Smoking kills「すまないが、火を貸してもらえないか」
そう言いながらふらふらと歩いてきた黒いフード姿に、Scoutはひとつ頷いて懐から先ほど仕舞ったばかりのライターを出した。
立ち並んだテントの影とはいえ、荒野の夜風は容赦なく体温を奪っていく。ましてや肉などほとんどついていないひょろりとした体格の彼だ、こんな時間までずっと作戦を練っていたのか、しきりに目元を押さえながらごそごそと懐から取り出した煙草のパッケージは、まだ封すら開けられていない新品だった。
「アンタそんなもん吸ってるのか」
「うん? 不味いと評判らしいな、だが新参者の私でも手に入る銘柄なんてこれくらいで」
その悪名高いパッケージにぎょっとしているScoutを尻目に、慣れた手つきで一本を取り出した彼は、再びすまないがと同じ言葉を繰り返した。その口元でライターを点火してやれば、一瞬目を見開いた男は嬉しそうに先端をつけ、吸い込む。
「オイルを切らしていたのをすっかり失念していて、今度の補給の時に頼めればいいんだが」
「源石ライターは使わないのか?」
「アーツは不得手でね。テントを燃やしたら流石にここを追い出されてしまう。それにしても噂に違わぬ不味さだな、これは」
その頭脳を買われ鳴り物入りで司令部へと迎え入れられた男は、本気かどうかすら読み取れない口調で淡々と言ってのけた。確かに男がアーツを使ったところなど見たことがないので、案外本当のことであるのかもしれない。
「物々交換でも最低レートだよ、その煙草は」
「では、他にはどれなら手に入る?」
あれこれと上げられた銘柄のいくつかに首を横に振り、Scoutは数少ない嗜好品の流通ルールについて目の前の男に教えてやった。口数が少ない男とばかり思っていたが、意外にも世間話は好きなようだった。他の場所では知らないが、という前置きの話を興味深そうに聞く男の目元の黒い隈を眺めていると、やがて感心したように男は言った。
「君は親切な男だな」
「よしてくれ。生まれて初めて言われたよ、そんなことは」
「君の周囲は見る目がないな。こんなにも心優しい男なのに勿体ない」
本当か嘘か――いいや、疑うのはもうやめよう、少なくとも今ここにおける彼の言葉は十分に本心に聞こえた。柔らかく伏せられた眼差しは一体今まで何を見てきたというのか、昼間はカズデルの荒野の果てさえ見透かしているようだというのに、今はただ不味い煙草にげんなりと失望している表情すらScoutの目から隠す気はないのだから。だから、そう、だからだろうか、Scoutは足元に落とした吸殻を踵で潰しながら、ゆっくりと口を開いた。
「なら、まあこれは忠告なんだが、その煙草はもう吸わんほうがいい」
「ん?」
「不味いだろう? だから下品なジョークがあってな。『それを吸うくらいなら、野郎の×××でもしゃぶってたほうがマシだ』っていう。だから、こんな風に誰かの前で吸うと、夜の相手を探してると思われるぞ」
「…………あー、その、知らなかったというのは言い訳にもならないだろうが」
彼が握りしめたままだった新品のパッケージがぐしゃりと歪む。その細い指から小さな箱を取り上げるのは簡単なことだった。その代わりに、自分の懐から取り出したまだ半分ほど中身の残った別の煙草のパッケージを無理やり握らせる。
「おおかた揶揄われたんだろうな。で、教えてほしいんだが、アンタにその煙草を渡したのはどの隊のどの連中だった?」
「いや、彼らもジョークのつもりで、まさか私が知らないとは思わなかったんだろうし」
「それを判断するのは、残念ながらアンタじゃない」
「…………やっぱり君は優しいなあ」
ため息とともに紡がれた数名の名前をしっかりと脳みそに刻みこみ、Scoutは取り上げた煙草のパッケージを握りつぶした。
「――とは言うが、絶対にこっちのほうが不味いと思う」
「だから無理して飲むなって言っただろう」
吐き出すようにと差し出したティッシュに、しかし彼は顔を背けて口内に残ったものをごくりと嚥下した。その短くなった髪に指を通しながら、Scoutは呆れ果てた口調で言葉を続ける。
「美味いもんじゃあないだろ、精液なんて」
「君は私がどれだけ懇願しても絶対に飲むのに?」
「ならアンタよりも悪食ってことなんだろうな」
「私よりって相当な不名誉だぞ、それでもいいのか」
「自覚があるならまだ改善の余地はあるな」
口の周りに飛び散っていた精液を拭えば、その指先を追いかけるようにちろりと舌で舐めとられてしまった。その姿にずくりと先ほど吐き出して大人しくなったばかりの股間が元気を取り戻してしまう。なんとも現金なものだと我がことながら苦笑しか浮かんでこない。
「どうして誰も彼も私に食育を施そうとするんだ。言っておくが、先月にOutcastが焼いてくれたケーキは美味しかったよ」
「上はちゃんとわかるのに、どうしてそんなに下限が低すぎるんだ」
「生存のためにはむしろ有利だろう。栄養さえ見分けられれば生きてはいける」
「ああ、そうだな、ドクター。アンタはいつだって正しい」
「この状況で歯を立てられたいのか?」
「それを人質にとられると、降参せざるを得ないのが男の弱いところだな」
口淫のあと、彼はキスをするのを嫌がる。確かに自分の精液の味など願い下げではあるのだが、彼とのキスの前にはそんなものは霞んでしまうため、逃げようとする彼の頭をホールドし、その薄いくちびるにかぶりつく。ぬるりとした青臭さがすっかりと彼の味に戻るまで彼の小さな舌を吸い、しゃぶり、舐め回していると、ぎりりと腕にかわいらしい痛みが走った。
「首が苦しい」
不自然な姿勢に、呼吸よりも先に身体のほうが値を上げてしまったらしい。出会った頃とあまり変わらない薄い身体を抱きシーツの上に寝転がれば、ふふ、と小さな吐息がそのくちびるからこぼれ落ちた。
「でもまあ、その通りにはなったわけだ」
「本当に、相手を探していたのか?」
「そんなに怖い顔をしないでくれ。結果的にそうなったなと言っているだけだ」
つい顔を強張らせてしまったScoutをなだめるように、こつりと額がぶつけられる。だがついでに角を撫でられるのは、まるで頑是ない幼子への対応のようで鼻白んでしまった。なので子供ではない証拠をぐいぐいと彼の太ももへと押し付けながら、いまだ熱の残る彼の背中をゆっくりと撫で下ろす。
「もう一度、いいだろうか」
「言葉で聞きたいのか?」
「聞きたい」
仕方がないな、と言葉とは裏腹に満足そうな声で耳元に落とされたひとことに、Scoutはいそいそとおのれの尾をドクターへと巻き付けたのだった。