パオズ山の冬は寒くて雪深い。
きんと冷える空気に冷たい水に難儀するが、何年もそこで暮らしていれば慣れてくるものだ。
「まぁ、慣れるだけで克服できるとかじゃあねぇけんど」
「チチは寒がりだけどオラよりは寒いの強いよな」
「悟空さは大概胴着でいるから寒ぃんだべよ。身体動かしてりゃあったかくなるから着込んだら邪魔になっちまうんだろうけんど」
暖房の効いた部屋であるが、悟空はチチ手製の半纏を着てテーブルについている。ぬくぬくとあたたかいとのことだが、窓の外に広がる雪景色を見ては身体を震わせているので、寒いのは本当に苦手なようだ。
「ほれ、悟空さ。いくら子供達がいねぇからって背中まるめてばっかでみっともねぇだよ。晩ご飯だし、しゃんとしてけれ」
若芽色のミトンを両手に身に着けたチチが大きな土鍋を手にテーブルへとやってくる。
土鍋はすでに用意されていたカセットコンロの上にへと置かれ、チチに指示されるより前に悟空が火を点ける。
「弱火でいいだよ。もうほとんど煮えてるしな。さて、今日はおらも飲むだよ。悟空さもおんなじのでいいけ?」
「おう。久々だなー、チチも酒飲むの」
「洗い物とか考えるとな、控えるんだけんど、今日はもう洗い物とか明日に回すって決めたからな。折角ブルマさがくれた牡蠣だべ、おいしくいただくことに集中するだ」
ミトンを外してそのまま旗袍の袖をまくり上げるチチの食事に対する気合入れに悟空は口角を持ち上げる。
今日の夕食はチチとふたりで牡蠣のみぞれ鍋だ。悟飯と悟天はトランクスに呼ばれてカプセルコーポレーションに泊りである。なにやら新しいゲームをブルマの父が作ったとのことでのお呼ばれだ。瞬間移動で息子達を送った悟空が、戻る際にブルマに呼び止められ「たくさんもらったけど痛むのも速いからおすそ分け」と大量の牡蠣をもらった。
それを手に自宅に戻ると、チチが豊作だった大根を前にどう消化するかを悩んでいたのだが、牡蠣を見てふたりで鍋とお酒を愉しもうとなったのである。
孫家の子供達はチチの教育と悟空の遺伝子により好き嫌いはないが、牡蠣や春菊などを美味と感じるにはまだ早く、調理法もフライになることが多い。こうやって鍋でたっぷりと食べられる機会というのはちょっと珍しいことである。
「牡蠣は鉄分たっぷりだし、男女どっちが食べてもばっちり滋養があるだよ。みぞれ鍋にするとまた身体もぽっかぽっかになるし、たっぷり大根も食べられるし、なによりおいしいだっ」
力説するチチがよそってくれた椀を受け取る。
ぷりっぷりの貝の身は大きいが、たっぷりの大根おろしの中と共によそわれてあたたかな雪の中に埋まっているかのようだ。どちらも白色の強い具材なので同じ器の中にある飾り切りされた人参の朱がとても映える。
ちなみに今回の鍋、悟空は牡蠣の殻剥きと大根のすりおろしに尽力した。
「ポン酢も一味とかあるべ、あとはお好みでな」
「さんきゅ」
今宵の酒は梅酒、数年前にチチが漬けた手作りである。
とろりとした金色を帯びた琥珀色の酒を水割りで。夫婦でグラスをかちんとあわせての、宴の始まり。
あつあつの鍋とアルコールが合わさって、悟空は早々に半纏を脱ぎ、チチも時折ぱたぱたと手で自分を仰ぐ。暖房を少しゆるめてもほかほかで、窓の向こうの雪を眺める余裕も生まれる。
「おいしいだなぁ…、幸せになるべ」
ほどよく腹も満ちてきたチチがグラスを手に眼をとろんとさせてきている。食べる手はゆっくりになり、酒を愉しむ姿勢になってきている。
「梅酒ちょっとぬるくなっちまったけんど、これ窓の外の雪で冷やしたらおいしくまた飲めるんでねぇかな?」
「それで冷やしてる間、水飲んどけよ。ちっと回ってきてんぞ、チチ」
「悟空さに言われるってことは、よっぽどだべな~」
「茶化すなって、ほら、雪そんなに触ってたらせっかくあったまったのに冷えちまうだろ」
窓の向こう、夜でもくっきりと分かる白と指先で戯れるチチに声をかけてテーブルへと戻す。
チチが戻る前に彼女のグラスに水を加えておいた。グラスの中のアルコール濃度が薄まるわけではないが、新しい梅酒を注がれるまでの時間稼ぎにはなるだろう。…と、思っていたのだが。
「悟空さ」
「……チチぃ……」
するりと猫のように悟空の膝に乗ってきた妻。
かわいいのだが、いかんせん、酔っている。かつ、鍋はまだ残っている。
妻を愛でるのはいつでも構わないが、この状態から機嫌を損ねた場合のダメージを考えるとここは耐えるのが吉だ。
「チチ、自分の席戻れって」
「やんだ。今日はふたりだけなんだもの、くっついてたっていいでねぇか」
「チチの酒も残ってっし、鍋だってまだ食ってる途中だろ」
「えー…」
むずがる妻もまた可愛い。
悟空は小さく苦笑すると、チチを膝の上に乗せたまま箸で牡蠣をとり彼女に食べさせる。
「牡蠣、うまいよな」
「んだ」
むぐむぐと咀嚼するチチをあやしつつ悟空は再び牡蠣をもうひとつ箸で取る。
「ブルマから聞いたんだけどさ、牡蠣って「海のミルク」って呼ばれてるんだってよ」
「うみのみるく…」
「それ聞いてからさ、オラこれが一段とうめぇって感じたし、クチん中でかわいがってやろうって気になったんだよなぁ」
「…………」
黙したチチの前で、悟空は牡蠣の身を口の中に放り込む。ゆっくりじっくり味わい、旨味甘味を堪能してから惜しみつつも飲み込んだときには、チチは悟空の首根に顔を埋めておとなしくなってしまった。
土鍋の中で、みぞれの中で海のミルクがくつくつと煮えている。