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    Thanatos_wisper

    @Thanatos_wisper

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    Thanatos_wisper

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    山に住む鬼の❤️と迷い込んだ💜が生活を始める話
    古い時代 かきかけ 後々R-18を含む話です

    [簡単な設定]
    💜クソガキ 呪術師見習い
    秀才と甘やかされて育ったため、それを素直に認めない大人に不満を抱いている
    食べることが唯一の楽しみ

    ❤️龍脈から記憶を読む鬼
    山の守り人のような事をしている
    人間に興味がある

    #voxshu

    <仮>―呪術師同士の戦いで親方様が亡くなってしまった。このままでは自分も殺られてしまう。恐ろしい。恐ろしい!死してなお、自由を奪われ隷属させられるなど御免だ。遠くへ、もっと遠くへ、逃げなければ…!

    形見の数珠を手に、一人の青年が草木をかき分けて駆けていく。薄暗い月明かりの下、やがて崖のふちへと追いやられる。木々の合間から白い二頭の狐が、唸り声を出しながら姿を現した。式神だ。青年は死を覚悟した。

    捕まって死んでしまうくらいなら、いっそのこと、自分で死んだ方がましだ。こちらへ走り出した狐へ背を向けて崖から飛び降りる。ああ、死ぬ前にもっと普通に生きたかった。幼い頃に才能を認められ、名だたる呪術師と言われる男の下へ奉公するよう家から出された。それからはずっと雑用ばかり任されて、無愛想なあの老人とは師弟の関係すら結べなかった。人生とはこんなにつまらないものなのか。もっと自由に生きれたら、鳥のようにどこまでも飛んでいって、まだ知らない世の中を見れたのに。

    その時だった。手に持っていた数珠が黒光りし、青年の体が鳥の形になった。

    (なぜこんな力が!?信じられない…!僕は今、鳥に変化しているのか!?)

    苦しくなるほどの喉の乾きも、刺さるような体の痛みも全て忘れて、ひたすらに羽ばたいた。こんなに高い所から地を見下ろした事もない。目下に見える小さな世界は、まるで絵物語のようだ。それに風に身を任すのがこんなにも気持ちがいいなんて。青年は追われていたことなど忘れて、意識が続く限りどこまでも飛び続けた。



    日が昇った後、彼は古びた家の中で目を覚ました。家の中には誰もおらず、少しの家具と簡素な道具がちらばっている。耳を澄ますと外から薪を割る音が聞こえてきた。

    (ここはどこだろう。どなたか親切な方が助けてくださったのだろうか。ぜひお礼をしないと…。)

    昨夜、無茶をしすぎたせいだろうか、軋む体の痛みを堪え家の周りへと出る。音のする方へ歩いていくと、赤い着物を着た人物が斧を振り下ろしていた。

    ―カツン。
    「あ、あの…助けて頂きありがとうございます」

    斧を片手に、目の前の人物が振り返る。長い髪を無造作に伸ばした、美しい男だ。しかし異変に気づき即座に身が凍りついた。額に大きな赤い角が二つ生えている。鬼だ。遠目でも分かる金色の瞳と目が合うと、一気に恐怖に支配された。

    (ど、どうして…全く気づけなかった。)

    斧を持ったままの鬼が近づいてくる。青年は再び死を覚悟した。つかの間の自由だった。空を自由に飛んだ記憶が走馬灯のように蘇る。

    「お前、人身御供か?」

    鬼から出た声に驚いてしまう。意識を奪う、心地よい低音。子供の頃に母に抱かれ、心臓の音を聞いた時のような聞き心地の良い声だ。呆気にとられていると、目の前の鬼は顔をしかめて腕を組んだ。その仕草に我に返る。

    「いえ、その、何といったらいいのでしょうか…。そのようなものではございません」
    「では何だ」
    「ええと、少し事情がありまして、とあるお方に…仕えていたのですが…げほっ…!」

    ひりつく喉に声がかすれ、大きく咳き込んでしまう。体中に突き刺ささる痛みに地面に倒れ、意識がもうろうとなる。それを見た鬼は小さなため息をつくと、斧を片付け青年を肩に乗せ家へと連れ込んだ。


    鬼は青年を布団へ下ろすと、水を入れた湯呑を目の前に差し出した。

    「飲め、喋れるのなら話を続けろ」
    「あ、ありがとう…ございます…」

    水が澄んでいるのか、飲み込むと体に染み渡るような感覚がした。少し離れた所に腰を下ろして見つめてくる鬼の視線が痛い。すこしばかり休憩を取ると、話の続きをすることに決めた。この鬼の前では呪術師であることは言わないほうがよいだろう。

    「僕はシュウと申します。とある場所でお偉い様に仕えており、雑務や身の回りのお世話をさせてもらい生活していました。ですが昨夜、派閥争いが起こり、仕えていた方も亡くなり、死が怖くなって命からがら逃げてきたのです。恐れ多いのですが…無我夢中だったので、ここがどこなのか存じません。僕がここに踏み込んでしまったことをどうかお許しいただきたく存じます」

    話し終わると沈黙が訪れた。目の前の鬼は無表情のまま腕を組んで見つめている。格の高い生き物は嘘を見抜けると聞く。嘘をついている部分はないが、あえて言わなかった事を見抜いているのだろう。

    「そうか。しばらくここに居ろ。家の周りより遠くへは行くな、死にたくなければな」
    「は、はい…!」

    鬼はそう言うと、薪をいくつか持ってきて囲炉裏に火を付けた。

    「家にあるものは自由に使うがいい。ただし私の刀には、触れるな。お前の食べるものを持ってきてやる」

    鬼はそう言うと、外へと出ていった。あらためて家の中を見渡してみると質素な古びた家だ。家の半分が土間で、残り半分が小上がりになった畳になっている。物は少なく、1人または2人で暮らすのがやっとな所だ。

    緊張の糸が解けたのか、シュウはどっと布団に倒れ込んだ。天井を見上げると、古びた藁が目に映った。…あの鬼は、悪い鬼ではないようだ。かといって、安心できる相手ではない。鬼とは本来、邪気を身にまとった恐ろしい生き物である。人の恐怖を糧に、人を襲い、人を喰う。しかし先程の鬼からは、そのようなものは感じ取れなかった。時折、人と共存する物の怪がいるように、あの鬼もその一例なのだろうか。手に持った数珠が擦れ、シュウはそれに気づいた。いつの間にか肌見放さず握っていたそれは、溜め込まれていた呪力を使い切ったのか鈍い色をしている。おそらく逃げるときに力を使い切ってしまったのだろう。いつも面倒事ばかり押し付けてくる親方様も、最後ばかりは気を利かせてくれたのだと、少し感傷的になった。

    ほどなくして大きな果実を手に、鬼が帰ってきた。一気に緊張が走る。しかし体は正直で、甘い香りに腹がぐーぐーとなるので、手に取った果実をかじると、一気に食べてしまった。その様子を眺めていた鬼はふっと笑うと、少し遠くへ座り込んだ。

    「お前、私の話し相手になれ」
    「え、ええ。そういたしましょう。それで、何をお話しましょうか…」
    「お前の住んでいたところと、そこに住んでいる人の様子を知りたい」

    この鬼は人間に興味があるのだろうか?シュウは疑問に思いつつも、聞かれたことについて語った。都に住んでいて、生まれた所より発展していたこと、屋敷に住む人々の話、使いの先で知り合った人々や、外からくる行商人のこと、騒ぎを立てる悪人の集まりがあること、語りだすと、1日では語りきれない。シュウは一呼吸おくと、もじもじと声をかけた。

    「ところで、あの、厠はどこに…」
    「ない、その辺で済ますといい」

    その返答にシュウは衝撃を受けた。厠以外でするなんて、そんな無防備な事今更できるだろうか。頭を抱えて悩んでいると、その反応が面白かったのか鬼は声を上げて笑った。

    「そんなに困ることか?」
    「困ります!!」

    しかし迫りくる尿意に仕方なく家をでると、近くの茂みで用を済ますことにした。見渡せば周りは木々と背の高い草ばかりだ。斜面になっている所が多く、おそらく山のどこかにあるのだろう。人気はもちろんなく、暗がりから妙な気配を感じて恐ろしい。家の周りより遠くへ行くなと言われていたのは、このことだったのだろうか。このまま逃げようにも、今の状態ではきっと無理だ。それにどこへ向かって行けばいいのかもわからない。

    渋々と家に戻ると、鬼は鍋で何かを煮ていた。覗いてみるとどうやらわらびを煮ているようだった。ふつふつと煮えるそれを横目に、シュウはそろりと元の場所へ戻った。鬼の額から生える禍々しい赤い角以外は、普通の人間そのものだ。獣の様に襲い来るわけではなく理性的で、人間のように生活している。何より、自分のような者を理由もなく助けているのが不思議だった。

    「あの…なんとお呼びしたら…?」
    「ヴォックス」
    「ボ…?」
    「言うのが難しいなら好きなように呼ぶがいい」

    鬼さま?旦那様?主さま?いや、これは少々違うな…。うんうん唸っていると、鬼は鍋のわらびをかき回した。鬼が料理をしている所を見れるなんて、生まれてこの方、初めてだ。もし、いつも通りの日常に戻れたなら、真っ先にこの体験を人々に語っていただろうに。屋敷で働いていた男たちや女たち、そしてその小さな子どもたちにこの事を語れたら、楽しかっただろうに。彼らは今、生き延びたのだろうか。またどこかで出会えたら、そんな事を考えているとしんみりとした気持ちになってきてしまった。

    「食え」

    目の前に茹で上がったわらびが差し出される。鬼の顔とそれを交互に見つめ、お礼を言って受け取ると口に運んだ。ただ、わらびを茹でただけのものだった。アク抜きをしていない山菜ならではの苦味と渋みの残るそれに口が止まる。

    「どうしてその様な顔をする?違うのか?」

    シュウはその一瞬で悟った。この鬼は、料理はできてもメシマズなのである。

    「せ、せめて塩を……」
    「塩?なんだそれは?」

    体に雷が落ちたような衝撃を受ける。塩を知らない?鬼は味付けをしないのか?そもそも鬼って料理をする生き物なのか?この先、この鬼の料理したものを差し出されたら、どんな味でも嬉しそうに食べなければいけないのかと思うだけで、心が張り裂けそうになった。そう、ストレスの多いシュウは、屋敷の料理人が作るおいしいご飯だけが日々の救いだったのだ。

    全てをかきこんで飲み込み、涙を浮かべながらお礼を言った。鬼はそんな渋い顔をして、無理をするなと笑った。その時初めて自分が表情を繕えていないことに気づき、そして目の前で笑う鬼が酷く人間らしく、美しいとも思えた。機嫌を良くした鬼は、どうしてこの様な事をしたのか語りだした。山菜を取りに来た人間がこれを茹でて食うとうまいと会話していたのを聞いて、思い出しそのまま作ったと。ここは山の中間ほどの高さにあって、ふもとには小さな集落があること。山には強い龍脈が流れており、それに引き寄せられて定住していることなど。話を聞いていると、目の前の鬼は悪い鬼ではないように見えた。人前には姿を表さず、山の祠を通じて人と交流しているという。酒や米などを収めてもらい、その代わりに山で取れる水晶や食べれる獣を与えているという。姿は禍々しいが、やっていることは山神のようだとシュウは感心した。どおりで自分を助けようと思ったのだろう。頼もしい存在に出会えたことに、シュウは少しばかり安心した。

    気づくと日が落ち、真っ暗になっていた。囲炉裏の火だけがぼうっと家を照らし、肌寒い。シュウは喋り疲れて眠気に襲われていた。明かりの向こうでは鬼がちびちびと酒を飲んでいた。

    「疲れているだろう、もう寝るといい」
    「でも、布団が一つしか…」
    「それはお前が使え。人間は弱すぎてすぐ病気になる。お前に風邪をうつされるのは御免だ」
    「それではお言葉に甘えて…ありがたく…」

    ぱちぱちと音を立てる火と温かな明かりに照らされて、シュウは眠りについた。


    次の日、目を覚ましたシュウは確実に体が良くなっているのが分かった。形見の数珠を握っていたからだろうか、随分と回復速度が早い。親方様の呪力は万能薬か何かなのか。起き上がると、鬼は刀を抱きしめたまま座るように眠っていた。目を閉じてうつむいている姿が美しい。目の端に赤く紅をひいており、長く黒い睫毛が印象的だ。威圧的な金の瞳は今、まぶたに隠れている。所々赤く色の付いた黒髪をしており、血のような赤い二本の角がその合間から生えている。禍々しいが、どこか神秘的で美しい。角さえ生えていなければ、誰からもひっぱりだこの美男子だったろうに。あまり見つめていると、寝ぼけた鬼に斬り掛かれそうだと思い、布団をたたみ端へ寄せた。いつもならばせっせと茶と漬物をもって親方様の所へいっている時間だが、ここにいるのは鬼だけだ。

    シュウは家の中を探ることにした。小さな釜がはめ込んである釜戸と、調理台、その横に食器や水桶、水樽などが並んでいる。家の半分はこの土間だ。もう半分は先程寝ていた畳の場所で、大人二人が寝れるほどしかない。家の中心よりに囲炉裏が作られており、家の出入り口は二つ。窓は釜戸付近に1つしかない。調理場の壁をはさんだ向こう側に小さな風呂釜がある。そこに裏戸と思われるのが一つ。表戸の近くに木の扉があり、そこを開けると食料庫のようで酒壺や米俵、干物らしきものが詰め込まれていた。

    「米だっ!!」

    まるで果てのない海で溺れている所を、助け舟に捕まったような気持ちになった。中を確認してみると玄米が入っていた。うきうきしながらいくつか調理場へと持っていく。まだ幼い頃は女中と混じって料理の手伝いをしていたので米の炊き方は分かる。釜をきれいにすると、さっそく炊き始めた。炊ける合間におかずになるものはないかと探ってみたが、中にあるのは酒、酒、とにかく酒ばかりだった。壺漬けや梅干しかと覗いたものも、中が変色しており何かよくわからないものが入っていたり、壁に吊るしてある干物も触ると崩れてしまうほど劣化しているものもあった。

    (酒と米以外駄目になっているなんて…何年放置していたんだ!?)

    それでも昨日のようなメシマズをしばらく体験しないで済みそうなことには感謝した。家の周りに食べれるものはないかと出てみたが、生で食べれそうな物は見当たらなかった。もう少し奥に行けば山菜があるかも知れないと、斜面を登ろうとしたところゾクリと妙な気配を感じた。急いで数珠を握る。本来ならば式神を使って先制攻撃をできただろうが、今は形見の数珠以外何もない。己自身の僅かな呪力と言霊を使ってでしか今は対応できなく、不利だ。そういえば鬼が言っていた。”家の周りより遠くへは行くな、死にたくなければな”。鬼はこの正体を知っているのだろうか?じり、じり、と後退り、家の方へ駆け戻って戸を閉めた。

    得も知れぬ恐ろしさのあまり胸がドキドキと鳴っている。音を立てて入ってきたものの、鬼は相変わらず寝ているようだった。何かあれば、この鬼を起こして倒してもらおう。不安をかき消すように、シュウは家の中を掃除しはじめる。食器を洗って磨いたり、ホコリを取ったり、時折火の様子を見ながら部屋中を整えていく。やがて米の良い香りが家中に広がりだし、鬼は目を覚ました。大きなあくびをすると、金の瞳があらわになる。シュウは一気に体が緊張するのがわかった。

    「おはようございます」
    「ああ。その匂いは何だ?」
    「玄米ご飯でございます。朝食にと用意してみたのですが…」

    そう、メシマズ回避のために。心のなかでそう思いながら、ほぐしたご飯を茶碗に盛り付け鬼の前へ差し出す。

    「これは、あれか。人間が畑でよく食べているやつか?」
    「畑?恐らく握り飯のことでしょう。こんな形をしていませんでしたか?」

    シュウは三角に握ったおにぎりを平皿に置いて添えた。鬼はそれを見た途端、目を輝かせて指を指した。

    「これだ。食べてもいいか?」
    「ええ、ええ、どうぞ召し上がってください」

    できたての飯をはふはふと息を吐きながら食べる鬼に、シュウは驚きとともにどこか可愛らしいと感じた。まるで人間を相手にしているようだ。食べ終わった鬼は余韻に浸るように手を見つめると、シュウに向かって笑ってみせた。ちらりと覗く長い犬歯が印象的な美しい顔だ。この様な鬼の顔を見れる者なんて、この世にそういないだろう。その笑顔にシュウは自分が特別になったような気分になった。

    シュウは残りの飯を握り終えると、再び鬼の前に差し出した。しかし鬼はそれを押し返す。

    「残りは、お前が食え」
    「よろしいのですか?」
    「ああ、私は人間のように食べなくても生きていけるからな」

    それで、あれがああなったのかと、シュウは納得した。恐らくこの鬼は酒以外はあまり口にしていないのだろう。家に転がっていた空いた酒瓶の数を数えれば納得がいく。やはり炊きたてのご飯は美味しい。残りのご飯を頬張っていると、頬杖を付きながら鬼がこちらを見ていた。

    「握り飯は何で包んで運んでいるのだ?今度それを外で食べてみたい」
    「外、ですか?大抵は笹の葉でくるんだり籠に入れて運んでいると思います。ですが外では冷めてしまいます。冷や飯となると塩が…」

    言葉を詰まらせると、鬼は困ったように眉尻を下げた。そのような顔もできるのか。

    「その塩とは何だ?お前は食事のたびにその言葉を口にするが、まるで呪文のように唱えるではないか」
    「塩は白い粉の見た目をしていてしょっぱくて食材の味を引き締めるのです。料理の基本中の基本です!他にも味噌、醤油、蜂蜜などもあれば美味しい料理が食べれるのに…ッ!!」

    いきなりのシュウの熱弁に鬼は少し距離を置いた。そして”これは心のなかで食べ物にうるさい人間”だと認識した。米を口にしながらさめざめと嘆く姿に、どうしたらいいのか分からなく、視線を泳がす。

    「数日以内に調達できるよう、やってみよう」
    「できるのですか!?」

    こんな何もない家に、調味料が!?これで塩むすびや、焼きおにぎりが作れる…!と喜ぶシュウであったが、同時にこの鬼と二人暮らしする気になっていたことに気づき、無になってしまう。目の前でころころと表情を変えるシュウに、鬼はくすりと笑ってみせた。


    とにかく家を綺麗に掃除したいというシュウの要望で、朝食の後は二人揃って川辺へ水を汲みに行くことになった。シュウは二つの水桶を持ち、鬼は水樽を持ち上げた。大きな樽を軽々しく持ち上げるので、シュウは驚きのあまりしばらく声がでなかった。鬼に案内され、獣道のような細い道を少し進むと少し開けた川辺に出てきた。鬼が川の中へ樽を豪快に突っ込むので、驚いて暴れた小魚がいくつか樽の中へ入っていった。この魚は食べられます!!昼に食べましょう!!とシュウが叫ぶので、その必死さに鬼は大笑いした。水を汲み終わるとシュウがやぶを指差す。

    「あの、今日の朝、あのような場所に食べれるものが生えてないか踏み込んだところ…妙な気配を感じたのですが…」

    その言葉を聞いて鬼は目を細め、片眉を上げる。

    「何か見たのか?」
    「いえ、何も…怖くなってすぐ戻りました」

    それを聞くと鬼はそうか、とだけ呟いて腰に下げていた刀で長い髪をいくつか切り取った。帰り際にそれを少しずつ撒いて帰っていたので、不思議に思ったシュウが鬼に聞いてみると、”魔除け”とだけ返事が返ってきた。


    家に帰ってから、シュウはせくせくと家中の柱や畳を拭きまくった。布団を干し、くたびれたがらくたや壊れているものを家の外に出す。腐った中身を土に埋め、壺を綺麗に洗って外に干した。そんな事をしていると昼頃になり、囲炉裏に小魚を差し込み、焼き魚を作った。あまりにもいい焼き具合だったので外にいる鬼に声をかけることにした。

    「えっと…旦那さま?鬼さま?なんだかしっくりこないな。う~~~ん…あなたさま!お魚が焼けました!いかがですか?」

    外に対してすっかり恐怖を抱いてしまったので、シュウは家の近くから遠くに見える鬼に呼びかけた。鬼は振り返ると小さな籠を手に戻ってきた。

    「これはなんという料理だ?」
    「焼き魚です。串に魚を刺して火を通しただけの簡単な料理ですよ」
    「ふむ、お前の料理はいつも柔らかいな…」
    「好みではありませんでしたか?」
    「いや、悪くはない。お前の作るものは食べるのが楽しみだ」

    ”塩があればもっと旨味を感じれるんですがね”シュウがそう言葉を付け足したのを聞いて、鬼は再び笑い出した。そして籠の中のわらびと他の山菜を見て再び”塩”という言葉を出したので、鬼は笑い転げた。この男は、どれだけ塩に執着しているのかと。否、塩だけではなく食べ物すべてに執着しているのだと自分に言い聞かせた。



    日が落ちてくる時刻になると、鬼は刀を手にし外出の準備をしていた。家の中に薪を多めに投げ込み、戸締まりをするように念押しする。

    「日が昇るまでは帰らない。夜に戸を叩く音がしても開けるでないぞ」
    「え、え…?承知しました」

    囲炉裏の灰をふるっていたシュウは鬼の背中を見送った。宵闇の中に足音だけを残して消えていく姿に、急に不安な気持ちになる。恐ろしいが面倒を見てくれる鬼がいなくなると、緊張が溶けるが急に寂しくなる。今まで多くの人と共同で過ごしていたからか、家で一人でいるのが寂しい。窓を開ければどこかしら必ず小さな灯りがあったのが、いまでは外は真っ暗で冷たい風の音しかしない。

    くつくつと、灰汁で煮える鍋を前にシュウは考え込んでいた。鬼はどこに行ったのだろうか。そして自分をいつまでここにいさせるつもりなのだろうか。外から時折感じる気配の正体は何なのだろうか。鬼は集落が近くにあると言っていた。そこまで逃げ切れるだろうか?しかし、逃げたとしてももし鬼が追って現れたら人々は混乱してしまうだろう。都では体験できなかった不思議な事がこの数日に一気に起こりすぎた。ああ、家族にも連絡したい。自分のことを案じているだろうか。そういえば、逃げる時に追った傷が異様に治りが早い。親方様の形見のおかげなのか。鬼が居ぬ間に、自然と交感して呪力を貯めないと。ばれないように、そして式神を呼べるまで…。

    灰を被った炭火がじわじわと消えていく。シュウの意識も鈍くなり、うつろうつろと眠りについた。


    『秀才と聞いておったのに、字も書けんとは。ただの子供を押し付けおって、あいつらめ!』
    『それでももう一般的な文字は書けます!お師匠様であるあなたが教えてくださればいいじゃないですか!』
    『”一流”であるワシがなぜお前に時間を割いて教えにゃならんのだ!小間使の手伝いでもして教えてもらえ!』

    『お師匠様、その文字書き方を間違っていますよ』
    『馬鹿者が。旧式の書き方を知らんのか。素性を知らず今ある存在だけしか見えぬのなら、ならわしの本質すら見抜けなくなるぞ』

    『シュウ!いつになったらワシの意が汲めるのじゃ!もうよい!ワシの部屋を片付けておけ!』
    『こんなに本を広げて、一体何をしたのですか!?ああもう、足の踏み場もない。片付ける者の気持ちも考えてくださいよ!』
    『やかましい!年上に対しての返事は、”はい”とだけ答えろ!夜までに片付けないと、悪鬼をお前の部屋に放つぞ!』

    『シュウ、この札を明日までに百枚ずつ用意しておけ。ワシは手が痛い、若いお前がやれ』
    『これお師匠様が受けた仕事じゃないですか!ご自分でやってくださいよ、あまりにも横暴ですよ!?』
    『ワシが若い頃は一夜に1000枚は書いておったわ!』
    『過去を証明しなくていいからって、話を盛るのは老人の悪いクセですよ?』
    『無駄口叩く元気があるなら、もう二、三百追加じゃ!』

    『シュウ、ワシは足が痛い。お前がこれらの呪術具となる素材を探してこい。偽物を掴まされたらお前の給金から引いてやる』
    『これ僕の知らない物も入ってるじゃないですか!ご自身で使うなら、ご自身で選定してくださいよ!』
    『ちなみに渡した金額が相場じゃ。足りなければ自分の懐から調整せい!』

    『…もうすっかりお師匠様と同じ仕事ができる様になりましたよ。あなたは何も教えてくれませんでしたけれどね!!』
    『そもそもこんな生意気なクソガキを弟子に取った覚えはないわい!うっとうしい!もう”師匠”と呼ぶな!”親方様”と呼べ!』

    『シュウ!この生半可者が!誰が責任をとると思っているんだ!』
    『シュウ、”一流”の仕事の補佐出来ない子供が大口を叩くな!』
    『シュウ、ワシは…、明日までに覚えとけ!』
    『シュウ、これをしておけ……、この日まで……』
    『シュウ、………、忘れるな』
    『シュウ…、シュウ……、シュウ………』

    嫌というほど慣れ親しんだ声が、何度も名前を呼ぶ。

    ―コンコンッ。
    こんな夜更けにまた用事か。今日は部屋中掃除もやって、料理もやって、へとへとなのに…

    ―コンコンッ。
    早く出ないと、また怒鳴られるだろうな…


    暗い家の中、シュウの手にふわりと小さな火が灯る。美しい薄紅色と空色の混じった炎を揺らめかせながら、シュウは音のなる戸を開けた。その瞬間―。

    ゾッっと体が粟立った。目の前には自分より小柄な老婆が立っていた。足がない。霧のような体をしていて、顔に向かって手を伸ばしてくる。

    「ぎゃ、ぎゃあああああああああ!!!!」

    驚きのあまり後ずさり、掴んでいた数珠を老婆に向かって振り掲げると、シュウの背後から無数の炎が老婆に向かっていった。炎が老婆の体に溶け込み、光のない呪霊の目が見開き涙を流し叫ぶ。

    (親方様を呼ばないと…!違う、ここにはもういない!鬼を、鬼に助けを…!)

    「鬼さま!あたなさま!!」

    一寸先の闇に、自分の声が消えていく。

    (鬼の、鬼の名前を…!あの難しい発音の名前を、だめだ、出来ない…!)

    「アアアッ!!アア、アアア!!!」

    体に燃え移った炎を消そうと、目の前の老婆の形をした呪霊が自分の体を掻きむしる。今、仕留めなければ霊障を引き起こすかも知れない。シュウは親方様の記憶を掘り返す。言葉に力を込めて、祓いの呪文を唱えた。


    時が止まったように、うるさかった叫び声が消え目の前から呪霊が消えていった。シュウは震えから地面にしゃがみ込み、すぐさま戸を締めて心張り棒をした。あんなにも鮮明な人の形を保った霊を見たのは初めてだった。がたがたと震えながら、囲炉裏に火をつける。暗がりが怖い。あのような霊がこの山には沢山いるのだろうか。だから鬼は遠くへ行くなと忠告したのだろうか。鬼は言っていた。戸を開けるなと。開けなければ襲ってこないのだろうか。一人は怖い。早く、早く鬼が帰ってきて欲しい。早く、夜が明けて欲しい。シュウは涙を流しながら囲炉裏に炎を灯し続けた。炎で花や鳥の形を作って自分を慰めているうちに、やがて疲れ果て、うとうとと夜明けを迎えた。


    「おい、起きているのか。おい」

    扉の向こうで声がする。疲れ果ててしまったシュウは怖い思いをしたのもあって、動く気にもなれなかった。呼びかけに応えずにぼんやりしていると、声量をあげて扉の向こうの男が呼んだ。

    「おい、シュウ!起きろ!もう朝だ!」

    自分の名前だ。それに、この落ち着く声はあの鬼だ。シュウは裸足のまま駆け寄り、戸を開けた。目の前に、赤い角を二本生やした鬼がいる。金色に輝く神秘的な瞳に見つめられて、シュウは安心から涙を流した。

    「どうしたんだ、お前…」
    「夜に、呪霊が出たのです。襲いかかられて、怖くて、怖くて…」

    鬼は片眉を上げて懐疑的な表情をする。興奮して泣くシュウを畳の上へ座らせ、話を聞く。夜に昔の夢を見て、寝ぼけたまま戸を開けてしまったこと。数珠を振ると老婆が豹変したこと、祓いの言葉を言うと消えたこと。恐怖のまま眠れなかったことを区切り、区切り語った。聞き終えた鬼は、”それは怖い思いをしたな”と、慰めの言葉を言って腕を組んだ。

    「うむ…、ところで、よく霊を祓えたな」

    その言葉にはっとした。鬼は今、疑っている。見上げると、金色の瞳が嘘を許さないように、じっとこちらを見つめている。シュウは心のなかで大量の冷や汗をかいた。ここで上手く話をやり越しても鬼の疑心が増えるかも知れない。嘘をついたら、怒った鬼に食われるかも知れない。数珠をぎゅっと握る。無理だ、この鬼は強い。存在自体が何かと違う。それに人々と共存している彼を倒そうものなら、それこそ自分が祟られるかも知れない。一縷の望みをかけて、口を開いた。

    「言ってはいませんでしたが、僕は呪術師の見習いなのです」

    長い沈黙に目を合わせられなかった。怖くて目を瞑っていると、頭の上からため息をつく音が聞こえる。

    「そうか」

    呪術師にとって鬼とは厄介な生き物である。人々を襲う悪鬼をこらしめるのは、呪術師の分野の一部だ。それを上回る生き物である鬼と対峙するということは、双方にとって生存をかけることになる。きっとこの鬼も、いつでも殺せる人間としてではなく、自分を脅かすかも知れない敵対者として認識してしまうのだろう。

    死を覚悟して、座り込んだまま動かなかった。あの夜、あの波乱を逃げ切れて、つかの間の奇妙な余生を過ごせた、ただそれだけだ。人生はうまく行かない。程度の違いで早くなった、ただそれだけなのだから。そんな事を考えていたが、一向に何も起きないので恐る恐る顔を上げると、鬼はただ静かにこちらを見つめていた。

    「私が作った結界の中に入ってこれるのだから、只者ではないと思っていたが…」
    「僕は、少なくとも、あなたさまにとって脅威になりうる存在です。…殺しますか?」
    「…そんなことはしない。ではお前に問おう。私はお前にとって脅威か?」

    シュウは考えた。存在でいうならば、目の前の鬼は脅威だ。しかしこの鬼は自分の世話をしてくれたし、隠れながらも人々と交流している。言い伝えとは違う、親切な鬼だ。敵対する必要などない。シュウは顔を横にふって応えた。

    「…いいえ」
    「ならば引き続き、私の話し相手になれ」

    鬼は静かに微笑んだ。朝日を取り込んだ黄金の瞳が美しく輝く。帰りに取ってきたのだろうか、いくつかビワの実がなった枝を差し出した。

    「食べておけ。食い終わったら連れて行きたい所がある」

    鬼にお礼を言って受け取ったビワは甘く、疲れ切った体を満たしていく。ちらりと鬼の顔を見ると、頬杖を付きながら笑みを浮かべてこちらを見守っていた。最初は恐ろしいと思っていたのに、随分と印象が変わってしまった。不器用で、よく笑い、人間味のある鬼だ。もし兄がいたらこんな感じだったのだろうか。そんな事を考えながら、シュウは甘く香るビワを食べ終えた。


    朝日に照らされ、鳥たちが歌う木々の合間を歩いていく。怖い思いをしたので、シュウは許しを得て鬼の裾を掴んで歩いていた。でこぼこした地面が平らになると、山から下を見下ろせる断崖に出た。鬼が崖からとある場所を指差すと、そこには祠と道が見えた。斜面になった道を、杖を付きながらゆっくりと登ってくる者がいる。おそらく年を召した老婆だ。やがて祠の前にたどり着くと、手を供えてお祈りをしている。それを確認すると、鬼は口を開いた。

    『塩、醤油、味噌、蜂蜜、風味を良くするものを供えよ。さすれば村に山の幸を授け、お前の死後を導こう。祠を開き、石を持ち帰れ』

    穏やかだが地鳴りのような恐ろしさのある声が脳内に響く。そばに立っていたシュウは思わず座り込んでしまう。心配して老婆の方を見ると、地に頭を付け祈っていた。どうやら離れたその場所でも鬼の声は聞こえていたようだ。

    「これで数日以内にはお前の望むものが手に入るだろう」

    シュウにそう言うと、鬼は石を握りしめて帰る老婆を静かに見つめ、見送った。

    帰り道、鬼は先程のことについて語りだした。ああやって集落から老婆または翁が祈りにくるという。祈りにくるのは大抵は貧乏な家の年寄りだ。それが山の周りで恒例化していると。いわゆるお参りという名目で、老いた者を口減らしに山へ向かわせているのだ。道中倒れたり、迷ったまま帰れず死んでしまったり、獣に襲われて食べられたりもする。しかしそこへ参りの対価となるものを与える事で、意義を見出させ、救いをあたえているという。それを繰り返すうちに、”長年生きた者は神の声を聞く”として信仰化され、哀れな老人が減ってきたという。

    「この話を聞いて、お前ならば察しがつくだろう。お前が見たのはその老婆だ。きっとどこかに遺体が転がっているだろう。この山は霊力が強い。死後に残った強い飢えの思念が霊となって、鍋の匂いに引き寄せられ、お前の前に出たのだろう」

    シュウはそれを聞くと、鬼の裾を握る力を強めた。あの時驚いて、何も分からず祓ってしまった。きっと飢えて苦しかったんだ。それを理解していれば、来世では苦しまないよう祈りを添えて祓えてあげれたのに。

    「僕、何も分からず祓ってた…」
    「なに、この世に残って飢え続けるより余程ましだ。お前はそいつを救ったのだ」

    鬼の言葉に自分も救われたような気持ちになる。ふと、親方様の言葉が脳裏をよぎった。
    ”今あるものだけを見て、決めつけるな”
    自分はまだまだ未熟者だ。もっと視野を広げて、様々な見方ができるよう精進しなければ。そう考えているうちに家につき、顔色が悪いから寝るように促される。布団を広げて催促をする鬼に、シュウは言う。

    「寝る前に、お願いがあります。あなたさまのお名前を、もう一度教えて下さいませんか?」
    「ヴォックスだ」
    「ボ…クス?」
    「ヴォ」
    「ボ?」

    鬼の発音と少し異なるのに苦戦していると、鬼が下唇を指で押してきた。

    「歯を唇にあてたまま言ってみろ」
    「ヴォ…!」

    難しい部分が言えた!と思いきや、鬼の指が離れていく。その時シュウは気づいた。初めて鬼に触れていたことを。唇に残る、触れられた感触にドキドキと胸が高鳴る。目の前で微笑む鬼が、ん?と首を傾げるので、照れ隠しに名前を勢いよく呼んでしまう。

    「ヴォックス!…さま!」
    「ハハ!”さま”は、付けなくてもよい」

    天に向かって笑った鬼がこちらを見る。金に隠れてうっすらと薄紅色の瞳が見えた。なんて神秘的で美しい…。見とれた間抜けな顔を見られないよう、我に返ったシュウは背を向けた。

    「おい、どうして背を向けるんだ」

    後ろから鬼が声をかけてくる。どうしていいか分からなくなり、シュウは布団の方へといそいそと向かう。そのまま布団の中へ潜り込もうとした時、鬼の声が脳内に響いた。

    『シュウ』

    「はひぃ!あ、お、お名前を教えてくださりありがとうございました。おやすみなさいませ、あなたさま」

    思わず間抜けな返事をしてしまい顔を赤くした。ちらりと顔だけ覗かせて笑って挨拶をし、すぐさま全身を隠すように布団に潜り込んだ。鬼に名を呼ばれた衝撃が、じんじんと体に残っている。深く、脳を溶かすような低音が忘れられない。もぞもぞと丸まっていると、反応が面白かったのか再び笑う鬼の声がした。


    夕刻前に目をさますと、鬼はみかんを摘んできていた。話し相手になれと言うので、それならばとシュウは囲炉裏に火をつけ、酒と作っていたわらびの水煮を持ってきた。囲炉裏の周りにみかんをならべるシュウに、鬼は不思議そうに言う。

    「先程の炎は何だ?」
    「これでしょうか?」

    手のひらに小さな炎を作り出す。淡い水色と薄紅色の輪郭を纏った炎があたりを照らす。

    「それだ。お前は狐火を使えるのか?」
    「これが何なのかはよくわかりません。僕の親が言うには、幼い頃に体が燃え上がったときから出始めたとか。気づくと使えるようになってなっていたのです。意識を集中すると、もっと大きなものも作れます」

    シュウの体から放射状に炎が吹き出て消える。それを見た鬼は感嘆の声をもらした。

    「お前の幼い頃の話を聞きたい」

    シュウは自分の幼い頃の思い出を鬼に語った。とある田舎の呪術師の家系に生まれたこと。普通の子供と変わらず過ごしていたが、突如才能を見出され、奉公しに都の有名な呪術師のところへ向かわされたこと。弟子入りを希望していたのに、いつまでたっても屋敷の雑用ばかり任されていたことなど。話しているうちに仕えていた親方様の愚痴ばかりになっていた。

    「本当に大変でした。親方様が教えてくださらないので、女中や小間使いに愛嬌を振りまいて料理や掃除、子供や家畜の世話など何でもやって、やっと文字を教えてもらいました。顔も知らぬ者の所へ使いとして出され、広い道を何度も迷子になりながら、人々に事情を説明してやっとたどり着けたりしたこともありました。そうやって一生懸命いろんな者の手伝いを繰り返して、皆に親方様を説得してもらいました。皆の声でやっと親方様が呪術を教えてくださるようになれば、今度は親方様から直に雑用ばかり押し付けられました。ご機嫌を取るために一生懸命言われたことをこなしました。そうやって少しずつ知識を教えてくださったのですが、意見を言ったり、気に入らないことがあればすぐ怒鳴るのです。やれこれが間違っている。やれこれができないのは半人前。癇癪を起こしてわざと散らかした部屋を片付けさせられたり、腹いせに部屋に悪鬼を仕込まれたこともありました。しまいには、自分の仕事も押し付けてくるようになったのです。そして生意気だからもう師匠と呼ぶなと釘を刺して!親方様は僕の才能に嫉妬していたんですよ!!」

    吠える犬のようにわんわんと声を荒らげて話し、息切れをおこしたシュウを見て鬼はふっと息を吐いて笑った。

    「笑い事ではありません!!僕は本気で弟子入りするつもりだったんですよ!!」

    興奮して真っ赤になった顔で訴えるシュウに、鬼はさらに大笑いした。

    「ハハハハハ!屋敷の者に認められるよう、あえて教えなかったのだろう。屋敷の外の人間に顔を覚えてもらえるよう、使いに出させたのだろう。人々の信頼を得て、お前にものを教えてやろうとしたのだろうが、お前のその言い様。察しが付く。雑用を押し付けられて学んだことがあるのではないか?物の見方、金の使い方、仕事の仕方。散らかった部屋には何があった?悪鬼を仕込まれてお前はどうやって対処した?押し付けられたと思っていたのは、本当はお前の仕事だったのではないか?どうやら、お前の言う”親方様”という奴は、お前にたいそう手を焼いたようだ」

    それを聞いたシュウは唖然とした。数珠をぎゅっと両手で握りしめて、うつむいて考え込み、静かに涙を流した。その様子を見守りながら、鬼はちびちびと酒を飲んで、料理やみかんを口にして、”灰汁で煮込むとこれはうまくなるのか”、”温めたみかんは甘くなるのか”そう呟いた。

    料理ができるのも、掃除ができるのも、食べ物が見分けれるのも、全部、屋敷で働いていた者たちの知恵だった。そうやって秀才だともてはやされてきた自分が、周りに反発されないよう、教える環境を作ってくれた親方様の意向をいまさら理解できた。シュウは気づくのが遅くなったと後悔しながら、心のなかですべての人にお礼をした。鬼は泣き止むのを待つと、シュウに食べ物を差し出した。そして、明日また別の所へ連れて行くから体力を温存しておくよう、優しく告げた。


    翌日、シュウは鬼に滝壺へと案内された。青く澄んだ水が溜まっており、周りにはびっしりと苔の生えた岩が並んでいる。高い岩の上から、飛沫を上げて水が一直線に落ちている。周りは木々で覆い茂っているのに、水辺だけは光を一直線に浴びて輝いている。なんとも神秘的で澄んだ空気が心地よい。木陰に撫でられながら、鬼はここで滝に打たれ悟りを開くよう指示した。

    「雑念を捨て、周囲の気の流れを意識せよ。そうすれば、お前が感じていたものが何か分かるだろう」

    鬼はそう告げると、近くの藪の方に入っていった。シュウは肌着になり、水の中へと入っていく。大きな音を立てて落ちる水音が、周りの世界から隔離していく。押し流されそうな冷たい水流に腰まで浸かり、落ちてくる滝の水に体を打たれながら数珠を握りしめた。

    目に見えるものしか見ていなかった。自分を中心にしてしか、物事を理解しようとしなかった。この山から感じる気配は何なのか。山で死んでしまった人の魂か?いや、人以外にも山には沢山の生き物がいる。動物、魚、虫、植物。そしてそれを包み込む空、風、水、地。理を変えてしまう大きな気の流れを持っている。それは龍脈があるからだ。では龍脈はどこから流れてきているのか、何が根源なのか。シュウは深く深く、意識の先を広げた。

    意識が戻った時、見える世界の景色ががらりと変わった。この山の自然は、強い気の集まりを吸収して意識や記憶を持っている。何度も死と生を繰り返した無数の魂の欠片と記憶が積み重なり、濃い龍脈として血管のように大地を流れている。そこからひとつひとつ、木々や動物に至るまで形を問わず存在しているのだ。それを何者かの気配として誤認していた。自然との強いつながりを感じ取り、シュウの呪力は小さな龍脈の流れへと繋がった。

    ひらり。小さな緑の葉がシュウの目の前で不自然に留まる。

    「君は…式神!そこにいるのか!」

    葉はぺこりとお辞儀のような動作をした。シュウは滝から抜け出し、宙に浮かぶ葉の周りをぐるぐると回った。以前は質の良い紙からできた擬人式神の形を媒介としていたが、あの夜の日に燃えてしまった。きっと消えてしまったんだろうと諦めていたのだが、シュウの周りに居続けてくれていたのだ。シュウは手のひらにのってきた式神を撫で、随分と変わった形になってしまったねと語りかけた。それに気づいたのか、遠くから鬼の呼ぶ声がする。

    「なんだ、それは?」
    「僕の式神です!」

    葉っぱではないかと笑う鬼に、式神が抗議の感情かぐるぐると回り出す。それがおかしいので鬼はまた笑って、式神に息を吹きかけて吹き飛ばした。

    「シュウ、どうやら悟りを開いたようだな」
    「ええ、あなたさまの助言で僕が何に怯えていたのか分かりました。そして呪力も戻ってきて、僕の式神とまた会うことが出来ました。何から何まで、本当にありがとうございます…!」

    シュウは胸に両手を重ね、深々と頭を下げ鬼に礼をした。遅れてやってきた式神が同じ様にぺこりと葉の体を曲げる。鬼は”良かったな”と、ひとこと言うと、すりつぶしたドグダミがのった平たい石を持ち上げた。藪へ入っていったのはこれを作るためだったのだろう。

    「濡れたついでだ、これで髪や体を洗うといい。体が良くなる。もし、お前が嫌でなければ…髪に、塗ってやろうか?」

    鬼は少し遠慮がちに、腰下まで伸びるシュウの濡れた髪を指さした。つかさず式神が鬼の顔面の前まで来て割り込む。鬼はそれにムッとしてまた息で式神を吹き飛ばした。

    「大丈夫だよ、式神」

    シュウは式神をなだめると、肌着が透けているのに気づき、恥じらいに顔を赤くした。

    「え、ええ。後ろを向いているので、よろしくお願いします…」

    解いた髪がはらりと垂れた。長い髪を束にして、するり、するりと鬼の手で塗り込まれていく。

    (鬼が髪を触っている…。触れられたのは二回目だ)

    やがて毛先へと塗り込まれていると、トンと、後ろ髪に何かが当たった。同時に鬼が声を荒げる。どうやら式神が手伝おうと、体を使ってすりつぶしたドグダミを塗りつけたようだ。”葉っぱが葉を塗るなど、ややこしくて一緒に揉み込んでしまうわ!”と声を荒げる鬼に、まったくその通りだと笑ってしまった。体は自分でしますのでと手を出すと、鬼は少し気まずそうに石を差し出した。体を乾かし着替えると、大きな魚を1匹、帰り道に笹の葉とタケノコ、少々の山菜を摘んで帰った。

    料理の下ごしらえをしていると、鬼は大きな籠を屋根裏から取り出した。そこから女性が婚礼の儀に着る白無垢と綿帽子を取り出すと、普段着の上からそれを着けていく。驚いて鬼に聞くと、山を降りる時その方が都合がいいらしい。言われてみれば、ふんわりと丸い綿帽子に包まれて、鬼の二つの角もちょうど隠れている。ぱっと見、山神に嫁いだ女のようだ。その姿で山を降りると言い出した鬼があまりにも気になりすぎるので、式神に料理番をさせ、鬼の後をついていくことにした。

    鬼が足につけた装飾具が、歩く度に鈴の音を鳴らす。長い衣装を持ちながら歩く鬼の後ろ姿は、さながら花嫁である。鬼は歩きながら語った。昔、人身御供として若い女が捧げられたこと。その女はすでに死んでいたので衣装をもらったこと。祠の近くは人が来るので、この衣装で姿を隠していること。その様子を見た人間が、口伝えに山神の嫁として伝承を作り上げたこと。そして山から鈴の音が聞こえると、人々は頭を下げるようになった。それは鬼にとって容姿を隠すのに都合が良く、日中でも祠を通じて人と交流できる手段になったのだ。どうして今向かっているのかと聞いてみると、鬼は集中すると遠くの声が聞こえるのだそう。滝壺にいる時に、人々が供え物を持って祈りに来たのが聞こえたそうだ。しばらく進むと、鬼はシュウを引き止めた。

    「ここから先はお前は行くな。私が作った結界がある」

    シュウは言われたとおりにそこで佇んで、歩いていく鬼を見送った。その先には木々に隠れて、ほんのりと祠が遠くに見える。もしかしてここから人間が見えるだろうかと、きょろきょろしていると『動かずじっとしていろ』と、脳内に響く鬼の声に叱られた。遠くに消えていった鈴の音が近づき、鬼がいくつもの風呂敷を服に抱えて帰ってきた。一つ持てと催促するので、一番上にあるものを取るとふんわりと嗅ぎ慣れた香りがした。

    「これは味噌です!!」
    「分かるのか」

    興奮して声を荒らげたシュウを見て、綿帽子に笑みを隠しながら鬼は笑った。帰り道、きっとほかのにも調味料が入っていると、うきうきしながらシュウは語る。今晩はタケノコご飯にしようか、川魚の味噌煮もいい、あまった山菜を混ぜた混ぜごはんも捨てがたい…!これからはいろんな味噌汁も作れる!と、あれやこれやと一人で盛り上がるシュウを見て、鬼は機嫌を良くした。


    シュウは帰ってから夢中になって料理し、これは絶対にウマいです!と、自信満々に出来上がったタケノコの炊き込みご飯と魚の味噌煮、タケノコと山菜の味噌汁を差し出した。鬼は手間を掛けて調理された料理が珍しいのか、皿を眺めたり、近くで匂いを嗅いだりしてから手を付ける。

    「ふむ、そうか。これはなんとも奥ゆかしい風味だ。人々はこのように料理して食べているのか」
    「ええ、これだけではありません。他にも調味料や食材の組み合わせを変えて、色々な味付けが楽しめるのです!」

    鬼はまた、少しばかりたべてからシュウに料理を返した。それを受け取ったシュウはいただきますと食材に感謝を述べて、口いっぱいに頬張る。屋敷の女中が作る料理も絶品だったが、これまた違う旨さがある。この山で採れる幸は特殊な気を含んでいるからか、清らかですっと口の中に溶け込む旨味があるのだ。この日は腹いっぱいに食べれたおかげか、鬼と料理の話をしている最中に瞼が重くなってしまう。

    「ふ、眠いのか。ならばもう寝ると良い。片付けは私がしておく」
    「いけません、こういうのは、僕の仕事…」
    「ならば明日、お前に違うことを任せよう。だからもう眠れ」

    鬼は広げた布団をトントンと叩いた。式神に押し込まれシュウは布団に潜り込む。
    シュウが眠った後に鬼は静かに後片付けをした。酒を持って外に出ると、近くの木に腰掛けながら暗くなる空を見上げる。明日はどこに連れて行こうか、どんなものが食べたいと騒ぐのだろうか。そんな事を考えながら、杯に映る星空を飲み込んだ。


    起きると水浴びから帰ってきたのか、鬼が濡れたまま家にいた。空気が湿気っている。無意識に屋敷に居た時の感覚で炎を放射し場を温めると、焼き殺す気かと鬼が言ってきた。ねぼけままに”鬼も冗談を言うんですね”と返事を返すと、鬼は深刻な顔をした。起き上がったシュウに、鬼は握り飯を多めに作れと指示した。今日は外で食べたいから、前に言っていた塩とやらを入れてくれと言われ、シュウは鬼の話を思い出し、簡易な弁当を作り上げた。

    鬼に連れられ斜面をずっと降りていく。相変わらず周りは木々と藪ばかりだ。落ち葉を踏みしめて作られた獣道のような所をくねくねと通って、だいぶ山の下の所へ降りてきた。鬼が木々の合間に積み重なった岩を指差す。

    「そこに握り飯を一つ置いてくれ」
    「承知しました。あの、ここは…、誰かのお墓なのでしょうか?」

    古くなった岩の上に、笹で包んだ握り飯を一つ置いた。振り返ると、鬼は少しさみしそうな顔をして腕を組んでいる。

    「昨日の衣装を着ていた女の墓だ」

    シュウは昨日の鬼の姿を思い出した。山の神へ嫁がされ、言い伝えになった伝説の女。岩に向かって手を合わせると、安らかな未来があるよう祝詞を唱えた。それを見守ると、次へ行くと、鬼は歩き出した。ひたすら鬼の後を歩いていく。あまり代わり映えしない景色なのに、鬼は道を覚えているようだ。風が吹いて、木の葉が揺れる音が続く。シュウが歩くのに疲れ、息切れをし始めた頃に目的地へ着いた。

    斜面になった地肌と、それに続く道ができた場所だ。そこにぽつぽつと積み重なった大きな石が並んでいる。鬼の方をちらりと見ると、そうだと言わんばかりに深く頷いた。鬼は語りだす。山で死んでいる人間を見つけたら、ここへ連れてきていると。もしかしたらまだ成仏しきれていない者がいるかもしれないと。寂しくないよう並べているが、これでいいのかと。シュウは道を歩きながら、ひとつひとつ手を合わせて観察した。

    「あなたさまの行いに満足して、みな成仏したようです。きっとどこかで生まれ変わっているでしょう」

    その場に流れる清らかな空気でわかる。大地の流れに乗って再び近くへ、または遠くに流れて生まれ変わっているだろう。鬼はそれを聞くと安心したように、ゆっくりと瞬いた。いくつかそこへ飯をわけておき、祈りの言葉をかける。鬼はこっちへ来いと、手招いた。

    頭を隠せるほどの大きなフキの葉を傘のようにさして、鬼は断崖から下を指差す。覆い茂った木々が消え、遠い山のふもとは整地され畑になっていた。緑や黄色い実がなった低い木々がならんでいる。おそらくみかん畑だろう。そこへもぞもぞと動く姿がある。

    「人だ…!人ではないですか!」

    この山にやってきて、初めて生身の人を見た。まるで数年ぶりに人を見たかのように、シュウは興奮して鬼と顔を見合わせる。

    「そうだ。気が向いた時に、ここで人を眺めているのだ」

    鬼はそう言うと、再び人へと視線を移した。こっそりと大きな葉の陰から人を覗く横顔が寂しげだった。彼の額に生える角さえなければ、人々は恐れず、普通に話をすることもできただろうに。切なくなった胸を押さえていると、鬼が休憩しようと木陰に誘った。

    「ここで少し食べておけ、帰りはずっと登っていかねばならん」
    「うっ!う…はい。がんばり…ます…」

    シュウは帰りの道のりの辛さを想像して暗い顔をした。巻き付けていた風呂敷を膝に広げておにぎりをひとつ取り出す。まずは鬼へ。

    「あなたさま、塩にぎりです。どうぞ」

    両手に乗せて差し出したおにぎりを受け取ると思いきや、鬼は自身の長い髪を手で押さえながら、シュウの手から一口かじりとった。鬼の息が手のひらをくすぐる。シュウは驚いて固まってしまった。なんだか辛いような酸っぱいような、だが、どこかクセになるような味がすると、吟味する鬼は口の端についた米粒を指ですくい舐め取った。残りは食べろと鬼に言われて、シュウは返事をしてようやく動いた。鬼の顔が近かった。自分の手から食べる様子は、まるで神獣に食べ物を与えている幻を見たようだった。目の前までやってきた大きな角が、椿のように赤くて美しかった。シュウは鬼の残りを食べ終わると、深呼吸をして心を落ち着かせた。鬼が木陰にフキの葉を置いて帰ろうとするので、シュウはつかさず声を上げた。

    「あなたさま!フキは食べられます!持って帰りましょう!」

    それを聞いて鬼は大爆笑した。その日帰るやいなや、シュウは疲労で爆睡してしまった。


    <続く>
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    Thanatos_wisper

    PROGRESS山に住む鬼の❤️と迷い込んだ💜が生活を始める話
    古い時代 かきかけ 後々R-18を含む話です

    [簡単な設定]
    💜クソガキ 呪術師見習い
    秀才と甘やかされて育ったため、それを素直に認めない大人に不満を抱いている
    食べることが唯一の楽しみ

    ❤️龍脈から記憶を読む鬼
    山の守り人のような事をしている
    人間に興味がある
    <仮>―呪術師同士の戦いで親方様が亡くなってしまった。このままでは自分も殺られてしまう。恐ろしい。恐ろしい!死してなお、自由を奪われ隷属させられるなど御免だ。遠くへ、もっと遠くへ、逃げなければ…!

    形見の数珠を手に、一人の青年が草木をかき分けて駆けていく。薄暗い月明かりの下、やがて崖のふちへと追いやられる。木々の合間から白い二頭の狐が、唸り声を出しながら姿を現した。式神だ。青年は死を覚悟した。

    捕まって死んでしまうくらいなら、いっそのこと、自分で死んだ方がましだ。こちらへ走り出した狐へ背を向けて崖から飛び降りる。ああ、死ぬ前にもっと普通に生きたかった。幼い頃に才能を認められ、名だたる呪術師と言われる男の下へ奉公するよう家から出された。それからはずっと雑用ばかり任されて、無愛想なあの老人とは師弟の関係すら結べなかった。人生とはこんなにつまらないものなのか。もっと自由に生きれたら、鳥のようにどこまでも飛んでいって、まだ知らない世の中を見れたのに。
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