第8回 身長 ラーヒュン1dr1wr「もうすぐだ」
ヒュンケルの案内で、ラーハルトは地底魔城の跡地へ向かっている。正確にはそのほど近くにあるという洞穴へだ。
火口の近くは草木の一本もなく、岩ばかりが薄い月明かりに照らされている。
「こんな所に本当に居るのか? 妖精が?」
「どうだろう。かなり昔のことだからな」
幼い日のヒュンケルはある夜、城を抜け出したのだそうだ。どうしても星というものが見たかったらしい。
「暗い空で無数にキラキラしていてな。夢中になった。するとそこへ妖精が現れたのだ。そいつもキラキラ光っていたから、オレはてっきり星のひとつが降りてきたのだと思った。それは先導するように低く飛び、洞穴へ入っていった。追いかけたら向こう側には別の世界が広がっていて、森だった。似たような光がたくさん居て、あれやこれやと話しかけられたのだが、オレは途中で泣いたのだろう。王と会うことになった。王は『イタズラ好きが君を連れてきてしまったから侘びに何でもひとつだけ叶えてやる』と言った。オレは父さんに会いたいと願った」
「なるほど。それでダイ様に会いたいと願えば、導いてもらえるやもと考えたわけか」
「ああ。不思議な力だった。一瞬で地底魔城の自分の部屋に戻れたのだからな」
最後の最後に、ラーハルトは不信感に苛まれた。
「……戻った時、城はおまえの行方不明で騒ぎになっていたか?」
「いや。誰にも気取られずに抜け出せたから、ずっと眠っていると思われていたはずだ」
「それらはもしや、おまえの見た夢なのでは」
疑わしげなラーハルトをじろりと振り返ってきたヒュンケルは、ふいとまた前を向いて岩の傾斜を登ってゆく。
「夢じゃないさ。洞穴に辿り着けばハッキリする」
「そのような古い記憶で場所が分かるのか?」
「無論だ。外からすればこの山頂付近は秘境かも知れないが、オレにとっては家の隣だったんだ。……見ろ」
ヒュンケルが指さす大岩の根元に真ん丸の洞穴があった。
その形はヒュンケルの記憶の通りだったようだが、しかし近付けば近付くほどに想像とは違った。
「こんなに小さかったのか……」
彼は愕然と呟いた。足下にあるトンネルは、大の大人では肩も入らぬくらいに細かった。
「おまえ、前にここに来たのはいつだ?」
「三歳くらいだな……」
なるほど、それなら潜れただろう。
ヒュンケルは身を窄めてしゃがみ込んだが、そんなに縮こまっても決して入れる大きさではないのは明白だ。試すことすらなく、そのままうずくまってしまった。
「この度はおまえの里帰りが出来ただけで良しとしよう」
「だが……おまえにまで足労をもらったのに……」
「いかに実利主義のオレと言えども、恋人の故郷が見たくないほどには冷めてはおらん」
それでも納得が行かないのか、ヒュンケルは未練たらしくトンネルを覗き込んで闇の距離を目算しているが、無駄だろう。
「ここをくり抜くつもりか? 違う世界への道なのなら物理は通じまい。オレも妖精の伝承は知っている。清い魂を持たねば、姿は映らず、声も聞こえんらしいな。おそらくこの洞穴は、おまえが資格を持たぬからこのサイズであるのだ。だったら、今のおまえが強引に向こうに辿り着いたとて、もはやそこには何もあるまい」
「そうか……。そうだな」
立ち上がったヒュンケルがまだ入り口を見下ろしているので、ラーハルトはフンと鼻息を吹いた。
「諦めきれんのか? ならば世界中の純心な者を掻き集めてこの洞穴に挑戦させるか? それこそ王が立腹するだろう」
「そうではない。少し感傷的になっていただけだ。……行こう」
ようやく身を翻して、ザクザクと洞穴から遠ざかるヒュンケルの背を、ラーハルトは追った。
彼がどういう類いの感傷に苛まれているのかはよく分かる。後悔や自嘲。そんなところだろう。
「なんだ? 妖精に会える自分で居たかったのか?」
「善良な者でも成人すれば会えぬものやも知れんが……それにしてもオレは汚れすぎた」
そんなに悲観することだろうか。生きていれば大なり小なり罪は犯すし、力を得れば慢心を、困難にぶち当たれば狡猾さを得るものだ。
生きるとは汚れるに等しい。
「だったらオレが好きになったのは汚れてるおまえだな」
もしも己を打ち倒した戦士がまっすぐに正義だけを信じて輝くキラキラの目をしていたら、魔槍を託しなどしたろうか。
「オレは綺麗なおまえなど知らん。辛酸を舐め、泥にまみれても生き抜いた自分を誇れ」
ヒュンケルの歩調が弱まったので、ラーハルトはその背に追いついた。
すかさず彼の体に腕を回して、抱き寄せて、街でのデートのようにゆったりと荒野を歩く。
「そして不純な夜を過ごそう」
同意を求めて顔を覗き込むと、毒気を抜かれたようなヒュンケルと目が合った。
「おまえ、一言が余計だな」
「大人のおまえしか抱けないからな。立派に育ってくれて嬉しいという意味だ」
「ならば、今夜は思い切り汚れるか」
笑みを零したヒュンケルの頬にキスをしながら、ラーハルトは一瞬だけ後ろの洞穴へ横目を向けた。
小さな彼はもう居ない。今はとても腕になじむ大きさだ。