「今日が満月って知ってたか?」
夜の散歩から帰ってきたふーふーちゃんが、玄関で出迎えた俺にハグをするなり唐突な質問を投げかけてきた。
「ううん、だからこんなに外が明るかったんだ」
「あぁ、よく晴れてるから余計に」
満足したのか俺の身体を離してドッゴの脚を拭くふーふーちゃんの横を擦り抜けて空を見上げれば、そこにはまんまるのお月様が浮かんでいた。
「どうりで星の声が静かだと思った」
一等星を除いて月明かりに姿を隠している星々は、まるで後ろに引っ込んでこちらをそっと見ているかのようだった。
「…浮奇には星の声が聞こえるのか?」
目を丸くしてこちらを見てくるふーふーちゃんに、俺は首を傾げた。
「言ってなかったっけ」
「初めて聞いたぞ」
脚を拭き終えたドッゴが俺たちの間を擦り抜けて部屋の中へと入って行く。その背中を見つめていると、ふーふーちゃんに不意に手を引かれた。
「なぁに、ベイブ」
「折角だから、満月を見ながら聞こうかと思って」
そのまま手を繋いで、庭先に置いたベンチへと誘導される。月明かりに照らされていつもより明るい庭は隠れた星々のように静かで、俺はほとんど無意識にふーふーちゃんの手を握り直していた。
「…そんなに大した話じゃないよ?」
「構わない。浮奇の世界を知りたいだけだ」
「わぁお」
よくもまぁ、そんな言葉がスラスラと出てくるものだ。言葉を操るのが得意なアーキビストに転がされている気分にもなるけれど、残念ながら、それがふーふーちゃんの本心であることを俺の中のサイキックが見抜いている。こんなのもう、チェックメイトもいいところ。両手を上げて降参すればふーふーちゃんはケトルを沸かすんだろうから、後はそのまま抱きつけばいい。
「今日みたいに月明かりに隠れて星が見えない夜は、内緒話みたいな囁き声が聞こえる。よく晴れて小さな星まで見える日は、喧騒の中みたいな煩い声が聞こえる。」
「それは随分と大変そうだな?」
心配そうに眉を寄せてくれるふーふーちゃんに苦笑を漏らして、眉間をそっと指先で押して優しく揉んだ。ふーふーちゃんの綺麗な顔に皺なんてつけてほしくない、否、俺のせいで刻まれた皺なら愛せるけど。
「でも毎日じゃないよ。何が原因か分からないけど、聞こえる日と聞こえない日がある」
「自分でコントロールできるものじゃないのか」
「残念ながらね。俺が持ってる能力ってあんまり自分でもよく分かってないし、ましてやコントロールなんて…ね?」
手に入れた瞬間以外に特に役立ったことのない能力なだけに、俺自身も未知数なところも多い。
「だけど、絶対に聞こえる日があるよ」
「…絶対に?」
ふーふーちゃんの、話を聞くときにこっちを真っ直ぐに見てくれるところが好き。
「流れ星が見える日だけは、誰かが遠くで泣いてる声が必ず聞こえる」
俺以上に、悲しんでくれるところも。
「流れ星って正確には星じゃないはずだから、俺が聞いてるのがそもそも”星の声”なのかも疑問ではあるけど…でも、聞こえる」
考え込むように黙ったふーふーちゃんが何を考えているのかは分からなくて、ただ月明かりに照らされた銀糸が綺麗だなぁなんてぼんやりと思った。繋がれた手が時折ぎゅっと強く握り直されて、それを三回繰り返したところでふーふーちゃんがようやく口を開く。
「…満月に名前があるのは知ってるか?」
唐突な話題の転換に頭がついていけず、俺は首を横に振るのがやっとだった。
「各月ごとに名前がついてるんだ。ストロベリームーンって聞いたことないか?」
「あ、それは聞いたことあるかも」
「6月の満月をそう呼ぶ。名前のまま、苺の収穫時期だからそう呼ばれる」
「じゃあ今…7月の満月は?」
「バックムーン、牡鹿の角が生え変わる時期だからな。さて、浮奇に問題だ」
ふーふーちゃんの雑学は本当に多岐に渡るし、そもそも話の展開が上手くてつい引き込まれてしまう。急に真面目な顔で見詰められて、俺はつい背中を伸ばした。
「俺の誕生月、3月の満月はなんだと思う」
全く想像もつかない問題に、俺は既に両腕を上げたい気分だった。
「セントパトリックデーにちなんでグリーンムーンとか?でもふーふーちゃんが問題にするくらいだから、きっと違う気がする」
「おぉ、心理的なところを突いてきたな」
俺に考えを読まれてることに嬉しそうな顔をするふーふーちゃんは可愛くて、ふーふーちゃんが楽しそうなのはすごく良いことなのに、今はなんとも憎たらしい。
「イースタームーン?サクラムーン?」
「ありそうだな、けど違う」
「もう思いつかない、教えて!」
祝日もイベントも思い付く限り言ってしまって、俺は早々に諦めて降参を示した。
「ワームムーン、…芋虫だな」
「ew」
ほとんど反射的に声を発しながら思わず顔を顰めた俺を見て、ふーふーちゃんが腹を抱えて笑いだす。ドッゴの散歩も終わって後は寝るだけのこの時間に、とんでも無いことを吹き込んでくれたふーふーちゃんを睨んだ。
「夢に出たらどうしてくれるの?」
「ふっ、は…悪い、ちょっと悪戯したくなって」
笑いを抑えきれてないふーふーちゃんは俺が睨んでなければケトルを沸かしそうな勢いだ。揶揄われたことへの非難も込めて強めに腕を叩けば、硬い金属の感触が指先に伝わって俺もちょっと痛かった。
「今日はずっと抱き締めて寝てね」
「構わないが、それじゃいつもと変わらないだろ」
「いつもと同じがいいの」
俺に悪戯するふーふーちゃんには、星々がなんて言ってるかなんて教えてあげない。一等星に惚気を聞かせていることも、月に隠れた星々が俺たちのやり取りを見て盛り上がっていることも、ふーふーちゃんには秘密だよ。君と一緒に、夜空に想いを馳せたいから。