ラストダンスを踊るビジパ 静かな夜だった。
最近、無限城の中で板張りの広間を作り、アーチ型の天井に合わせ輸入したばかりの華やかなシャンデリアを設置し、窓はステンドグラス、柱には唐草模様の細工が施されている。
壁紙も輸入した最高級の物を使い、政府肝煎りの迎賓館よりも豪華なダンスホールがこの地下深い無限城には作られているのだ。
無惨はそこでひとり、手に入れたばかりの蓄音機で音楽を流す。
手回しのゼンマイ式で西洋の音楽を流す。ワルツという曲調を好むようで、機嫌の良い時は流した音楽に合わせて歌っている姿を黒死牟は何度も見かけていた。
掠れたレコードの音と軋むゼンマイの音。
本当に静かな夜だった。
「黒死牟」
無惨に呼ばれ、足元に跪く。
「朝日がどんな色をしていたか、お前は覚えているか?」
朝日に良い印象などなかった。
陽が昇る前に起き、剣の稽古をしても、縁壱には遠く及ばず。
鬼狩りの時、命を削り戦っても終わりは見えず、朝日を見るのは今日が最後かもしれないと常に思っていた。
「もう忘れました……」
「そうか」
ぼんやりとシャンデリアを眺め、無惨は黒死牟の手を握った。
「付き合え」
「ですが……」
「私に合わせれば良い」
無惨からの指示に合わせて足を動かす。体を密着させ、スローワルツを二人で踊った。
「長かった戦いがやっと終わる」
「はい……」
板張りの床に無惨の踵の音が小気味良く響く。その軽やかな音色はまるで歌っているようであり、言葉以上の感情を語り掛けてくる。
この数日、千年動くことのなかった無惨の歴史が大きく動いたのだ。
太陽を克服した鬼が現れ、産屋敷の居場所も解った。
長い年月を生きた無惨にとっての、ほんの数百年、供を許された。
未だに和装で帯刀した自分とは違い、無惨はいち早く短髪に洋装となった。それは無惨にとって変化ではなく、時代に即した人の営みに馴染んで生きてきたのだ。
誰よりも人に憧れ、人でありたいと願った心の現れだろう。豊かな暮らしの為に働き、新しい知識を得て、その好奇心を満たし、その身を美しく飾り、日の光に負けないほどに華やかな暮らしをしていたが、夜空の下でしか生きられないのだ。
その閉塞感がどれほど無惨の心を苦しめたか、想像すると口惜しい気持ちになる。
願いの為に千年、藻掻き続けた日々が終わるのだ。
しかし、何故だろう。
足音はこれほどまでに軽やかなのに、無惨の表情はどこか浮かない。
黒死牟はダンスに意識を集中させる頭の片隅で、そんなことを考えていたが、そのことについて無惨は心を読みつつも一切触れなかった。
「時間だ」
黒死牟から離れ、懐中時計で時間を確認する。
「万が一の為、城で迎撃する準備をしておけ。指揮はお前に任せる」
「御意」
外套を翻す後ろ姿に、黒死牟は深々と頭を下げた。
「ご武運を……」
「あぁ」
こうして無惨を送り出すことなど初めてのことだ。
自分を鬼にして、つらく苦しい闇の中から救ってくれた。
その上、欲しくて堪らなかった「壱」という地位に加え、永遠の命と剣の腕を磨く力を与えてくれた。
「黒死牟」
「はい」
「明日の朝日は共に見るぞ」
そう言い残して、琵琶の音と共に姿を消した。
怖いくらい静かな夜だった。
自分にはあの後ろ姿を止める力はない。寧ろ、この胸騒ぎを不快と捉えていただろう。あの喜びに水を差し無粋なことをしたと悔やんでいた。
だが、自分にはあの方の真に欲したものが何だったのか解らなかった。
あの方は自分の欲しかったものを、すべて与えてくれたのだ。
太陽を克服する力などいらない。
ただ、こうして静かな夜を生きたかった。
彼の愛したワルツとリズムを刻む靴音があれば、それで良かったのに。