目を離さないで こんな事なら、早く来なければ良かったと彩子はため息をついた。
「いいじゃん、ちょっとお茶くらい」
休日、部活が午後からの為、午前中のうちに部活の買い出しを済ませようと駅前でリョータと待ち合わせをしていた。待ち合わせ時間の15分前についた彩子は一人でいる間に知らない男に声を掛けられたのだった。
「すみません、この後予定があるので」
「その制服可愛いよね、湘北でしょ?」
外でのトラブルを避けたい彩子が必死の愛想笑いで回避しようとするが、ついに男に腕を掴まれた。
「待ち合わせって、女?それとも男?」
「離して下さい、困ります」
ここが体育館ならハリセンの一撃をお見舞いしたいところだが、あいにく今は手元に無い。それでなくともバスケ部は先生からマークされているので、行動には注意しなければならない。とにかく、一度この場を離れて集合時間にまた戻ればいいか、と思ったその時だった。
「お待たせ、えりこ。ごめん、電車遅れちゃって」
突然、男は彩子の肩に手を置き、笑顔で声を掛けた。彩子はその男の顔を確認すると、一瞬眉毛を釣り上げたが、男は彩子に一度ウインクを送り、彩子の表情は戻った。
「も〜、洋太、遅いんだから!」
二人の親しげなやり取りに男は「なんだ、男いたのか」と彩子から離れていった。男の姿が完全に見えなくなると、彩子と彩子を『えりこ』と呼んだ男は吹き出した。
「誰よ、えりこって。彼女?」
「さぁ?いや、アネゴの洋太もどうよ?響きそっくりじゃん、あの人に」
「いや、そんな急に偽名なんて思いつかないもの。そもそも何で偽名?」
「こっちは私服だからいいけど、制服だと学校バレてるから。念の為」
「ふーん。とにかく助かったわ、ありがとう水戸洋平」
「いえいえ、どういたしまして」
彩子に声をかけたのは、水戸だった。彩子も最初は、いつもと髪型が違うため一瞬わからなかったが、声と顔を見てわかったのだ。咄嗟に偽名で呼ぶあたり、何度も修羅場をくぐって来たのだろうと思った。高校一年生にして恐ろしい男だ。今日はいつもと違い髪を下ろしているので、見た目だけはいつもより高校生らしく見えるが。
「待ち合わせ?宮城さんと?」
「えぇ。何でリョータってわかったの?」
「さっきの偽名で俺の名前と宮城さんの名前混ぜてたから」
水戸の指摘に彩子は少し、難しそうな顔をした。
「部活前にデートなんて、あの人、喜ぶでしょ?」
「デートじゃないわ、ただの買い出しよ」
正す彩子に水戸は桜木をからかう時と同じような顔で笑った。
「しかし、宮城さんって女待たせるタイプなんだ。あの人なら待ち合わせ先に来そうなのに」
「うーん……習慣っていうの?アイツはギリギリにしか来ないわ」
「へぇ」
そう言いながら、二人は駅の改札側を向いた。そろそろ次の電車が到着する頃だ。
「わかってて私が先に来てるのよ。待たせるより、待つ方が好きだから」
「カッコイイね」
「あら、ありがとう。それに、先に来ると面白いのが見れるのよ」
すると、人混みの中、気だるそうに歩く宮城の姿を見つけた彩子が「ほら」と指差すので、水戸もその様子を観察した。部活用の大きなバッグを肩にかけ、ダラダラと歩いていた宮城は待ち合わせ場所に彩子が先に来ていることに気付いたのか、花が咲いたように表情がぱぁっと明るくなった。背筋を伸ばし、歩幅だって広くなった。しかし、彩子の隣の男が一歩、彩子に近づくと必死な表情で駆け寄ってきたのだ。
「なるほど、こりゃ面白い」
わざと彩子に寄った水戸は吹き出して笑った。
「でしょ?案外、可愛いのよ、アイツ」
彩子は視線を宮城に向け、手を振りながら、言葉だけは水戸へ向けた。その間に、宮城は彩子の前に辿り着いた。
「ア、アヤちゃん、お待たせッ」
そう言って、彩子にニコッと笑うと、その直後ぐるりと隣の水戸を睨みつけた。
「で、誰だよ、アンタ」
「あぁ、俺っすよ、水戸」
水戸はバイトの為、いつもと違い下ろしていた髪を両手で後ろに流しながら宮城に声をかけると、宮城は力が抜けたのか「なんだ〜」とその場に座り込んだ。
「なんだじゃないっすよ、俺、アネゴがナンパされてるの助けたんですよ?感謝してもらわないと」
水戸はわざとらしく溜息をついた。
「え!?ナンパ!!」
大きな声を上げながら、立ち上がる宮城に驚いた彩子は目を丸くした。
「ちょっと声掛けられただけよ」
「それをナンパって言うんじゃん!!アヤちゃん、美人で可愛いんだから、もっと用心しないと!」
水戸はニヤニヤと笑いながら、何度も体育館で見かけた様子を外で見るのは新鮮だと思った。この様子を見ながら、タバコを吸えばいつもより進みそうだが、親友と同じスポーツマンの側で吸うのはやめておこう、と思った。
「じゃ、俺はバイトがあるんでこれで」
「ありがとう」
「お礼に今度、何か奢るな」
立ち去ろうとした水戸に宮城が声を掛けると、水戸は何秒か考えた後に口を開いた。
「あ、じゃ、その分、花道に奢ってやって下さいよ」
「ヤダよ、花道めっちゃ食うもん」
宮城は眉を片方だけ上げながら、口を尖らせた。桜木は部内でも一番食べるし、先輩の『奢る』の言葉に容赦が無いのだ。宮城も既に何度か失敗しているのだ。
「俺が花道より食うって言ったらどうします?」
「じゃ、花道、奢る……」
桜木と水戸が並んで大盛り料理を食べる様子を想像した宮城は、恐怖で体をブルっと震わせた。向かいの彩子は、水戸と宮城の顔を交互に見てから、小さく笑った。
「俺が花道より食うってのは冗談っすけど、花道、宮城さんのこと大好きだし。俺にお礼したいなら、花道に奢ってやって下さいよ、マジで」
「そうか。花道のやつ可愛いとこあるな……」
「アンタ、何、後輩にノセられてんのよ……先に予算言ってからにしなさいよ。水戸洋平も先輩からかうんじゃないわよ」
彩子のツッコミに水戸は吹き出した。
「まぁ、俺も面白いもん見れたんで良いんスよ」
「そうね。先に来た特権よ」
彩子と水戸は宮城の数秒間のうちに、動きも表情もくるくると変わる様子を思い出しながら笑った。
「え?早く来るといいことあるの?次から俺も早く来ようかな」
「いいのよ、リョータはいつも通りで」
彩子は「行きましょう」と歩き出した。
宮城は足取りが軽く楽しそうな彩子の表情を下から覗き込んで、理由がわからず首を傾げた。彩子はその様子が面白くて、また笑った。彩子の言動一つ一つに反応する宮城が可愛くて、もうしばらくこの関係でいたい、その為には私もリョータを夢中にさせる魅力的な女性にならないとね、と思いながら。
※作中、20歳未満の喫煙を匂わせる表現がありますが、推奨しているわけではありません。