あなたのふれたところから「ペ………………ラ……!…………ラ…………!」
遠く、遠く。誰かが呼ぶ声が聴こえる。そんなに必死に誰を呼んでいるのだろう。誰が、呼んでいるのだろう。こんなに健気に呼んでもらえるなんて、呼ばれている人はきっと幸せだろうな。
そういえば、聴こえてくるこの声は何処かしら聞き覚えがあるような気がする。呼ばれている名前も、なんだか聞き覚えが。やけに耳に馴染むというか、あぁ、そういえば、私そんな名前だったかもしれない。
「ペトラ!」
そう、ペトラ。私だ。私の名前。じゃあ、呼ばれてたのは私だったんだ。
重い重い目蓋を上げて、辺りを見渡そうとして失敗に終わった。首は硬いもので固定されているし、そもそもマトモに目が開けられない。視界の片側はどうやっても暗いまんまだ、なにか眼帯のようなものがつけられているのだろうか。
「ペトラ、ペトラ……!良かった、気が付いて……生きてて本当に良かったぁ……!」
わんわんと私の手を握って泣いているのはフェルシーだった。それじゃあさっき必死に私の名前を呼んでくれたのも、彼女なのだろうか。そう思えた瞬間、握った手が暖かくなって漸く体温を取り戻した。あやふやだった身体が、自分が、フェルシーのおかげで少しずつ戻っていく。
私に抱き付いて泣き出すフェルシーを抱き締め返そうとして、それもまた失敗に終わった。両手に沢山の点滴が、管が巻き付いている。どうやら私はかなりの重症らしい。記憶は酷くおぼろげで、目の前にいるフェルシーと自分が自分であることくらいしかまだ思い出せない。どうして、私はこんなに重症なんだろう。
「あ……そうだ!ラウダ先輩!ラウダ先輩にも、ペトラが起きたこと伝えなきゃ!あとグエル先輩にも!」
自分の状況がなにひとつわからなくてぼうっとフェルシーの泣き顔を見つめていると、彼女は唐突にそう言って私から離れた。
ラウダ先輩、グエル先輩。その言葉で、また自分が戻っていくのがわかる。
そう、二人とも、私の大切な先輩。
はじめはあの兄弟の家柄だけ目当てに近付いて、でもグエル先輩はとんでもなく凄い実力者で、その上私達下級生の事を常に気に掛けてくれて、家の事も学校の事もMSの操作も完璧でカッコいいヒーローみたいな人で。
それを支えるラウダ先輩も私には想像がつかないくらい凄くって、それでそのラウダ先輩に成績と態度が評価されて、「兄さんのサポートを手伝ってくれないか」とフェルシーと一緒に声を掛けられた時、この人に認められたんだと思うと飛び跳ねるくらい嬉しくって、グエル先輩の事は勿論だけど私、ラウダ先輩の事も支えたいなって思って、それから、それから。
とりとめもなく溢れていく想いをひとつひとつ、なんとか拾い上げようとしながらフェルシーの動きを目で追う。そうするのと自然と自分の下半身が目に写って、途端、ダメになった。
さっきまで考えていた暖かな想いとか、そういうのが、全部溢れて台無しになる。
だって、無かったのだ、あしが、自分の脚が。
「あ、あぁぁ……!」
「!?どうしたの!?大丈夫、ペトラ!?」
そうしてまた思い出した。
倒れ伏した生徒、瓦礫に潰された同級生、吹き飛ばされていく寮生、襲い掛かってくるガンダム。
あのスレッタ・マーキュリーを助けてから、必死に走って、走って、倒れた生徒を抱えて、スレッタ・マーキュリーも私の真似するみたいに抱えてついてきて、私より全然アイツの方が体力あって、余裕そうで、その癖ぼーってしてて危機感とか、生きようって気持ちが全然無いのが無性にムカついて。やりたいことと無いのかって言った瞬間、私も見事に瓦礫に潰された。
今思い返せば立派な死亡フラグだ、古典的と言うか、古典で見た。私が潰されたのなら、私が背負っていた彼女はどうなったのだろうとふと思って、考えるのをやめた。これ以上思い出したらきっとだめだ、脚だけじゃなくて心まで押し潰されてしまう。そうなったらどうなるのか、わからない、こわい。
もう既になにもかもが怖い。おかしい、だってああして暴れまわるMSを、紛れもなく私自身が作っていた側である筈なのに。それを怖い、なんて。
「ペトラ!」
また声が聞こえる。気丈な、勇敢な声だ。
なんだか、あぁ、カッコいいなぁと思って管だらけの手を無理に伸ばす。そうするとフェルシーはまた私の側に駆け寄って手を掴んでくれた。優しいなぁ、もしかしてずっとここで私の側にいてくれたのかな。
「フェルシー」
「なに!?やっぱりラウダ先輩呼んでくる!?」
「ううん」
変わらない気遣いに嬉しくなって、それでも首を振る。
私がラウダ先輩と付き合い始めたって伝えてから、フェルシーはなんだかちょっとよそよそしくなった。私と遊ぶ時間を減らして、パイロットとして切磋琢磨したりメカニックの人達とディランザの調節をしたり。ラウダ先輩も卒業するとフェルシーがジェターク寮で一番のパイロットになるから、焦ってたっていうのもあるかもしれないけど私はそれがちょっと寂しかった。
でもまぁ、私達にはまだ一年あるし。三年になったらラウダ先輩とグエル先輩を見習って私とフェルシーでジェターク寮イチの名コンビになってやるんだって、そう思っていたのに日常が崩れるのって一瞬だ。これじゃあもうメカニックとしてMSの整備なんて出来っこない。ラウダ先輩やグエル先輩のMSは勿論、フェルシーのだって。
悲しさと、悔しさと、それを塗りつぶすくらいの絶望感がこみ上げてくる。心配そうに見つめてくれるフェルシーの手を出来る限りの力で握り返して、絞り出すように言った。
「……そばにいて」
「……わかった!」
私の言葉にフェルシーは、ただそう言って頷いて側にいてくれた。
フェルシーも暇じゃないだろうに、ただ手を繋いでいるだけなんて暇で暇で仕方ない筈なのに、それでも文句ひとつ言わず私のために側にいてくれる。本当に、優しい。
目覚めたこの瞬間、側にいてくれたのがフェルシーで良かった。
一人だったらきっとなに一つ思い出すことが出来ないまま失った衝撃に心砕かれていただろうし、ラウダ先輩やグエル先輩がいたら自分の不甲斐ない未来に情けなくなって泣きながら絶望していたんじゃないかと思う。
こうして、側で、なにも言わず、ただしっかりと支えてくれる大親友。不甲斐ないところも全部見せて良いって思えるくらい、真っ直ぐで優しくて大好きな友達。
本当に、あの時ラウダ先輩が声をかけてくれたのが私とフェルシーで良かった。そう思って小さく笑みを漏らすとフェルシーが「どうしたの?」と尋ねてくれる。
「なんでも、ない。……ありがとう、フェルシー」
「お礼は、治ったときにいっぱいしてもらうから!」
太陽と言うには朗らかな、まるでそう、ひまわりのような笑顔を浮かべてフェルシーは笑う。それにこの上なく安心して、私は漸く穏やかな眠りについた。