ヘドヴィカ・イシェル・クルハーネクの衝撃ヘドヴィカ・イシェル・クルハーネクの衝撃
いよいよやってきたセイアッド様の復帰の日。
私がセイアッド様付きの文官になった頃には既に彼は追い詰められ、痩せ細っていた。そんなセイアッド様が壮麗な姿に戻って来るのを生で見られるとあって朝から私の興奮は最高潮だった。
前世で最推しだったのだから当然よね。近くにいる時に悲鳴をあげたり、顔がにやけたりしないよう気をつけなければ。
今現在、謁見の間ではセイアッド様の復帰についてのお話が陛下からされている筈だ。中から僅かに聞こえてくる話し声にすらドキドキしながらその時を待つ。
やがて謁見の間が開き、中から出てきたのはスチルやゲーム画面で何度も目にした人だ。
…いいえ、それよりもずっと美麗。元々美しいキャラではあったけれど、今目の前にいる人はもっとずっと綺麗だ。
「ルファス、ヘドヴィカ嬢」
思わず息を呑んでいると、セイアッド様が私とルファスを見て嬉しそうに目を細めて小さく微笑む。あー、そんな表情を拝めただけでも私は眼福です!
近衛騎士から見知らぬステッキを受け取る彼に、私とルファスは深く頭を下げる。
「お帰りを今か今かとお待ち申し上げておりました」
ルファスの言葉にはほんの少しの棘とそれ以上の歓喜が滲む。
この世界で生きて思ったが、セイアッド様の味方は私が思っていたよりずっと多かった。初期のゲームシナリオ通りに彼が暴れたら庇い立て出来なかったかもしれないが、今この場にいるセイアッド様はそれを回避してみせた。まだ油断は出来ないけれど、これでシナリオ上で彼が命を落とす事は無くなった筈。
「セイアッド様のお帰りを、心からお喜び申し上げます」
内心に抱えた安堵と共に私も復帰をお祝いする。本当に良かった。まだまだ色んな事があるだろうけれど、とりあえず一安心しても良い筈だ。後はこれからミナルチーク派を倒していけば…。
「……二人とも顔を上げてくれ。長らく不在にしてすまなかった。君達の献身を嬉しく思う」
顔を上げれば、穏やかに微笑むセイアッド様。あー!! 推しが最高過ぎる! こうやって直接労ってもらえるなんて最高のご褒美だ。
隣で感極まっているルファスは顔にこそあんまり出ていないものの、犬の尻尾が生えていたら振るのを通り越して大回転してそうな喜びっぷり。私も言葉一つでここまで喜べるなんて思いもしなかったわ。
そして、ふと見つけてしまった。気付いてしまった。
セイアッド様の左薬指に! ゆ び わ ! ! !
細い指を飾るそれに気が付いて思わず思考が止まる。更にはそこに鎮座している宝石の色に気が付いて叫び声を挙げなかった事を褒めたい。
平静を務める為に頬の内側を噛むが、感動と興奮に今にも走り出して許されるなら声を大にして叫びたいくらいだ。
推しカプ結婚したー!!!!!
脳内でリンゴンと鳴り響く教会の鐘の音。白い衣装に身を包んだセイアッドがオルテガに腰を抱かれながら誓いのキスをするシーンを一瞬で妄想する。
嗚呼っ! 生きてて良かった……!!
この世界に来てこれ以上ないくらいの生への感謝だった。
ウッキウキな気持ちが漏れ出しそうなのを必死で押さえ付けながら三人でセイアッド様の執務室に向かう。正直に言うなら今すぐライネとかレインを捕まえて報告会をしたいけれど、今は我慢だ。
王城の様子と自分の執務室の惨状を見てを見てげんなりしながら歩くセイアッド様が逃げ出さないようにと腕を組むが、これも補佐官の役得よね。めちゃくちゃ良い匂いする。話している内容が仕事なのは色気がないけど仕方が無い。これから忙しくなるだろうし、しばらく休み無く走り回る事になるんだろうな…。予想以上に売れ行きが良かったせいで小説も続編を出せと目をお金にしたヒューゴからせっつかれているし、ネタ出しと原稿もやらなければ。
そんな事を考えながらセイアッド様について文官達の仕事場に向かう。どうやら執務室の惨状に現実逃避したいみたい。確かにあれは酷いものね…。
向かう先にいるのは宰相直属の文官達。彼等の内、殆どはセイアッド様の信奉者だから問題ない。文官の中でミナルチーク派としてやらかしている人達のピックアップもほぼ終わっているし、そのうち彼等にも制裁が下るだろう。
馬鹿な人達だ。少し考えればあんな杜撰な捏造でセイアッド様を追い落とせる訳がないのに。
ゲームのストーリーでは追い詰められたセイアッドが狂乱し、公衆の面前でステラを攻撃した事で覆せない罪が出来上がってしまった。セイアッドの性格を考えれば異常な事だ。けれど、初期バージョンでのセイアッドの扱いはそれはそれは酷いもので、彼を蔑めるためだけにあのイベントは存在していると言っても過言ではなかった。
作り手の悪意満載だったからこそ、セイアッドは一部コアな趣味をしたプレイヤーの間で人気が出た。移植バージョンで彼のビジュアルが大幅に変更された事でより人気になった訳なんだけど、この世界にも彼を蔑める強制力のようなものがあったのかもしれない。
私はあの夜が起きる事を回避しようと必死に動き続けてきた。
頭のおかしい人間だと思われるのを覚悟で一部の人に私が知る事を明かし、味方を作って。死ぬ気で努力して女だというだけで舐められるこの世界でセイアッド様の補佐官にまで登り詰め、彼を救おうと躍起になってきた。
生まれた時から前世の記憶を抱えながら駆け抜けた20年弱。ずっと頑張ってきたつもりだったのに、あの夜は起きてしまった。
けれど、セイアッド様は今隣にいる。他でもない彼自身の行動で、未来を確かに変えて。
シナリオから外れた異端はもう一人いる。
オルテガ・フィン・ガーランド。
この国の騎士団長にしてセイアッドに最も近しい幼馴染。抹消されてしまったけど、かつて下地にあった設定は彼等の関係の深さを匂わせていた。
本来であれば、彼は遠征に出ていた関係もあって初期バージョンでは最も遅くステラの前に姿を現す攻略対象者だ。おまけにセイアッドを追放した張本人とあってオルテガのステラに対する好感度は最悪の状態でスタートする。だからこそ、彼の攻略難易度は高い。
ゲーム本編でも他の対象者達よりもステラとの触れ合いは少なく、他の攻略者達は婚約や結婚まで至るというのにトゥルーエンドですら想いを確かめ合う程度。
オルテガは初めから明らかに特別な存在だった。
そんな風だったからオルテガ×セイアッドの界隈では初期バージョンのエンディングの後の話を妄想すると暗い展開にしかならなかった。
彼は復讐の為にステラや王太子達に近付くのだ。
これを腐女子に都合の良い妄想と思う勿れ。オルテガのストーリーの端々には深読みする程にその狂気の片鱗が確かに滲んでいたのだから。
二人が取った異なる行動で未来は変わりつつある。私はそれを守りたいのだ。
目の前で部下達に迎えられてはにかむように微笑むセイアッド様の穏やかな表情を守りたい。私なんかの力ではきっと微々たるものでしかないのだろうけれど、それでも、彼等の為に何かしたいの。
セイアッド様が文官達の指示出しを終えて執務室に戻ろうとした時だ。
廊下の先に誰かいる事に気が付いてセイアッド様の足が止まり掛ける。
視線の先には一人の男性。真紅のマントに壮麗な騎士団の衣装。親の顔より見た美丈夫がそこにいた。そして、こっちに向かってくる。という事は!!
「リア」
蕩けるような甘い声で名を呼ばれたセイアッド様は呆れたような顔をして近寄ってくる男性を見ていた。
オルテガ・フィン・ガーランド。
私の推しの一人で推しカプの攻めだ。
推しを目の前にした私は言葉も出ずに二人をガン見するしか出来ない。
「……騎士団の仕事はどうした」
「お前の護衛をしようと思ってな」
「いらん。宰相付きの者が此処にいるだろう」
にこやかに近寄ってきたオルテガ様はセイアッド様の腰を抱こうとしてその手をはたき落とされる。セイアッド様の口調は呆れたような口調だが、良く見ると黒髪の合間に見える白い耳が赤く染まっていた。
ツンデレか。
つれない態度を取っていても内心は嬉しいのだろうか。ぐあー! なにそれ可愛い!!
そのまま歩き出すセイアッド様の隣に寄り添うようにしてオルテガ様が歩き出す。後ろから着いていけば、時折牽制するような視線をあちらこちらに向けているオルテガ様が見えて私はもうダメだった。
穏やかそうに見えて実は独占欲マシマシの攻めと素直になれない受けなんて最高過ぎる。甘やかしまくって欲しいし、人目がないところではラブラブしてほしい。語彙力なんて死滅した。やっぱり推しカプ最高です。生で見られる事に感謝したい。毎分毎秒供給状態とか幸せ過ぎる。これなら仕事が忙しくても生きていけそうだわ。
内心で悶えながら宰相の執務室への道を歩く。隣り合って歩くだけでも美味しいのにちょいちょいオルテガ様がちょっかいを掛けるのを見るたびに口を押さえて叫ぶのを我慢し、膝から崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。
そうして、やっと辿り着いた宰相執務室前。
「着いたからもういいだろう。早く自分の仕事に戻れ」
つんけんした物言いでセイアッド様がオルテガを追い払おうとしている。そんなセイアッド様に対してもオルテガ様はにこやかな辺り照れ隠しなのが分かってる感じですね本当にありがとうございます。
なんて感謝を抱いた時だ。
「昼休みにまた迎えに来る」
耳が溶けそうなくらい甘い声音でそう囁くとオルテガがセイアッド様の頭にキスをする。
そして、それを不意打ちでくらい、目の前で目撃してしまった私の口からは今世最大の悲鳴が零れたのだった。