鶴月SS 凍てつく小樽の真夜中、偶然かのように兵舎の踊り場で落ち合った二つの影を冷え冷えとした月明かりが伸ばしていた。月島が懐から取り出した文書を受け取り、鶴見はざっと一枚目に目を通すとすぐにコクリと頷いた。身を翻して歩き始めた鶴見のすぐ後ろを月島はついて行く。
「全ては手筈通りか?」
鶴見は前を向いたままヒソヒソ声で口髭を震わす。月島も同じく、辛うじて鶴見の耳に届く声音で話した。
「はい。吉田大尉は酔って電車に轢かれたという知らせが明朝通達されます。この文書の紛失は差し替えた偽文書によってあやふやになることでしょう。隊内で確認したが意味が分からなかったため廃棄した……中央はそんな報告を受けることになるかと」
二人とも真っ直ぐな背筋で廊下を闊歩しているのに、全くと言っていいほど足音がしない。窓枠に雪が降り積もる音の方がまだ聞こえるほどだった。やがて辿り着いた鶴見の執務室に月島が招き入れられて、橙色の灯りを抱えたガスストーブからの熱が暖かく、優しく、月島の平たい頬を撫でる。暗闇に慣れてしまっていた瞳を瞬かせながら、月島は少し息をついた。そんな月島を眺め回すように鶴見が周りをゆっくりと歩く。
「ご苦労だった。今回もお前に任せて本当に良かった……吉田大尉は“良い性格”の人間だったろう。彼を骨ごと砕きたいと願う人は少なくないと聞いている。不幸にもその人々の願いを横取りしてしまった」
「はぁ、その……そうですね」
何かを言いかけて止めた月島だったが鶴見の視線が「言いなさい」と命じていた。月島は後ろで組んだ手をギュッと握って言い捨てる。
「奴が男色家だとご存知でしたか?」
「何、本当か? それで何かあったか?」
「いえ、何も」
「それでも奴の性癖を知る機会はあったんだな? お前は可愛いからなぁ……なんだ、そうと知っていれば……」
鶴見は目を細め愉快げな表情を作ったものの、すぐに溜息とともにそれを引っ込めた。
「……いや、下らん茶番は止めよう。ああ、本当は知っていたよ。ただ……」鶴見が立ち止まり、すぐ傍らの部下を見下ろした。月島はコロリと無造作に放られたかのような佇まいで、じっと真黒い瞳を鶴見に向けている。仮にその辺の人が押したとてピクリとも動くことはないだろう。しかし、鶴見がその先にいるのであれば何を差し出してでもきっと来る。そんな屈強でありながらも、危なっかしい男に囁きかけた。「それを事前に知らされたお前が何か“ソレ用”に策を講じるやもと思うと……嫌だった」
「そ、んな……私は……」
言葉を詰まらせる月島の肩に鶴見が手を置く。そして、引き寄せた月島に覆いかぶさるように小さな唇に自分のを落とした。
慎重に月島の唇の形を確かめる動きに月島は居心地の悪さと、抗えない甘い痺れを感じていた。このような接吻は苦手であった。自分が大切に扱われているようで、愛されているようで、酷く虚しい気持ちになる。
優しい接吻も重ねるごとに湿り気を帯びてゆく。寂しさや疑念をボヤかして熱だけが主導権を得る。本当に欲しいものは霞んで、肉体の欲がままに舌を伸ばして、互いを絡め合った。
鶴見は月島の軍衣の中に手を入れ、その背中をまさぐりながら「私は欲が深過ぎるのだろうな、月島」とポツリと溢した。
「貴方は強欲でなければ困ります」
月島が瞳を伏せてそう言い、両手で恭しく鶴見の手を取って自身の下腹部に導いた。
「貴方は私を腹の中まで抉ったでしょう。何度でも暴けばいい。ここに触れるのは貴方だけです、鶴見中尉殿」
だから、優しくしないでください、そう月島が言うと鶴見は添えられた傷痕に爪を立てた。痛みがビリビリと月島の全身を粟立たせる。
「優しくなんかしていない」
これまでも、今も。苦痛を与えたいなどは一切思わない。ただ、これだけ傷を付けて生半可な優しさを与えても、それはむしろ不誠実なのではないだろうか。
「でも」と鶴見はグッと悩ましげな声音を出す。「俺は強欲だから、お前が俺にだけ見せる顔が欲しい。自制心を失って淫れるお前の顔を……」
そうしてスルリと軍袴に侵入してきた手に、月島の吐息が震えた。
「その為に私に快楽を与えるのですか。成るほど、意地悪ですね」
「丹念に可愛がったほうがお前の具合もずっといいしなぁ」
サッと顔を赤らめた月島が鶴見を鋭く睨む。ああ、やはりこの男の表情を崩すのは極上の愉しみだ。もっと、蕩けた、締まりのない顔にしてやらねば。腕に抱いた体はまだ暖まりきっていない。熱を分け与えるように、張りのある濃艶な肌へ喰らいついた。