Flash fight, Run, Kill, and ... 廃工場を揺るがす轟音に、びっくりして一番大きく身体を跳ねさせたのはその事態を唯一想定できていたドクターと呼ばれる男だった。この世の終わりのような破壊音と逃げまどう人間の悲鳴、罵声、断末魔。徐々に近づいてくる不吉どころでない爆音に流れる鼻血を拭うこともせずに――というのも両腕を後ろ手にきつく縛られていて身動きが取れなかっただけなのだが――床に転がったままあんな排気量のバイク誰が保有していたっけなと脳内リストを検索していた。
ようやく気がついたメンバーの一人が慌てた様子でドクターを掴み上げ人質にしようと声を張り上げた。しかしそのあまりにも伝統的かつ使い古された台詞が途中で終わってしまったのは、小刀が正確無比な投擲で彼女の喉を貫いたからである。そうして再び地面とお友達になることになったドクターが二度と人質としてナイフを突きつけられることはなく、周囲の音が苦悶の呻き声とバイクのエンジン音だけになった頃、ようやく剣呑な足音が背後で止まった。
「おい」
「残念ながら生きてるよ」
「チッ」
どさくさに紛れて蹴り転がされたような気もするが本日ドクターの身に起こったことの中ではほんの些細なことだった。そもそもエンカクに本気で蹴られていたら背骨が砕け散っている。羽獣のひなの甘噛みのようなものだ。本人に言ったら今度こそ本気で背骨を折られるだろうが。
「あれ、君一人?」
「他の連中はポイントC13で足止めをくらっている。西の橋を通行不能にされた」
「たかが小さな製薬会社ひとつに大層なことを……て、つまり君がわざわざ車じゃなくバイクで一人だけなのって旧橋梁通って来たからか!?」
「他の迂回路は時間がかかりすぎた。お前ひとりのために国境を超えるリスクは犯せないとの判断だ」
「……まさか私にその後ろに乗れって言わないよね?」
「チャイルドシートを準備してきたほうが良かったか?」
「四点式で頼む」
腕の拘束を切ってもらい自由になった身をぐったりと汚い床に横たえていると、乱暴な手つきで無理やり持ち上げられた。そして乗せられるのは当然ながらバイクのシートの後ろ側で。
「うわ、君の足長っ」
「下らんことを言う前にしっかり掴まっていろ」
「これで私の腕力的には最大出力なんだけど」
「……そこで待っていろ、何か縛るものを探して来る」
結局、床の死体から頂戴したベルトでギチギチに巻かれた状態で、私はみんなのいる拠点にまで無事に帰還したのだった。
「うっわー! リーダー泡噴いてるけど何があったの?」
「渡っている最中に橋が崩れたからアクセルを踏んだ」
「もうやだ……おうち帰る……」
「はいはい、その前にもうひと作戦お願いね」
「うえっぷ。ごめん、誰か水と地図と私の予備のフェイスシールドとヘッドセット持ってきて」
バタバタと簡易指揮所を立ち上げながら、車両整備担当とあれこれ言葉を交わしている彼に呼びかけた。顔を上げた彼は迷惑そうな表情の後ろ側にいかにも暴れ足りませんという熱を隠しもせずに、刀を手にこちらへとやってくる。
「エンカク、出られる?」
「誰に聞いている」
ふと伸びてきた彼の指が、私の鼻の下を拭う。やっば、鼻血そのままだったか。ずいぶんと間抜けな顔をしていたのだろう、エンカクは指先からパラパラと固まった血の破片を落としながら薄っすらと笑った。
「オーケー、こき使ってやるから覚悟していろ」
「失望させてくれるなよ」
勝手に単身誘拐された指揮官に失望していないオペレーターなど彼含めて誰一人いないだろう。つまりそれは不可能だった。不可能なことを口にするなんて、彼もずいぶんと丸くなったものだ。なので私は周囲が見ていることを十分に理解した上で、思い切り彼の唇に噛みついてやったのだった。