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    くるしま

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    くるしま

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    雑土に一緒にお仕事して欲しい気持ちと、イチャイチャして欲しい気持ちがフュージョンした話のリメイク版。結構書き直してます。
    相変わらずお仕事内容と時代考証はフレーバーなので、流してくださいお願いします。

    #雑土
    miscellaneousSoil
    #雑土井
    miscellaneousWells

    助っ人忍務 忍務というのは、突然降りかかってくるものだ。
     夜更けに学園長に呼び出しを受けた土井半助は、明日の授業を半ば諦めながら、学園長室へ赴いた。
    「土井半助、参りました」
    「うむ。入れ」
    「失礼致します」
     障子を開けて中を見た土井は、一瞬、引き返したくなった。
     いつも通りの場所に座っている学園長の向こうに、数人の男が座っている。雑渡を始めとしたタソガレドキ忍者隊。しかも、土井が見知った顔ばかりだ。
     彼らは土井が中に入ると、座ったまま無言で一礼し、土井もそれに倣う。
    「土井先生。今からしばらく、彼らの仕事を手伝ってやってくれんか」
     学園長が前置きなしに用件を伝える。
     土井も忍びである以上、上の命に逆らう理由はない。ただ、事情も聞かずに引き受けるには、向かいにいる男たちに信用がない。
     特に雑渡だ。
     彼と特別仲が悪い訳ではなく、むしろ一面では必要以上に親しくしてしまっている訳だが、油断も隙もない相手であるのは変わっていない。
    「今からとは、急ですね」
    「すまんの。は組の授業は、他の先生に手伝ってもらおう」
    「助かります。それで何があったのですか?」
     土井は、向かいの面々に目をやった。
     感情を見せないのが忍者である。とはいえ、緊急の場では、隠しきれずに漏れ出てしまうものはある。
     普段よりも固い表情と、漂う緊張感から、彼らの用件が軽いものでないのは明らかだ。尊奈門さえ、黙って土井の顔を見ている。
    「私から土井殿に説明致します」
     雑渡が座ったまま、土井に向き直る。
     彼はいつもより数段丁寧な態度で、土井に接している。雑渡がそうする時は、学園長や他の教師がいる場合、つまり他所向けの態度な訳だが、今は更に他人行儀だ。
     雑渡は、土井の諾否に関わらず他言無用と念押しした後、話し出した。



     タソガレドキ領内の有力者の息子に、黄昏甚兵衛の寵愛を受けている若者がいる。
     そろそろ二十に届く歳の、背が高く見目の良い若者だ。やや単純ではあるがそれなりに頭も回り、武芸も達者な男だった。男は三男であったが、周囲から密かに「若君」と呼ばれていた。黄昏甚兵衛から気に入られた若者という意味と、そう呼ばれるほど調子に乗った者という侮蔑の意味で。
     多くの美点を持っているが、周囲からはそう呼ばれる。そういう男であった。
     その若君が、困った事を言い出した。
     ドクタケ領内で開催される祭りに行く、と言うのである。
     もちろん周囲は止めたが、若君は黄昏甚兵衛に直接頼み込み、最終的に許しを得た。
     殿が許してしまっては、仕方がない。
     護衛は雑渡たち忍者隊に任された。隠密行動、という訳ではないが、一応はお忍びの旅であるからだ。
     若君は忍者たちを煙たがった。忍者隊は彼の感情など知った事ではなかったが、それでも気を遣って、最小限の人数のみが同行する運びとなった。
     若君と側近、彼らの面倒を見る使用人が数名。それに忍者隊の数名。更に、隠れて付き従う忍者が数名。そんな一行だった。
     ドクタケ領内に入ってすぐ、忍者隊が若君を尾行する動きに気付いた。ドクタケ忍者だ。
     むろん想定内の動きである。雑渡たちは、特に何も起こらないであろうと踏んでいた。
     若君は殿のお気に入りではあるが、逆に言えば、現在の彼の価値はそこだけだ。良くも悪くも、暗殺の対象になるような人間ではない。
     とはいえ、さすがに放っておくわけにもいかないから、ドクタケ忍者の尾行に、更に尾行を付けた。
     祭りへの参加自体に、大きな問題はなかった。若君は血の気が多く、道中で幾度か暴力沙汰を起こしそうになったが、そのたびに忍者隊が押し留めた。武芸自慢とはいっても、雑渡を始めとした腕利きには及ばない。
     振り返ってみれば、その辺りが、彼のストレスだったのかもしれない。
     旅の半分以上が終わり、帰路につき、ようやく帰国が見えてきた頃。
     問題が起こった。
     その夜、若君は勝手に宿を抜け出した。
     ドクタケ忍者は、若君を見失ったようだ。
     若君に慣れたタソガレドキの忍者たちは、勿論見失う事などない。そっと、彼の跡を尾行していた。
     若君がちゃんと戻って来たなら、特に問題にはならないはずだった。
     だが、そうはならなかった。若君をつけていた忍者たちは、彼が死んだその瞬間を、その目で見る事になる。
    「亡くなられた?」
     黙って聞いていた土井が、思わず口を挟む。雑渡は頷いた。
    「といっても、暗殺された訳ではありません」
     若君は忍者隊の監視の目の前で、急に倒れたのだ。忍者たちは急いで若君に駆け寄ったが、程なく息を引き取った。
     他の者も知らせを受け、すぐに駆けつけた。
     その身体には、どのような傷もなかった。何かされた痕跡もなく、毒を盛られた形跡もない。
     病で死んだのは明らかであり、雑渡たちに落ち度はない。ないのだが、死んだのがドクタケ領内というのがまずかった。
    「若君が暗殺されたと耳に入りでもしたら、殿は黙っておりますまい。真偽はどうあれ、です」
    「ドクタケ領での暗殺となれば、当然ドクタケ忍者を疑うでしょうね」
    「その通り。下手を打てば、戦になる可能性も、なくはない」
     なるほど、という顔をしながらも、土井は雑渡の言葉を信じていなかった。
     彼らが放って置けないのは、「若君がドクタケ忍者に暗殺された」という噂が立つ可能性だろう。
     若君が暗殺されたとなれば、護衛していた忍者隊の面目は丸潰れになる。それが根も葉もない噂であっても。
     彼らは、忍者隊に火の粉がかからないよう、この一件を処理をしたいのだ。
     となると、後始末を手伝わされるのか。土井の予想とは裏腹に、
    「亡くなられた若君は、背格好が土井殿と近しいのです」
     話が不穏な方向に曲がった。学園長が、話を引き継ぐ。
    「タソガレドキに帰るまで、土井先生に若君の替え玉を頼みたいそうじゃ」
    「わ、私がですか?」
     想定外の依頼だった。
     替え玉というのは、誰でも良いという訳ではない。姿形さえ似ていれば良いという訳でもない。
     雑渡たちとスムーズに意思の疎通が取れて、臨機応変に動ける人材が良い。己の身を己で守れる人間ならば、更に良い。
     最初は、タソガレドキ忍者隊の者で、と考えたが、もともと人数を絞っているから、手が足りなくなる。近隣に潜む者にはちょうどよい姿形の者がおらず、国から呼ぶのは後々のために避けたい。何より、時間がない。
     若君の死んだ場所が忍術学園から近かったのは幸いだった、と言われて、こちらにとっては不運では、という言葉が出かかった。
    「その若君と何の面識もない私で、務まりますか?」
     替え玉という事は、つまり変装するという事。変装というのは、知っているものについてするのが基本だ。会った事もない人間のふりは、難しい。
    「我らが側について、常にフォローします。行きと同じ道は辿りますが、若君との顔見知りはいても、親しいと言えるほどの相手はおりません」
     その無謀さは、雑渡たちにもわかっているのだろう。いつになく神妙な面持ちだ。
    「もし事が露呈したら、土井殿はすぐに一人で逃げて下さって結構。我らが責を負い、忍術学園の名も出しません」
     そこまで言われると、土井としても断りにくい。土井としてはタソガレドキとドクタケの無為な対立は避けたい所であるし、学園長も同じ考えだから、土井をここに呼んだのだろう。
    「土井先生。頼めるかのう」
    「はっ」
     学園長に向かって頭を下げる。
     少しだけ引っかかるのは、タソガレドキ側の反応が少々鈍いというか、暗いことだ。事が事だけに明るくはなれまいが、妙に神妙な顔をしているように見えた。
     土井は、ちらりと雑渡を見る。
     彼は他の者と違い、表情をまるで動かしていない。ただ、少しだけこちらを見て目を細めた動作に、土井はとても嫌な予感がした。




     土井と若君の顔立ちはそう似ていないが、身体つきはだいぶ似ていたらしい。なるほど、若君の服は、背の高い土井に丁度良かった。
     服を着せ、髪型を似せ、姿勢を若君のものと同じにして、立つ。その後ろ姿に、これならば、という安堵の空気が流れた。
     顔立ちを変装によって変え、若君のよくする仕草や表情を教えられる。それに、声の調子も。土井は当人に会った事がないから、この辺りが難しい。
     一通り教えられた所で、雑渡が訪れた。入れ替わりに部下たちは出て行き、雑渡と土井の二人だけになる。
     雑渡は土井を見て、「ほう」と呟いた。普段と異なり、仕立ての良い服を着て、髪も整えられている。
     慣れない姿を上から下まで観察されるのは、居心地が悪い。
    「出来は、どうでしょうか」
    「なかなか様になっておられる」
    「お世辞は結構ですよ」
    「本音だけどね。こんな時なのが残念な位には」
     雑渡は土井に近付くと、するりと腰に手を回す。こんな時に、と言いかけたが、
    「忙しなくて申し訳ないが、すぐに行ってもらうことになりそうだ」
     雑渡の潜めた声を聞いて、眉を寄せる。
     今、若君は別行動を取っており、そのうち戻るから待つ様にと他の者には伝えてある。
     まだそれほど経っていないのに、若君はいつ戻るのかと、使用人たちが言い始めた。若君が戻らねば、彼らも帰れないからだ。旅が長引き、一行はだいぶ疲れていた。
    「私はまず、何をすれば?」
    「積極的で何より」
     雑渡は笑うが、土井にも忍術学園の教師として、忍びとしての面子がある。ここには学園長の命で来ているのだ。
    「まずは、若君の側近たちを遠ざけてもらいたい」
    「どのように?」
    「ヘマをした者たちを怒って、国元へ先に帰るよう命じてくれ。それ以外のものは用事をあてがうか、体調を崩してもらう」
    「荒事は避けると」
    「もちろん」
     彼らもタソガレドキの民だ。さすがに始末する訳にはいかない。忍者たちが彼らの失敗を誘発して、それを若君が怒るという筋書きで、退場させる。
     何か言い出したなら、帰ってから対処する。領内ならば、手はいくつでもある。
    「あとは、若君らしく振舞いながら、タソガレドキ領に入る。そこで、若君には改めて死んで頂く」
     若君には肉親も友人もいる。何よりも、殿のお気に入りだ。誤魔化すにしても、限度があった。
     領内に戻ったら、土井と死体を入れ替え、若君の死を城や彼の家に伝える。土井の仕事は、そこまでだ。
     雑渡の手は相変わらず土井の身体に回されていた。抱きしめるというよりも、支えるように。
     聞かれないよう話をするだけにしては距離が近いが、今はあえて抵抗している余裕がない。
    「若君らしく、という所に不安はありますね」
    「多少の違和感は誤魔化せる。若君は元々、気分屋だ。今は機嫌がよろしくないと、他の者には伝えてあるからね」
    「若君について伺いましたが、かなり奔放な方だったようですね」
    「ああ。困ったものだ」
     話を聞く限り、若君というのは、困った人であった。
     見目が良く、武芸が達者で、黄昏甚兵衛の覚えもめでたい。気質も基本は明るく、面倒見も悪くない。というのに、あまり人望はなかった。
     気分の上下が激しいからだ。特に、機嫌が悪い時はひどかった。低い声で何もかもに文句をつけ、周りに当たり散らす。諌めればその場は聞くが、くり返す。
     周囲の者も基本的に若君に逆らわず、機嫌を取るよう躾けられた者ばかりになっていく。
     困ったものだったが、最後の最後に役立ってくれそうだと、雑渡は笑う。逆に言えば、ここに若君を本気で心配する者は少ないという事だからだ。
    「我々には、何を命じてもいい。他の者にも同じだ。度を過ぎれば、我々が『いつものように』止めるから、好きに振る舞ってもらえればいいよ」
    「何でも、ですか」
    「そう。夜伽でも何でも」
     雑渡の笑いを含んだ声に、土井が眉を顰める。
    「そのような趣味がおありの方だったのですか?」
    「気に入れば何でも有りのお方だったね」
    「はあ」
    「若い娘や美しい少年が好みと知れ渡っているから、途中、差し出される事もあるかもしれない」
    「そうですか」
    「受けないのが安全だが、流れもあるから、そこは土井殿にお任せする。まあ、相手が欲しくなったら私を指名してもらうのが安全かな」
    「しませんよ!」
     雑渡に抱きつかれている状態のまま、話が続く。落ち着かないような落ち着くような、妙な気分だ。
     雑渡がいるのは、確かに安心材料だった。彼の命の元でなら、タソガレドキ忍者隊の全力が借りられる。
     自分は、それなりに緊張しているらしい。土井は自覚した。雑渡の腕をこんなに心強く感じたのは、初めてだ。
    「さ。そろそろ行こう」
    「はい」
     雑渡が離れると、土井は大きく息を吐いた。
     「若君」になるために、まずは「土井半助」を削り落とす。まるで知らない人間になりきるために、できる限り「外側」を切り落とす。
     生徒たちの前ではやった事がない。できない。彼らの前では、まず「土井先生」であらねばならないから。
     だが今、土井の前にいるのは、タソガレドキの者だけだ。
     土井は一つ咳をした。
     喉に意識を集中する。低くて、不機嫌で、自信に満ちた、横柄な声。己が上に立つ人間であると自覚し、疑わない者。
     目を細めた土井は、振り返りもせず雑渡に言い放つ。
    「行くぞ」
     その声を聞いただけで、雑渡は満足そうに目を細める。
    「はっ」
     そう返答し、雑渡は「いつものように」若君の後について歩き出した。




     一日目。予定より少し遅れ、一行は出発した。
     第一段階の側近たちを遠ざける策は、うまくいった。彼らは若君の我儘にも気まぐれにも慣れており、先に国へ戻れと言われれば、逆に喜ぶ者もいたほどだ。
     代わりに若君の周りを忍者で固めて、使用人たちは若君から離された仕事を言いつけられ、一行は予定通りの道順を進んでいく。
     二日目。昼過ぎに宿に着き、一行は草鞋を脱いだ。
     土井の若君っぷりは、なかなかのものだった。
     残りの日程、若君は基本的に「不機嫌」なままでいると、事前に決めていた。芝居の幅を、狭くしたかったからだ。
     土井は教えられた通り、不機嫌そうに眉を寄せて、横柄な口を利く。側に仕える者、忍者たち、道中で出会う見知らぬ者にまで尊大な態度を取る。時折、思い出した様に明るく笑って、施しを与える。
     入れ替わりを知る者は少ない。入れ替わった男が土井であるという事実を知る者は、更に少ない。忍者隊の中でも、共に忍術学園へ行った者にしか知らされていない。
     その数少ない一人である尊奈門は、早々に若様の近くから離された。
     彼は土井に対して複雑な感情があり、今の「若君」と土井を完全に離し切れなかった。土井が、つまり若君がそれを察知し、
    「その方、何ぞ文句でもあるのか」
     と尊奈門を睨みつけた。雑渡が間に入って、尊奈門を若君の前から下がらせる事で話を収める。
     尊奈門は不服そうだったが、文句は後から土井にぶつければいいと気を取り直して、裏方で動くのを承知した。そもそも尊奈門は若君があまり好きでなかったから、特に違和感は生まれなかった。
     基本的に、若君と忍者隊の間の連絡は、雑渡が行っていた。これは元々そうだったから、怪しまれる事はない。
     若君は、雑渡から何か耳打ちされては、
    「左様か」
     と興味なさげに返す。それでいて、
    「何かあれば私に伝えよ」
     とも命じた。
     三日目。激しい雨が降って来た事により、一行は宿に足止めされてしまった。
     その関係もあり、朝から雑渡が報告を繰り返す。幾度目かで、若君は激昂した。
    「かような些事をいちいち報告に来るな! おのれらで勝手にせよ!」
     そして、付け加えた。
    「私の側に着く者を減らせ。目障りだ」
     これで、雑渡たちがだいぶ動きやすくなった。
     雑渡と山本だけが若君の元に残り、他所事へと手を回せるようになった。
     代わりに土井を守る壁は薄くなった。
    「暗殺までされるとは考えにくいが、万一もある。気をつけよ」
    「そこらの忍びに、あいつを殺すのは無理でしょうよ」
     尊奈門が小声で言って、正体に触れるような言葉を口に出すなと高坂に拳を落とされる。そんな事は全員百も承知だが、今の土井は「土井半助」ではなく「若君」である。
     まさか若君の仮面を守るために死ぬような事はないだろうが、怪我くらいは甘んじて受けるのでは。そう思わせる程に、土井の『若君』は力が入っていた。
     土井にかかる負担は、大きい。
     ドクタケ忍者は、昼夜問わず若君を見張っている。
     一度見失ったせいもあり、彼らの見張りに隙はない。風呂や寝所はもちろん、厠でさえも気を抜けない状況だ。
     時折、雑渡が近付いては、報告の体で、土井に次に会う人間の名前や若君との関係、次の指示などを伝える。
     大抵はそれで何とかなった。
     四日目。何とか出発が出来たが、その夜、困った事が起こった。
     その日の宿は、往路で世話になった商家だった。
     これを機に「若君」と縁を結びたい商家の主人は、若君の事をよく調べて、饗応の準備をしていた。どうも、往路の時に、若君と何か話をしていたらしい。
     事前に若君は気分が優れないと伝えてはおいたが、主人は意に介していなかった。
     土井も忍者隊も内心で、面倒な事を、と思った。
    「気分ではない」
     土井は、不機嫌そうに一蹴する事を選んだ。
    「は、しかし今回は選りすぐりの……」
     何とか歓待を続けようとする主人を、じろりと睨んで、
    「聞こえなんだか」
     地を這うような声で凄む。そのまま刀に手をかけようとするから、慌てて主人は言葉を引っ込めた。
    「早う寝所に案内せい」
    「はっ」
     いささか強引ではあったが、やむを得ない。
     ボロを出して、変装が露呈する危険は避けたかった。
     五日目。若君が不機嫌そうに黙る事が多くなった。
     知らない人間に変装するのは負荷が大きい。であるのに、息を抜ける暇がまるでない。
     土井は疲れた様子を見せなかったが、積み重なった疲労を察する事はできる。黙るのが最善であるのは確かだから、忍者隊も協力して動いた。
     六日目は山道で、難所を越えなければならなかった。が、前日に静かにしていた事で土井の体力も少し回復した様で、難なく越えられた。
     どうにか周りを誤魔化しながら、忍術学園を出て七日目。
     一行は、ようやくタソガレドキ領に入った。

     

     もうすぐ、この仕事も終わりか。
     タソガレドキ領の宿の天井裏で、ドクタケ忍者はやれやれと内心でため息を吐いた。
     もう日は暮れており、外は暗い。若君は宿の奥まった一室で、人払いをして酒を飲んでいた。
     タソガレドキ城主のお気に入りの若君が来たとの情報により、彼は若君をずっと見張っていた。もちろん、今は外にいる仲間たちと交代でだ。
     一度は油断して見失ってしまったが、若君はすぐに戻ってきたし、それからは目を離していない。
     タソガレドキ忍者隊がついているから警戒していたが、何か裏がある訳でもなさそうだ。
     観察はしていたが、おかしな所は何もないと報告できる。
     ひとつ不思議なことと言えば、一度見失った後、若君の行動が妙に大人しくなった事だ。色好みの若君として有名な男が、あれから、その手の誘いに一切乗っていない。
     旅の疲れが出ていると言えばそれまでだが、違和感はある。
     違和感は調べた方がいい。
     という訳で、仲間がもういいだろうと言うにも関わらず、彼はこうして天井裏に潜んでいた。
     戸の向こうに、気配がした。外から声がかけられ、若君が「入れ」と短く返す。
     入ってきたのは、組頭の雑渡昆奈門だった。彼が同行している事が、ドクタケ忍者隊を動かしたと言ってもいい。それ程、彼の存在は大きかった。
     雑渡は若君に向かい一礼して、「こちらを」と折り畳まれた文を差し出した。
     若君は文を開いて、それを読む。読み進めるうちに、その顔に驚きと怒りが浮かぶのを、ドクタケ忍者は目撃した。
     ただでさえ不機嫌そうな顔が、凶悪なまでに歪む。なまじ顔立ちが良いだけに、一層迫力がある。天井裏まで怒りが伝わってくるようだった。
     若君は文を読み終わると、ぐしゃりと握りつぶした。力を入れて丸め、雑渡に投げつける。
    「捨てよ」
     避けもせずに丸めた文をぶつけられた雑渡は、「承知いたしました」と一礼する。
    「ご返答はいかがなされます」
    「……好きにせよと伝えろ」
     苦虫を噛み潰した声で若君が答えると、雑渡は文を持って出て行った。
     男の気配が消えると、若君の舌打ちが聞こえた。何やらよほど不快な内容であったのだろう。
     そちらを調べるべきかと思ったが、雑渡の懐に収まった文を手に入れるのは困難だろう。
     若君を見失った記憶も蘇り、彼は結局そこに留まる事にした。
     若君は黙り込んで、何やら考えている様子だった。
     そのまま夜が更けてきた頃、表から何やら騒々しい音が聞こえてきた。騒ぎが起こっているのは確かだが、若君は少し顔を上げただけで、動こうとしない。
     外での騒ぎならば、待機している仲間たちが確認しているはずだ。気にはなるが、若君が動かない以上、彼も動かなかった。
     しばらくすると、騒ぎの音は消えた。
     それからまた時間を置いて、再び気配が現れた。若君の「入れ」という許しを得て戸を開けたのは、小頭の山本であった。
     若君は、じろりと山本を睨む。
    「騒がしかったな」
    「申し訳ございません」
    「何があった」
    「お耳を」
     若君の不機嫌さをものともせず、山本は彼に近付く。
     渋々といった風にそれを許した若君は、ふむ、ふむ、と何度か頷いた。
     何度目かの頷きの後、不穏な空気は和らいでいった。
    「わかった。連れて来い」
     更にしばらくすると、山本が一人の男を連れて来た。
     後ろ手に縛られ、服には乱闘を行ったであろう跡の残る男を、若君の前に座らせる。
     粗末な着物を着た大柄な男だった。体中に包帯を巻き、ぼさぼさの髪は顔を隠し、どちらが前なのか迷うほどだ。
    「ご苦労。おまえは下がれ」
    「……はっ」
     山本は一瞬躊躇したが、大人しく出て行った。このような得体のしれない男と若君を二人きりにするのは、何かおかしい。ドクタケ忍者は目を凝らして見知らぬ男の背中を見た。
     だが、彼は気付けなかった。
     男は、包帯をいつもと異なる形に巻き、火傷の跡を粗末な格好で隠した雑渡だと。




     不審者に変装した雑渡は、土井の変装する若君に向かって、頭を下げていた。
     顔を上げなくても、土井の冷たい目に睨まれているのは感じる。それは半分芝居で、半分は土井自身の怒りだった。
     先ほど、土井に渡した文は、雑渡が用意したものだ。
     文にはここからの手順と、これまで土井に隠していた事が書いてあった。
     若君の死んだ原因だ。
     彼には悪癖があった。普段は若く美しい女か芳しい美少年を好む若君は、時折、男を拾っていた。
     大抵は大柄で、体力がありそうで、粗雑さを隠そうともしない愚鈍な男だった。若君は、そうした男に犯されるのを楽しんでいた。
     数日前、若君はその楽しみの最中、男に跨ったまま死んでいた。男が何かした訳ではないから、自然に死んだというのは嘘ではない。状況を隠していただけだ。男はもう始末済みで、これを知るのは、その場にいた忍者たちだけだった。
     そして雑渡は、今夜、若君の死を再現したいと文に書いていた。
     つまりは、土井にも、男と交わって死んで欲しいと頼んだ。それも、ドクタケ忍者の監視の前で。
     嘘は、真実を混ぜると強固になる。
     若君の悪癖は、知っている者もそれなりにいる。このような外聞の悪い事情で死んだのなら、誰も大事にしたくはない。
     必要な行動だ。
     土井は、それがわからない男ではない。ここまで苦労して積み重ねた仕事を、無駄にする男でもない。
     であるから、文を読んだ土井は、怒った。怒ったが、どうにもできず、若君としてここに座っている。
    「表を上げよ」
     雑渡が顔を上げる。若君は値踏みするような目で雑渡を見ており、つまり土井は怒りつつも、冷静に若君を演じていた。
    「其方、私の部下どもと揉め、殴り合ったそうだな」
    「…………」
     男が頷く。
    「おまえは口が利けぬと報告があったが、誠か?」
     男が扮した雑渡は、また頷く。
    「何人か怪我をしたと聞いた。私を守るべき兵が、其方一人に振り回され、情けない事よな」
     見守りとして配置された血の気の多い兵と雑渡の揉め事が、先ほど表で起こった騒ぎだ。土井にも、予めそれは知らせてあった。
     雑渡が扮する男は、相変わらず黙ったままだ。口がきけないのだから、仕方ない。神妙な顔で、若君を見る。
     普通ならば、男はここから無事に帰れはしないだろう。だが今は違う。
     土井はしばらく、雑渡の顔を見ていた。
     何かを考えるように黙り込む姿は、果たして芝居か、真に迷っているのか。
     やがて、若君は口を開いた。
    「そこに寝転べ」
     男が戸惑った顔をすると、
    「そこで寝ろと言っておる」
     鋭い声が飛んで、男は仕方なく従った。身体を縛られたまま、仰向けに横たわる。
     若君は立ち上がり、男に近付いた。
     刀は持ったままだ。
     若君は、男の腹の上に跨った。それなりに上背のある若君が乗っても、男はびくともしない。
     若君は鞘に納まったままの刀で、男の身体を撫でた。首から胸元へ、鞘を這わせる。
     若君は立ち上がり、そして、鞘から刀を抜いた。
     すい、と刀を振り、男の縄を斬る。それからまだ男の上に跨り、そして、
    「私を犯してみよ」
     有無を言わせぬ言葉を発する。
    「私を楽しませてみよ。さすれば、おまえを許してやらぬでもない」
     最初から許すつもりのない言葉であり、後から絶望させるための虚偽の言葉だ。本物の若君が言ったのならば。
    「おまえ次第だ」
     男が意を決したように、身体を起こす。若君の身体を引き寄せて、そのまま体勢を逆転させ、若君の身体を押し倒す。
     若君の変装の向こうで、土井の目が雑渡を見上げる。瞳の奥に、隠しきれない怒りがちらついている。
     雑渡が声を出さず、口だけを動かす。
    「私が若君をどう抱くか、興味はある?」
     瞬間、土井の目に殺意に近い怒りが湧く。
    「その気になったか」
     声に怒りを滲ませないのはさすがだ。少し掠れているが、むしろ、興奮しているように聞こえるから悪くはない。
    「よいか、下郎」
     土井は腕を伸ばし、乱暴に雑渡の首を掴んだ。
    「私を満足させられねば、この首は跳ね飛ぶと思え」
     雑渡は相変わらずのろのろとした動作のまま、土井へ手を伸ばした。無表情なその顔の、目だけが楽しそうに細められたのが見えたのは、至近距離にいた「若君」だけだった。





     それから数日後。
     まだあれこれ始末の真っ最中だが、いつもの悪癖中に外聞の悪い死に方をした若君ついて、そう大きな騒ぎにはならなかった。
     まだ完全に安心はできないが、おおむね忍者隊の筋書き通りに事は進むだろう。
     すべての事情を知る忍者隊の中で、今回の功労者が土井半助である事は一致していた。彼が替え玉を務めた事を知っているのは、ごく一部の者であるから、大っぴらにはできないが。
    「一番の功労者に報いれないのは残念だね」
     どこか呑気に言う雑渡に、
    「いつ土井殿が組頭を刺すか、気が気ではありませんでしたよ」
     半分本気で山本が言う。
     今回ばかりは、山本も土井に同情していた。
     領内に入ったら、若君の死をドクタケ忍者の前で再現する、というのは聞いていた。土井も、当然聞いているのだろうと思っていた。
     事を起こす直前、今から土井に計画を伝えてくると雑渡に言われて、驚愕した記憶はまだ新しい。
    「計画を伝えた時の土井殿は、どのような反応だったのです?」
    「それはもう怒っていたね。殺されるかと思ったよ」
     どこか楽しそうな雑渡に、山本は呆れた。
    「そりゃ怒るでしょうよ」
     とはいえ。たとえ事前に知っていたとしても、何ができた訳ではないが。
    「何故、最初に説明されなかったのです?」
    「事前に説明したら、避ける案を思い付かれるだろう。こちらの計画を崩されては困る」
     それに、と人の悪い笑みを浮かべる。
    「土井殿は責任感が強いから、どれだけ怒っても、任務はやり遂げるだろうと信じていたからね」
     恐らく土井の怒りは、その辺りを雑渡に見透かされていたせいもあるのだろう。
    「で、その土井殿はどうしている?」
    「疲労困憊という様子です。ずっと気を張り通しでしたから、無理もありません」
     最後の仕上げとなったあの夜。土井が扮した若君は、行為の最中に苦しみ始めた。そこから必要以上に騒動を起こして、土井と本物の死体を入れ替えた。
     ドクタケ忍者は若君の死を確認して、屋内から消えた。遠巻きに見張りを残して。
     ようやく解放された土井を匿ったのは、山本だ。土井は疲れ切っていた。ひどい顔色をしていたし、動きも鈍かった。
     尊奈門が早速いつものように噛みつきに来ても、困った顔で「さすがに今日は勘弁してくれないかな」と苦笑いするだけだった。
     土井は今も隠れ家で休んでおり、回復次第、忍術学園に戻る事になっている。もう少し休んでもいいのではと言っても、「授業が遅れますから」の一点張りだ。
    「私はしばらく動けないから、土井殿を送りがてら、忍術学園に報告を頼む」
    「はっ」
    「で、土井殿はまだ怒っていたか?」
    「我々には何も。ただ、組頭に対しては怒っているようです」
     会話の中で雑渡の名前を出した時の、土井の引きつった顔を思い出す。
    「そうか。今は、会わない方が良いかな」
    「我々もその方が助かります」
     頷いた山本は、真顔で続けた。
    「痴話喧嘩の仲裁は御免ですので」





     忍術学園に戻った土井半助の第一声は、
    「また授業が遅れたなぁ……」
     であった。
     思わず漏れた呟きは哀愁に満ちていて、共に忍術学園に辿り着いた山本が、申し訳なさそうな視線を寄越してくる。
     山本は学園長に報告をして、その日はすぐに帰ってしまった。若君の一件もあるが、雑渡と山本が長めに外出していたため、諸々の業務が溜まっているらしい。
     それからしばらくして、目論見通りに終わったと報告が学園長に届き、土井の元にも伝えられた。
     これで本当に忍務は終わりだ。ようやく、ほっとした。したのだが、一つだけ不満はあった。
     雑渡が姿を見せない。
     忍務中は余裕がなく、雑渡へ抗議も何もできなかったが、彼のだまし討ちに対する怒りは消し切れない。
     タソガレドキからの報告はあったが、雑渡自身からは何もない。あれだけ人を働かせておきながら、顔を見せるどころか、連絡ひとつもない。それも土井を苛つかせていた。
     そして、その苛立ちの底には、雑渡の顔が見たいと、会いたいという本音がある。それも癪だった。
     行けるものなら、直接乗り込んでやりたい。
     だが今の土井にとって、最優先すべきなのは授業だった。
     しばらくぶりに会った一年は組の顔を見てほっとして、進まない授業に肩を落として胃を痛める。雑渡への不満には蓋をしつつ、土井は日常へと戻った。
     そうして、やっと気持ちが落ち着いてきた頃。
     土井は学園長に呼ばれた。
     そして外出する学園長の付き添いとして、一緒に学園を出た。
     顔馴染みの宿、と説明を受けていた場所に連れて来られた時までは、土井は単なる護衛兼お供のつもりでいた。
    「お久しぶりです。その節はご面倒をおかけしました」
     宿の一室に、雑渡が涼しい顔で座っているのを見るまでは。
    「え、雑渡さん……?」
    「わざわざこんな所まで来てもらって、すまんの」
    「とんでもない。こちらから赴くべき所を、お招き頂き恐縮です」
     土井を置いて、二人は普通に会話を始める。
     雑渡は忍び装束ではなく、いかにも湯治客といった装いだった。
     学園長を奥に、土井はその横に。雑渡は学園長の向かいにという配置で座り、改めて挨拶を交わす。
     雑渡は、二人に向かって深々と頭を下げた。
     学園長は鷹揚に受け止める。土井は、そこまで心を広くは持てない。
    「土井殿にも、ご迷惑をおかけ致しました」
     学園長の前でなければ、何か言い返してやりたかったが、体裁を整えるくらいの理性はあった。
    「いえ。無事に済んだのでしたら、骨を折った甲斐がありました」
     頭を下げ返しながら、胸の奥からもやもやした感情が蘇るのを感じる。
     雑渡は学園長に諸々を報告して、改めて礼を述べた。
     それらが終わると、土井に、
    「土井殿にも改めて礼をしたいのですが、お時間を頂けますかな?」
     と白々しく尋ねる。
    「いえ、私は学園長の付き添いなので……」
    「構わんよ」
     学園長が横から口を挟む。
    「え? 学園長先生?」
    「土井先生はずぅーーーっと忙しかったからのぉ。少しは息抜きをすると良い」
    「いや、しかし……」
    「ではワシは帰らせてもらうとしよう」
     雑渡は頭を下げたが、土井は面食らう。
    「ええ? でしたら、私も……」
    「土井先生はゆっくりせいと言ったじゃろう」
    「なら、学園長先生もこちらに……」
    「ワシは帰る。明日、デートの約束があるのでな」
     やられた。土井はやっと気付いた。
     このところの土井は、いつにも増して働いていた。授業の遅れを取り戻すためと、心の中のもやもやした気持ちを誤魔化すためだ。
     そういえば最近、山田や他の教師から、たまには休めと続けて言われていた。そうします、と笑って流していた土井に対する強制的な休息。それが今日だったという事か。
    「土産は饅頭を頼む」
    「はい……」
    「二人とも、見送りはせんで良いぞ。ここでゆっくりしておれ」
     学園長は言うだけ言って、さっさと帰っていく。今日中に学園に戻るつもりなのだろう。元気な事だ。
     何か言い返す気力もない土井は、黙ってそれを見送った。
     休みを取らせてもらえるのはいい。心配をかけた反省と、感謝があるだけだ。
     問題は、ここに雑渡がいるという事だった。
     普通ならば、こんないつ敵に回るか分からない男と過ごす時間が、骨休みになるはずもない。
     それが、なると思われたという事は、つまり。
     土井はそこまでで、考えるのをやめた。
    「学園長先生は、何でもご存知だね」
     雑渡がそう言ったのは、学園長の気配が完全に消えてからだった。
    「……の、ようですね」
     はあ、とため息を吐く。
    「なるほど、土井先生はお疲れのようだ」
    「おかげさまで」
     学園長が出て行けば、もう互いに堅苦しい空気はなしだ。
     雑渡は姿勢を崩し、土井は不満をあからさまに顔に出した。
    「雑渡さんも、ここに泊まるご予定で?」
    「お誘いを受けております。が、土井先生が嫌でしたら、もちろん帰りますが?」
     涼しい顔をした雑渡はもちろん、見透かしているのだろう。土井が断るはずがないと。
    「……帰らないで頂きたい。先日の一件で、お聞きしたい事が山程ありますので」
     なるべく怒りを思い出しながら、そう言うのが精一杯だった。



     急に土井を借りて、こき使って、返してから一月以上が経った頃。ようやく雑渡も落ち着き、正式な礼をするために学園へ行こうかと思える余裕が出てきた。
     しかし雑渡が伺いを立てる前に、学園長直々に呼び出された。
     こちらから礼に行くつもりだったと伝えると、ならば一人で来てくれと場所と時間を渡された。一人で、という所に引っ掛かりを覚えたが、学園長の書状には「こちらは二人で行く」と書かれていた。
     この用件で来るとしたら、学園長と、土井半助に決まっている。
     さほど警戒の必要はないと思いつつ、近場に部下を配置したのは、習性のようなものだ。宿に一人で来ただけでも、雑渡にしては珍しい行動だった。
     そして学園長が帰って行き、飯と風呂を済ませて、雑渡は土井と向き合っている。
    「それで、聞きたい事というのは?」
    「…………」
     土井は何か言いたげに何度か口を開きかけては、何も言わずに閉じた。
     しばらく待った後に、やっと出てきたのは、質問ではなかった。
    「私もね……わかってはいるんですよ」
    「ほう」
    「あなたのした事の、理屈と理由は分かりますよ。でも」
     じろりと雑渡を睨みつける。間違いなく怒りはあったが、あの夜、手紙で事実を告げた時の殺気に比べれば、可愛いものだ。
    「だからって、私が怒らない理由にはならないんですよ!!」
     なるほど。問い詰める代わりに、感情をぶつけて来る方向に来たようだ。
    「土井殿」
     睨まれたが、構わず距離を詰める。
    「何を怒っているのか、知りたい」
     雑渡らしくもない、真っ直ぐな問いだった。土井は少し驚いた様子を見せたが、またすぐに睨んできた。
    「……大変だったんですよ」
    「はい」
    「疲れたんですよ」
    「うん」
    「無茶な事だと分かっていて、私に大仕事を振って、苦労させて」
     話しているうちに怒りが蘇るのか、土井の口調がどんどん荒くなる。
    「挙句に作戦の一番大事な部分を隠されて! 私は部外者ですから、警戒は仕方ないですが! 同じ忍務に着くならば、共有はしておくべきでしょう!!」
     畳を叩きながら、どんどん文句が吐き出される。間違いなく怒られてはいるのだが、怖くはない。
     土井が怒っている原因が、忍務の内容や隠し事だとは思わない。土井だって、逆の立場ならそうするだろう。
     では、彼の怒りの根本は何なのか。
     聞いてみるしかない。
    「うん。あとは?」
    「あとは……ッ」
     土井は雑渡の胸倉を掴んだ。
     その目にわずかな躊躇いを感じたのは、一瞬。
    「会いに来るのが遅すぎる!」
     今日一番の大声で、一番驚かされた。
     つまり、彼が本当に言いたかった文句というのは、これだったか。
    「それは……私が悪いね」
    「そうですよ」
     ふい、と顔を逸らされる。
     土井が雑渡から手を離して、元の位置に戻る。
     そして、急に静かになってしまった。言いたい事を全部言ったという風ではないが、一番言いたい事は言い終わった。そういう事だろう。
     土井は胡坐をかいた膝に肘を乗せて、頬杖をついている。視線を逸らして、雑渡を見ようとしないが、出て行くつもりはなさそうだ。
     その表情は怒っているような拗ねたようなもので、ご機嫌とは言い難い。うっすらと頬が赤らんでいるのは、照れもあるのか。
     可愛らしい事だ。
     雑渡は、にやける口元を隠したし、浮かんだ言葉を口にはしない。衝動のままに抱き締めもしない。更に怒らせるのは、得策ではない。
     放っておいても、土井の機嫌は直らないだろう。
     さてどうするか、と考えた雑渡は、まず土井に近付いた。手を伸ばせば触れられる距離まで来ても、土井は雑渡を見ようとしない。
     雑渡はゆっくりと、土井の頬に触れた。
     表情が和らぐ事はなかったし、手は振り払われた。だが振り払う動きは柔らかくて、怒りの波が和らいでいるのはわかった。
    「まだ怒っている?」
    「もちろん」
    「愛想をつかされたかな?」
    「だいぶ」
    「それは困る」
    「私は困りません」
     無駄口には律儀に付き合ってくれる。これならいけるだろうと踏んで、雑渡は土井に手を伸ばした。
     土井が抵抗できる程度の力で、抱き寄せる。
     少し身体を固くしながらも、土井は雑渡の腕の中で動かない。
     思ったよりも簡単に触れられたから、少し調子に乗って、そのまま土井を床に押し倒した。
     土井はされるがままだが、雑渡を見上げる瞳には、まだ不機嫌がくすぶっている。
    「誤魔化す気でいますね?」
    「いや、謝罪する気でいる」
    「謝罪という体勢ではないようですが」
    「おや、もうお忘れかな?」
     眉を寄せた土井は、視線で「何を」と問いかける。雑渡は笑いを含んだ声で答えた。
    「あなたを満足させたら許していただけるのでしょう、若君?」
     土井は口を引き結んだまま、雑渡を見上げる。
     眉間に皺が寄り、表情が厳しくなった。
     土井は小さく息を吐いて、それから、無言で手を伸ばした。
     彼の人差し指が、雑渡の首に触れる。冷えた感触は首筋でぴたりと止まった。土井はそのまま、長い指を横一文字に滑らせる。
     雑渡の首を斬るかのように。
    「私を満足させられねば、この首を刎ね飛ばすとも申したはずだが?」
     いつもの柔らかい土井の声ではない。不機嫌な、低い声。
     雑渡は目を見開き、それから、喉の奥で笑った。
     なるほど。確かに。
     低く笑い声を漏らす雑渡とは対照的に、土井は少しも笑う気になれないようだ。
    「まったく……」
     と呟きながら、ぱたりと腕を下ろす。身体の力が抜けて、作った声色は取り払われ、目から尖った光は消えていた。
    「では、どう満足させて頂けるのか、お手並み拝見といきましょう」
     後に残るのは、照れたような怒ったような顔をした、いつもの土井半助。
     こちらの方が、雑渡の好みだ。
     雑渡は土井の頬を手で包み、額に口付けた。土井も雑渡の首に手を伸ばす。今度は、抱きつくために。
     雑渡のすべき事は土井を労い、機嫌を直してもらう事である。それはわかっている。
     わかってはいるが、さて。この胸の内から溢れる愛おしさと、身体の奥から突き上げてくる激情を、うまく制御できるだろうか。
     雑渡もあれから、ゆっくり休める余裕などなかった。土井の顔を、一度も見に行けなかった位には、忙しかった。
     腕の中の土井を見る。会いたかったのは自分だけだと、彼が本当に思っているのならば、むしろ無茶をさせてでも分からせた方がいいかもしれない。
     長い口付けの後、雑渡は土井の耳元で囁いた。
    「土井殿が満足されるまで、今宵は励ませて頂こう」
     言葉は返ってこない。
     雑渡の背中に回された手が、土井の返答だった。
     土井と、そして自分の理性が溶けていくのを感じながら、雑渡は思った。
     明日の朝には、また土井に怒られる事になるだろうな、と。

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