「え、君って夏服持ってたんだ」
「それはこちらの台詞だ」
片や黒ずくめの戦闘服をノースリーブと涼しげな上着に、片やフードのついたロングコートを鮮やかなロドスブルーのパーカーと生成りのハーフパンツに。あまりにも見慣れぬ姿に同時に怪訝な顔になった両者が開口一番言い放ったのがそれだった。
「へっへーん、これは去年かわいいアーミヤに見立ててもらったものでーす。『そのお洋服のままですと、暑さで倒れてしまいますよ!』って。かわいくない? 私を心配してくれたんだよ」
「黒ずくめの不審者と一緒に歩きたくなかっただけだろう」
「オブラート! わかってるけどオブラートに包んで!」
さんざん地団太を踏む上司を鼻で笑いながら、サルカズはそれで、と話を軌道修正した。
「どこに行くつもりなんだ」
「メインマーケットの西側に古い建物を残したエリアがあるらしいんだよね。そこの寺院群を見てみたくて」
「治安は?」
「悪い」
「よし」
傍らに置いた大刀を持ち上げながら、物騒な形に唇の端を吊り上げる。わあ、とまったく感情のこもっていない悲鳴を上げながら、ドクターはパチパチと気の抜けた拍手までしてみせた。
「結局、バカンスでも刀は持ってきたんだね。新しいやつはどう?」
「訓練室である程度手には慣らした。ちょうど試し切りの機会が欲しかったところだ」
「あのへんの壁、古くて脆いから力加減を気を付けてくれ。君ほどのベテランに言うほどのことでもないけど」
あと他にも見たいものがあってね、と歩き出すサンダルの上の骨と皮ばかりの踝を見下ろしながら、昨晩、シーツの中でその足がピンと跳ねていたことを思い出す。歯型でも残しておけばよかったな、と考え、しかしあまりにもな思考に頭を振って霧散させた。どれもこれも目の前の男と暑さが悪い。
「なんだい」
「ひとりで黙って出ていく手もあっただろう」
「そっちのほうが余計に厳重な護衛がつくんだよね。なら先に手練れを一人指名したほうが身軽で済む」
「何も出ないぞ」
「事実だよ。褒め言葉くらい素直に受け取ってくれ。せっかくのバカンスなんだから」
どうせ何を考えていたかなどお見通しなのだろう。フードの奥のからかうような眼差しに、エンカクはわき上がる苛立ちのままにそのうなじへと歯を立てたのだった。
*****
「終わった?」
ひょっこりと壁の奥から姿を現した青い姿があまりにも見慣れず、一瞬おさめたばかりの刀を抜きかけてしまった。そんなこちらのことなどすっかり見えているだろうにまったく意にも介さずに、痩身は倒れた連中や瓦礫の山を危なっかしく避けながら近づいてくる。
「顔は見られていないだろうな」
「うん、君が貸してくれた”これ”もあったし」
押し付けたサングラスの下から覗く瞳がよく見知った色をしていることに安堵をおぼえ、しかしそんな自身に猛烈に腹が立ち誤魔化すために昇り始めた二つの月へと視線を移した。
「おかげでホテルのディナーには間に合いそうだ。今日は何が食べたい? 私のおすすめはエビの揚げたやつ。駄獣の乳が隠し味らしいんだけどこれがまた絶品でね」
「これで終わりなのか、つまらん」
「その割には遠慮なく壊してくれたみたいだけど」
「勝手に吹き飛んで勝手に当たって勝手に壊れた。現地警察への言い訳を考えるのはお前の領分だ」
「はいはい、それじゃあ見つかる前にさっさと帰ろう」
自分から見たいと言ってここまで来たくせに、到着するや否や現地ギャングの抗争に巻き込まれ逃げまどい撤退し体勢を立て直して全員地に叩き伏せた。観光どころではなかっただろう。だがそれを気にするのはエンカクの仕事ではない。
「見るべきものは全部見たよ。何人かそこそこ手ごたえがあっただろう?」
不本意ながら頷けば、男はにんまりと満足そうに微笑む。その頭の中にあるものなどさっぱり理解はできないが、つまりは上手く利用されたということなのだろう。いつものことながら腹立たしい上司をうながせば、へらりと続きの言葉を口にする。
「気になった荷の流れがあって、どっちなのかわからなかったから直接確かめたほうが早いかなって」
「それで目立たない護衛のアイツらじゃなく俺を指名したのか」
「だって私の武器はかっこいいのだもの」
青いのもきれいだね、炎の温度を上げたのかいとニコニコ笑う顔にこそ、彼らは銃弾を叩きこむべきだったのだ。地に沈んでしまった彼らに今さら言っても仕方がないことではあるが。上機嫌にフラフラと歩く腕を掴んで暗闇の中の瓦礫を避けさせながら、表通りの明かりを目指して歩みを進める。横に並んだ彼はふと気がついたかのようにサングラスを外してこちらに差し出しながら、にこりと笑って言った。
「それに、こうでもしないと君は私とデートしてくれないだろう?」
「……なんだと?」
脳が理解を拒絶する単語が聞こえた。幻聴だと信じたいがあいにくと掴んだ腕の骨皮ばかりの感触には嫌というほどおぼえがある。
「ほら、サングラス返したいからもうちょっとかがんで」
「いらん。そのままかけていろ」
「え、くれるってこと? やったぁ」
「ホテルに戻るまでその腹立たしい顔を隠していろと言っている」
掴んだままの腕は振り払われる気配もなく、背に負った大刀がガチャンと音を立てて揺れる。固定ベルトの調整はもう少し必要なようだ。こんな大きな音を立てるようでは護衛も何もない。結局、彼の本意がどこにあるのかなど考えるだけ無駄なのだろう。こういうことで嘘をつくような人間ではないが、おそらくは出歩いた理由はそれだけでもない。だがひとつ言えるのは、その伏せられた理由が次の戦場へと繋がっているという、実績のある確信だ。ならばエンカクがここで見捨てて一人で帰らない理由としては十分である。
恋人つなぎというにはほど遠く、宿までのほんのわずかな道のり。二つの影は一瞬だけ重なり、そしてゆっくりと同じスピードで歩みを進めていった。