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    坊ちゃんとマッシュ。釣りをする二人。テオ戦後。

    #幻水小説

        ▽        ▽


     解放軍本拠地は湖の中心にそびえ立っている古城だ。岩壁をくり抜いて作られたらしい風貌は人が地盤から組んだ建築物とは異なり、どこか冷たい印象を抱かせる。実際、季節が冬へと移り変われば火を絶やせないほどに極寒の地に変貌する。何せ巨竜の屍が腐らずに鎮座している位だ──というのは解放軍に属するものしか知りようもないが。
     そんな寒々しくも感じられる湖城を背後に、水面をじっと見詰めている己の姿は異様な姿に映ることだろうが、幸い、周囲に人影はいない。
     もしかすると、護衛を兼ねている忍の誰かしらかが、人払いをしたのかも知れなかった。



    「ティア殿」
     会議を終え、部屋を出ようとしていたティアに声をかけてきたのは、傍にいることが多い解放軍の軍師だった。
     普段から会合の後に呼び止められ、詳しい戦況の話をするのも珍しいことではない。ごく普通に自然と足を止め、マッシュのほうへと歩み寄る。
    「ここで?それとも別室へ?」
    「すぐに終わりますので、こちらで」
    「分かった」
     フリックが一苦言ありそうな顔をしてティアを見詰めていたが、立ち去る周囲に合わせて足早に退室していった。あの顔が此方のやり方が気に入らないのではなく、心配してのことだと理解できていれば、何ともむず痒い気持ちにさせられた。
     フリックにとってティアはまだ、子供にしか見えないのだろう。
     その視線は、グレミオがいなくなってから尚のこと色濃くなったように思う。
     その気遣いを有難いと思うと同時に、だからこそ彼には頼れないとも認識していた。
    「マッシュ。用件は?」
    「ティア殿……釣りの経験は?」
    「……えっ?」
     唐突とも呼べる質問に、ティアは思考が硬直した。マッシュの台詞を反芻した後、口を開く。
    「釣り……と言うと、これ?」
     手にしていた長棍を縦に構え、何回か振ってみせた。
    「ええ、その通りです」
    「……友人と、少しだけ。ただ、あまり上手くはない」
    「経験があるなら問題ない。私といかがですか。五将軍を討ち取られた帝国側はしばらく帝都から動けますまい。それに、本日予定されている事柄はありません」
     この軍師がここまで勧めてくるのは珍しいというのが、ティアが最初に抱いた感想だった。
     マッシュは有事ではないときは本を読んでいるか、地形図を前に腕を組んでいるか、書類に目を通しているかだ。釣りが好きだという話も聞いたことがないし、実際に釣りに勤しんでいる姿も見たことがない。
     そもそも、娯楽に現を抜かせるほどに暇があるわけでもなく、マッシュと共にティアもまた、兵法書を読み込んだり陣形について話し合ったりしていた。
     そんな彼が、軍主に一時の暇潰しを勧めてくるとは思わなかった。興味がわかないはずがない。
    「お前の勧めとあれば……乗ろうじゃないか」
     数年ぶりだ、と呟いたティアの言葉に、マッシュは含み笑んだ。



     湖に面した桟橋まで歩くと、そこは珍しく誰もおらず、代わりと言わんばかりに釣り竿が二本置いてあった。マッシュ曰く、タイ・ホー達から事前に借りていたという。提案に乗ってくると予想されていたことに、ティアは苦笑した。
     桟橋に腰掛け、竿を大きく振りかぶってからどれくらい経過しただろう。水面を覗くと、肉眼で魚影を捉えられるくらいだというのに、一向に竿が引かれる感覚は来ない。
     提案したマッシュの釣りの腕は、敏腕の軍師と言えども苦手な分野もあるのだと知らしめられた。それをからかう気にならなかったのは、マッシュがこの気候に似付かわしくない表情をしていたからだった。まるで未だに戦場にいるかのように眉間に深く皺を刻んでいる。
     天まで透き通るくらいの青に点々と絵の具を垂らしたように雲が浮かんでいる。水面が僅かに揺れる程度の微風は心地良く、ティアの髪を、頬を、撫でていく。
     ここが大国に仇為す反乱組織の本拠地であることを忘れそうになるほどに。
     時間を忘れて過ごすなど、いつぶりだっただろう───そう考えて、ティアは思わず声に出していた。
    「こんな、呑気なことをしていても良いのだろうか」
    「戦争中だから娯楽は厳禁、などと言えば我が軍の兵士達は即刻逃げ出すでしょうな」
     そういうことを言いたいのではないのだけれど、とティアは言いかけた台詞を飲み込んだ。
     日々戦況が変わりゆく中で、藻掻くように前へと進んでいた。
     一端の反乱組織が軍隊と呼べる規模へと成長してからというもの、赤月帝国は怒濤の勢いで解放軍を攻め立てるようになった。休息を取る隙すらないまま戦争が続いていたのは、裏を返せばこの場を制するか否かで運命をも左右すると判断したからだろう。マッシュも同じ考えを持っていた。だからこそ無理を圧してでもティアは声を上げ、馬に乗り、武器を振るい続けた。
     一時はバルバロッサの右腕とも呼べるテオ・マクドールがトラン城を間近に捉えられるほどに苦戦を強いられたが、辛くも勝利を掴み取った。いつかは越えねばならない壁だと認識していたが、一騎打ちという形で武器を交えることになるとは予想だにしていなかった。
     明らかに生命を潰えるために放たれた攻撃の数々はどれも重く、ティアを少なからず損傷させ、疲弊させていた。テオを看取ってから、ティアが意識を失うまで然程時間はかからなかった。袈裟切りされた傷は身体を血で染め、誰が見ても重傷だと明らかだった。
     そんな死闘から、十日ばかり経過していた。数日間意識が朦朧としていたとほどに痛手を負ったというのに、十二分にかけられた水の紋章の治癒魔法で既に痛みすら感じられない。はっきりと刻まれている傷も、いつかは消え失せてしまうだろう。
     ふと、ティアの視界が暗くなる。然程大きくもない雲が太陽の姿を隠していた。風に煽られてゆったりと移動していく。水面も竿先も、動く気配すらない。爽やかなはずの風が、今のティアにとっては酷く居心地悪く感じられた。
     脳裏に、身近にいたはずの人々が過る。傍にいるのが当たり前だった大事な家族。
     緊迫した状況に身を置かれるほうが、いらぬ思考に足を取られずに済む。こうして糸を垂らしている間、勝手に飛び交う思考が酷く煩わしく感じられた。
     皮肉にも、有事に塗れていたほうが気が楽だった。それほどに、安寧とは程遠い生活になってしまっていた。
    「お前も僕も、魚に嫌われているらしいな」
    「全くです」
    「誘うくらいだ、さぞ釣りが上手かろうと思っていたのに」
    「私はあの子……オデッサにすら適わなかったですよ」
    「ふうん、彼女にはそんな一面もあったのか。戦争以外の話をする前に別れてしまったから知らなかった」
     名を出されて、凜と立つ彼女の姿が浮かぶ。活動的な姿を見ているからか、己と同じくぼうっと座っているマッシュよりも竿を振り獲物を釣り上げている姿が容易に想像できた。
     時間にして一週間。それが、ティアとオデッサが交流した期間だった。
     オデッサが抱く志は感じられたものの、相互理解があったとはお世辞にも言えない。しかし、ティアの中にははっきりと、彼女の意志が生きている。解放軍首魁として糧にしながらも、今は己の意志でこの地に立っている。
     微動だにしない竿を引くと、付けていたはずの餌は綺麗に取り去られていた。ため息をつきつつも、釣り針に餌を付ける。
    「話していたら、魚が逃げるか」
    「これほど食いつかないのなら、多少の会話をしても問題ないでしょう。どのみち夕食の一品が増えるとも思えませんし、釣れない言い訳にもなります」
    「とは言うけれど、何を話す?お前と僕が雑談など、したことがないだろう」
    「貴方の父親について、お話願えませんか」
     水面へと振りかぶった手が一瞬、止まる。
     一息ついてから一層大きく竿を振り、再び釣り糸を浮きごと遠くへ投げ落とした。
    「……テオ・マクドールに関する情報なら、十分提供したはずだが」
    「私が言っているのは五将軍ではなく、貴方の父親の話です」
     大隊規模だけではなく好んでいる武器、心を許す側近の存在、剣を振るう際の癖、得意とする兵法。
     テオ・マクドールのガルホース騎兵隊が本拠地へと迫っていることが判明してから、ティアは己が知る父親の情報を全て軍師へと伝えたつもりだった。身内の情報は巷で収集できる情報とは違い希少価値がある。マッシュはティアのとりとめのない言葉ですら、逐一書面に認め、夜も更ける中彼に対する対抗策を講じていた。
     百戦百勝という肩書きは伊達ではなく、調べれば調べるほど打ち所のない軍隊を壊滅させたのは、ごく短期間に発揮される圧倒的な火力で大隊ごと燃やし尽くすという惨憺たる作戦だった。
     巻き込まれる顔見知りや身内のことなどおくびにも出さず、火炎槍の使用許可を出したのは軍主自身だった。人道に反する手段に出ることを想定していなかったのか、大隊の過半数を死傷することになったテオ・マクドールは最終的に降伏を求めるよう促したが、一騎打ちをするよう進言され、ティアはその望みを叶えた。
     マッシュは再度、テオではなく父親と言った。言葉が含む意味を理解しているつもりだったが、マッシュに返す言葉が見付からない。
     握り締めている釣り竿は、普段常備している長棍とは重さも太さも異なる。魚が食らいつけば撓るほどに軽く、柔らかい素材でできていた。
     棍とは違う。それでも己の手のひらは父親の骨を断つ衝撃を忘れるにはまだ時間が足りていなかった。
    「無理にとは言いませんが」
     沈黙してしまっていたのを見かねたのか、マッシュは言葉を続けた。
    「いや、話すのが嫌なわけではないんだ。ただ……何から話せばいいのか分からない」
    「ならば、私から質問しても?」
     それが本当に他愛もない、場を持たせるような質問ばかりだった。父の話を聞きたいと言ったマッシュの真意は分かりかねたが、戦争が絡むことのないティアの記憶に残る麗しい父の姿を語るのは、酷く楽しいものだった。
    「──父さんは葡萄酒が好きだったよ。好きだと言っても、ビクトールのように浴びるように飲んだりはしなかったけどね。食卓を囲んでいるときも常識の範囲内で味わっていた。夜中にこっそりとワイン部屋に行って舌鼓を打っていたのだとグレミオから聞くまでは知らなかったよ。好きなら、僕の前でも浴びるように飲んでも良かっただろうに……それをしないのは、良い父親であろうと努めていたからだと思う」
    「ワイン、ですか。良い趣味をお持ちだったようで」
    「マッシュ。僕からも質問したい」
    「どうぞ」
    「どうして、父さんの話を聞こうと思った?」
    「理由は様々あるのですが……一番は興味、でしょうか」
    「興味?」
    「あれほどの功績を挙げ、慕われている人物。私にできるのは、彼の人となりを記憶しておくことくらいです。こんなご時世にお聞きするのはどうかとも思ったのですが……」
     マッシュはティアを一瞥し軽く息を漏らすと、水面へと視線を戻した。
     先程まで会話に花を咲かせていたのが嘘のように、軍主と軍師の間を取り持っていた言葉は無くなった。しかしそれは、居心地の悪いものではなく。
     マッシュ、お前に感謝したい。今も昔も、テオ・マクドールは僕の憧れだった。尊敬に値する人なのだ。父を知る人が一人でも多くいてほしい。
     隠れていたはずの太陽は既に姿を晒していた。
     己は今、どんな表情をしているのだろう。今ここで城の中へと戻ったら、果たして軍主として振る舞えるのだろうか。
     桟橋に波が当たる音がする。魚が跳ねたような、水が弾ける音だった。
    「……それにしても、本当に僕らは釣りが不得手だな」
     誤魔化すように竿を引いたティアの手の内には、すっかり食らいつくされた餌のない釣り針だけがあった。
     全くです、とマッシュが含み笑んだ。
     


        
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