海デート少し汗ばむ夏の季節。
思わず木陰に逃げ込んだ先で、一緒に外を歩いていたヴォックスが声をかけた。
「シュウ。今度の休暇に一緒に海へでかけないか?爽やかな風を感じながら、冷たいジュースを飲んだり、浜辺で水遊びもいいだろう」
その言葉に、思わず海辺での光景を頭に思い浮かべた。
大きな海原から吹き抜ける、潮の香りがする風に、子供の頃に戻ったように波打ち際で遊ぶ自分の姿。海の家にはどんなものが売っているだろうか。かき氷?アイス?それとも、おしゃれなカフェが並んでいたりするのだろうか。そんなことを想像していたら、目の前にスマホの画面が差し出された。
「気になるか?ここに行きたいと思っているんだが、どうだ?」
同じように木陰に入ってきたヴォックスは、そのまま画面と一緒に身を寄せてきた。汗ばんだ肌から香る彼のほのかな匂いに、ドキリと胸が高鳴った。
「…シュウ?」
「え?あ、うん!綺麗なビーチだね!」
その場しのぎの返事をすると、無言で見つめてくるヴォックスに、今度は別の意味で胸がドキリと音を立てた。
「…それは、一緒に行ってくれるという意味合いか?」
綺麗な顔が、少し拗ねた表情を作る。眉尻を下げた表情をしてこちらの様子をうかがっているが、自分の望む答えを手に入れられるという自信に溢れている気迫がある。
その気迫に押し負かされて、思わず視線をずらした。
画面に映る、晴れ空のビーチと涼むモデルの写真。おしゃれなカフェメニューや、小綺麗に飾り付けられた装飾の写真が並んでいる。こんな場所で誰かと思い出を作れたら、きっと楽しいだろうな。そう思って、視線を戻す。
「うん、そう。一緒に行こう!…後は誰を誘うの?」
「うん?ふむ…、私はデートに誘っているつもりだったんだが?」
「っへ…??」
空気が抜けるような声を漏らして驚き、デートの誘いだということに改めて気づいたシュウは顔を赤めた。
それを見てヴォックスは目を細めて笑う。
うつむいたシュウが静かに頷いて、小さな声で、「行く…」と返事をしたのを見て、ヴォックスは「かわいい奴め」と、その頭をなでた。
約束の日になって訪れた海辺は、遠くからでも分かるほど、たくさんの人混みで賑わっていた。
先に浜辺に行って場所取りをしておくから、冷たいものを買ってきてとヴォックスに頼まれ、シュウは海沿いにならぶ店へと並んで飲み物と、両手にアイスを抱えて彼を探した。
打ち寄せる波の音とにぎわう人々の声に混じり、頭上からクァクァと元気なカモメの鳴き声がする。
「あ~、またアイツ来た!うわー!!」
すぐ近くでポテトフライを食べていた人が、空から滑空してきたカモメにいくつか食べ物を盗まれた。鳥が食べ物を盗む様子を面白がる周りの人は、驚きと笑い声を上げる。どうやら、ここのカモメたちは人馴れしていて、盗みの常習犯らしい。
そんな騒ぎを横目に見ていると、遠くから自分の名を呼ぶ声が聞こえた。ヴォックスが場所取りを終え、シートの上で大きく手を振っていた。
「飲み物とアイスを買ってきたよ!ヴォックスのはイチゴだよ!」
差し出された食べ物を目の前に、ヴォックスは嬉しそうに微笑んだ。
ヴォックスのために持ってきたアイスは、サマーバカンスを楽しむのに最適な、おしゃれなお花や、おもちゃのようなかわいいチョコのトッピングがあしらわれている。もう片方のシュウの手には、南国のフルーツがたくさんのっていて、華やかだ。何より、大胆に半分にカットされた皮付きのバナナが、シュウをイメージしているようで面白い。
「んへへ、僕のはバナナが乗ってるやつだよ!バナナのシャツ着てるからって、オススメされちゃった」
少し恥ずかしそうに笑ったシュウからアイスを受け取ると、隣に座った彼の肩を引き寄せて、ヴォックスは自分たちにカメラを向けた。
「記念に写真を撮ろう。可愛らしいお前と最高のデザートを残しておきたい。さあ、笑って」
急な密着にドキリと胸が高鳴った。触れ合った場所から伝わる彼の熱に、夏の暑さなど、忘れてしまいそうになる。緊張しながらも、手に持ったアイスをかかげて笑うと、クァクァとカモメが鳴く中、ピントをあわせるカメラの音がした。
―――バサッ!
シャッター音と共に、何かが顔の横を吹き抜けていった。
驚いて呆然としていると、ヴォックスがこちらを見て吹き出した。
「っは!!っはっはっは、シュウ、お前…!」
「え、な、何っ!?」
ヴォックスの差し出す画面の写真を見ると、ポーズをキメて笑う二人の隅に、黄色い何かを掴んだ鳥の足が写っている。とっさに持っていたアイスを見ると、乗っていたはずのバナナがなくなっていた。盗られたのだ。頭上で鳴いていたカモメに。
「ああああ~!!僕のバナナが~~~!!!!」
楽しみにしていたバナナを盗られて落ち込んでいると、ヴォックスがスプーンにイチゴを乗せて差し出した。
「ほら、私のを食べるといい」
「でも…」
すぐ目の前で、ヴォックスが微笑む。ニコリと微笑んで見つめてくる様子に押され、それを口にすると、シャクッと冷たいイチゴの食感と甘酸っぱさが口の中に広がった。シュウの食べた後の空のスプーンで、ヴォックスもアイスを口にして満足そうに目を細めた。
「ああ、思った以上に美味いじゃないか。どうしてだろうな、お前が食べた後だからかな。ふふ」
「へぁっ!?」
空になったスプーンを、ヴォックスは”意味ありげ”にやらしく舐めて見せつけた。突然のいかがわしいしぐさに、頭が混乱して変な声を出してしまう。いったいこの男は何をやっているんだ。こんな人の多い所で、こんな行動をするなんて、変態だ。
カモメにバナナを盗られたショックなど、すっかり忘れてしまって、夏の日光ですらも負けてしまいそうな熱い視線を向けてくるヴォックスに背を向ける。ああ、冷静になりたい。
シャクっと音をたててフルーツやアイスを一人で食べ進めているとヴォックスが、肩に頭をたれかけてきた。
「何だ。気に入らなかったのか?そんなに急いで食べて、美味いのか?一口くれ」
「んぅ…。変な食べ方しないでよ?」
「ああ、約束しよう」
小さくカットされたフルーツとアイスをスプーンにのせて、ヴォックスの口元に差し出す。それをニコリと笑って口にすると、ヴォックスは満足そうに目を細めた。
「ああ、美味い。お前がくれるものは、いつも特別だ」
「う、う、どうして、そう……!」
太陽の光を浴びて、煌めく黄金の瞳が自分を見つめてくる。その美しい風貌に微笑まれて、正気を保てなくなりそうになるのを、この男は知っている。返事に困るような甘い言葉も、いかがわしいしぐさも、まるで計算しているかのように惑わせてくるこの男は、隠している心の中まで入ってきそうで、恐ろしい。
無意識に指で唇をなぞった動作を見て、ヴォックスが小さな声で囁いた。
”間接キスだったな…♡”
気にしていたことを当てられ、かぁっと体に熱が走った。その憎たらしい口を塞いでやろうと思ったが、避けられたので、近くの砂を掴んで投げつける。
「ヴォックス!!もう!!…余計なこと言わないでよ!!」
「うわっ!ぺ、ぺ、ぺ!…おい、口に砂が入っただろうが!?」
ぎゃあぎゃあと言い合いをしていると、いつの間にかそばにきていた二人組の女の子に声をかけられた。
「ハロー。ねぇ、楽しんでる?よかったら、私達も混ぜてほしいな~」
挨拶を返したヴォックスの視線が、女の子の体へと向かう。その様子に、胸がざわついて、言葉が詰まってしまった。
「あ、えっと…」
どうしようかとたじろいでいると、ヴォックスは目の前の二人に、歓迎するような手の動作をした。
「可愛らしいレディーたちに誘われて嬉しいよ。こんな素敵な場所で出会えて思い出になれたらと思っているんだが、生憎、誰かさんが私に砂をかけてね。これじゃあイケメンの私も、台無しだ。私達は海へ洗いに行かなければならないようだ。君たちに、もっと素敵な出会いが作れるよう、幸運を祈るよ」
つらつらと、歓迎しているようで、上手に断りの言葉をかける。その慣れた言い方に関心していると、ヴォックスは女の子たちに別れを告げて、シュウの手を引いて海へと駆け込んだ。
「ヴォ、ヴォックス。ごめんね。ありがとう」
「うん?何を気にしているんだ?」
エメラルドグリーンの美しい海水に足をつけて、ヴォックスは揺れる波を楽しんでいる。
「シュウ、もう少し深い所まで行こう。泳げるか?私の体につかまっていてもいいのだぞ?」
「む、その目。僕が、”泳げない”って決めつけてるでしょ!」
ヴォックスは意地悪に微笑むと、ぐいぐいと手を引っ張って、腰上までつかる深い場所へとシュウを引っ張っていった。そしてそのまま、自分の方へと強く引き寄せた。
「わぁっ!?」
揺れる波に足をすくわれて、ヴォックスの胸の中へとシュウは飛び込んだ。
受け止めたヴォックスはバランスを崩し、シュウを抱きかかえたまま倒れ込み海に体を浮かせた。
ゆらゆらと、ゆりかごのように揺らされる体に、ドキドキと胸を高鳴らせながらもどこか心が落ち着くような気がした。
「お前と、二人きりになりたかったんだ」
ぎゅっと抱きしめてくるヴォックスは、穏やかな声音で話し、見つめてきた。
「人気の場所なら誘いやすいから良いかと思ったが、少し騒がしすぎたな。今度はプライベートビーチを借りて楽しまないか?たくさんの楽しい写真を撮ろう。遊んだ後は夕日を見ながらバーベキューをして、暗くなったら花火をするんだ。そして夜の砂浜に寝転がって、星を見ながら語り合おう」
彼の体に身を預けながら、その光景を想像した。ああ、なんて夢みたいなんだろう。
「すごく…ロマンティックだ。でも、今から借りれるかな?」
「借りてみせるさ、”二人のために”。そしたら夜の帳に隠れて、”楽しい事の続き”を致そうじゃないか」
「んぇぇ!?」
妙な言い回しに、ヴォックスが言葉遊びをしているのが分かった。彼の言う、暗闇に隠れてする”楽しい事”ということは、自分が思っている事と同じなのだろうか。
「で、でも、外だと誰かに見られちゃうかもしれないし…?」
「なに、気にすることはない。私がお前を”覆いかぶせれば”、いいだけの話だ」
ドク、ドク、と、心臓が激しく鳴った。
ありもしない考えがとまらなくなる。
「お前から何かを盗んでいくのも、お前の肌を赤くさせるのも、私であっても、いいだろう?」
「あ…、あ……、あう…ぅっ…♡」
あまりの興奮に、言葉を発する事ができなくなってしまった。しがみついた彼の体と頭上から伝わる、艶めかしい誘いの声に、今日の思い出が一瞬にして思い浮かぶ。
カモメは食べ物を盗んだが、彼は一体何を自分から盗もうとしているのか?
強い日差しに肌を焼かれ肌を赤くしてしまったが、彼は太陽に代わりにどのように自分を赤くさせるというのか?
脳内に、じわりじわりと、染み込んでいく彼の言葉に、甘い痺れが体中にほとばしった。
もう何も考える事などできない。
目の前の男に手を回し、ひどく魅力的に映るその金の瞳を見つめて、ゆっくりとうなづいた。
そのとろけたような甘い視線を向けながら返事を返したシュウを見て、ヴォックスは興奮して息を漏らす。
「あぁ…♡約束だぞ、シュウ。二人で楽しい時間を過ごそうな…♡」