捕まったのはどっち 閉館後のミュージアムで警備員をしているランマルには目下気になる人物がいる。その人物の名は世の中を賑わせている怪盗クレイジーファントムだ。
最初の出会い(というか出会えてすらなかったのだが)は、ランマルが警備担当の時に侵入されていたのに気づかず取り逃がしたことだ。翌日の新聞の一面で事の重大さを知り、そして怪盗の名前を知った。
二回目の出会いは最初に取り逃がしたのとは別のミュージアムだった。小さいミュージアムに送られてきた予告状を見て、そこの館長は厳重な警備を敷いた。その予告状をランマルも見せてもらったが、特徴的な丸い文字で書かれており、こいつはふざけてんのか?と思ったほどだ。
相手は一人に対してこちらにはネズミ一匹通さないほどの警備員が待ちかまえている。稀代の大怪盗もさすがに今日はお縄につくだろう。誰もがそう考えたが、そんな厳重な警備をさらっとかわして目当てのものを盗み出す鮮やかさはさすが大怪盗と呼ばれるだけはあった。ただこの怪盗は静かに忍び込んで静かに去るということができないらしく、派手に侵入してくるものだから警備の目がそちらへ向く。しかしそれさえも怪盗の手口だった。それに気づいたランマルは裏をかこうとしている怪盗を追った。手柄を独り占めしたいという気持ちもなくはなかったが、その面を拝んでやるという気持ちが勝っていた。
ようやく屋上まで追いつめて、ランマルは初めて怪盗と対峙した。
「あれぇ、君にはボクの幻影が効かないんだねぇ」
「もう逃げ場はないぞ。覚悟しな」
「ちっちっち。甘いなぁ。空はこんなに広いんだよ?」
そう言って怪盗は屋上の縁を飛び越え宙に消えた。
「はあ?! おいっ!!」
慌てて下をのぞき込むと、怪盗は華麗にグライダーを操り闇夜に消えていくところだった。
クレイジーファントム。いつかその仮面の下の顔を拝んでやる、とランマルは密かに決意した。
とはいえしがない警備員にやれることは限られている。予告状は突然届くものだからうまく警備に当たれるとも限らない。しかし個人で追うには難しすぎる相手だ。そこまでの力量はランマルにはない。八方塞がりだなと頭を抱えたが、警備に当たっているミュージアムの見取り図を再度詳細に確認するなど来るべきチャンスに備えることにした。
三度目は意外にも向こうからやってきた。
警備員の給料なんてものはたかがしれており、ランマルも例に漏れず安い集合住宅に住んでいる。疲れた身体に階段は堪えるが登らなければ自宅に帰れない。なんとかたどり着いた玄関の鍵を開けて電灯を付けた見知った部屋に、見知らぬ人物が立っているのを視界に入れた瞬間叫び出さなかった自分を誉めたい。
「おかえり、待ってたよ」
「は、え、おま、どこから」
見知らぬ、と言ったがそこにいた人物は今まさにランマルが出会いたかった人物だった。
「どこって玄関からかなぁ」
「鍵、かかってた……」
「やだなぁ、こんな鍵、ちょちょいのちょいで開けられちゃうよ」
「つーか、おまえ、なんでここに」
心臓がバクバクとうるさいが、それでも警備員として培ってきた度胸がランマルの口を開けさせた。
「君から取り返したいものがあってね。どうも部屋の中にはないみたいだから、君が持ち歩いているのかもって思って待っていたんだ」
そう言って怪盗は立ちすくんでいるランマルの方へ一歩ずつ歩み寄ってくる。力勝負では勝てそうなのに、丸い大きな目は意外にも眼光が強くて蛇に睨まれた蛙のように動けない。数歩という距離もランマルにとってかなり長い時間に感じた。
「どこに持っているのかなあ?」
ここ?それともここかな?と怪盗は手のひらでランマルの身体を首筋から下に向かって撫でるように探っていく。
「ふーん、鍛えているんだね」
胸から腹筋へと下がっていく手はやがて股間にたどりつく。
「おっ、君も結構大きいね」
「やめ、やめろっ! つーか、なに探してるか知らねぇけど、オレはなにも持ってねぇぞ」
「んー、いや君が持っているはずだよ。……あっ、みっけ」
股間を撫で回した手が横から後ろへ回り、ズボンに後ろポケットに潜り込んでくる。抱きつかれているような格好にランマルは自分の股間が熱くなるのを感じた。
ランマルよりいくらか低い頭はちょうど首筋あたりにあり、髪の毛がくすぐったい。それからいい匂いがする。香水かこいつ自身の匂いか。どちらにせよランマルを性的に興奮させるには十分だった。
怪盗の行動に固まっていたランマルだったが、ふと気づく。このままこいつを抱きしめれば捕まえられるのでは、と。そして気づかれる前にすばやく行動に移した。──はずだった。
やはりというかなんというか、そういう気配には敏感なのか、抱きしめようとした腕からするりと抜け出した怪盗はついっとランマルの目の前に腕を差し出してきた。
「くそっ」
「ボクを捕まえようなんて百年はやいよ。……ほら、これ、やっぱり君が拾ってくれていたんだね。お礼は言っておくよ」
その指先がつまんでいるのは、たしかにランマルが持っていたものだった。正確には怪盗と対峙したあの夜にあの屋上で拾ったものだ。怪盗を無様にも逃したあと、ひとしきり屋上で反省して立ち去ろうとしたとき、月の光に照らされたのか足元でキラリとなにかが光った。拾い上げてみればそれは薔薇を象った装飾品のようなものだった。普段なら警備中の拾得物として届け出るそれを持ち帰ったのは、それが怪盗に繋がる手がかりになるのではないかと第六感が告げたからだ。
その直感通り怪盗につながったはいいが、こんな再会とは思いもよらなかった。
「こんな小さいものでもどこから正体がバレるかわからないからね。君が持っていて良かった。ま、ちょっと怒られちゃったけど」
誰に怒られると言うのか。さっきもそうだ、オレの股間を触って誰とくらべやがった? こいつにはそういう相手がいるのか。そいつは誰だ。フツフツと怒りのような感情が腹の底から沸き上がってくるのをランマルは感じた。
「さて、怒られる前に帰らなきゃ。またどこかで会えるといいね、ランマルくん」
「っ?! ちょっ、おまっ……!」
怪盗の顔が近づき仮面越しに目があったと思うと、頬に柔らかななにかが触れた。それがなにかと気づく前に怪盗は優雅にも玄関から出ていった。
ばたん、とドアが閉じた音にハッと意識を取り戻して慌てて後を追いかけたがそこにはもう誰もいなかった。
なぜ俺の名前を、と思ったがそんなことを知るのは怪盗には朝飯前なのだろう。
それよりもランマルは自分の感情の変化に戸惑った。最初は警備員として怪盗のあいつを捕まえたい。それだけだったはずだ。しかし自宅での再会からこっち、考えるのは仮面を剥いだあいつを組み敷いてやりたいということだった。あんな触り方をされて、その気にならない方がどうかしていると、かなりの責任転嫁をする。どうにも手慣れているふうだったから、そういうほうにも長けているのだろう。それはそれでおもしろくない気がするが、それがなぜなのか深く考えはしなかった。
それからも何度か予告状の現場で怪盗と対峙した。やはりもう少しのところで逃げられてしまうのだが、それでも少しずつ怪盗に近づけているとランマルは手応えを感じていた。それがたとえあいつの罠だとしても臨むところだ。どうにしてあいつをこの腕のなかに捕らえたい。ランマルが考えるのはそれだけだった。
何度かそういうことを繰り返したある晩、ようやく幸運の女神がランマルに振り向いた。怪盗の隙を見てその腕を握りしめることができたのだ。
「いったーい! 警備員くん、ちからが強いよ~。もうちょっとゆるめてよ」
「んなことしたら逃げるだろ。逃がさねぇよ」
握った腕を引っ張り寄せその腰に腕を回す。思ったより細い腰に驚きつつ、もう片方の手でその顎を上に向かせた。焦っている顔が見れると思ったのに、その口元は余裕のある笑みを浮かべている。
「んだよ、いいのか? オレが捕まえちまっても」
「ん~それはいやだなぁ」
ランマルの意識は全て目の前の怪盗に向かっていた。だから後ろから現れた気配に気づくのが一瞬遅れてしまった。
「わりぃな、そいつはおれのなんだわ」
低く響く声とともに身体が後ろへ傾く。
「おまえも。わざと捕まりやがって。おれに怒られたいのか?」
「ボクのこと一生懸命追ってくれるから、ご褒美あげてもいいかな~って思って」
「はっ、ご褒美、ねぇ」
なんだ、こいつは。一瞬のうちに後ろ手を取られてしまった。焦ったランマルはふりほどこうとするが、びくともしない。
「ま、こいつにわからせてやるのもいいか」
その言葉を最後にランマルの意識は暗転した。