでいるところから一番近い花屋で、浮奇が最初に見た紫の花を。」
てっきり何か欲しい商品やら本やらを強請られると思っていたばかりに、ファルガーのオーダーは予想外で浮奇は首を傾げる。
「花は郵便で送るのに向いてないと思うけど。」
「そうだな、だから直接渡しに来てくれ。」
言われた言葉を理解した瞬間に、世界が止まったような感覚がした。
すっかり酔いは覚めているはずなのに頭が何も考えてくれない。住所は今送るよ、なんてファルガーがのんびり喋っている声が遠くに聞こえた。オフコラボはしないと断言していたファルガーが、どこまで計算していたのかなんてどうでも良かった。ただ自分がファルガーの手を引いて歩いていると思っていた道をファルガーが照らして示していてくれたのだと理解した瞬間に、どうしようもない愛おしさが込み上げる。
「今すぐに会いに行くよ!待ってな、ベイブ!」
電話の向こうで、嬉しそうな笑い声が響いた。