登竜門 奇跡を起こしたおれだけども。
木蓮の木に車椅子がひっかかり減速して落ちて無傷。
コアラは衝撃で吐いて気絶した枯れ枝より枯れ枝なおれを抱えおれの実家に向かったらしい。
目を覚ましたらなつかしくて埃っぽい天蓋つきベッドに寝せられていた。
病院にいた時のことはあんまりぼやけて覚えてないし、昔どこで何してたかはあんまり覚えてないけどおれはコアラにも実家が知られてるくらいだいぶと有名な金持ちの息子で、その金持ちは夫婦そろって死んでて、遺産全部相続したおれの口座から毎月勝手に光熱費が払われ続けてるおかげで廃墟と化したここでも暮らせるってわけらしい。
ときどきクソガキが肝試しに忍び込んではコアラに追い回されて泣き叫ぶ声が響く。
お互い行く当てもないのでこの幽霊屋敷に住んで一か月くらい経ったんだが。
「サボ君のおしっこコーラみたいだよね、しゅわしゅわしてて黒いの」
年が近い女に下の世話になるのは本当にキツイ慣れない。
赤ん坊に毛の生えた知能しかねえコアラにケツ拭かれてちんこぺちぺち振り回されると情けなさで死にかけるけど、あの病院に少なくとも5年以上囚われて手足を縛られていたので太もものつけねや肩をちょっとすくめるくらいしかできない状態で一体いつ動けるようになるのやら。
下半身丸出しのまんま左を下に寝返りをうたされて、うちわでぱたぱた扇がれる。
「はやくしまえよ」
「蒸れてかゆくない?背中穴開いてるみたいだもん」
「かゆいのなんか通り越した。寝っぱなしだと皮膚が腐れるんだよ下にしてるとこから。最終骨まで溶ける」
「あーだから真ん中ぐちゅってしてんだあ。サボ君死んでたってこと?」
「そう、死んでて蘇った。死になおしたくないから今日もよろしく」
「うん!ねえ夜に親切な人が来て置いてってくれたんだけど、ウィダーとポテチどっちがいい?」
「ウィダーって何」
「ゼリーとジュース混ざってるみたいな」
「じゃあそれ」
ふたりともきっとうまく喋れてないけど幼馴染みたいに話が通じる。
コアラは一個年上らしいが中身は保卒だ、保育園卒業程度のくせに足クソ速えし武術でも習ってたのか屋敷にたむろしに来たチンピラたちをボコすくらい強い。
そのチンピラから追いはぎしたらしいウィダーを口にくわえさせられじゅうじゅう吸う。
唇と歯だけじゃ支えきれなくて、枕をすべって落ちかけた吸い口をふたつに分かれた舌ではさんで固定した。
「なあはやくしまってくれ。ケツ出したまんま嫌だ」
「サボ君のオムツめんどいんだよね。したいときしたいって言えるんだからつけっぱじゃなくたっていいじゃない」
「したいって言っておまえ呼んでパッドに出すとこ見られんの?無理なんだけど」
「なんでパッド?おぶってトイレ連れてってあげるよ」
ウィダーを噴き出しかけた。
そうだ忘れてたトイレでするもんだった、したいって思った瞬間出ちまうくらいゆるゆるだから…やばいおれトイレトレーニングからはじめねえと、コアラは保卒だけどおれはまだ自分の排泄処理すら。
ここにくるまでメシも点滴に頼るのが当たり前だと思ってたし、舌が痺れて喋れないのも普通で、体が動かないのは当然だった。
たった数年で価値観がぶっ壊れてるのを自覚したおれの腰にタオルをかぶせ、目の前でポテチをばりばり食いながら満面の笑みでコアラは言う。
「27の男の子が漏らすわけないもんね!でももしトイレまで我慢できなかったら笑ってあげる!」
両の拳がベッドから数ミリ浮いた。
ああこいつにはもう金輪際ちんこもケツもみせねえし失敗してベッド汚したりも絶対しねえ。
口からメシ食えるようになったんだトイレで躓いてる場合じゃねえ、はやいとこ動けるようになって探しに行かねえと。
何かはわからない、でもなにか、運命の何かを探しに行かなきゃいけないって体は常に焦っている。
きっといたんだ、おれの全部を狂わしちまうくらいのやんごとなき素晴らしい大事な人が。
そうじゃなくてもせめて自分の口座とかスマホとかそういうのを探したい。
そう思うのに、数ミリ浮いた拳はやっぱりすぐにベッドに沈んだ。
コアラはポテチ食った手を拭かずに反対側にまわり、おじゃましますとベッドに上がっておれの真っ白な髪をいじる。
「明日シャンプーしてあげるね、おとこのひとたちお財布落としてったから買ったんだ」
「あー助かる。タオルじゃ全然さっぱりしねえもん」
「お風呂もキメちゃう?」
「まじかよ」
これはうれしい。
ちんこもケツもみせねえとは言ったけどこれは別だ、お湯に浸かれるなんて信じらんねえ、体起こしたら吐くとか言ってる場合じゃない風呂なら吐いたっていいしどれだけ傷口に沁みようが全身を洗い流せるなんて。
「大丈夫か?おれ座ってたって自分のこと支えらんねえぞ」
「大丈夫溺れないようにおさえといてあげる。ついでに髪切ってあげようか?ハサミみつけたんだ」
ハサミと聞いてうれしい気持ちの頭をちょん切られたかと思った。
鈍色の刃物に電気メスを思い出し、歯でがりがりウィダーの吸い口をかじる。
「嫌?真っ白で腰まで伸びてるよ、ふわふわだし背中くっついてかゆくない?」
手から力が抜けていく。
齧ってるんじゃなくて歯が震えてんだ、電気メス、おれいつそれを見たんだっけ、思い出せないけどとにかく。
「伸ばしてんだ」
「そっかあ、私きのう切ったんだよ。どう?似合ってるよね!」
「ああ。コアラ、トイレ連れてってくれ」
「あれ?さっきとっかえたのに?」
「頼むから」
星と月のウォールステッカーが照らしてる夜。
天蓋で守られているはずなのにおれの目の前には電気メスとさらさらの明けない夜がまだ横たわっている。
奇跡は一度きりだ、ここからは運も偶然も何もなく、自分で立ち上がらなければ。
お腹に力をいれておしっこも涙もゲロも精子も出さないようにして汗を噴きだすおれをコアラは何も言わずにおぶってトイレまで連れてってくれた。