優しくしないで.「…七種くん、まだいますか?」
急なノック音と扉越しに聞こえた声に驚いてしまった。時刻は日付を超える少し前。キーボードを叩いていた手を止め扉を開くと、何故かつむぎ陛下がいた。
「これはこれは、つむぎ陛下!自分に何か用ですか?」
見るからに鞄を肩に掛けているからこれから寮に帰るところだろうか。こちらからニューディに伺う事はあるものの、つむぎ陛下がこちらに伺ってくるのはまだ数えられる程の回数しかない。寮に帰る前に何か大事な伝達にでも来たのだろう。
「お疲れ様です七種くん。俺これから寮に帰るんですけど、七種くんも一緒に帰りませんか?」
意外な言葉に驚いてしまい、何度か瞬きをする。今まで寮に一緒に帰るなんて誘われたこともないしそこまで仲は深くないはずだ。関わるとしても同じ副所長の立場としてくらいなのに。
「陛下からお誘いして頂けるなんて大変嬉しいのですが、生憎まだやるべき仕事が残っていましてね!なので、」
「七種くん」
言葉を遮るように名前を呼ばれたと思えば、陛下の手が伸びてきて指で目の下を優しく撫でられる。
「陛下...?」
「何日寝てないんですか?」
「はい...?」
「昨日打ち合わせで会った時より隈酷くなってますよ。日和くんに聞いたらここ3日寮に帰ってないみたいですし。今日は切り上げて休みましょう?」
陛下の言う通り一昨日から寮に帰っていないし睡眠なんてとっていない。3徹するのは別に今に始まったことではないし、周りも知っているはずだ。3日寝なくても仕事は出来る。それくらいつむぎ陛下だって同じ副所長の立場なのだから理解しているはずだ。でも、日和殿下から寮で休ませるように頼まれたのだろうか。
「自分こう見えて自己管理はしっかりしていますしこれから少し仮眠をとるつもりですので!わざわざ御足労させてしまいすみません!では自分はこれで!」
これくらい言えば引き下がって1人で帰ってくれるだろう。仕事の続きをしよう。背を向けて席に戻ろうとすると、腕を掴まれて引き寄せられる。3徹目の体は重心を保つ事もできず足が思う通りに動かない。それに急に引き寄せられたため軽く目眩がする。そのまま陛下にもたれかかってしまい、抱きとめられるような状態になった。
「わっ、急に引き寄せちゃってすみません。大丈夫ですか?」
「ぁ…っ…すみません陛下…ま、まだ何か?」
「…七種くんが副所長の立場で休む間も無いくらいいつも大変なのは分かりますよ、一応俺も同じ立場ですし。でも、こんなに酷い顔してフラフラしているのにこのまま仕事を続けるのは体に良くないです」
真っ直ぐと目を見つめられる。何でこの人はこんなにも自分のことを心配してくれるのだろうか。まだ慣れない優しさがむず痒い。気遣われる資格なんて俺には無いのに。
「…はは、…お気遣いありがとうございます!いや〜!やはり夢ノ咲出身の方々は信念深いですな!自分本当に大丈夫ですので!」
陛下から離れようとするが、後ろに下がろうとしてもビクともしない。気付かぬうちに腰をがっちりと両手でホールドされてしまったらしい。陛下には失礼だが、あまり力が無さそうに見えるのにこんなに力があるなんて意外すぎる。それと、よく思えば猛烈に距離が近い。このまま目を合わせているのはさすがに恥ずかしく感じ目線を逸らす。
「…どういうおつもりですか?」
「七種くんが帰るって言ってくれるまで離しません」
「え、いや、陛下…さすがにこの距離はなんと言いますか…近すぎるので一旦離れてもらえません…?自分こういうの耐えかねないと言いますか…」
「じゃあ離れたいなら帰るって言ってください。一応これが最終手段ですし離したら七種くん逃げそうなので」
「ま、まず陛下がここまでする意味無いでしょう…?自分なんかのために…」
「…七種くん」
先程のように名前を呼ばれ、つむぎ陛下に目線を向けると同時に優しく頬を撫でられる。あまり経験したことの無い行為だからなのか、距離の近さなのか分からないが、顔と体がバッと熱くなる。
「っぁ…まっ、て…」
「俺が七種くんのことどうでも良かったらわざわざ一緒に帰ろうだなんて誘いに来ませんよ?」
「え…?日和殿下から頼まれたんじゃ…」
「日和くんからは様子を見に行ってほしいとはお願いされましたよ。けど、寮に連れて帰りたい、一緒に帰りたいっていうのは俺の意思ですよ。だから、」
「っ……ないで、ください…」
「七種くん?」
「自分なんかに…優しくしないでくださいっ…」
睡眠をとっていないから情緒が不安定になってしまったのだろう。つむぎ陛下の言葉に涙腺が緩んで涙が溢れてくる。自分で涙を拭おうとする前に陛下が涙で濡れた眼鏡取って目元を指で拭ってくれた。溢れてくる涙はなかなか止まってくれない。
「俺がそうしたいだけですよ。同じユニットではないし友達とかでもなくて副所長で同じ立場ってだけですけど、七種くんがボロボロになってるの見過ごしたくないです」
そう言われ、頭を撫でられて優しく微笑まれる。本当にこの人には敵わないな。
「一緒に帰りますっ…」
「ふふ、はい。その前に目冷やしてから事務所を出ましょうか。寮で誰かと会ったら俺のせいで泣かせたことになりかねないし…」
「いや、普通につむぎ陛下のせいなんですけど…」
「えぇ!俺のせいですか!?」