催眠使いの弟子 まず相手としっかりと目を合わせる。次に自分の目に力を込める。頭蓋をすり抜けて相手の脳に直接干渉するイメージで、ゆっくりと能力を作用させていく。極度の集中で頭が痛くなりそうだ。今度こそ成功させなければ。
「お前は私が好きか?」
「……いいえ」
失敗した。何故だ、どうして出来ないのか。苛立ちと焦燥で気温が下がるのを感じる。
もう一度、とノースディンは目に力を込め出したが、
「ノース、今日はここまでにしよう」
付き添っていたドラウスに止められてしまった。この失敗を見られていたかと思うと恥ずかしい。このままでは終われない。焦りのままに反論する。
「まだ出来ます、もう一度だけ」
「ノース」
ドラウスの声は静かだったが、どこか逆らえない響きを持っていた。ノースディンは仕方なく魅了を中止する。
ああ、今日も失敗してしまった。
ノースディンはこれまで一月間、毎日魅了の訓練をしている。
転化時に自然と発現した氷の能力は、穏便に吸血するには向いていなかった。正直に言うと人間なぞどうでも良いと思っているノースディンだが、竜の一族は人間に友好的だ。そのため、魅了の能力を開発しようとしたのだ。
私は竜公子ドラウスの血を受けた恐るべき吸血鬼、能力の一つや二つ開発できぬはずがない。そう意気込んで始めた開発は、思いの外難航した。
まず魅了について書かれた書物を読んで学ぼうと思った。しかし、竜の一族は感覚で能力が使えるのだろうか、この城にはそのような書物はなかった。
仕方なく、迷惑を承知でドラウスに教えを乞うと、快諾してくれた。さースディン、新しい能力を開発したいとは偉いな!さすが努力の子!と言うドラウスに、こんな素晴らしい親友がいて本当に幸せだ、としみじみと感じた。
そして訓練が始まり、ドラウスの丁寧な教えもあって、ノースディンは魅了ではないが催眠は発動することに成功したのだ。
これで竜の一族に相応しい、人間を傷つけない狩りができる。ノースディンもドラウスも喜んだが、問題はその後だった。
何故か魅了だけは発動しないのだ。
ドラウスは根気よくノースディンに付き合って教えてくれた。しかし、そもそも元来催眠が使えたドラウスとノースディンでは勝手が違うようだった。ごめんね俺の教え方が悪くて、ウエーン俺は服に付いたシミ、ペラペラの遮光カーテン、とドラウスは独特の自虐をする。
いや私こそ出来が悪く本当に申し訳ない、と暫く互いに謝り続けたが、そうしていても解決しない。
「……うん!やはり催眠となるとヨ…あの男が適任だろう!」
二人して悩んでいると、ドラウスが声を上げた。あの男とは誰だろう、とノースディンが思っていると、ドラウスが説明してくれた。
ドラウス曰く、昔から生きている吸血鬼で、催眠で彼に敵うものはいない。自由気儘に世界を渡り歩いている、正体の掴めない男。
「今は隣国にいると聞いた。ノースさえ良ければ、一度あれに指導してもらおうか?」
善意に満ちた顔で問いかけられれば、そんな何処の馬の骨とも知らぬ男より貴方がいいです、とは言えない。
「ドラウスがそう仰っ…言うのなら、お願いしよう」
ドラウスに指導してもらえなくなった残念さを押し殺して答えると、ドラウスはぱあっと笑みを浮かべた。
「そうか、良かった!俺は教えるの下手だからなぁ」
「いや、本当に丁寧に教えてくれて、心から感謝している」
せめて感謝だけでも、と伝えたら、ドラウスが微笑んでくれた。もっと魅了が上手ければ二人だけで過ごせたのに、と己の無能さを悔やんだ。
その一週間ほど後、例の吸血鬼がドラウスに連れられてノースディンがいる城にやってきた。
「へえ、この子がドラウスが転化させた子か」
ノースディンが初めにその男に抱いた印象は、美しい、だった。
吸血鬼らしからぬ白磁の肌に、太陽の色をした艶やかな髪。着る人を選ぶ華やかな衣装を見事に着こなしている。恐ろしいまでに整った美貌をノースディンに向けて、男はノースディンに笑いかけた。
「初めまして、僕はヨルマ。よろしくね」
耳触りの良い声が、するりとノースディンの耳に飛び込んでくる。なんとなく腰が引けてしまうのを堪えて、笑顔を貼り付けて応えた。
「こちらこそ、初めてまして。私はノースディンと申します。ご指導よろしくお願い致します」
精一杯の愛想で軽く会釈をしたノースディンだったが、ヨルマはあまりノースディンに興味が無いようだった。ドラウスが私に頼るなんて珍しいじゃないか、よっぽどこの子が大切なんだねぇ、とドラウスに親しげに話しかけている。そうなんだ、やっぱり催眠ならお前だよ、とドラウスが返す。
そうやって話すドラウスは、ノースディンが知る優しくも尊い親吸血鬼の姿とはどこか違った。男と話すドラウスは、とても楽しげで等身大だっだ。
あの男は私が知らないドラウスをたくさん知っている。そう思うと、胸の奥が焼けるように痛くて、つい氷が漏れそうになった。とっとと催眠を習得してあんな男と離れよう。ノースディンは決意した。
10日経った。ノースディンは催眠の中でも未だに魅了を使うことができなかった。ドラウスが2日前から他血族の祝事とやらで城にいないこともあり、ノースディンは焦燥を隠せなくなっていた。
ヨルマの教えは素晴らしいものだ、ということをノースディンは認めている。不本意だが。
脳のどの範囲が体のどこに影響するのか、どこが人間の感情を司るのか。また、綿密に魅了を編みあげる方法や、出力を安定させる方法。多様な視点で催眠を教えてくれるため、ノースディンは10日前より遥かに上達した。動くな、血を吸わせろ、などの催眠なら容易に使えるようになったのだ。
しかし、どうしても魅了だけは発動出来ない。どうしてだ。やはり私が元は矮小な人間だったからか。日に日にノースディンの焦りは増していた。
今日も日没直後から散々練習したが、まだ成功していない。やりすぎは良くない、次は明日にしようとヨルマは言ったが、ノースディンはその言葉を素直に聞くことはできなかった。一刻たりとも無駄にしたくない。ドラウスが帰ってくるまでに習得してみせる。竜の一族に相応しくあらねばと思うあまりに、冷静な判断が出来なくなっている。そのことにすら気づかずに、ノースディンは勝手に練習を続けようとした。
ドラウスと違ってヨルマは、街の浮浪者や流れ者を練習台として城の一室に監禁し、そこで訓練をしている。ノースディンはヨルマに話すことなくその部屋へ行った。
何時間も練習台にしたせいか、監禁された人間は朦朧もしているように見える。これ以上掛けたら死にそうだな、とは思いながら、ドラウスが留守なのでノースディンは人の生死など気にはしなかった。椅子に縛り付けられ俯いている人間の髪を掴んで目を合わせると、ノースディンは全力で魅了を掛けた。
私に魅了されろ、掛かれ、掛かれ、と念じながらヨルマに教えられた通りに出力を上げる。ノースディンの頭も割れるように痛んだが、そんなことにどうでもいい。
人間の目が仄かに赤く染まる。人間は自分から顔を上げてノースディンを見つめた。いつもと違う反応である。
いけそうだ!ノースディンは歓喜した。喜びのまま、更に力を込めていく。ヨルマに言われた適正な出力など頭に無かった。
「お前は私は好きか?」
さあ答えろ。さあ!期待に満ちて人間を見つめる。その瞬間だった。
「う゛」
人間が眼球をひっくり返して絶叫した。縛り付けられた手足を滅茶苦茶に動かして暴れる。
「ひっ」
尋常でない様子を見て、ノースディンは思わず後ろへ飛び退いた。失敗したのか、という落胆と失望を抱いたノースディンだが、その