My sweet Princess「あ?村雨、どーした?」
朝。
目を覚ましダイニングへと移動した獅子神は、そこに居た恋人に声を掛けた。
呼ばれた村雨が、顔を上げてこちらを見る。
昨日……いや、日付は変わっていた気がするので、厳密には今日……深夜。
如何にも何日も寝ていません!という疲れきった顔の恋人の来訪を受けた。
それ自体は、特に珍しいことでもない。
慣れた獅子神は倒れそうになる軽い身体を抱え風呂場に移動し、シャワーで軽く洗ってやった後パジャマに着替えさせ、ベッドに放り込んだ。
シャワーの時点で村雨は半分以上が夢の中であり……「おやすみ」と額にキスをしたことも、恐らく覚えていないだろう。
そこまで、特に問題はない。
問題は、現在にあった。
「……おはよう」
「ああ、おはよ……て、いや、オメーなんでそんな格好なんだ」
律儀に挨拶してくるのに返しつつ、ダイニングの椅子に座る恋人に歩み寄る。
そうすれば村雨は、口元に当てていた人差し指を離しながら、ゆるりと首を傾げた。
「なにか問題が?」
「いや、問題しかねーんじゃねーか」
起き抜けの為か、毛先が少しばかり乱れている黒髪。いつもの通りの、グラスゴードに繋がれた、金縁眼鏡。ここは、いい。
問題は何故かこの恋人は見慣れたジャケットが脱ぎ掛けで、シャツの前が肌蹴ている。ということだ。
薄い胸板や白いうなじ、細い首筋が眩しい。
「……」
指先を再度口元に持っていき、何か考える表情を見せること数秒。
その前に立ち、身を屈めて視線を合わせた獅子神の目に、暗赤色の瞳がぶつかった。
「……獅子神」
「どーした?」
「あなたとまぐわいたい」
「…………っはぁ!?!!?」
予想をしていない言葉に仰け反れば、煩い、と非難の視線が突き刺さる。
いや、まて、今のは悪いのはオレなのか?
お前はもうちょい、自分の発言を顧みたりしてみねーのか?
「たが、プリンだ」
「……プリン」
またも脈略のない……けれど、先ほどよりは衝撃の少ない言葉を、反復する。
そのまま、見つめ合うこと数秒。
獅子神は頭の中で、村雨の言葉と、今の状況と、昨日から今に至るまでとを脳を総動員して繋ぎ合わせ……溜息を吐いた。
いや、オレ、なんで分かるんだよ。
「あー……オメーは、つまり……」
頭をガシガシ掻き乱しながら、脳の中身を言葉に置き換える。
「目が覚めて着替えようとしたけどシャワー浴びるなら着なくていいかと思ってまた脱ごうとしたものの、オレがまだ起きてねーからシャワーを後にするか迷って、とりあえず喉も乾いたし水飲むか、て冷蔵庫を開けたらプリンがあったから食いてーけど生クリームを乗せて欲しいが恋人兼料理係は起きてこねーしどーするか?て、考えてた。てことでいーか?」
「あなたとまぐわう為にシャワーを浴びようとした、が抜けいてるが、概ねその通りだ」
「ワザと飛ばしたんだよ気づけよ追加するんじゃねーよさすがマシなマヌケって顔してるんじやねー!」
いや、まず、オレを褒めろよ。
なんで「まぐわう」と「プリン」でここまで導き出せるんだよ。
ちら、と村雨を見てみれば、何かを期待する顔でこちらを見ていた。
いっそ清々しいくらいの欲望が、獅子神へと突き刺さる。
「……」
はー……と。再度、獅子神は溜息を吐く。
恋人は……村雨礼二は、欲望に忠実だ。決めたことに対しては確実に実行するし……恋人である獅子神に対しては、それを躊躇いも遠慮も何もなく、全力投球でぶつけてくる。
欲しい。これがいい。こうしたい。
オメーもうすぐ30だろ、幼児かよ……と思わなくはないが、その恋人故の躊躇のなさを、嬉しく思っているのも事実なわけで。
「あー……」
とりあえず。
硬い黒髪の頭に触れて、目を合わせて笑いかける。
「いいこと教えてやるよ、村雨。プリンな、オレが作ったけど……多分、まだ固まってねーんだよ」
「……ほう?」
「だから……今から一緒にシャワー浴びて……ベッドの中でその……なんだ」
「まぐわう」
「そうだな!!で、ちょっと眠って……お前が起きる頃には、プリン食べれるようになってるよ」
ふむ……と、考える仕草をするのに笑う。
もう、分かる。これは、村雨にとって悪く無い提案をした時の反応だ。
「生クリームは?」
「ちゃんと買ってある。泡だてたらすぐだよ。上に乗せるチェリーもあるぜ」
「上出来だ」
「そりゃ、センセイの恋人ですから」
軽口を叩きながら、立ち上がる。ひょい、と、軽い身体を抱え上げた。
慣れた調子で首に腕を回してくるのに、気分が良くて笑いが漏れる。
「時に、獅子神」
「ん?どーした?」
「あなたとの、性的交渉についてだが……」
「!?」
浴室に向かいかけていた膝から、一瞬、力が抜ける。
落としそうになるのをなんとか堪え、責める視線を腕の中へと注ぐ。
いや、なんでオメーがオレ責めるような顔してんだよ。
「……オマエ、な……!」
「なぜ、今さら……?1回や2回の経験でもあるまい」
「オメーはもうちょっと恥じらいとかを持て」
顔が熱い。
その顔を興味深そうに覗き込み……口に指を当て、村雨は唇の端を持ち上げて笑った。
「では……」
「……?」
「……あなたに、『抱かれたい』」
「」
本当に。
落とさなかったことを、感謝して欲しい。
咄嗟に床についた、膝が痛い。
そんな獅子神を、当の恋人は涼しい眼差しで見てきていて。
「……後で、泣かす」
「そうか」
だから、なんで、嬉しそうなんだ。
足腰立たなく……と言いたい所だが、プリンを食べられなくなったら恨まれることは確実なので、言わなかったというのに。
「獅子神」
「……今度はなんだよ?」
「あなたは?」
姿勢を立て直して脱衣所に辿りつき、そっと村雨を下ろして立たせる。
半端に肩に掛かっていたジャケットを脱がせ、シャツのボタンを外してやる。
そうしながら顔を上げれば……村雨は、明らかにこちらの答えを待っている顔で。
何故。
ここまで、敵わないのだろう。
どうせオレの答えなんか、とっくにわかっているだろうに。
シャツを脱がせ終え。目の前の細い肩に腕を回した。
ふわり、と消毒液の匂いに似た香りを鼻先に感じながら、抱き締める。
「オレも、オメーを抱きたいよ!」
久しぶりに、会えたんだから。
そんな心を知ってか知らずか……確実に知っているだろう……腕の中の恋人は、ただ満足そうに「上出来だ」と、呟いていた。