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    往生際の悪いディアスのはなし
    着地点決めてないので尻切れトンボ過ぎたら不採用?にするかも

    R6.11.27 ちょっと舞台を変えて試行錯誤中

    #クロディ
    clodi

    クロディのエピローグにしたい 眼下には遠浅の海が広がっていた。頭上に拡がる空は、まだ少し夜の名残を感じる。波打つ海面は、水平線を舐める陽光を照り返して、魚の鱗のように煌めいて見えた。朝の清々しく張り詰めた玲瓏な空気を切るように旋回する猛禽が、ディアスの頭上高く、薄っすらと白い雲のたなびく空を泳いでいった。
     潮騒と、時折響く甲高い鳥の鳴き声に耳を傾けながら、倒壊した家屋や生活用品の転がる不安定な足場を漫ろ歩く。
     長いこと人の手が入ることを忘れた――そう形容するには、かつて港町だったこの廃墟が惨劇に襲われてからまだ日は浅い。魔物の群れの襲撃を受け、水没した町から水が引いたのは最近のことだ。だが、逃げ延びた住人が帰還するより早く廃墟には魔物が棲み付き、とても人が住める場所ではなくなっていた。何より、水の浸食によって悼んだ家屋や地盤は倒壊の恐れもある。復興の目処はたたず、辛うじて生き延びたエルリアの住人が元の生活を取り戻す日は遠い。
     十賢者の脅威を除き多くの犠牲を払いながらもエクスペルを取り戻したディアスは、アーリアにレナを送り届けると、この二年間で染み付いた傭兵としての日常に戻った。そんなディアスをレナも引き留めることはしなかった。それでも、完全に今までの日常に戻ったとは言い難い。積極的に故郷に帰る方法を探すこともなく、何故かディアスに付いてくる異界の青年がいるからだ。エル大陸の復興支援の為、クロス、ラクール両王国からの現地調査と棲息する魔物の盗伐依頼を受けた今回も同じだ。当たり前のような顔をして、クロードはディアスと共に船に乗り込んできた。
     一緒と生きたいと言った子供は、その言葉を証明するようにディアスを抱いて、本当に付いて来た。そして、まだ付いてくる気でいるらしい。
     確かに、最初に仕掛けたのはディアスだ。十賢者との戦いの前夜、ラクアで話をしていたら無性に腹立たしくなり、とにかく黙らせてやりたい一心で意趣返しに口付けた。その結果がこれだ。 そこまでする必要があっただろうか、と折に触れてディアスは首を傾げる。だが、そのことをクロードに直接確認したことはない。それどころか、あの夜と朝の境界の曖昧な時間に起きた出来事を話題に上げること自体、一切なかった。クロードが性的な意図を持ってディアスに手を伸ばしてくることもなかったし、ディアスから仕掛けることもなかった。お互いが口を噤めば、あの日身体を重ねて熱を分け合った事実もなかったことに出来るのではないかとすら思った。
     それほどまでに、今のクロードとディアスの間には何もなかった。何事もなかった。
     今は、周囲に魔物の気配はない。二手に分かれたディアスとクロードとで一掃してしまったのだろう。落ち合う場所は特に決めていない。そもそも、行動を共にしているわけでもない。よく分からない理屈を並べ立てたクロードが勝手にディアスに付いて来ているだけだ。このまま合流出来なくても別に構わないか、と朝の光に目を細めながらディアスは思った。
     無残に崩れた桟橋を横目に、海沿いを歩く。海の向こうには不明瞭に浮かぶクロス大陸が見て取れた。一際大きく隆起した影は、恐らくラスガス山脈だ。
     暫く海風に煽られながら歩いていると、崖の上に向かって伸びる階段が見えた。切り立った崖に沿うように作られた幅の狭い階段は、土と石とで出来た段差もまちまちな簡素なものだった。手摺もない。踏み外せばなす術もなく海に落ちそうな階段の続く先には、何か建造物のようなものが見える。朝焼けに滲む空を背にそびえ立つ影の正体は、ディアスのいる場所からでは分からない。
     高台に位置していることから考えると灯台だろうか。ディアスは首を傾げる。それから腰から下げた剣の柄に手を掛けて、階段へと足を向けた。
     打ち付ける飛沫を受けて微かに濡れた岩肌に手を添えると、慎重に歩を進める。階段を形作る石の隙間から覗く葉と茎が、何処かで見たことのあるような花を付けていた。今は崩れて見る影もない花壇の花のこぼれ種が、風でここまで飛ばされて来たのかも知れない。
     草花で疎らな装飾を施された階段を上って行くと、やがて開けた場所に出た。崖の上だ。高台にも、道中見掛けた名前も知らない花が点々と咲いている。疎らに茂った低木の向こうに、崖の下から目視した建造物を見付けた。建物の高さから察するに、灯台ではなさそうだ。
     周囲を警戒しながら、ディアスは建物に近付いて行く。朝の日差しを背にした建造物の輪郭が徐々に露わになる。それは海から吹き込む風雨に晒され劣化した、石造りの古びた教会だった。損傷から、人の手が入らなくなって随分経っていると知れる。ソーサリーグローブに由来する魔物の凶暴化より以前にその役目を終えたのだろう。道中の危険性も、人の足が遠退いた理由の一つかも知れないな、とディアスは思った。
     廃教会に近付くにつれて、疎らだった足元の花が少しずつ密度を増していく。恐らく花壇だったのだろう崩れた石レンガの向こうから、色とりどりの花が雪崩のように溢れ出して零れて落ちていた。一帯の花畑の発生源だ。古びた教会の重厚な扉は、蝶番が外れてその意味をなくし、崩れた石壁にもたれ掛かっている。
     腐食し、花と苔とが鬱蒼と生い茂った木製の扉を跨ぐと、ディアスは廃教会の内部に踏み入った。天井部分の殆どは剥がれ落ちて空が覗いている。廊下も土台が剝き出しになっていて、旺盛な野花が床下にまで根を張っている様子がよく見えた。最奥の礼拝堂らしき広間には、割れたステンドグラスとその骨組みが辛うじて残されている。程よく陽の光が入るのか、礼拝堂の剥れた絨毯と床もまた、花に浸食されて極彩色に塗り潰されていた。そして、そこに佇む人影を見留めると、ディアスは足を止めた。うんざりする。
     簡素なジャケットに覆われた背中をディアスに向けて、青年は花畑に立っていた。海風が吹き込む。かたかたと割れたステンドグラスが小刻みに震えると、朝日を受け止める彼の柔らかなブロンドも厳かに煌めいて揺れた。
     忌々しいほど絵になる目の前の光景に、ディアスは小さく舌を打った。すると、弾かれたように青年が振り返る。当然だ。この程度の気配にも反応出来ないようでは困る。

    「あれ。ディアス、何で」

     ここにいるんだ。困惑した様子で、クロードがしどろもどろに口を開いた。

    「それこそオレが訊きたい」
    「いや、ぼくはディアスを探してたからなんだけど。ほら、待ち合わせ場所、決めてなかったろ。ここは高台だし、上からなら探し易いかと思ってさ」

     眉間を押さえると、ディアスは深い溜め息を吐いた。まるで呪いのようだ。

    「オレも人のことを言えたものではないが、おまえはいい加減真面目に故郷に帰る方法を探せ」
    「心外だな。まるでぼくが不真面目みたいじゃないか」

     口を尖らせたクロードが言った。あざとい。

    「実際、不真面目だから言っているんだ。ずっとオレについてくるわけにも行かないだろう」
    「そんな、ぼくについて来られるのが迷惑みたいな言い方するなよ。傷付くだろ。あんなに熱い夜を過ごした仲なのに」

     どうしてよりにもよってこのタイミングでタブーを蒸し返すのだろう。花畑に佇む美しい子供を引っ叩きたい衝動を、拳を固めてやり過ごす。

    「……窓が開いたままだったし、肌寒かったことしか覚えてない」
    「そりゃディアスはマグロみたいに転がってただけだもんな」

     よし。やはり殴ろう。教会の残骸で出来た陰りから一歩を踏み出し、ディアスは陽だまりの花畑を蹴散らしてクロードに近付くと固めた拳をそのまま脳天目掛けて振り下ろした。苦悶の声を上げて、クロードがしゃがみ込む。その様子を冷ややかに見下ろしながらディアスは言った。

    「おまえ一人だけが興奮していたからな」

     言ってから、すぐに後悔した。
     確かに、この子供は興奮していた。正確には、欲情していた。それも異性ではなく同性の、それも華奢で小柄でもなければ中性的でもない、年上で体格の良い男の排泄器官に性器を捻じ込んできた。
     どうしてこんなことになってしまったのだろう。
     出会ったばかりの頃を思い返す。この青年は確かにレナに好意を抱いていた。それこそ、独占欲にも似た執着を見せて、レナの幼馴染みであるという理由だけでディアスに強い妬みにも似た感情を向けてくることも少なからずあった。今ではその敵愾心に満ちた眼差しが懐かしい。恋しくすらあった。

    「……ディアスは、レナを選ばなかったぼくにもう用はない?」

     不意に、しゃがみ込んだクロードに問われた。いつの間にか、彼はディアスを真っ直ぐに見上げていた。夜と朝の境界の曖昧な時間の、鮮やかな青い空と同じ色の眼だ。

    「まぁ、どちらかというとぼくがフラれた感じだと思うけど」

     ディアスも見てただろ。付け加えてクロードは言った。教会の外から聞こえてくる潮騒が、今は失われた楽園の夜の浜辺から聞こえた波の音に重なる。
     クロードの言う通り、レナは最後の夜を過ごす相手に彼を選ばなかった。けれど、彼がその事実を気に病む様子はなかった。彼女に選ばれた誰かを妬む素振りもなかった。

    「ディアスはさ、ずっとレナとぼくの間を取り持とうとしてたろ」
    「そういう言い方もあるな」
    「答えてよ。レナの相手になれなかったぼくを、ディアスが気に掛ける理由はもうない?ぼくはもう、あなたにとって無価値でしかない?」

     クロードは同じ問いを繰り返した。
     理由はない。最初は、この未熟で弱い青年が大切な幼馴染みの相手に相応しいか見極める程度の気持ちしかなかった。再会する度に強くなるクロードの成長に心が動くこともあったが、それだけだ。理由はない。だが、それはクロードも同じことが言える。

    「なら、おまえがオレに付きまとう理由は何だ」

     だから、同じ問いをクロードに返した。

    「レナは再びオレの手を離れ、アーリアに残った。オレの強さに焦がれ、追い掛けたおまえの剣は既に届いた」

     クロードは強くなった。ディアスに膝を突かせ、父の死を乗り越えて、十賢者を倒すだけの強さを手に入れた。

    「だから、ぼくにはディアスと一緒にいる理由がないって?」
    「そうだ。おまえにとっても、オレという人間は既に無価値だろう」
    「……きっかけが意味をなくして、一緒にいる理由もなくなって、それでも離れ難く感じるくらい、あなたが好きなだけ、って言ったら?」
    「気が触れてる」

     ディアスは肩を竦める。それから、しゃがみ込んだクロードを一瞥した。眉尻を下げて情けなく見上げて来る姿は、とても宇宙を救った英雄には見えない。帰る場所を見失った迷子のようだ。
     クロードの脇をすり抜けて、足元の花を極力踏まないよう歩を進める。拉げて錆びた窓枠に近付くと、土埃で濁ったステンドグラスの名残が未練がましい煌めきを放った。その向こうには海が拡がっている。茫洋たる寂寞の海原は、けれど何ものにも縛られることなく、何処までも自由で広大だ。

    「クロード」

     境界の曖昧な、空と海の青色の交わる水平線に焦点を絞ったまま、ディアスは背後の青年の名前を呼んだ。返事はない。だが、身じろぐ気配があった。
     肩越しに立ち上がるクロードの背中を見留めると、ディアスは問い掛ける為に口を開いた。

    「おまえは、父親が死んだときの夢を見るか?」

     小さく息を飲む音がした。ディアスは振り返らない。割れたステンドグラスの向こうに拡がる海だけを見ていた。陽光が滲む海は、徐々にクロードの眼に似た鮮やかな碧い色に染まり始めていた。

    「見るよ」

     短くはない沈黙を経て、ディアスの問いに答えが返った。気が付くと、クロードはすぐ隣に立っていた。

    「オレもだ」

     家族が殺されたときの夢を見る。二年以上経った今も決して色褪せることのない惨劇の記憶は、未だに目蓋の裏側に焼き付いて剥がれない。

    「故郷を離れても、宇宙を救っても、悪夢は悪夢のままだ。何も変わらない」
    「……そうだね」

     抑揚を欠いた声を添えて、クロードが頷く。

    「だが、そこに最近おまえが転がるようになった」

     少し迷ってから、ディアスは言った。クロードの様子を窺う。意味を掴みかねたように、彼は瞬きを繰り返している・

    「そこ?どこ?」
    「オレの家族の殺害現場だ」

     補足してやる。

    「勝手に転がすなよ。まだ生きてるよ」
    「そうだな。そのせいか、おまえの死因だけはバリエーションに富んでいてな。夢を見るたびに少しずつ違う」
    「学食の日替わり定食かよ」

     クロードがわけのわからない呻き声を上げた。

    「え。何。殺意を覚えるほど、ぼくの存在はディアスにとって迷惑だった?」
    「なるほど。そういった解釈もあるか」

     そちらを採用した方が良いかも知れない。話を振った当初の目的を放棄したい衝動に駆られながら、ディアスは思った。

    「他にどんな解釈があるって言うんだよっ」

     クロードが叫んだ。

    「オレは、オレの中でおまえの存在が家族と同列になりつつあることを示唆する夢かと思った」

     言ってしまった。告げたそばから、深い後悔がディアスを襲った。クロードは絶句して固まっている。丁度いい。置いて行こう。
     クロードが正気を取り戻す前に、踵を返してステンドグラスから離れる。そんなディアスの腕を、グローブに覆われた手が掴んだ。想定より状況判断が早い。見くびっていた。

    「この状況で置いてくなよ」
    「この状況だから置いて行くんだろう」
    「待って。理解が追い付かないからもう一回」
    「断る」

     しつこく纏わりついて来るクロードを引き摺って、今にも崩れそうな礼拝堂の出入り口へと向かう。

    「ぼくのことめちゃくちゃ好きって言ってるのに、何で帰れ帰れってそればっかなんだよ」

     叫ばれて、バランスが崩れた。足がもつれて膝を突くと、一気に引き摺り倒されて花弁が舞う。馬乗りに覆いかぶさって来るクロードの向こう側に、青空が見えた。これはもう逃げられないか、と諦念交じりにディアスは思った。
    「オレが」手を伸ばして、ブロンドに絡まる青い花弁を取りながら口を開く。「おまえを手放せなくなる前に帰れ」
     零れそうに大きく、クロードの目が見開かれた。その何とも間の抜けた顔が可笑しくて、ディアスは笑った。
     早く、クロードを故郷に帰さなければならない。これ以上、彼の存在が自分の中で大きくなる前に、遠くに追いやってしまわなければいけない。大切なものなんてもう要らない。最初から何も持たなければ、もう二度と、誰も、ディアスから奪えない。強迫観念にも似た焦燥に突き動かされる。そして、当の本人はまるで何にも気が付かない。その全てが可笑しくて仕方がなかった。
     ひとしきり笑って、衝動が鳴りを潜めると、潰れた花と土とに額を押し当てながら口を開く。

    「言ったろう。気が触れている、と」

     狂気の沙汰だ。
     クロードは答えない。鼻先でディアスの項の髪を掻き分けて唇を落とし、耳たぶを舐めているからだ。

    「狂ってるんだ、おまえもオレも」

     唇を合わせ、吐息を重ねる合間にディアスは囁いた。

    「地球に帰っても、ぼくは戻って来るよ。ディアスのところに戻って来る」

     だから、とクロードは言葉を切る。ディアスから身体を離し、上体を起こして、揺れる碧い瞳で見下ろしてくる。今にも溢れて零れそうな空の色だ。かつて、こんな風に妹を見上げたことをディアスは思い出した。

    「ディアスもぼくを放さないでよ。そんなに簡単に、諦めないでよ」

     懇願の声が、花弁と共に降り注ぐ。お兄ちゃん、とディアスを呼ぶ鈴の音のような少女の声が重なる。

    「やめろ。誘惑するな」

     期待させるな。念じて、クロードの胸を押す。
     暗に邪魔だから退け、と伝えたつもりだった。けれどクロードは動かない。頑なにディアスの上から退こうとしない。

    「退いたら逃げるだろ」

     吐き捨てるようにクロードは言って笑った。その声は微かな怒気を孕んで震えていた。諦めたディアスは、クロードの胸元を押し遣る代わりに、その何処かまだ瑞々しい幼さを残す輪郭をなぞるような仕草で触れる。

    「人は死んだら星になる――いつか、おまえはそう言っていた」

     クロードの頬は不満と憤りに微かに紅潮しているが、それだけだ。あのときと違い、憔悴はしていない。涙の跡もない。そのことに安堵する。

    「おまえが帰る場所は、オレにとっては死よりも遠い」
    「だったら、ぼくが証明するよ」

     納得したのか、あっさりとディアスの上からクロードは退いた。上体を起こすと、今度はクロードがディアスの胸元目掛けて拳を突き出してきた。

    「ディアスは待たなくていい。だけどぼくは、死の向こう側からだってあなたを攫いに戻って来る」

     何を言い出すんだおまえは。理解が追い付かないディアスが問いを投げるより先に、クロードの拳が開かれる。グローブに覆われた手の平の上には、白金の指輪が乗せられていた。リングの内側には、発色の良い鮮やかな碧い石が収まっている。一点の曇りもない石は、クロードの眼の色を思わせた。そのせいか、レナの指輪を選んだアシュトンの話を揶揄する、彼の語り草がディアスの脳裏を過ぎる。
     ディアスが思案に暮れている間も、クロードの動きは止まらない。ディアスの左手首を捉えると、勝手に手袋を取り去っていった。そうして、恭しい手付きで剥き出しの薬指に自身の瞳と同じ色の石を抱く指輪を嵌めてしまう。

    「ぴったり」

     何処となく得意げな様子で、クロードが言った。

    「剣を握るのに邪魔だ」
    「人の心がない!」

     外そうとすると、非難の声が上がる。無視して外すと、そのまま白金のフレームを指で摘まんだ。内側を覗く。控え目な大きさの石はサファイアのようだ。

    「指は無理でも、せめて紐に通して首から下げるとかして持っててよ。地球ではこういうのは、薬指に嵌めといて貰うものなんだけど」

     名残惜しそうにディアスの薬指の付け根をなぞりながら、ぶつぶつとクロードは言った。似たような習慣はエクスペルにもある。だが、言及はしたくない。正確な意味を知ってしまえば、いよいよ逃げ場がなくなるような気がしたからだ。

    「ぼくのこと、待ってなくても良いから持ってて」
    「石が内側にあるのはどうなんだ」

     引っ掛ける心配が少ない分、邪魔にはならないが。ディアスは首を傾げる。

    「いいんだよ。サムシングブルーだから」

     またわけの分からないことをクロードが言い出した。
     リクエストに応えるにせよ適当な紐の持ち合わせもないので、渋々ディアスは指輪を薬指に戻した。クロードの満足そうな笑みが本当に不快だった。次に買い物をする機会があったら、早々に指輪を首から下げる紐を手に入れよう。ディアスは静かに決意を固めた。

    「もっとちゃんと渡すつもりだったんだけど、何か変な感じになっちゃったな」
    「と、言うかおまえはオレを自分の故郷に連れて行くつもりか」

     どさくさに紛れてこの青年はディアスの意見も聞かず、なかなか物騒なことを言っていた気がする。
     ああ、とクロードは何処か間延びした気のない返事を寄越した。

    「それももっとちゃんと言おうと思ってたというか、言おうとしたのにディアスが言わせてくれなかったから」
    「何の話だ」
    「覚えてない?レナの家の前で、腹パンでぼくを沈めたのはディアスだろ」

     あの時ちゃんと伝える筈だったのに。何処か恨めしそうにクロードは言った。

    「……前にも言ったが、エクスペルとおまえの生きて来た世界とでは文明が違い過ぎる」
    「まぁね。プリシスなんか喜んで一緒に来てくれると思うよ」
    「だったらプリシスを連れて行ってやれ。それに、レナもおまえとなら喜ぶだろう。あいつは学ぶことが好きだからな」
    「ディアスが言うなら、考えてみるけど」

     遠回しにエクスペルの外へ行くことに難色を示したつもりだが、気付いているのかいないのか分からない口振りのクロードに、矛先を微妙に逸らされ煙に巻かれる。

    「オレには無理だ」
    「そうかな。ネーデも結構上手くやれてたじゃないか。少なくとも、レナみたいにデータベースをうっかり初期化、なんてことはなかったし」

     ノースシティでレナが引き起こしたらしい騒ぎを揶揄しながらクロードは言った。
     好奇心旺盛な幼馴染みの少女と違い、自分から新たに何かに挑戦することの少ないディアスは、確率的に彼女のような失態を演じることもそう多くない。分母の問題だ。流石にそこにまで考えが及んでいないとは考え難いがクロードも頑なだ。

    「レナも、プリシスもまだ若い。未知の文明に対する好奇心や向上心もある。順応するのも早いだろう。だが、オレはそうじゃない。オレには剣しかない」

     そしてその剣すら、文明の進んだ世界では棒切れ同然だ。

    「今更、生き方は変えられない」

     だからエクスペルから離れられない。クロードとは行けない。
     薬指で鈍い光を放つ白金に視線を落とす。指輪には、ところどころにほんの少しの荒さが感じられた。クロードが作ったのだろうな、とディアスは思った。そこへ、クロードの手が伸びてきた。

    「……そのことなんだけど、別にディアスは今までのやり方を変える必要はないんじゃないかな、って」

     ディアスの手を柔らかく取って、クロードは言った。

    「多分、ぼくはこれからも未開惑星の調査に携わるだろうし、そういうとこでは先進惑星の武器は振り回せない。条約に引っ掛かるからね。だから、ディアスの剣の腕があると、ぼくとしても心強い」

     駄目かな。クロードは小さく呟いた。
     どんな顔で言ってるんだ。ディアスは視線を上げる。だが、碧い瞳は白金のフレームに注がれたままだ。伏し目がちの表情は平坦だったが、金髪から覗くクロードの赤く染まった耳が今の彼の胸中を如実に物語っている。

    「無理にオレの居場所を作ろうとしなくていい」

     ディアスは最後の悪足掻きをすることにした。私情に走り、剣の腕くらいしか取り柄のない辺境の男を傍に置く為だけに奔走するクロードを良く思わない人間も一定数存在するだろうことは容易に想像出来る。彼を慮る、最後の悪足掻きだ。

    「好きな人と一緒にいる為に頑張る無理は無理じゃないさ」

     クロードが顔を上げて、苦々しく笑う。それから、何かを振り切るように勢い良く立ち上がった。ぱらぱらと身体に着いていた花弁が、ディアスの視界を掠めながら舞い落ちる。

    「まぁ、ぼくが帰ってくるまでに決めておいてくれたら良いから」
    「達成感もなく、徒労に終わるだけかも知れない。随分気楽ものだな」
    「結果も大事だけど、その為に頑張る時間は楽しいし」

     それに、とクロードは意味深長に口の端を吊り上げた。

    「ディアスがどうしても来てくれないなら、ぼくがエクスペルに移り住めばいいかな、って」

     ディアスは額に手を押し当てて俯いた。そして唸るように呻いた。

    「脅しか」
    「こんなことが脅しになるくらい、ディアスに愛されてるんだって判って嬉しい」
    「黙れ」

     軽快なクロードの笑い声が降ってくる。冗談じゃない。ディアスはますます深く項垂れた。
     クロードの世界は広く、可能性は未知数だ。そんな彼を、こんな小さな世界に留め置くわけにはいかない。況して、その理由が自分であって良い筈がない。だのに、目の前の青年は事もなげに、ただこれからもディアスと生きる為だけに、築き上げてきた過去の全てと、未来の可能性の全てを棄て去ると事もなげに言ってのけた。この上なく重く、粘度の高い脅し以外の何ものでもない。
     顔を上げる。いつまでも打ち拉がれて座り込んでいるわけにもいかない。クロードは既に立ち上がっている。
     ディアスの意図を汲んだらしいクロードが手を差し出してきた。完全に女性をエスコートする所作だ。正気を疑う。頬を赤く染めて何処か照れくさそうに笑う顔が気に食わない。
     差し出された手を取るふりをして、ディアスはクロードの手首を掴むと強く引き寄せた。完全に油断しきっていた彼は倒れ込み、ディアスの腕の中に呆気なく収まった。
     目を白黒させているクロードの顎を掴む。それから、答えの代わりに唇に噛み付いて抱き竦めた。
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    menhir_k

    TRAINING前から3番目のクロディ(開き直り)
    多分ほんとに最後の追加分 光の勇者が現れた。久しぶりにクロス大陸の首都を訪れると、そんな噂を耳にした。
     噂の出所は首都クロスから程近い鉱山の町だった。すぐに、鉱山の町サルバに住む馴染みの顔が浮かぶ。町長の息子だ。幼馴染みと言っても差し支えないのかも知れない。勇者などと称される人物が現れたということは、それなりの荒事が起きたということだ。もう随分と会っていない彼の安否が少し気になったが、訪ねる気にはなれなかった。


     そう時を置かず、また勇者の話を耳にした。同郷の少女の口から、再会したその日の夜に聞かされた。彼女——レナの話によると、共に旅をしている青年が噂の勇者らしい。
     昼間、レナと共に訪ねて来た顔ぶれを思い出そうと記憶の底を攫う。紋章術師の女は覚えている。外見も言動も派手な女だった。だが、青年の方は印象に残っていない。髪はブロンドか栗毛色だった気がするが、瞳の色に至っては全く記憶にない。レナはレナでその青年に対して酷く腹を立てているようで、先ほどから彼の話で持ち切りだ。お陰で噂の勇者が本当にただの青年であるという知りたくもないことも知れた。
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