6話目途中まで 休み明けの学校でエランはやたらと他の生徒たちから見られているのを感じた。喫茶店でのことがかなり広まっているようだった。エランは注目されるのが苦手なスレッタを心配して昼休みに彼女を人気の少ない場所に誘った。話題の二人ばかりが姿が見えないというのも露骨なので友人たちと一緒に来るよう伝えた。
購買で適当な食べ物を確保し、速やかに待ち合わせ場所に向かう。そこは以前スレッタが写真を撮っていた花壇の前だ。
背もたれの無いベンチに座ってスレッタを待っていると五分程で彼女はやってきた。束ねられた髪をぶんぶん揺らして走ってきた。かわいい。友人トリオのうち一人だけがまるでわんこなスレッタのスピードについてきた。あとの二人は、一人は「速い〜!」と言って息を切らして追ってきて、もう一人はのんびり歩いてきた。
エランとスレッタ、トリオの二組に分かれて座る。
「今日は何のご用ですか?」
トリオの一人がエランに尋ねた。
「ここならきみたちが落ち着いて過ごせると思った」
「先輩も質問攻めにあったんですか?」
スレッタはエランと違って見られるだけでは済まなかったようだ。
「ぼくはじろじろ見られただけ。スレッタ・マーキュリー、きみはどんな質問にどう答えた?」
「えっと……」
エランが質問するとスレッタはサンドイッチの包みを開ける手を止めた。
「エランさんといつから仲良しなのって聞かれて、エランさんが長くお休みする前からって答えました」
「他には?」
「昨日はあのお店で二人で何してたのって聞かれて、一緒にパフェ食べましたって答えました」
「そう」
エランは察した。スレッタはどう見てもカップルな行動はするが「交際している」とはっきり言うことにはまだためらいがあることを。おそらく「エランと交際しているのか」という質問には「はい」とも「いいえ」とも答えていないだろう。
「ねえスレッタ。どうしてはっきり言わないの? エラン先輩と付き合ってるって」
「……それは……」
友人に尋ねられてスレッタは俯いた。
「自分でも、よくわからない、けど……取られそうな気がして……」
「ええ? 略奪されるかもってこと? まあケレス先輩の人気を思えば……いやいや、公表しない方が狙う人が出やすいんじゃない?」
「他人の恋人奪いたがるやばい人も世の中にはいるらしいけど……」
友人たちは困惑し、スレッタは俯いたまま説明しようとする。
「そういうのじゃ、たぶんなくて……わたしが何か持ってるのはだめ、みたいな……」
(?)
エランも初めて聞く理由だ。複雑な乙女の恥じらいと、“大事なもの、良いものを他人に取られたくない”というよくある気持ちで隠しているのではなかったようだ。
本人にもわかっていない感情、思考が他人に正しく伝わるはずもなく、スレッタが何をどう恐れているのか謎であるが、彼女がおかしなことを言ったのは間違いないとエランは思った。
「きみが何かを持っているのがだめなんて、そんなの絶対にないよ」
エランの言葉にスレッタは顔を上げ、友人トリオはうんうんと頷いた。
「そうでしょうか」
「そうだよ」
エランはスレッタの手を取り、自分の手を彼女に握らせた。
「ぼくのこと、しっかり持ってて」
「エランさん……。はい」
スレッタはエランと見つめ合い、恋人の手を引き寄せて胸の前で大事そうに撫で、再び握り込んだ。
「ひょっとして」
トリオの一人が何かひらめいたようだ。
「水星での生活との違いっぷりに怖くなっちゃってる? 学校に通えて、同じ年頃の人がいっぱいで、一緒に生活して、しかも早々に恋人ができて、充実し過ぎで本当にいいのかな、みたいな。持たなくていい罪悪感持っちゃってない?」
「……えと……」
友人に言われたことについて考えつつスレッタはエランの手を宝物のように抱えた。それだけならなんてことないが、手が胸に押しつけられた。自分が人前で何をしているかスレッタは気付いていない。今二人きりだったらエランは手を動かすなど不埒なことをして理解させるところだが、ここでは何でもないふりをした。トリオの一人が何か言いたそうな顔をしたがスレッタが喋り出したため何も言わなかった。
「そうなのかもしれないです。ここに来て、いろんなことが叶いました。いいこと、たくさんありました。その中で、エランさんはうんと特別です。わたしのこと好きになってくれて、恋人にって願ってくれて、優しくしてくれて、大切にしてくれて、それだけですごく嬉しいのに、一緒に生きたいって思ってくれて、今もこうやってそばにいてくれます。これはすごくすごいこと、えっと……ありがたくて、光栄、だと思います。幸せがわたし目掛けて走ってきたんです。それで、いいのかなって」
いいに決まっている。
「いろいろすっごい彼氏ができて、びっくりしちゃったんだね」
「それも年の近い人が一人もいない所から出てきた途端にって感じだもんねえ」
友人たちにコメントされるとスレッタは頬の赤みを強くして頷いた。
「原因がわかった感じだけど、次からはケレス先輩と付き合ってるって言えそう?」
その質問であっという間にスレッタの表情から明るさが消えた。
「まだ怖い、です」
「そっか」
別の友人が質問する。
「先輩が言うのは?」
「え?」
スレッタはエランが明言する可能性を失念していたらしく、驚いた顔をした。
「エ、エランさん、言ったことは」
「聞かれたらことすら無いよ」
エランが答えるとトリオの一人が「さすが氷……」と呟いた。
スレッタは安堵すると、できるだけ秘密にしてほしいとエランに頼んだ。エランはもちろん承諾した。
放課後、エランのもとにスレッタから電話がかかってきた。ただの電話ではなくビデオ通話だった。通話ボタンを押すと彼女の顔が画面いっぱいに映し出された。
『エ、エ、エ、エランさん! 責任重大で!』
慌てているスレッタにそばにいる誰かが(友人のうちの一人のはずだ)が「落ち着いて」と声をかけた。
『は、はい、はい……』
いくらか落ち着いたスレッタの顔がカメラから離れた。彼女は今、ウェッブ寮の談話室にいるようだ。
『えっと、シャディクさんが来て、今度の決闘手伝ってほしいって』
「大役だね」
エランは静かに返した。少しだけ驚いていたが顔や態度には一切出なかった。
「引き受ける?」
『それをっ、エランさんに相談しようと思ったんです!』
「そう。どうしてシャディク・ゼネリはきみに依頼を?」
エランは理由を聞いたが見当はついている。
「そっ、それはっですね」
『それについては俺から説明するよ』
シャディクの声が聞こえ、映像がぶれた。そして彼の姿が映った。
『やあエラン。総裁が、正式に娘の婚約者が決まる決闘は両者が持てる力を全て発揮するのが望ましいとか言い出してね。二対二のチーム戦をやることになったんだ。対戦相手が正式に決まるのはこれからだけど、やっぱりグエルになるだろうな』
〈そこで二対二にするあたりできればグエルがいいなーってのが漏れてるね〉
エランもリリィと同じことを考えた。意見が一致する人は学園内外に大勢いそうだ。
ちなみに総裁はまだ入院中である。
『そこで俺は水星ちゃんに相方になってと頼んだわけ。向こうは新型を出してくるはずだ。それの予想される性能の高さに対して俺の使えるものでは厳しいと考えてるんだ』
「そうだろうと思った。並々ならぬ熱意を持って挑んでくるだろうね、ラウダ・ニールとシュバルゼッテは」
シャディクの顔に驚きが浮かんだ。
『もしかして性能も把握してるか?』
「大体は」
『後で教えてくれないか』
「もちろんいいよ」
『ありがとう。で、水星ちゃんに手伝ってもらうことについてだけど』
また映像がぶれてスレッタが映った。彼女の手に生徒手帳が戻ったようだ。
『あ、あの。全力で、グエルさんみたいな強い人と戦える機会、逃したくなくて、あと、勝った場合の報酬が魅力的で! でも、責任重大過ぎて、どうしたらいいかわからなくなって……』
「その報酬というのは?」
『シン・セーへの、継続的な支援です』
「なるほど。——シャディク・ゼネリ、微妙な支援でごまかして毟るなんて考えてないよね」
『そんなことしないよ。俺とシン・セー、というか水星の両方がにっこりできるようにするよ、ちゃんと』
〈月産パーメットを地球に回して宇宙には水星産を売りつける、とかかなあ?〉
「負けた場合は? スレッタ・マーキュリーは責任重大だと言ったけど」
『彼女に責任を負わせることはないよ』
カメラの位置がずれてシャディクの顔の上半分だけが映った。スレッタとシャディクがテーブルの両端から生徒手帳を覗き込んでいる形だ。シャディクは真剣な目をしている。
『負けてしまっても、それは水星ちゃんを選んだ俺の責任でしかない。ただ、あれこれ言うやつは出てくる。それは覚悟してもらいたい』
「わかった。ところでシャディク・ゼネリ、きみ、土壇場で『娘はやらん』とか言い出しかねない人の所に殴り込みをかける用意はできてる?」
『それは、ゲームで決めるのはやっぱ無しって言い出す——ああ、あのことか。一発引っ叩くくらいならできるけど』
「動けるならいいと思うよ」
『なんか君たち不穏な話してない?』
別の男子生徒——ウェッブ寮の寮長の声が聞こえた。
『まさか。社会的な衝突の話でしかないよ。俺たちちょっと育ちが微妙なものだから言葉選びが過激で。でもいくらなんでも物理的な衝突の話をこんな所で堂々とすることはないさ』
もちろん嘘である。物理的な衝突の話を言葉を控えめにして話している。
『それはわかってるけどさ、君たち物理的に強いから言葉通りのことしてるのが簡単に想像できるから、なんか……ビビる』
『ははは。物理的に星を動かす業界に入るのにちっぽけな人間同士の殴り合いにビビってていいのか?』
『うちは見るのが役目で押したり砕いたりするのは不得手だよ。雑魚っぷりを見ればわかると思うけど』
『でも最近は採掘屋に鍛えてもらってるだろ?』
『サンプル採取がうまくなるだけだよ』
話題逸らしをシャディクに任せてエランはスレッタの名前を呼んだ。画面にスレッタだけが映る。
「ぼくの考えでは、きみが負うべき責任は、“引き受けたからには勝つために動く”こと。それさえ果たせば負けてしまってもシャディク・ゼネリやグラスレーやその他のものに何かする必要はないと思う。大役だけどきみが思う程の重さはない。ただし彼の言うように、負けたのをきみのせいにする人は出てくる。その中にはきみに『責任を取れ』と迫るやつが絶対にいる。その不当な要求は受け入れてはいけないし、少しでも受けたら搾取が始まる。そうなったらもう水星のことは諦めないといけない」
エランの話す内容にスレッタは呆気に取られたようで口をぽかんと開けた。
「要求を拒否したらしたで嫌がらせがある。相手は大抵金持ちだから厄介かもしれない。嫌がらせの懸念は勝った場合にも違う相手から発生するけど、そのことはもう寮の人と話してあるのかな」
『あ、はい。シャディクさん、わたしの前にウェッブ社の社長さんと話をつけたらしくて。だからもう、わたしが決めるだけなんです』
「そう。それじゃあ勝敗に関係なく発生するもう一つの重要なことについて話すよ」
『?』
「きみの前にものすごい強敵が現れる。それもいくつも。きみが回避してきたこと、後回しにしてきたこと、隠されていたことがいっぺんに出てくる」
『???』
「ここで決闘しなくてもいずれそうなる。ゲームでたとえるなら、これまでスタートからゴールに行くだけで次のステージが開放されていたのが、各ステージに散らばるアイテムを回収しないと先に進めなくなる。先送りにする程回収するべきものが多くなって面倒になる。けど、レベルを上げてからの方が楽かもしれない」
スレッタがこてんと首を傾げた。
『……エランさん、意味深なこと言うキャラみたいです……』
「具体的なこと言えなくてごめん」
『あっ、謝らないでくださいっ。エランさんがわたしのこと、いっぱい考えてくれてるの、わかってるつもりです。エランさんの決めたことが正しい、というか、わたしにとっていいこと、なんだと思います』
「そうだといいけど」
前回のスレッタは全てを知った状態でエアリアルのスコアを8にして家族と別れた。支配計画を許容したことの是非はわからないが、彼女は自分の意志でエアリアルと母から離れた。別に急かされていたということもなかったのに、何ヶ月か後でも構わなかったのに、早々に決闘した。衝撃的な事実を伝えられ、別れを受け入れるのは同じでも、突き放されての別れとは大違いだ。心へのダメージが小さいのは確かであるし、健全、大人と考える人も多いだろう。しかしあれは結局はスレッタはいつものように親の望みを良い子に受け入れただけと言えるものでもあった。
今回のスレッタは、このままでいくと「お前は用済み。さよなら」をくらい、場合によっては貶される。エリクトが喧嘩を望んでいるからだ。エランとしてもスレッタが自身に対して行われる不当なことに不満をはっきりと示せるようになったらいいと思っている。最低でも暴行された時に身を守ろうとすらしないのは改めてほしい。
エリクトとエランが言葉を間違えればスレッタはただ深く傷付くだけになってしまう。エリクトはシミュレーションを重ねたはずだが彼女だって姉妹喧嘩をしたことはないし、親との喧嘩もおそらく無い。精々叱られてぎゃんぎゃん騒いだ程度だろう。そしてエランも喧嘩の経験は無いかどこかに行って戻っていない。喧嘩して依存(良い子)脱却計画は失敗しかねない。そんなことになるくらいなら何でも受け入れはするが自立の心が強めという前回と似た状態を目指した方が良いのではないだろうか。少なくとも前々回やその前よりは良かったとエランは思う。ただ、あの彼女が他の誰かに支配されずに済んだとか、前向きに生きていけたとかの最終的な結果がわからないので不安もある。
『決めました』
(!)
〈お、早いね〉
エランが選択に自信が持てずに考え事をしていた少しの間にスレッタは決意したようだ。
エランの見る画面に天井が映り、スレッタを下から見るアングルになった。彼女が生徒手帳を膝の上に乗せたのだろう。
『シャディクさん。わたし、やります』
『ありがとう。よろしく』
『はい』
スレッタが腕を前に伸ばしたのが見えた。シャディクと握手をしたようだ。
カメラの位置が元に戻った。
『エランさん、相談に乗ってくれて、ありがとうございます』
「どういたしまして」
止めなかったことが間違いでないといいのだが。
『エラン。この後会えるか?』
シャディクが喋ったのでカメラが彼に向けられた。
「いいよ」
『それじゃあ三十分後くらいに電話するから、詳しい話はその時に』
「わかった」
男子同士の話が済み、再びかわいいスレッタが画面に映った
『電話、切りますね』
「うん」
通話が終わるとエランは生徒手帳を机に置いた。
これからのことを考える。スレッタが姉からあれこれ教えられたらエランも全て話すつもりだ。
「……振られたらどうしよう」
これまでそのようなことはなかったが、今回のスレッタは喧嘩に誘導されるのでエランにも怒りをぶつける可能性は大いにある。
〈多少怒りはするだろうけど振りはしないって。それよりキミに依存しまくりになることを心配してよ〉
「……彼女の全部になってみたい」
〈もー! 二人きりの世界に籠っていちゃいちゃコースは後悔しちゃうんでしょ!〉
「うん」
後悔の理由は以前に考えた“次の自分の選択”と大体同じである。スレッタとそれはもう濃密な時間を過ごせるだろうが不健全ですぐ死にそうなので最終的に不足を感じるに違いない。
「でもやっぱり魅力的だな」
〈籠っていちゃいちゃちゅっちゅするのは火星旅行の行き帰りの船での楽しみにしてよう〉
「そうするよ」
エランは不健全な未来の想像は程々にしておいた。
シャディクと電話で少し話した後、エランはすぐに出かけた。行き先はグラスレー寮だ。
「悪いな、こっちが協力してもらう側なのに」
「構わないよ」
秘密の話をするにあたってグラスレー寮は相応しい場所だろう。
通された部屋でエランはシャディクと向かい合って座った。
「早速だけどジェタークの新型について教えてほしい。ガンダムか?」
「頭部が、顔がエアリアルに近かったらそう。ダリルバルデの方が近かったら違う」
「今どうなってるかは知らない?」
「知らない」
「……どういう情報の得方をしてるんだ。いや答えはわかってるから何も言わなくていい。それより性能の話が聞きたい」
エランはシャディクの質問になるべく詳しく答えた。必要に応じて図を描いていったら最終的にシュバルゼッテの全身を描いていた。
「まるで戦ってるところを見たみたいな構図だ。……もしかして未来が見えてる?」
「きみも魔女になったらわかるかもしれないよ」
「俺が魔女か……。ラウダもなるみたいだしなあ。……総裁になれたら考えるよ。現状じゃ見過ごしてもらえそうにないし」
「そうだね」
「それじゃあ現状から抜け出すための話をしよう」
シャディクは決闘における作戦の話を始めた。彼は既に大体のことを決めていた。エランは少しの助言と、頼まれ事に対しての了承をした。
重要な話が終わるとシャディクが背もたれに寄りかかって楽な体勢をとった。
「なあ。エランは何がしたいんだ? 俺に何をさせたいんだ? 何がどうなってほしいんだ?」
「幸せに生きたい」
「人生の目標は聞いてないんだけどなあ」
「ぼくのこれはそんなざっくりしたものじゃない。進路希望に等しいよ」
「そう書いて提出したら先生に呼び出されるんじゃないか」
じとっとした目で見てくるシャディクをエランは堂々と見つめ返す。
「ごまかすなとか嘘をつくなと言いたいんだろうけど、ぼくは大真面目に喋ってるよ。言わないことはあるけどね。ぼくは幸せに生きたい。だから世界は平和であった方がいい。身近な所で戦いが起きたら困る」
「戦いを望んでるんじゃないのか?」
「利用する気満々なだけだよ」
「……もしかして俺にかなり期待してる?」
「うん」
「だったらいろいろ教えてくれていいんじゃないか?」
「きみが怖いから嫌だ」
「は?」
シャディクは今度は目を丸くした。
「きみは、いや、きみに限った話じゃないけど、何をするかわからない。きみの選択肢を増やすようなことするわけないし、理解不能なことをされないように脅せる立場にいたい」
「……そういうこと言っちゃう?」
「うん」
「そうやって中途半端に誠実さ見せてくるの困るな……」
「お互いによくわからなくて困っていよう。それで慎重になれば相手を敵に回すことなく済んでお互いになんか便利な関係でいられて、結果二人とも欲しいものが手に入るよ、きっと」
「そうだといいんだが」
「あまり信用ならないだろうから、ここで一つ情報を提供するよ。何がいいかな。ああそうだ、トマトは調べた?」
「……トマト? あの温室の?」
本当に不思議そうな顔をして見つめてくるシャディクにエランは頷いた。
「地球に持っていったなら変わってしまったかもしれないけど。母親からどう言われてるんだろう」
「あー……他のと混ざるようなことはしてないって言ってたけど」
「まあそうだろうね。何かを変えることはあっても変えられることはないだろうね。残る心配は自然と変わったものに置き換わってないかだね。ともかく調べるといいよ。この後すぐにでも」
「……? よくわからないけど了解。はてさて何が出てくるのやら」
「それじゃあ今日のところはこれで」
エランは立ち上がった。
「また明日」
「ああ、また明日」
エランとシャディクはまるでごく普通の雑談をしたごく普通の高校生のような雰囲気で別れた。自分の寮に向かっててくてく歩くエランが少し前まで不穏な事柄を多く交えた作戦会議をしていたと勘付く者はいないだろう。
翌日の夜になってエランのもとにシャディクからのメールが送られてきた。「何故こんなことを知っている?」という問いだった。おそらく「魔法使いだから」と返されると予想しつつそれでも聞かずにはいられなかったと思われる。そこでエランはあらかじめ考えておいた返事をした。「夫妻がかなりの変人なのがいけない」と。返信は何分も経過してから来た。「魔法ってどれくらいの期間で習得できる?」なんて問いだった。それに対してエランは、自分にもわからない、そもそも何故魔法を使えるかわかっていないと大体正直に書いて送った。
これまでで一番重要な決闘の日がやってきた。
決闘開始前にエランはスレッタにエールを送り、それからノーマルスーツを着用して荷物を抱えて地下に潜り込んだ。今回の決闘は工作合戦も激しい。エランは工作における戦力の一人なのだ。
目立たないように乗り物などは使用せず移動する。
無重力空間を突っ切っている時、眼下をモビルクラフトが飛んでいった。
「今の、調べられた?」
〈うん。ジェタークの生徒だよ〉
約三分後、エランはとある地点で先程の機体がワイヤーで縛られている様を見た。そのそばにはもう一機モビルクラフトがいる。ガールズの一人が操っているものだ。
〈さっすがー!〉
「そうだね」
〈あ、両チームの機体が到着したよ。シュバルゼッテはガンダム顔してる〉
リリィに状況を知らせてもらいながらエランは進む。向かうは決闘場の真下。そこがエランの最初の持ち場だ。
決闘開始後にエランは目的地に到着した。ここには重力があり、頭上には地雷の埋められた地面がある。
今日の決闘は場所移動ありとなっており、何なら宇宙に飛び出してしまっても良い。決闘開始地点はエランが今いる区域の隣である。
〈急いだ方がいいかも〉
エランは生徒手帳を取り出して決闘の映像を見る。リリィの言う通り、決闘中の四機が最初の区域の端にいる。
シャディクに持たされた機器の電源を入れ、付属のモニターと生徒手帳を交互に確認する。
『エラン。聞こえるか』
シャディクから通信が飛んで来た。
「聞こえるよ。準備はできてる」
『よろしく』
普段と違ってすっかり開いている区域を仕切る扉からまずミカエリスが飛び出した。次にエアリアルがミカエリスの盾となりながら境を越え、そのすぐ後にダリルバルデが続き、それからエアリアルのガンビットたちからの攻撃を掻い潜りながら兄を援護せんと奮闘するシュバルゼッテが出た。
エランはミカエリスとエアリアルが着地する地点にある地雷が起爆しないように手元の機器から信号を送る。わざわざパーメットを使いオンオフができるようになっている演習用の地雷だからこそできる小細工である。
シャディクチームがかなり優勢の戦いの中、シュバルゼッテが謎の動きを見せた。たまたまほぼ画面外だったのでエランにはラウダのせんとすることがわからなかったのだ。
演習場に天井から水が注がれ出した。制御室はガールズが制圧したはずであるのだが。
〈他のカメラの映像にちらっと映ったけど、空が壊されてた。スプリンクラー用のパイプぶっ壊して派手に水漏れさせたんだよ〉
リリィの説明でエランは納得した。
水のせいでビームが役に立たなくなったエアリアルのガンビットたちがうろたえているように見える。今のスレッタは悪天候でのモビルスーツ操縦は授業で学んだが、その時にエアリアルを使用していないのでガンビットたちはおそらくこれが初めての経験だ。知識、情報はしっかりあるのだろうが素早い対応ができなくても仕方がない。
エアリアルが集合を命じたのかガンビットたちが集まって盾形態をとった。
盾を使った格闘をしながらエアリアルはミカエリスと共にさらなる場所移動をしようとしている。それがわかっているジェターク兄弟は逃げられないように猛攻をかける。しかしエランがオンオフを切り替えた地雷が爆発したことによって隙ができてミカエリスが地雷区域を離脱した。シャディクがホルダーの座にいる以上彼のいる所が戦いの場であるのでミカエリスを追って他の三機も隣の区域へ移った。
新たな戦場は砂地だ。飛び回るガンビットに足場の悪さは影響しないのだが、
〈わーっ、砂がっ!〉
なぜか暴風が吹いて砂が大量に舞い上がり、決闘を撮影するカメラの視界が砂嵐で閉ざされた。
すぐにサビーナが通信を寄越してきた。彼女によると制御室は自分たちの管理下だが、おそらくネットワークを乗っ取られてしまったのだという。だからエランには邪魔者探しに回ってほしいとのことだった。
〈電子戦でジェタークがグラスレーを上回るのは意外だなあ〉
「シュバルゼッテの開発で何か得るものがあったのかもしれない」
エランはとりあえず砂地エリアの地下に向かう。道中でガールズの一人の操縦するモビルワーカーに拾われて短時間で移動した。
砂地の地下には誰もおらず、エランは次のエリアに行き、モビルワーカーは天井裏の確認に行くことになった、
決闘中の四機はまだ砂地区域内だ。相変わらず通常のカメラは役に立たない状況なので配信されている映像にはレーダーで観測された四機の位置が表示されている。
砂地の隣は市街地を再現した区域だ。「市街地の地下」も作られており、エランがいるのはそのさらに下である。エランから見ると「市街地の地下」の分天井が低い。
地下の地下に自分以外誰もいないことを確認した後、エランは「上の地下」に入り込んだ。これは簡易な地下街のつもりで作られた空間である。リリィがお守りの葉を使って広範囲を探査する。
〈地上と繋がってるとこ、気温がかなり低いよ〉
「聞いてみる」
エランはサビーナに連絡した。彼女は気温のことは把握していなかった。制御室のモニターに正しい情報が表示されていないらしい。
決闘の配信画面に変化が表れた。通常のカメラからの映像に切り替わり、市街地にいる四機が映し出されたのだ。エランがいる地点の上を高速で通り過ぎていく。
〈あ、何か通信してる物があるよ!〉
報告を受けたのと同時にエランは配信映像から気温が下げられている理由を見つけた。地面が凍っている。何者かが水をまいて凍らせたのだ。
リリィは通信している何かがある方向の壁の前に全ての葉を並べた。
〈ここから繋がってない場所にあるっぽい。通信にしかパーメット使ってないみたいで何かはわからない。とりあえず潜り込んでみる〉
「わかった」
生徒手帳の画面の中では一見ただ濡れているだけの地面でエアリアルが滑って転んだ。即座にガンビットたちが防衛に回ったためエアリアルは被弾なく復帰した。
〈指示送る機器発見。十個の何かと繋がってるみたい。あ、ああああっ〉
リリィの声が途中でぷっつり切れた直後、エアリアルの進行方向にあった自動車型の障害物が爆発した。エアリアルがもう少し低い位置を飛んでいたらいくらか破損したかもしれない。
〈あー! だめだった! 何が起きた〉
リリィは何らかの作業に集中して決闘の様子を把握できていないようだ。
「障害物が爆発した。被害はないよ」
〈よかったあ……。なんか『2』って名前付けられてるやつに実行コマンド送られたから削除したんだけど、連打されてあわわわってなってたら別のにも送られてそっちは間に合わなくて〉
「なるほど。一番爆発させたかったものが爆発しなくて、半ば破れかぶれで効果の薄い位置にあるものを爆発させたんだろうね」
〈ボクが囮に引っかかったんじゃないならよかった〉
「さっききみは、コマンドを送るものが十個の何かと繋がってるって言ったね」
〈うん〉
「きみが阻止したものの位置はわかる?」
〈コマンド送る何かからの距離しかわかんない〉
「そう。確証が欲しかったけどまあいいか。最初に見つけたものと阻止したものと爆発したもので、三個の爆弾がわりと狭い範囲に仕掛けられたと考えられる。となると十個では少な過ぎる」
〈そうだね。またああっ〉
また何かあったようだ。
〈ふう。エアリアルによるオーバーライド対策なのかな。守りが堅い。コントローラーを役立たずにするのには時間がかかるよ〉
「移動を進言してみるよ」
エランはシャディクに通信を入れ、この区域には罠が多いことを伝え、離脱を勧めた。
『わかった。後でどうやって罠見つけたか教えてくれ』
シャディクからはそんな言葉が返ってきた。
エアリアルを連れて次の区域を目指すミカエリスをジェタークの二機が追いかける。
不意に高いビルが爆発した。派手に吹き飛んだビルの一部がミカエリスに当たりそうになって、エアリアルのガンビットたちが大急ぎでかばった。
「リリィ、爆発したけど」
〈えっ⁉︎ それボクの知らないやつ!〉
リリィの見つけたコントローラーの管轄エリア外に出たと見るべきか。それともランダムに十個ずつ管理しているのか。わからないのでエランまだ動かない。
〈どうなった?〉
「エアリアルのガンビットが三機、ミカエリスをかばって瓦礫に埋もれてしまったように見えた」
〈三ならルブリス時代よりまだ多いね。余裕余裕〉
「そうだといいね。あ、また爆発した。今度はほぼ無意味かな」
爆風にエアリアルのガンビット二つが押されてふらついたように見えたが、すぐに何事もなかったようにミカエリスのお供としてまっすぐ飛んでいった。
ミカエリスが扉をくぐったのでエランもこの地下から出る。そして四機を追うが、エランにできることはもうなくなりそうだ。天候のコントロールを奪われ、爆弾を思いのほか多く仕掛けられてしまったので、シャディクは細工のしにくい宇宙空間に出て戦うことを選ぶだろう。
渓谷再現区域を高速で駆け抜けたミカエリスは外に出ていくことのできる区域にたどり着き、三枚の扉をくぐって宇宙に出た。そのすぐ後にエアリアルが出ていきながら時間稼ぎに扉を閉めてしまおうとしたが、ダリルバルデとシュバルゼッテが装備を駆使して阻止した。
〈ラウダ、まだ戦えるんだね〉
周囲の探査を終えて決闘の様子を確認したリリィが言った。
「見たところスコアを上げ下げしながら戦ってる。うまくやってるみたいだね」
宇宙に飛び出した四機は画面越しに多くの人々に見守られながら戦う。そのうちに兄弟が一層激しい攻めを見せるようになった。おそらくラウダが戦い続けるのがきつくなってきて速やかに決着をつけようとしているのだろう。
押され気味となったエアリアルが負けじとスコアを上げた。
〈ああ……8になったね……〉
「そうだね」
数時間後にスレッタはひどく傷ついてしまうだろう。
エアリアルはまずシュバルゼッテをダウンさせ、頭部を念入りに破壊した。それから明らかにこれまでより威力の高いビームを撃ってダリルバルデで左腕を消し飛ばした。エランとリリィにはわかった。エリクトが悪者らしさを人々に、何よりスレッタに見せつけるパフォーマンスをしていることを。
過剰な火力でダリルバルデの手足を失わせたエアリアルは元の威力に戻したビームでブレードアンテナを折って決闘を終わらせた。
エランはすぐにスレッタにお祝いと労いのメッセージを送った。そしてさっさと地下から撤収し、その帰り道でガールズが縛られた生徒たちの縄を解いてやっているのを見た。彼女たちは工作活動に勤しんでいたジェターク寮生を大勢捕らえたようだ。
エランが寮に帰り着く少し前にスレッタから返信が来た。「ありがとうございます。エランさんもお疲れ様でした。」と書かれていた。
自室に戻り、リリィと共に決闘の映像を見ていると今度はシャディクからメッセージが送られてきた。「今日はありがとう」の一言だけだった。
〈今どんな気持ちかな、あの人〉
「さあ。案外単純に喜んでたりして」
〈複雑な顔して複雑なこと言って皇女の不興買ってたらどうしよう〉
「それでもし面倒なことになったらどうしてくれようか」
〈とりあえずルビコン川に放り込んでそれから考えよ?〉
「そうだね」
ルビコン川以外の案を考えるのも面倒なので、シャディクには面倒なことを起こさないでもらいたいとエランは強く思った。
二十一時五十分。
エランは図書館で借りた写真集を眺めていた。とても古い宇宙望遠鏡が撮影した数々の天体が掲載されている。この書籍自体は十年前のものである。
メールの着信を告げる音が鳴り、エランは即座に生徒手帳を手に取った。
(来た)
メールの送信者はスレッタ。本文にはエランと会いたいことと、現在ペイル寮の近くにいることが書かれている。
〈うまくやってね〉
「もちろん」
エランはすぐさまスレッタに返事を送り、部屋を出た。
暗闇の中のベンチにスレッタはいた。街頭に照らされるのを嫌がったのだ。彼女はエランが来たことに気付くなり立ち上がってエランの胸に飛び込んだ。
「エランさん……っ、エランさん、エランさんっ」
スレッタは泣きながら恋人の名前を呼び、縋りついた。
「家族、家族に、家族になってください! わたしはもう、エランさんしかいないんです……っ!」
エランはスレッタを優しく抱き締めた。
「もちろんいいよ」
そして全部わかっていて質問した。
「でも、急にどうして? まだまだぼくに求婚できないって言ってたのに」
「そうですけど、だって……わたし、すっ、捨てられたんです……っ! お母さんにも、エアリアルにも! 独りぼっちは嫌……! エランさん、お願い、家族になって! お兄さんでもいいですから……! 家族になって! それで、それで……っ!」
「夫になるよ」
スレッタのお願いにそう答え、両手で彼女の顔を上げさせるとキスをした。彼女は驚き、安心して、泣き止んだ。
「ぼくの部屋においで。話を聞かせて」
「はい……」
返事をするスレッタの声は決して明るいものではなかった。
寮の中に入る前にスレッタは慌てたように目元を拭い、部屋着であることを恥ずかしそうにした。
エランの部屋で二人はベッドに並んで腰掛けた。
「スレッタ・マーキュリー、教えて。家族に捨てられてって、どうして? 何があった?」
エランが質問するとスレッタは再び泣き出した。大粒の涙を流しながら彼女は話を始めた。なぜ自分が水星で生まれ育ったのか、エアリアルに全て伝えられた話を。
「……さよならって言われて、無理やり、コックピットから出されました。格納庫が低重力じゃなかったら、死んで、ました……」
「怪我は?」
「無いです」
「良かった」
本当に心配して安心してエランはスレッタの肩を抱いた。すると、
「エランさん……っ!」
勢いよくスレッタがエランに抱きつき、体重をかけ、それでエランはベッドに倒れた。
「エランさんっ、エランさんっ。夫になってくれるんですよね⁉︎ わたしの夫になって、わたしを妻にしてくれるんですよね⁉︎」
目を赤くしたスレッタがエランを見下ろしてまくしたてる。スレッタから涙が落ちてくる。
「夫になったらお父さんにもなってくれますよね⁉︎ 子供は二人は欲しいって言ってくれましたよね⁉︎ わたしに子供くれるんですよね⁉︎」
子供の話をされてエランは気付いた。勢いあまってのことではなくスレッタの意志の下で自分は押し倒されたのだと。こうなるとは予想していなかった。
「わたしを妻にするだけじゃなくてお母さんにならせてくれるんですよね、嬉しいです! ね、お父さんとお母さんになれることをしましょう。エランさん、わたしとやりたいんですよね。わたしもしたいです」
エランのこれまでの正直に気持ちを伝えてきた言動が彼女にこの状況を選択肢に入れされせてしまったのだろう。
「気持ちいいことなんですよね。気持ち良くなって、お母さんお父さんになって、幸せな家族になりたいです!」
そう叫ぶとスレッタは服を脱ごうとした。その手が震えている。
「落ち着いて」
エランはまずスレッタの手を握って行動を止めさせ、それから彼女を引き倒して自分の上に乗らせた。彼女の頭と背中に手を回して緩く抱く。スレッタはおとなしく腕の中に収まってくれた。
「泣いてるところもやっぱりかわいいね。きみに求められるのは嬉しい。きみが悲しかったり寂しかったりするなら、そうじゃなくなるように尽くすよ。でも、できたらぼくだから欲しいって思ってもらいたい。それなら最高に嬉しい」
「え……?」
「きみは一人になったのが嫌で、穴埋めでぼくが欲しいんだよね。そうじゃなくてもこうして求められたかったな。ぼくはきっと家族がいてもきみと恋人より夫婦らしさのあることをしたがると思う。だから、きみはぼくとは違うから、少し寂しい」
「……あ、う、わ、わたし……l
スレッタは焦った様子でエランの体の横に手をつき、再びエランを見下ろす体勢になった。
「ごめんなさい、エランさん……。わたし、自分の都合でやってて、ごめんなさい」
後悔と恐れでスレッタの顔が大きく歪む。
「反省、反省します。だから、どうか、嫌いにならないで、エランさん……」
「嫌わないよ。安心して」
エランの返事を聞いて泣きながらこくりと頷いたスレッタは、エランから離れるとベッド脇で膝を抱えて顔を伏せた。