大好きな人がアメリカに来る。その通訳に俺が任命された。爺ちゃんから頼まれて、断る理由はなかった。ずっと憧れてた人。俺の高校時代にバスケで有名な山王工高のキャプテンだった一つ上の深津一成さん。バスケ好きの爺ちゃんのお陰で、俺も漏れなくバスケが好きだ。うちの爺ちゃんは、NBAの凄いプレーを見るよりは日本の高校生が切磋琢磨して頑張る姿が好きらしい。俺は爺ちゃんの娘である俺の母親とアメリカ人の父親の間にできた子だから、基本的にはアメリカに住んでるけど、爺ちゃんの影響と俺自身バスケをやってる事もあって、日本の高校生のプレーを見るのは好きだった。その中でも唯一、プレーは勿論、見た目もドストライクな人がいた。それが深津さんだ。俺はゲイかというとそうではない。好きな子はずっと女の子だった。深津さんは好きという言葉で表現していいのか分からない。最初から手の届かない人で、雲の上の存在。アイドルとかスーパースターを好きになるのと同じ。ファンや推しみたいな、そういう漠然とした感じの好きだった。会えるなんて思ってなかったし、せいぜい試合を見に行って出待ちして、姿が見れたら超ラッキー。話しかけて手を振ってくれたら大喜び。サインをもらえたら昇天するくらいの存在だ。深津さんを初めて見た時は、プレーじゃなく深津さん自身に惹かれた、目を奪われた、釘付けになった。どの言葉もしっくりくるし、当て嵌まる。それからはもう、虜だ。爺ちゃんもどうやらタイプは同じらしい。高校を卒業しても追いかけて、深津さんが大学に入ってすぐに、卒業したらうちの実業団にと既に声をかけていた。気に入ったら行動が早い。条件もあるが良い選手は早い者勝ちだ。アプローチするのは当然。その甲斐あってか、深津さんは爺ちゃんの会社を選んでくれた。深津さんのプレーを間近で見れるようになった俺は、もっと深津さんに心酔していった。一つ上なのになぜかすごく色気があって、でもどこかほっとけない雰囲気も醸し出していて、それがまた堪らない。深津さんのアメリカ行きの話が出て通訳を任された時は、そんなに長くない人生だけど、生きてきて一番喜んだ瞬間だった。こんな事があるなんて。爺ちゃんがお偉いさんでよかった。爺ちゃんの孫でよかった。俺は深津さんとは面識がない。ただ俺が一方的に心酔してるだけ。だから、深津さんの語尾がピョンというのも爺ちゃんから聞いた。深津さんは高校の時は誰にでもピョンを使ってたみたいだけど、今は限られた人の前だけ。話してるのを想像しただけで可愛い。爺ちゃんもそれを気に入ってて、爺ちゃんに対しては敬語禁止で語尾にちゃんとピョンをつけるように強制した。おかげでアメリカに来ても沢北と話す時はずっとこの話し方だ。非常に可愛い。残念ながら俺と初めて話した時は敬語だった。そりゃそうだろうと思ったけど、物凄く他人っぽくて、沢北との差をはっきりと認識させられて、かなり凹んだ。でも、俺の年齢が一つ下だと分かると、少し喋りやすくなったのか、軽い敬語で話してくれるようになった。だから、親しくなれば誰にでもピョンになると、最初の頃は思っていた。でもそれは間違いだった。ある程度時が経っても、俺や他のスタッフやプレーヤーには同じ喋り方で、沢北にだけピョンがついていた。喋りだけじゃない。見てると、深津さんの沢北に対する態度は他とは全然違っていた。どうやら二人は恋人同士らしい。俺はこの二人のイチャイチャを見ながら働かなくてはならなかった。爺ちゃんに文句を言うと「深津君が好きな子と一緒にいるんだからイチャイチャしててもいいじゃないか。それより普段見せない可愛い深津君の話を聞かせろ」と返ってきた。なるほど、そういう考え方か。俺も決して深津さんの幸せを奪おうとは思わない。何より俺も深津さんと話せるという、かなり大きいメリットがある。確かに沢北の前でだけ見せる深津さんの可愛い態度は沢北がいないと見る事ができない。だから、イチャイチャも我慢だ。爺ちゃんからはこっちの深津さんを逐一報告する命令が出された。イコール、深津さんを頭のてっぺんから足の先まで観察していいという事だ。別にエロい目で見ているわけではない。これは命令だ。深津さんが沢北の恋人であろうとも、日々深津さんの全部が見れて、俺は幸せだった。なのに、その深津さんが一年を過ぎてからどんどん弱っていった。ずっと遠距離をしてて、やっと恋人と近くにいれるようになったのに、何故か深津さんは弱っていった。ただ、周りはそれに気づいていない。俺の仕事は通訳だから、他の奴らのことを考えなくていい。日々深津さんだけを見つめていられる。だから俺は深津さんの小さな変化に気づけたんだろう。深津さんは一番に沢北のことを気にしている。沢北には絶対に気づかれないように、深津さんの意識は沢北に向けられている。それがなんとも歯がゆかった。沢北は深津さんが悩んでいることなんて露ほども知らず、のうのうと過ごしている。沢北は見た目もバスケの才能も元から人よりは持っていて、そこらの人間とは根本的に考え方が違う。それは素晴らしい事で、俺たち凡人には到底できない努力だったり精神力だったりする。でも、だからこそ気づかないんだろう。人がどう悩み、どう弱っていくかを。人は脆い。特に、一度大勢の他者から心ない言葉を浴びせられた人間は、なかなかその恐怖から脱出することはできない。深津さんはそれを経験している。俺は深津さんが湘北の試合の後、世間からどんな罵声を浴びせられたかを、爺ちゃんから散々聞かされて知っている。多分、近い人間にすらいろいろ言われてきたと思う。それは、さっさとこっちに来た沢北には一生理解できないのかもしれない。だから、深津さんがこんなにも苦しんでるのに気づけない。深津さんを見てるのが辛い。これなら日本に帰した方がいいんじゃないか。報告義務があるから、爺ちゃんには何度もそう話した。でも、社会ってのはそう上手くは動かない。契約に縛られて、どうすることもできない。深津さんが話さないから、俺から他の人に話すこともできない。弱っていく深津さんを見ながらずっとモヤモヤした想いで日々過ごしていた。そんな時に現れたのがGMだった。上に立つ人間はさすがに人を見る目がある。かなり久々に顔を出したと思ったら、深津さんを見てすぐに顔がこわばった。その後すぐに俺を見た。爺ちゃんの事も頭に入ったらしい。もしかしたら、日本に戻されるかもと思ったのかもしれない。それは今の深津さんの仕事ぶりを見てると多分都合が悪い。深津さんの存在はそれくらい今のチームに影響している。一瞬で全てを把握して、でもその場は普通にやり過ごし、どうやら後で、深津さんの事でミーティングをやったみたいだ。その話は俺にまで回ってきた。深津さんが弱ってることを隠す気はないようだ。多分俺も共犯にしたいらしい。でもそれでいい。俺が深津さんの為に役に立つなら。それからは、深津さんのスケジュールが管理されるようになった。まずは食事と睡眠の改善だった。深津さんが弱った原因。それは多分、沢北だろう。俺がそう思うんだから、GMはもっといろいろと確信があるはずだ。案の定、それからは不自然にならない程度に深津さんが沢北と距離を置けるようなスケジュールが組まれた。でも結局、根本的な解決には至っていない。だから、先にGMが動いた。爺ちゃんから連絡が入って、それが分かった。どうやら、深津さんを沢北から離すらしい。そうなると俺は深津さんといれなくなる。でもそれでいい。それがいい。今の深津さんは辛そうで見ていられない。でも俺は深津さんよりも年下で深津さんの為に何かできるとは思わないし、できる力もない。それができるのは、地位も名誉もお金も持ってる経験豊富な人間だ。爺ちゃんやGMがそれに値する。この人達がきっとどうにかしてくれる。いや、してくれないと困る。なんでもいい、どんな手段を使ってもいい。元の深津さんに戻るなら。
だから、だから、早く、深津さんを救ってくれ。