風邪引き無惨様を看病する黒死牟「今日の仕事は各自の判断に任せる。そして切りが良いところで帰れ」
黒死牟はそう指示を出し、今日明日の予定のキャンセル、延期等の連絡をしている。何としてでも早急に切り上げて無惨の部屋に行きたいのだ。
「一体、どうしたんすか?」
普段とは違う慌ただしさに驚く獪岳に零余子がこっそり耳打ちする。
「無惨様が体調不良でダウンしたらしいよ」
「え? 無惨様でも体調崩すことなんかあるんすか?」
化け物みたいなバイタリティと思っていたので素直に口にしてしまうと、ハンズフリーのイヤホンマイクで会話中の黒死牟にぎろりと睨まれた。
「というわけで余計にピリピリしてるから、おとなしくしといた方がいいよ」
それを早く言ってくれよ……と思いながら、獪岳はさっと学校に戻った。
「私は一足先に出るから戸締りをきちんとするように」
「行ってらっしゃい」
皆に見送られ黒死牟は事務所を飛び出した。そして近所のスーパーで林檎やスポーツドリンク、ゼリーなどを買い、大急ぎで無惨の部屋へと向かう。
合鍵で入り寝室に行くと、無惨は布団を被って寝ていた。
「無惨様、お加減はいかがですか?」
「何しに来た……」
「看病です。それより何か食べましたか?」
ぐったりとして起き上がる気力もない無惨を見て大きな溜息を吐く。この家にはアルコール以外のすぐに飲める水分はウォーターサーバーの水と炭酸水くらいしかない。ベッドサイドにミネラルウォーターのペットボトルが置いてあるだけで、他には何も口にしていないようだ。
「取り敢えず熱を測りましょう。必要なら医療機関の受診を……」
「今すぐ帰れ」
布団を被ったまま出てこない無惨に体温計を渡して、黒死牟は買ってきた食材を冷蔵庫に冷やしに行く。そして買ったばかりの林檎を冷水で洗い、すりおろした。それから冷蔵庫の中にピルケースをしまっているので総合感冒薬を取り出す。
お盆の上に薬とすりおろした林檎、スポーツドリンクを置いて寝室に向かった。
「何度ですか?」
そう言うと体温計を渡される。熱は38度後半。なかなかの高熱である。
「薬を飲んで熱が下がらなかったら病院に行きましょう」
「お前は帰れ……うつる」
「そんなこと気にしなくて大丈夫ですから、まず林檎を食べてください」
普段の無惨なら仕事はどうした、今日のスケジュールはどうなった等、しつこく尋ねてくるはずだが熱で頭が朦朧としている上に、話す気力も体力もないようだ。これはよっぽどだな……と思いながら黒死牟はベッドに腰掛け、布団を少しめくると、目を潤ませ、頬を赤く染めた無惨の顔が現れる。
「お前まで倒れると事務所が回らない」
「そんなこと心配しなくて良いですから、ほら食べてください」
スプーンの先に少しすくって無惨の口許に運ぶ。熱のせいで味はよく解っていないようだが、ほんのりとした甘みと滑らかな食感、そして火照った体にちょうど良い冷たさが心地良かったのだろう。少しずつだが林檎半分くらいの量を食べたので黒死牟も安心した。
「ここに薬を置いておきますから飲んでてくださいね」
食べ終わった食器を片付け、洗面器に氷を入れて、ハンドタオルを浸した。その洗面器を寝室に運び、硬く絞って無惨の顔に当てた。
「大袈裟だ」
「お疲れが出たんですよ。何も言わず、ゆっくり休んでください」
汗が滲んだ額にタオルを当て、タオルがぬるくなると洗面器につけて再び顔を冷やした。
「うつるなよ」
「そんな心配いりませんから、安心して寝てください」
体調が悪いから休むと連絡が入った時、頑なに「来るな」と言っていたが、自分にうつすことを心配していたのかと思うと、思わず抱き締めたくなった。事務所の為という理由が一番大きいかもしれないが、自分が風邪をひいて無惨が看病に来ると言っても同じ反応をするだろうと思うと、この人の恋人で良かったと心底思うのだ。
もう一度タオルを洗面器に浸し、硬く絞ってから無惨の目の上に置くと小さな寝息が聞こえ始めた。
布団を肩まで掛け、こっそりと布団の中に手を入れて無惨の手を握った。すると意識があるのかないのか解らないが無惨が手を握り返してきたのだ。
「おやすみなさい、無惨様」
黒死牟は小さく囁き、無惨の寝顔をずっと見つめていた。