原作雑土で連載してみる12 雑渡が一泊の小旅行に出る事になったのは、部下たちの休みが一周した頃だった。
「そろそろ組頭も休まれては?」
発端は、雑渡へ報告書を提出しに来た山本の言葉だ。雑渡の側に控えていた押都が、
「確かに」
と頷く。
「休んでいるが?」
そう言い返す雑渡に、山本は首を振る。まるで聞き分けのない子どもにするような動作だった。
「組頭のそれは、休みでなく休憩です。1日丸ごと休んで下さい」
「強制?」
雑渡が言うと、押都が横から口を出す。
「組頭が休まないと、下の者が休み辛いのですよ」
「気にせず休めばいいだろう」
「我々はできても、更に下の者はそうもいきません」
その通り、と山本も頷く。この辺りで、さては二人で結託して話を進めようとしているな、と雑渡は察した。
確かに少し前から、雑渡も休んだ方が良いと言われていた。休めない事もなかった。しかし、まずは部下を優先。そう思っていたら、休むタイミングを掴み損ねた。
別に休みたくない訳ではない。抵抗するの目面倒だ。雑渡は素直に休みを取る事にした。
どの日が良いかを山本や押都たちにも相談して、二日間の休みが確定した。
「忍軍からは離れた方がいい。配下の者がいては、休めぬでしょうから」
「それはそうだな。何かと声を掛けられて、結局仕事になるのは、目に見えている」
雑渡の休みの予定のはずだが、話の主導は山本と押都になっていた。
「やはり多少は遠出をして頂かねば」
「一泊だと、どの辺りが良いかな」
何しろ雑渡の姿を見れば、部下たちは寄っていってしまう。理屈はわかるが、あまりにも蚊帳の外にされたまま話が進むから、
「私の予定は私が決めたいのだが」
雑渡が口を挟んだ。
「もちろんです。ただできれば、旅には出て頂きたく……」
「どうして」
山本に聞いたのだが、答えのは押都だった。
「組頭が休みを取らずに働いておられるのに、呑気に家族旅行になど行っていられない、と言い出す者たちがおりまして」
「いやそこは気にせず行ってくれ」
「組頭が率先して行って下されば、説得力が出ます」
山本が言葉を重ねるから、雑渡は降参した。
「わかった。行けばいいんだろう」
「それなりに遠くにして下さいね」
「厄介払いしようとしてないか?」
「いえ、まさか。部下たちの家庭円満ためです」
真顔で返された。
仕方なく、真面目に行き先を考える。ひとつ、浮かんだ場所があった。
「あそこがいいか」
雑渡が口にしたのは、タソガレドキとドクタケの間辺りにある温泉だった。大きく賑わっている場所ではないが、寂れている訳でもない。近くにきな臭い動きもない、静かな場所だ。
「あの辺りの温は火傷に良いと聞いた事があるから、ちょうど良いだろう」
これで、決まった。
雑渡は一人で行くつもりだった。身の回りの事くらいはできるし、そこまでの遠出でもない。
その旨も、きちんと話した。
だが、出発当日。
「では頼んだぞ」
「お任せ下さい」
山本から役目を与えられた尊奈門は、しっかりと頷いた。
どうやら雑渡は信頼がないらしく、尊奈門が身の回りの世話と、ちゃんと雑渡が休むかの監視役を命じられた。
気楽な一人旅でなくなったのは残念だが、付けられたのが尊奈門では逆らえない。他の者を付けられるより、だいぶ気楽なのは確かだ。
朝も早くから出発して、目的地に辿り着いたのは昼前。たいした距離がないせいもあるが、二人の足が早かったのもある。
早朝は爽快なまでに晴れていた空に、薄暗い雲が少しずつ広がったからだ。
何しろ忍者が二人なので、雨の降り出す前に、と少し急いだら、早く着きすぎた。
「まあいいだろう」
元から予定などあってないような旅だ。雑渡が気楽なことを言えば、尊奈門も「そうですね」と頷く。
雑渡と尊奈門が着いたのは、小さめの古びた家屋だった。部屋は二つしかないが、暮らすのに必要なものは揃っている。
ここは元々、とある商家の別邸だった。小金持ちのご隠居が、若い後妻をもらって、二人でのんびり過ごすために建てたものだという。そのご隠居の死後、持ち主が二転三転して、最終的にタソガレドキ忍軍が手に入れた。
普段は無人で、近くに住む者たちに、定期的な手入れを頼んでいる。
ここからすぐ近くに大きめの温泉があり、そちらには湯治客用の宿もある。だが雑渡はこの家を選んだ。
尊奈門が戸を開けて、中に入る。古い建物ではあるが、きちんと手入れがされている。世話をする人間はいないが、これは尊奈門が「自分が世話します!」と言ったからだ。雑渡も人が少ない方が落ち着ける。
荷を下ろして、雑渡は部屋の内部を確認し、それから奥の一室で尊奈門の淹れたお茶を飲んだ。
一泊するだけだから、荷物といってもたいしたものはない。
これなら自宅でも変わらないのでは、と思ったが、今更だから飲み込んだ。
尊奈門は、出発前に持たされた弁当を用意する。良ければ途中で休憩がてら食べて下さいと渡されたが、立ち止まらずに来てしまった。
握り飯だけの弁当を食べながら、雑渡と向かい合って座る尊奈門が尋ねた。
「本当によろしかったのですか?」
「何が」
「休みをここで過ごす事です」
「ここが私の希望だが」
「そうなのですが……。組頭は忍術学園に行かれるのかと思っていましたので」
「それも考えたが、あそこに行くとまたトラブルに巻き込まれかねないと、反対された」
「なるほど」
尊奈門は大きく頷いた。何しろ尊奈門も、幾度も忍玉たちのトラブルに巻き込まれている。
「おまえは、この間の休みに行ったそうだな」
「はい。あの時も、土井半助の元へ向かう途中で保健委員たちと会ってしまい、散々で……」
と、尊奈門は話し出す。
そのまま、話題は忍術学園の話になった。
雑渡は土井の近況を調べた事はない。土井の情報は、自然と耳に入ってくるからだ。
忍術学園から帰ってきた尊奈門に、「今日はどうだった?」と尋ねるだけでいい。生徒の話も土井の話も聞ける。
雑渡が乗り気で聞くから、尊奈門も普通の報告には入れない些細な事までよく話した。
今もそうだ。雑渡はいつも通りに、楽しく尊奈門の話を聞いていた。
が、
「それで、最近思っていたのですが」
少しだけ真面目な調子になった声に、少し嫌な予感がする。向かいの尊奈門を見ると、彼の大きな目が、雑渡を覗き込むようにしていた。
「どうして組頭は土井半助と会われないのですが?」
雑渡は何か言おうとして、一旦口を閉じた。
普段の尊奈門をあしらうのは、簡単だ。ただ彼の目が、雑渡の奥底まで見えているように感じる時は別だった。ちょうど、今のように。
「……尊奈門」
「はい」
「おまえは私と土井半助を何だと思っている?」
「恋仲ではないのですか」
問うような言葉だが、何も疑う事のない口調だ。
どうしておまえが気付くのか、と思い、いや尊奈門だから気付いたのだろう、と思い直す。
尊奈門は雑渡を見ている。誰よりも近い場所で。同時に、土井半助の事も見ている。彼に隙がないか、見張る目で。それは単なる監視よりも、よほど鋭い眼差しだ。
雑渡は否定するのを諦めた。
「そう思っているのなら、尚更、あまり口を出すものではないな。こうした問題は、巻き込まれると厄介な目に遭うぞ」
一般的な忠告を口にする。尊奈門は、
「覚えておきます」
と頷きつつも、素直に引く気はない。
「ですが、組頭のお悩みを捨て置く事はできません」
と開き直る。
「それが駄目だと言ってるんだが」
「はい。土井半助も口を出すなと言っていました」
茶を飲もうとした雑渡の動きが、一瞬止まる。
「おまえ、土井にも何か言ってるのか?」
「毎回、組頭への言伝がないか聞いているだけです」
初耳だ。
「毎回?」
「はい」
土井の怒った顔が、見て来たように浮かぶ。珍しく、素直に申し訳ない気持ちになった。
「わかった。心配をかけたのは悪かった。だが、口は出すな。そして、私はともかく土井半助には何も言うな」
重ねて言えば、尊奈門はやっと「はい」と頷いた。納得した様子ではない。
不安が残るが、土井もそろそろ尊奈門の扱いに慣れてきている。適当に流してくれるだろう。
雑渡は、あえて楽観的に考えた。
食事が終わると、尊奈門は後片付けを始める。雑渡に新しい茶を出して、また何かしら動こうとした所で、雑渡が声をかけた。
「尊奈門」
「はい」
「私は先程、この場所を指定したのは私だと言ったな?」
「はい。この近くの湯は、火傷に良いからと聞いております」
「それもあるが、ここはドクタケ領に近い」
尊奈門が動きを止め、雑渡を見る。
「あの、組頭?」
「近くの宿に、ドクタケ忍者が頻繁に出入りしているらしい。単なる骨休めかもしれんが、気にかかる。念の為、調べておきたい」
「組頭」
「しかし私は休暇中で動けない」
「組頭!」
「行ってくれるな?」
「は……」
尊奈門は反射的に頷きかけて、
「いや行きません!」
慌てて首を振る。
いくら尊奈門でも、ここで素直には従うとは思っていない。雑渡は立ち上がる素振りを見せた。
「では私が行こう」
「駄目です! 組頭は仕事禁止と言われたではないですか!」
「なら、おまえが行ってくれるか」
「う……いや、しかし、私が見張っておらねば組頭が」
「ここからは出ない」
「本当ですか?」
「疑り深いな」
「組頭に言いくるめられるなと、山本小頭に言われております」
なるほど。しかし、その程度で止められるとは、山本だって思っていないはずだ。
「気にするな」
「しますよ!!」
尊奈門は必死だ。小頭たちに頼まれているのだから、当然だろう。
「尊奈門、おまえは今日明日と休みではないな?」
「そうですよ! 組頭を見張って休ませるという任務中です!」
「見張る必要はない」
「前もそう言って、お休みだというのに曲者を何人か捕まえて来ましたよね」
「見つけたから仕方ない」
「じゃあ見つけないように、ここにいて下さい!」
元々は、雑渡を休ませるというのが本題だ。このまま押し問答を続けても、尊奈門に勝ち目はなかった。雑渡と一緒に出るか、一人で出るかの二択。
言い合いを続ければ、尊奈門の勢いはどんどんなくなっていく。
「……私が行けば、組頭はここで大人しく過ごして下さるのですね?」
念押しされる。頷けば、ようやく尊奈門は折れた。
「わかりました……私が行きます」
敗北感に肩を落とす部下とは逆に、雑渡は満足そうに目を細めた。
「掃除しようと思ったのに……」
ぶつぶつ言うが、雑渡にしてみれば尊奈門の気遣いは不要だ。おそらく二人が着く前に最低限の掃除や滞在の準備はされているし、雑渡だって一人では何もできない箱入りではない。
手早く出かける支度をした尊奈門と、少し打ち合わせをする。それが終わると、尊奈門は雑渡に目を向けた。
「組頭は、どう過ごされるのです?」
「さて。書き物でもするか」
「仕事は禁止ですよ」
「わかっている」
まだ疑われているらしい。尊奈門は何度も念押しして、ようやく気を取り直し、
「では、いってきます」
と急な任務へ向かった。
壁に向かって配置された文机の前に、雑渡は座る。紙と筆は用意して来ていた。
書き物といっても、仕事をしたら尊奈門に怒られる。文でも書くか。
そう思った時、まず浮かんだのは、土井半助の顔だった。
これまで彼にまともな文を送った事はない。逢引の場所と時間だけが記された、業務連絡でももう少しマシだというものばかりだ。
といって、言葉を口に出して何か伝えた事もない。届かないと分かっていたからだ。受け取るつもりのない相手に何を言おうが、その心には何も届かない。
雑渡がもう少し、あと十も若ければ、言葉を投げ続ける事で何かを変える熱も残っていたかもしれない。
そう思ってから、苦笑いが浮かんだ。
今の自分たちだって、大人の振る舞いをしているとは言えない。これがもっと若い頃なら、一体どんなみっともない真似をした事やら。
雑渡は土井に振り回されている。が、土井にしてみれば、自分に振り回されているように思っているだろう。
雑渡が思い浮かべる土井の表情は、機嫌が良いとは言い難い。容易に浮かぶのは、怒った顔だ。
拗ねたようなものから、殺意に近いものまで。
学園では、生徒たちの前では喜怒哀楽が激しい男だが、雑渡の前ではそこまでの起伏は見せなかい。特に怒り以外の感情は滅多に見せない。寂しい事だ。
それでも、笑った顔を思い出す事はできる。
最初に浮かぶのは、土井と肌を重ねるのに慣れて来た頃の事だ。あの頃はまだ、土井との行為は暴力と紙一重だった。
土井は最初の夜から、雑渡の火傷に引かなかった。土井も忍者であるのだから、それ自体は驚きではない。
「私も言えるほど綺麗な身体ではありませんしね」
土井自身が言うように、彼の身体にも大小さまざまな傷跡があった。
とはいえ、雑渡に残る跡はかなり深く、広い。情事の最中に進んで見せたいものではない。
身体の包帯はどうしたって脱げていくから、そちらは早々に諦めた。だが、頭の包帯は取らなかった。頭から顔半分、首筋にかけての火の舐め跡は、我ながらひどいものだ。
その夜の幾度目かの行為の最中に、頭の包帯が解けた。
「おっと」
包帯を押さえて行為を中断しようとする雑渡に、土井は手を伸ばした。雑渡の腕を掴む力は、存外強かった。
「私が見られるのは嫌ですか」
不満そうな声と、拗ねたような顔。意外な反応に少し驚いた雑渡は、思わず、
「いいけど」
と返していた。土井は、ならば、と遠慮なく中途半端に解けた包帯を取り去った。剥き出しになった雑渡の顔を見て、満足そうに息を吐く。
「触れても?」
「ああ」
構わない、と答えれば、すぐに腕が伸びてきた。粗雑な男にしては珍しく、優しく柔らかい手付きだった。
「ずっと、触れてみたかったんですよ」
土井の指の動きを、雑渡は止めなかった。
まばらに髪の生えた頭を撫で、形を失った耳から、肉の引き連れた頬へ指を滑らせる。何が楽しいのか、珍しく土井が微笑む。
「変わった人だな」
「あなたこそ、私に見せて良かったのですか?」
「今更」
雑渡が笑うと、土井も「確かに」と軽く笑った。それから、中断した行為を続けた。土井は露わになった傷跡にも唇を寄せて、柔らかく愛撫した。
終わった後に、つい、こういう傷が好きなのかと尋ねてしまった。
包帯の巻き直しを手伝っていた土井は、「いいえ」と、あっさり否定した。
「べつに火傷跡が好きな訳ではありませんよ。でも、これはあなたの一部ですし、まあ……」
言葉の続きは小声すぎて、雑渡の耳には届かない。聞き返そうとしたが、二度は言ってくれない言葉だろうと察しはつくから、やめておいた。
巻き終わると、包帯に隠れた跡を撫でられた。もう感覚はないはずの場所だったのに、そこに熱を感じた。
土井は、炎に巻かれる前の雑渡の姿を知らない。雑渡の失ったものを、彼が本当の意味で知る事はない。
それでも土井の言葉は雑渡の心を少し軽くしたし、土井との情事の抵抗感を一つ壊した。
土井は雑渡を好んでいた。言葉に可愛げがはなかったが、行為の端々から見え隠れする好意が心地良い。いつからか、雑渡はそう感じ始めていた。
土井が必ずしも乱暴な行為を好む訳ではないと、雑渡はその頃から気付き始めた。
そうやって、少しずつ心の中に土井との仲が積み重なっていった。積み重なる程度には、長い時間を共に過ごした。
先に執着を見せたのは、雑渡の方だ。雑渡はとっくにそれを自覚している。
土井は、雑渡を手に入れようとした事はない。彼にとって雑渡は想う相手ではあっても、手に入れたい対象ではない。
一番最初の夜。土井が雑渡への情を露わにした時。驚いていたのは、雑渡よりも土井の方だった。まさにあの時、土井は雑渡への想いを自覚したのだ。
順番が少し違っていたら、土井の自覚が先だったら、果たしてどうなっていたか。恐らく、土井は雑渡の誘いに乗らなかっただろう。誰にも何一つ気付かせず、胸の内で想いを飼い殺していたはずだ。
雑渡は意図してそれを暴いたのではない。偶然だ。
不運な男だ。
雑渡は口の端を上げる。
土井がもっと早くに気付いていれば、もしくはあの夜にあの場にいなければ、こんな事にならず済んだのに。
土井が離れる機会を、雑渡は充分に与えていた。なのに土井の逃げ方は中途半端で、手を伸ばせば戻ってくる。到底、雑渡の執着を切れるものではなかった。
だから、もういいだろう。彼を手に入れる為に動いても。
雑渡は筆を取った。いつもの通り、土井を呼び出すための文を書くために。
しかし、広げた紙に文字を記す前に、雑渡の動きが止まる。
気配が近付いてくるのを察知したからだ。
まるで隠す気もなく、むしろ雑渡に気付かせるような大きな足音。尊奈門のものだ。急いでここに向かって来ているのが、はっきりと分かる。
何かあったのかと雑渡が立ち上がり、入口に向かう。ほぼ同時に、先ほど出て行ったばかりの尊奈門が姿を現した。
「お休みのところ申し訳ありません!」
入ってきた尊奈門と、もう一人の男を見て、雑渡の足が止まる。
尊奈門の横には、土井半助がいた。