牽制と妥協のさんぶんこ恋に堕ちるきっかけは、ほんの些細なことだ。
ずっと目に入っていたチョーカーの下が気になったとか、強い個性に興味がひかれたとか、追い付こうと射殺さんばかりに睨み付ける瞳が忘れられなかったとか。
そんなほんのちょっとしたことでその人物をことあるごとに思い浮かべ、目で追い、気付いたら自分の中で特別になっている。
そうしてその気になったきっかけが、誰かしらの手にも渡されそうになったとき、唐突に思うのだ。ああ、誰にもとられたくない、と。
この気持ちは一体何なのだろうか。恋なんてきらきらしたものなんかじゃ到底ない。もっと淀んでいて、汚くて重たくて、色で言ったら日が経った血だまりのようにどす黒くて赤い。
〈中略〉
遮光カーテンで日が入らずとも、体内時計はしっかりと朝を感知する。
隣でぐっすり眠っている相手を起こさないよう静かに寝室の戸を開け、共有スペースに顔を出せば、朝食を食べ終えたらしい爆豪がテーブルに腰かけたままスマホを見ていた。朝食が乗っていただろう空の食器が目の前に残っているのを見るに、まだ食べ終えたばかりなのだろう。
「はよ」
「……飯、そこ」
轟が挨拶をすれば、ぶっきらぼうに朝食の在処が返ってくる。
ここに住むようになってから、家事は常闇を抜いた人間たちの当番制ですることにした。今日は爆豪が食事当番である。
当番制といえど、モノがあればいい、ある程度出来ていればいいという希望のラインがあまり高くないため、轟たちが用意する食事はもっぱら惣菜やお弁当だった。才能マンである爆豪だけが自前で料理を作ってくれるから、なんだかんだ彼の食事当番は人気である。
ちなみに常闇の床事情も当番制ーーもとい、交代制だ。
「……フミは?」
「まだ寝てる。わりぃ、ちょっとヤリすぎちまった」
「別にてめェの性欲の話なんざ聞いてねえンだわ」
「でも今日は爆豪の番だろ」
目の前の男は常闇に無理をさせるとすぐ怒る。殊更、常闇が爆豪とともに寝る番の前日に起き上がれないほど交わると、文字通り目がつり上がるほど怒る。
理由はわかっている。自分が無理をさせられないからだ。
口や態度が悪くてもなんだかんだと常闇に甘い爆豪は、前日に轟やもう一人の共有者ーーホークスが望むままに常闇を求めた場合、何もせず次の日は一緒に寝るだけの夜を過ごすことがよくある。
いつぞや「割に合わないんじゃない?」とホークスが爆豪にたずねたことがあるが、余裕たっぷりの顔で「無理させてばっかだと嫌われンぞ」と言い返していた。立派な宣戦布告である。
一応“共有”という形におさまったものの、爆豪は未だに虎視眈々と、常闇を独占できる機会をうかがっているのだ。だから、その他二人が常闇に嫌われるような行動をするのは都合が良いと、そう言い返していた。
「……今日は俺じゃねえ」
「え?」
ぼそりと呟いて、爆豪は食器を持って席を立つ。
「さっき例の事件が解決したってニュース入ってやがった。帰ってくンだろ、アイツ」
「ああ……例のテロ予告があったって言ってたやつか。一ヶ月はかかるって言ってたのに二週間足らずで解決したんだな。さすが元ナンバーツーだ」
「ケッ。俺なら五日で終わらせられるわ」
相変わらず張り合う癖がある友人に、バレぬよう笑いながら、轟は爆豪が作ってくれた朝食を温めなおす。
電子レンジが仕事をしてくれている間に自分自身でもスマートフォンでニュースを確認して、彼が言った「俺じゃねえ」という意味を理解した。
「そうか。じゃあ今日はホークスの番になるかもしれねえな」
家事は当番制。常闇との夜は交代制。家賃と光熱費はホークスが四割、轟と爆豪が三割ずつ。この家の内情は他言無用で、表向きは四人でシェアハウスをしているということにする。そして、もし、何かしらの事情があって順番を待たずに常闇を欲した場合、皆に頭を下げて願い出るとともに、それ相応の対価を用意する事。
以上が、この家で共同生活をするうえでの決まりごとだった。
最後の決まりは、今のところ轟と爆豪が一回ずつ使用している。
轟の兄、荼毘ーーもとい、燈矢の処分が正式に決定したその晩に轟が一回。爆豪の幼少期からの憧れであるオールナイトが、歴戦の後遺症で床に伏すようになってしまったその晩に爆豪が一回。
それぞれ相応に考えた対価を支払って融通をきかせてもらった。
そんなイレギュラーを含んだとしても、五日以上常闇と触れ合いが無いなんてことは今まで一度もなかった。二週間、常闇の顔すらも見ていないとすれば、ホークスが融通を利かせてほしいと願い出る可能性は高い。
轟はますます申し訳なさそうに眉をさげた。
「踏陰……大丈夫かな」
「ハッ。てめェなんざ嫌われちまえ」
「……ここで嫌われるのはホークスだろ」
たしかに無理をさせてしまったが、一日くらいなら常闇も呆れながらも許してくれる。だがこれが二日、三日と続くと口をきいてもらえなくなる。
もし今日がホークスの番になるなら、口をきかれなくなる第一人者はホークスだろう。二番目は轟かもしれないが。