まさかのクロディ1話目 山を切り崩して築かれた鉱山の町に吹き込んだ風が砂埃を舞い上げた。反射的に目を閉じたが、僅かに砂の粒が入った視界が涙で滲む。ごろごろといつまで経っても違和感の拭えない眼球を持て余しながら、クロードはせめて人々の往来の邪魔にならないように道の端に避けた。
岩肌に背中を預けて仰ぎ見る岸壁に囲まれた空は狭い。赤茶けた岩とのコントラストで青さが際立つ。上空でも強い風が吹いているらしい。蠢く雲は何かの生き物のように忙しなく蠢いている。
前線基地への襲撃が途切れた合間を縫って、クロード達はクロス大陸に戻って来ていた。ディアスと行動を共にするようになってすぐのことだ。提案したのはレナだった。一度ディアスと共に故郷へ帰りたい、と彼女がクロードに耳打ちをして、急ぎアーリアへと向かった。
急ぎ足で通り過ぎた町や村は、ラクール大陸のように大規模な魔物の侵攻を受けている様子はなかった。その事実に安堵する。それでも、ソーサリーグローブの影響を受けてか、魔物たちは以前より心なしか凶暴性を増していた。だが、誰よりも速く先陣を切り紙のように斬り裂く長躯の背中を追うだけの道中は、レナと二人きりで旅立った頃とは比ぶべくもなく楽なものだった。長くクロードと共に前衛を担い、肩を並べていたアシュトンは双剣を鞘から抜き放つことすらせず棒立ちのまま「出番がないね」と言って笑うほどだった。
始まりの村に帰り、歓迎を受けると一泊だけして早朝アーリアを発った。サルバに着いたのは昼を少し過ぎた頃で、来るときは先を急ぎ通り過ぎるだけだったこの町で昼食も兼ねた自由行動の為に解散することにした。
待ち合わせの時間にはまだ早い。暇を持て余したクロードは、見るともなしに町で一番大きく立派な屋敷を眺める。レナと同世代の息子が預かる、この町の町長の家だ。その屋敷の前に佇む長い髪の男をクロードが見掛けたのは半刻ほど前のことだ。鉱山の町の値段の割にボリュームのある食事を平らげたクロードが戻って来ると、男の姿はなくなっていた。
「あれ、クロードじゃーん」
名前を呼ばれて振り返る。結い上げた亜麻色の髪を尾のように揺らして、プリシスが元気良く傾斜を駆け上がってきた。その少し後ろから、三日月に似た形の髪飾りを煌めかせて、夜色の髪の少女がゆっくりと歩いてくる。レナだ。
「やぁ。一緒だったの」
「うん。レナとジャムを見てたんだ」
見て見て。プリシスはそう言ってクロードの目の前で鞄を広げた。見たところ、あまり一般的なジャムはない。
「ずっと一緒だったわけじゃないんだけどね。クロードは?ここで何してるの」
追い付いたレナが困ったように笑いながらクロードに訊ねた。
「何も。ちょっと目にゴミが入って、邪魔にならないように避けてたところ」
「大変、見せて」
目にゴミが入ったくらいで大袈裟だよ。クロードが言うより先にレナが手をかざし、目の周りが温かくなる。
「……大袈裟だよ」
すっかり痛みも違和感もなくなった目元を抑えてクロードは言った。
鮮明さを取り戻した視界が、今しがた癒しの力を放っていた少女の手を捉える。そこに、石があしらわれた指輪を見留めた。初めて見る装飾品だった。
「かわいい指輪だね」
「あ!ほんとだ、かわいい〜。買って貰ったの?」
率直な感想を述べるクロードの横で、プリシスもレナの手元を覗き込んだ。
豪奢過ぎない素朴なデザインは決して洗練されたものではないが、鉱山の町らしく宝石の質は素人目にも良い物であるように見える。神護の森を彷彿とさせる新緑を懲り固めたような石の緑は、彼女の可憐な指にこの上なく相応しいように思えた。
「うん。よく似合ってる」
町長の屋敷の前に佇む長躯が脳裏を過ぎる。きっとあの男であれば、レナの好みも熟知している筈だ。その事実に、一抹の寂しさを覚える。けれど、以前のような苛立ちや疎外感を覚えることはなかった。
「ありがとう。セリーヌさんに買って貰ったの。選んでくれたのはアシュトンだけど」
「……二人が?」
「ええ。セリーヌさんが勧めてくれたサファイアも綺麗だったんだけど、やっぱり誕生石のエメラルドが良いかな、ってアシュトンが選んでくれた方を買って貰ちゃった」
確かに、レナの指で輝く澄んだ緑色の石は、アシュトンの瞳と同じ色をしていた。どうして気が付かなかったのだろう。急に恥ずかしくなって、クロードは頭の後ろを掻いた。
「え〜。いいなぁ誕生石!あたしも欲し〜。クロード買って」
「買って、ってなぁ」
腕に凭れかかるようにしてプリシスに強請られる。そんなプリシスを丁寧に引き離しながら、レナが口を開いた。
「そういえば、プリシスの誕生石ってなぁに?」
「え。知らなーい」
「知らない、って……知らないのにクロードに買って貰おうとしてたの」
「うん。だって宝石とかキョーミないし。あ!何だったらレナと一緒でいいよ。お揃いで着けよ」
今度はレナと腕を組みながらプリシスが言った。
「良くないわよ。お揃いは嬉しいけど、こういうのは生まれた月毎に決まっているものなの。プリシス、五月生まれじゃないでしょ?」
そこも地球の誕生石と同じルールらしい。そもそも、地球と同じように誕生石という文化がエクスペルにもあることが面白いな、とクロードは思った。
「うん。ギリ二月」
「二月はエメラルドじゃないわよ、きっと」
「そっかぁ。じゃあ何の石?」
「それは……何かしら」
助けを求めるように、レナがクロードに目配せをする。けれど恐らくは彼女たち以上に宝石に興味のないクロードは、ただ首を横に振るしかなかった。
「うーん。アシュトンだったら分かるかも知れないわね」
「そうだね。レナの誕生石だってすぐ分かったくらいだし。普通はせいぜい自分と家族の石くらいしか分からないんじゃないかな」
石を魔除けや厄除けの御守りとして身に着ける習慣はエクスペルにもある。肩に背負った双龍を筆頭に何かと災難に見舞われがちなアシュトンが石に縋る内に造詣が深くなる様子は想像に難くない。
「え。じゃあさじゃあさ、クロードは自分の誕生石、何か知ってるってこと?」
プリシスが若葉色の瞳を輝かせた。彼女の問いに頷く。
「知ってるよ。ぼくの誕生石はガーネットだ。一月生まれだからね」
父とも同じだと言い掛けてやめた。英雄の息子という事実だけでも惨めなのに、そんなところまで同じだとますます情けなくなる。それに、父のことを知らない二人にわざわざ話すことでもないとクロードは思った。
「聞いたことのない名前の石ね」
レナから指摘を受けて言葉に詰まる。確かに、錬金でレナやセリーヌがガーネットを生み出している様子はない。エクスペルの店頭で見掛ける、赤い石の装飾品のその殆どがルビーなのかも知れない。
「え、っと……ぼくの故郷ではそこまで知名度の低くない、その、赤い石なんだけど、あまり流通してないのかもね」
「そう。ルビーとは違う赤い色なのかしら」
「そうだね。ルビーとはまた違った赤だと思うよ」
レナの興味はガーネットその物に移ったようで、クロードは安堵に胸を撫で下ろす。
「へぇ〜。それってセリーヌの眼の色みたいな感じの赤?」
「いや、一般的なガーネットはそこまで鮮やかな赤じゃなくて、もっと沈んだ、」
沈んだ深い赤い色——口にしようとしたクロードの思考を、鋭利な深紅が掠めた。
「ディアスの」言い淀みながら口にする。「眼、みたいな」
動揺して、舌が上手く回らない。どうして動揺しているのか、クロード自身よく分からない。
「そう。綺麗な石なのね」
クロードの動揺に全く気付いた素振りもなく、レナは微笑む。彼女から返る言葉を受けて、クロードは早鐘のように心臓が脈打つ理由も分からないまま、ただ自分の形容が正しく伝わったことだけを理解した。