第26回 薬 ラーヒュン1dr1wr この体が治ることはないでしょう。
汗だくになってベッドに眠るヒュンケルを前に、そう告げてきたのは医者でも占い師でもなく、やっとの想いで自宅に呼び寄せた癒やしの精霊たちだった。
ラーハルトは怒りや苛立ちを通り越して、疑いを抱いた。
「貴様らは本当に回復を司る者なのか? 貴様らはホイミやベホマそのものではないのか?」
そうです。ですからその人、ベホマ効かないでしょ?
精霊は緑の光を放って暗い部屋をくるくると飛び回った。
もう用はないと、ラーハルトは床にチョークで描いた魔方陣を足で擦って崩した。緑の光は消えた。
駆けずり回って方法を探し当て、息せき切って愛しい恋人との住まいに戻り、期待を胸に儀式の準備をして、結果がこれだ。深い夜の闇に沈んだ室内に、はあはあと苦しげなヒュンケルの吐息だけが続いていた。
地獄の苦しみ。
そう表現したのは床に伏すヒュンケルの、その師アバンであった。
突如として病に倒れたヒュンケルはすでに生命力の限界を迎えていた。内臓の壊死が始まっており、長くないとのことだった。そうして生きながらにして腐っていく苦痛は、常人であれば絶えず叫ぶほどであるはずだと、アバンは語った。
「ラ……」
「気がついたか」
ほとんど光のない寝室で、うっすらと開いたヒュンケルの目を覗き込む。
「気分は?」
「だいじ、うぶ」
その一言だけでも呂律のまわらない男が、どれほどの痛みに耐えているのかは想像もつかない。
ラーハルトはベッドの傍らに膝を突き、汗だらけの額に手を置いた。
「眠り薬がある。飲むか」
アバンは診断の後に小瓶を置いていった。それはもう一ヶ月も前のことだった。
「起きた、ばかり……だ」
眉間に深く皺を寄せて、ヒュンケルは目覚めたところなのにまた眠ることに難色をしめしたが。
「起きていても、苦しいだけだろう?」
生きていても、苦しいだけだろう?
ラーハルトだって綺麗に生きては来なかった。捕虜への手荒い尋問くらいしたことがある。
真の痛みというものは尋問を1日で終わらせる。みな泣き叫んで頼むのだ、秘密はなんでも喋るから早く殺してくれと。
小さな薬瓶をちゃぷちゃぷと揺らしてみせると、夜目の利くヒュンケルはじっとラーハルトの手元を見つめた。
「寝たら、おまえと、いれない……」
「わかったわかった。じゃあ一緒に飲む」
呆れた口調のラーハルトは、聞き分けのない幼子を寝かしつけるようにベッドに上がって寝転がり、布団ごと彼を抱きしめた。
「オレも飲んで寝る。口移しで、半分こだ。それで文句ないだろ?」
薄闇にかこまれて、同じ寝床の上。
ラーハルトは、これを置いていった男の言葉を思い返していた。
舐めるだけでも致死量だとおもいます。眠るように静かに逝けます。もしも痛みに耐えられなくなったら、その時には。
地獄の一秒が無限のように繰り返す。その苦痛の時の中に愛しい恋人をつなぎ止めていることにもう耐えられそうもない。回復の見込みもなく、脂汗を垂らし続け、まるで彼が長すぎる拷問にかけられているような姿を延々と見続ける痛みに、ラーハルトが先に音を上げた。
このさき幸せなど望みようがない苦しみだけの人生に、せめてとどめをくれてやりたい。
ひじを突いて少し上半身を起こし、瓶のふたに手を掛けた。
すると白い手が、ラーハルトの持つ瓶に伸びてきた。
「くちうつし、なら」
痛む腹に響くだろうに、ヒュンケルは渾身の力で薬を払い落とした。
「くち、だけ、くれ」
枕の上にあるヒュンケルの顔を振り返ると、彼は痛覚を奥歯で噛み殺しながら不敵に笑んでいた。止むことない肩の上下が彼の強がりを表している。
「……素直にキスしてって言えよ。そしたら寝るまでしててやるから」
ラーハルトは、そうっと布団の端から潜り込んで添い寝をした。中は温かかった。
「寝たくない……」
「なぜ我儘をいう」
「会えたから」
ヒュンケルが懸命に首を動かし、朦朧とした目をこちらに向けた。
「起きてたい」
生きてたい。
痛みにうめく恋人を見ている。拷問を受けているのはどちらなのだろうか。
ラーハルトは啄むように、口移しの愛情を何度も飲ませた。