『とあるオフの日-アカネと巌原の場合-』「オフに呼び出して悪かったな」
「むしろ参加させてもらえてありがたいっすよ。俺が頼んだ案件なんだし」
"ルビレに関することは全て把握しておきたいから"と、たとえ休日でも打ち合わせがある時は連絡を寄越してほしいと頼まれていた。普段の多忙さを知っている手前たまのオフくらいゆっくり過ごしてほしいのが本音だが、アカネの希望を無視するわけにもいかない。会議室がリザーブできた段階で連絡を入れると、予想通り返事は即答だった。
ルビレのボーカル、サウンドプロデューサー、そして時には己の容姿を活かして広告塔をも務める。当然その仕事量は膨大だ。本人の意思でやっている事とはいえ本当に恐れ入る。明け方近くSNSに浮上していることもあるようだし、きちんと睡眠をとれているのか不安になってしまうが……私生活はクロノが見張っているだろうから無理はさせてもらえないだろう。体調さえ崩さなければある程度までは許容の範囲内だ。
「ま、お前が楽しいならいいさ俺は」
「なんか言った?」
「独り言。じゃ、お疲れさん」
「お疲れ……ん?」
「どうした?」
「……なぁ。もしかしてあれ、巌原さんのデスク?」
すげー事になってるけど、と薄ら笑いを浮かべるアカネに嫌な予感がして視線の先を追うと、自分の机の上に大量の紙が山と積まれているのが目に入った。……なんだあれは。
「これ……次の会議で使う資料か」
「ホチキスで留めろってこと?」
「多分な……ってお前、まだ帰ってなかったのか」
「気になるんで」
突然のルビレのボーカル様の登場に室内がザワつく。傍から見れば完全に浮いているのだが……まぁ、そういうことを気にするタイプじゃないか。
「……昼までに片付けるか」
「巌原さん」
「なんだ」
「俺もやる」
「……は?」
思わず目が点になった。また突拍子もないことを……
「お前せっかくのオフだろ。第一アーティストに雑用させられるか」
「家帰ってもやることねーし」
「……体休めるとか」
「ジッとしてるの苦手」
「……」
仕方ないなとため息をつくと、アカネは悪戯が成功した子供のように無邪気な笑みを浮かべた。まったくこうと決めたらテコでも動かないのだから。表情からしていくら帰れと言ったところで頷かないのは目に見えているし、そうなれば俺が折れるしかない。
「そうこなくっちゃ。イス借りてくる」
「あぁ」
もう好きにしてくれと半分諦めた気持ちで席につくと、左後方から"うわ!?"と男性社員の驚いたような声が聞こえてきた。恐らくアカネが至近距離で声をかけたのだろう。本人は無意識か知らないが、精神的にも物理的にも距離が近いのだ、アイツは。同じ意味ではルビレのベーシストも該当するが、アカネのほうが無意識な分よりタチが悪い。あとで釘をさしておかなくては。
「お疲れ様です巌原さん……うわっ!?」
「よう飛倉」
「どーも」
本日二度目の"うわ!?"は俺の後輩かつ弊社自慢の新進気鋭バンド、Impish Crowの担当マネージャーである飛倉だった。
「お、お疲れ様です……あの、なんでアカネくんが……何してるんですか……?」
「あー……ちょっと、俺の手伝いをな」
咄嗟に上手い返しが浮かばずふんわりとした説明になってしまったが、嘘はついていない。そんな俺達を見て"そ、そうなんですか……"と頬を引き攣らせる飛倉の反応も間違っていない。誰だって社の売れっ子アーティストがホチキス片手に無心で資料を留めていたら驚く。
「巌原さーん。針きれた」
「なに?ちょっと待ってろ確かここに……」
替え芯のストックがあったような。なかったような。
ホチキスなんて最近滅多に使わないものだから記憶が曖昧だ。お世辞にも綺麗とはいえない引き出しをゴソゴソ漁っていると、整理整頓しろよと横から余計な声が飛んでくる。言っていることは最もだが、家で服を脱ぎ散らかしているやつには言われたくない。その後見かねた飛倉が助け舟をだしてくれたおかげで休憩終了時刻の30分前には全ての資料をまとめ終えることができた。
「よしアカネ。メシ行くぞ」
「……、」
「なんだ。それ目当てじゃなかったのか?」
不意を突かれたように金色の目が瞬く。予想外の反応に声をかけた俺の方が首を傾げてしまった。てっきり一緒に食べるつもりで残ったのだとばかり思っていたからだ。
まぁ確かに、お呼ばれすることはあっても俺から誘うことは滅多になかったかもしれないが……それにしたってそんなに戸惑うところか?いつもはこっちが冷や冷やするくらいのハプニングも笑い飛ばすくせに。
……それともただ単純に、まだあんまり慣れていないんだろうか、こういうの。
行くだろ?と確認のために再度尋ねると、今度はすぐに首を縦に振ったのでほっと息をつく。
「なに食いたい?」
「ハンバーグ」
「好きだなぁ……」
「美味いだろ肉。それに、巌原さんもたまにはちゃんとしたもん食わねーと」
「ハイジが心配するって?」
「そりゃハイジもだけどさ」
"俺だって心配くらいする"
そう言わんばかりにわざわざ立ち止まって振り返るものだから、俺の足も自然と止まった。
「これからもヨロシク。敏腕マネージャーさん」
ステージで見せる色気を纏わせた笑みでもなく、ルビレの王たる不敵な笑みでもなく。
ふっと目元を和らげただけのそれにどうしようもなく"日暮茜"という個人を感じて、仕方ないなと軽く笑って頷いた。