ばら庭園にて「だからね、悪魔が悪いんじゃねえと思うんだ。悪魔は人間なんだ、強い人間じゃなくてまだ未成年の子供だ。そうじゃなかったらキリストにあんなこと言わねえ。あれは叫びなんだよ。なんにも手に入らなかったやつが最後に頼るのはかみさまだろ?飢え死にしそうだから石をパンに変えてくれ、なんにもいいことねえから神殿から飛び降りて死なない奇跡を見せてくれ、親にさえどうしようもねえって言われたおれに媚びへつらって土下座してくれって。なあ?一か月以上飲まず食わずでもこのくらいキリストなら朝飯前だろ?奇跡を起こせるんだから。なのにあいつなんもしなかったんだ。助けてほしいって知ってたはずだろ、わかってたはずだろ、まるで忘れてたかのようにメシも奇跡も権力もなんにも与えてくれなかった。だからアダムとイブとヘビで肩代わりしなきゃいけねえ。楽園の島でなんにも知らねえまんま生きられなかった3人が。誘惑全部突っぱねた神の子の代わりにおれたちがさ、しなくちゃならなくなったんだ。しょうがねえよなかみさまがしてくれないならおれらでやるしかねえんだ、おれらがエースを」
熱にうなされたように喋ってたサボがせき込んだから牛乳にチョコ溶かしたやつを飲ませた。
はひはひ浅い息を繰り返して震える拳を膝にこすりつけながらへらへら笑ってる。
「ごめんな、久しぶりなんだ。このまえ本当に久しぶりに声出したし、今ルフィとしか喋ってないからさ」
「いやいいけどよ」
夜ごとすっきり冴える甘いにおいがする寝室がもっと甘ったるくなる。
テーブルのお菓子や飲みもの、プラスチックのカップは今日もおれが持ち込んだ。
ばりばり乾いたままのラーメンを齧りながらまたサボは続ける。
「でさ、だからいいも悪いもないと思うんだ、全部の出来事は評価するべきじゃなくて」
「難しいことばっかいってんじゃねえよお何言いてえんだ」
「エースに会いたいってこと」
「エース今バイト」
「コンビニだっけ?する必要ねえだろルフィが金工面してんだから」
「人の役に立ちたいんだと」
「へえ〜気持ち悪。エースはおれのことだけ考えてりゃいいのに」
どっちもどっちだろ、おれはあくびをしながら背もたれに寄っかかった。
開きっぱなしの窓からバラのにおいが漂ってきてもっと甘い。
サボは屋敷から出ないと言ってたけど、じゃあいつエースを知ったんだろう、まさか本当に兄弟か?似てるとこっていったらふたりとも隙あらばくっついてくることくらいだけど。
家主にバレたんだから他の家に行こうと思ったけど、おしゃべりした帰りに何かしら盗んでもサボは怒らない。
黙っててもずっとくっちゃべってひとりで泣いたり怒ったり笑ったりして元気だ、日が昇るまでの暇つぶしにはちょうどよかった。
「エースはおっぱいもまんこも頭もゆるふわだからお前みたいなもん見たら泣いちまう」
「エース女なの?」
「おれのメスだぞ」
「あ犬か。まあ仕方ねえよな、ルフィ前オコジョだったし。ん?犬なのにバイト?」
「なんの話だよ」
「六道。エースもルフィも畜生以下に堕ちすぎなんだって話。なんで真っ当に生きられないのかな」
「もう宗教の話飽きちまった」
プリッツを束で掴んでばりばり食べる。
エースは今ごろまた違うとこに商品並べてんのかな。
陳列があべこべすぎてわざとやってんのかと思ったけど素で間違えて怒鳴られてるらしい、レジも毎回金額が合わねえとか言ってた、もう辞めた方がいい店のためにも。
やめておれのちんこ咥えてた方がまだマシ、だって宗教勧誘すらひとりで撃退できねえんだぞ、頭悪すぎるおっぱいにのーみそ吸われてんだきっと…
サボの顔を見ると乾燥した火傷痕がひび割れて血が滲んでいた。
触れるか触れないべきか迷ってると少し首を傾けて髪で隠された。
なんどもやり慣れてそうな完璧な角度。
髪の隙間からのぞく夢見る目はこのまえチーズケーキ持ってきたじじばばとどこか似ている。
あのふたりはどっかの家で見たテレビ通販の吸引器を啜っていて、この屋敷の持ち主がスポンサーの番組で。
おれは熱いチョコを飲んでからスマホを出してブックマークを漁った。
「サボって働いてんのか」
「ううん。エースとルフィの話とか革命軍の話してたら親に気狂いあつかいされてここに閉じ込められたんだ。警備員見ただろ、おれがここから出ないように配置されてて」
「あれお前用かよ。じゃあ知らねえかな。最近ここらで流行ってるもんがあるんだけど」
そう言って細長いヴェポライザーの画像を見せた。
「吸引器…何、電子タバコ?見ねえ形だけど…リキッド…」
ややしばらくスクロールして、これでなにを吸うのかまで見せると眉間にしわを寄せておれの両肩を掴んできた。
「ルフィ、人それぞれ人生があるのはわかるが、にいちゃんはこういうの嫌いだ。法律は別に善悪で決まってるんじゃねえんだぞ、脱法だろうが合法だろうが混ぜ込みわかめご飯になったオピオイド系は」
「おれやってねえって」
「やってなくても聞けいいかルフィ、こういうのは知ってるか知らねえかなんだ」
まるで先生が不良生徒に説教するみたいにドラッグの講座を聞かされた。
それは吸ったらどうなるからダメ、とか誘われたら断ろう、とかそういう垢まみれの話じゃない。
まるでそこに行ったことあるんじゃねえかと思うくらい詳細な、世界各国の情勢とドラッグの話。
空腹をごまかすために、病院にいけないから痛みをごまかすために、そんな貧困にあえぐ中毒者たちがせめて感染症にならないようきれいな注射針を用意するボランティア団体だとか、安価で手に入りやすいからむしろ医者が提供してるとか、密輸してるギャングたちに政治家が支援金出してるとか、そのドラッグに税金かけて貧民からもっと吸い上げるとか、なんかそういう、断る断らない以前にどうあがいたって中毒になる仕組みが世界中でできあがってる話。
サボが嫌いなものは薬じゃないし、おれに伝えたいことは薬ダメ絶対ってことじゃない。
けど、何が言いてえんだろう。
その螺旋の渦が嫌いだからって、だからなんなんだ。
熱がこもる手をやさしく振り払いあったかいカップを持たせるとサボは悔しそうな顔をした。
「わかってくれるかルフィ」
「わからねえ。わかんねえけど、サボもわからないほうがよかったんじゃねえのか」
「わからなかったら誰がエースを助けるんだ」
「もうだいぶ助けてるぞ、メンタルも生活も」
「そうじゃないんだよ」
サボは熱いチョコを飲み干してベッドに向かい、ぼろぼろのページの無い本を手に取った。
ドラッグをこの街に流して宗教と結託して金儲けしてんのはおまえんちだぞ、とは言わなかった。
これは、このサボが知らないってことはきっとなにか嫌な理由がある。
たとえばこの財閥がドラッグの流出元って大々的にバレた時、サボの親はなに考えるんだろう、何考えて息子をこの田舎に閉じ込めてるんだ。
エースがおれの代わりになるって言ったみたいに、サボも罪を代わるんだろうか。
サボがベッドに腰かけたからおれもそばに寄って抱きついた。
「えっ?あっルフィ、いいのか?お、おれなんかにだっこ?ルフィが?ししし死ぬ」
「バカ言ってんじゃねえ。さっきの話もっかい聞かせてくれよ、インドのタール砂漠の話。スナネズミが面白かった」
「ごめんそれどころじゃないああ何十年ぶりだろう」
「サボって還暦?」
「今世ははたち」
笑いながらからっぽの本を開いた。
少し涙ぐみながら砂漠の夜の話をするサボは本を何度も指で撫でて時々おれの頭も撫でた。
まだもう少し。
別に盗みに来てるんじゃねえ、遊びに来てるだけ。
働いちゃいないけど友達と遊んで物貰ってるだけだ、貰ったけどいらねえから換金してるだけ、なんにも悪くない。
帰り際サボに内緒でドレッサーのネックレスをポケットにしまった。
また明日、とサンダルを履いて窓から飛び降り、バラ園を抜けて塀を上り屋敷の外に出て走り出すとすぐに後ろから抱きつかれた。
「おまえのバイト、塀から棚卸するんだな」
振り返るとエースの冷たい目に見降ろされる。
なんで?つけられてた?エースはまだバイトしてる時間のはず…
首根っこを掴まれ引きずられながらおれはあらゆる言い訳と謝罪を繰り返した。