「日本代表」の四文字を背負って、正捕手として尽力し、世界大会で優勝する。それが実現したのにこんなに嬉しくないなんて、デジチャレを受ける前の桃吾は考えてもいなかった。
U12優勝の立役者として華々しく語られるのは突如現れたピッチャーだけで、他の代表選手についてはその他一同扱いだ。たまに、綾瀬川の球を落とさず捕りきった桃吾のことにだけさらっと個別に触れられることはあるが、他の代表選手についてはほぼ語られずという異様な状況。それだけ鮮烈な才能が荒らしていったU12で、桃吾の夢が叶う隙は一切なかった。
そして、単に夢が叶わなかっただけではなく。
『綾瀬川の球速は、U12の枠組みで捕れる捕手はまずいない。同じ年に雛桃吾という捕手がいたことで、彼の投球が世界に届いたのだ』
そんな、望まない呪いのような評価が桃吾にだけ加わった。
こんなもの、「捕れてすごい」ではあるが同時に「捕れるなら誰でもいい」と言われているようなものだ。実際、綾瀬川の試合はキャッチャーが捕れれば勝てる試合になる。組み立てだって、綾瀬川の才能に対してなら基本的なリードができれば十分なのだ。綾瀬川本人が組み立てについて素人すぎて今は桃吾がリードしていたが、いずれ経験をつめば綾瀬川一人で組み立てできるようになるだろう。
本来投手と二人三脚のはずの捕手でさえ、「捕れればいい」存在にしてしまう。そんなチームで優勝しても、優勝に貢献したとは思い難い。
それなのに、円は桃吾のことを稀代のキャッチャーと書いている記事を桃吾に教えてくるのだ。桃吾はすごいキャッチャーやのう、ここに書かれとるぞと言いながら。
「そんなん、全然オレんこと褒めとらん。捕れるなら誰でもええゆうとるようなもんや!」
「でも、結局まともに捕れたの桃吾だけじゃったろ。桃吾が上手い証じゃけぇのう」
捕れたこと自体を称賛されているのは確かだ。でも、それは雛桃吾がいなければ、綾瀬川は試合で投げられなかったということも示している。つまり、
「……オレ、が」
おらんかったら、試合では円が投げとったかもしれん。
呪いの評価のせいで続けそうになった言葉を、桃吾は飲み込んだ。言ったところで何も変わらないし、そんな理由で試合に出て円が喜ぶとも思えない。
ただ、桃吾が野球をしていなければ円がもっと注目されていた可能性が、この世に存在しているのがとにかくイヤだった。
「……オレが捕るのに困るような球、円も投げてみせんかい!」
「ははは、そーやのぉ。桃吾が速い球捕れるようになったしの、わしもそれだけ速い球投げんとのう」
そんな可能性を書き消すには、円が綾瀬川に勝ってくれるのが一番いい。要求することしかできないのは歯がゆくて、でも円がそれをすっと認めてそれを目指すと言ってくれてほっとする。今後敵になる才能を世界に広めた立役者でも、円の隣にいていいのだと許された気がしたからだ。
「それくらいできんと、綾瀬川には勝てんしのう」
だから、最後に円が付け加えた言葉に、桃吾は気づいても何も言わなかった。じわじわとする嫌な言葉だったが、一緒に勝ちを目指して歩いていけるなら、それが今の桃吾にはなにより大事なことであり、円の中で綾瀬川がどれだけ大きくなっていてそれが今後どんな影響をもたらすのか、小学五年生の桃吾には知るよしもなかったのだ。