病は気から悪い予感は的中するもの。なんてよく言うけれど、まさに昨日がそうだった。
いつもより身体が重いな、とか、ぼーっとしてしまう時間が多いだとか、そんな些細な変化を見て見ぬふりしたら、これだ。
「うわ、三十九度もある」
体温計を見た沢北が声を上げた。それくらいはあるかもな、と思ったから俺は驚かない。
大丈夫? しんどいね、あとで病院行こうね、とすぐ隣にいるはずなのに、その声はすごく遠く聞こえる。まさかこのタイミングで熱を出してしまうなんて。身体は熱を持っているのに寒気が止まらないし、頭も痛い。
なんで今日なんだ。よりによって、クリスマスイヴに。
予定では、今夜はちょっと良い店で食事をした後、イルミネーションを見に行く、なんてベタなデートの約束をしていた。長く一緒に暮らしてきてこういうことが減っていたから、決まった日から実は少しだけ浮かれていた。楽しみにしていたのに。
「店……、予約、」
「ん? あぁ、あとでキャンセルしとくよ」
「ごめん、ほんとうに、ごめん」
「大丈夫だよ、いつでも行けるんだから。また今度ね」
罪悪感でさらに体調は悪化していく気がする。
昼頃に沢北の運転で病院まで行くと、診断は風邪だった。『インフルエンザじゃなくてよかったね』と医者は笑っていたけれど、今日出掛けられないのだから正直どちらでもいい。いや、良くはないけれど。
帰り道コンビニに寄り、俺を残して店内に入っていった。しばらくするとスポーツドリンクやゼリーなどを袋2つ分も買い込んで店から出てきた。そんなに誰が食うんだよ。心の中でつぶやいて、でもその姿が何だか可笑しくて思わず吹き出した――そのとき、女性二人組が沢北に声を掛けているのが見えた。まぁ、よくあることだ。けれど、気が滅入っているいまは見たくないから目をつぶる。
すぐに戻ってきて「待たせてごめんね」と髪を撫でられた。いつもだったら冷やかしてやるのに、口を開けば声が震えてしまいそうで頷くことしかできなかった。今日は何だか胸が痛い。
家に帰ってからも自身のことは後回しにしてまで看病をしてくれる沢北を見て、幼い頃を思い出していた。揶揄うように「母さん」と呼んでやると、ニヤニヤしながら「かずくんなぁに?」なんて言われたから、呼ぶんじゃなかったと後悔する。
しかし、こういうときの沢北はいつもに増して優しくなる。大丈夫? 気持ち悪くない? ちょっとだけゼリー食べて薬飲もう。こんないい歳した大人相手に、なんて思いながら、今日だけはここぞとばかりに甘える。
本当はくっつきたくて仕方ないのに、それが出来ないのがもどかしい。
うつしたくないから今日は別で寝ると言えば少し寂しそうな顔をして、「何かあったらいつでも呼んでね」と背中をさすってくれた。
暗い部屋でいつもより広いシーツの海に沈んで、まるで世界に一人ぼっちになったような気分に陥る。このまま寝汗とともに沈んで溶けて、朝になったら跡形もなくなっているかもしれない。こわい。考えれば考えるほど思考はどんどんネガティブになっていく。わかってる。体調が悪いせいだ。だから気にすることはない。
本当に?
本当に体調が悪いだけなんだろうか。思い出したくないのに、昼間、コンビニでの出来事が頭に浮かんだ。どうしてアイツは俺なんかを選んでくれたんだろう。女といる方がよほど似合っていた。なのに、なんで。
ひとりになって少しだけ泣いた。これも全部、体調が悪いせいだ。
ふと目が覚めると時刻は午前3時になるところだった。寝汗がひどくて気持ち悪い。着替えようと身体を起こすが、そのままふらりとベッドへ舞い戻る。まだ熱が高そうだ。
ぼんやりと天井を眺める。今日、正確に言えば昨日、カレンダーを眺めてそわそわしてしまうくらいに楽しみにしていたデート。俺のせいで台無しにしてしまった。沢北もずっと楽しみにしていたし、せっかくプレゼントも用意していたのに。
――プレゼント? そうだ、プレゼントを用意していたんだった。渡すのは起きてからでいいか。いや、せっかくだから。予定を台無しにしてしまったせめてものお詫びに。それから看病のお礼と、これからもよろしく、って意味を込めて。
この時間ならきっともう寝ているだろう。プレゼントを持ち、替えた寝間着を洗濯かごに放り投げ沢北の寝ているリビングへ向かう。足元から床の冷たさを感じるのに、身体はふわふわと宙に浮いているようだった。
ドアノブに手を掛けようとしたところで中から物音がして沢北が起きていると気付く。リビングでは眠れなかったのかもしれない。寝室に戻ることも考えたが、何だかすごく顔を見たくなり、ドアを開けた。
「あれ、一成さんどした? 起きちゃった?」と心配そうにこちらをうかがう沢北の手には、氷枕。あぁ、俺のために。こんな真夜中に。
「そろそろ替えたほうがいいと思って準備してたとこだよ」
申し訳ない気持ちとか愛しさで胸は爆発しそうなほどに膨れ上がり、苦しくなって思わず黙り込んだ。いま口を開けば今度こそ本当に泣き出してしまうだろう。
「一成さん、大丈夫?」
「おれ、サンタしようとおもって」
サンタ? と不思議そうな顔をした沢北が俺の手元にあるプレゼントを見て破顔した。
「えぇ~、サンタさんだったの?」
全身から喜びが溢れてきらきらとした、でも少しだけ困ったようなそんな顔をして笑った。その顔はずるい。ずるすぎる。だから、「ねぇ、抱き締めたい。だめ?」と言った沢北に返事をする前にこちらから抱きついてしまったのは仕方のないことだった。
熱が出てから触れ合わないようにしていたとはいえ、今朝からたった数時間のことだ。普段からベタベタとくっついているわけでもない。それなのに、早く触れたくて恋しくてたまらなかった。
「ありがとう。サンタさん。愛してる」
「今日は本当にごめん。ありがとう」
ベッドが二人分の重さで沈んで、でも溺れていくような恐怖心はもうない。
何度もキスをして抱きしめ合って、沢北のつめたい手が触れるとさむくて身体は震えたけど、きもちよくて。やさしい腕に包まれて眠った。
数時間後に目覚めると身体はずいぶんすっきりしていて頭も軽くなっていた。沢北にうつってないといいなと顔を覗く。顔色は悪くない。
もしうつしていたら本当に申し訳ないが、きっとあのままひとりで過ごしていたら俺はまだ治っていなかっただろう。むしろ悪化していたかもしれない。本気でそんなことを考えてしまうくらいには、恋人の存在を心からありがたく思った。
鈍った身体を解すようにうんと背伸びをすると、指先がコツン、と何かに触れた。そちらに目をやれば、小さな青い箱に白いリボンが巻かれたプレゼントが置いてある。あぁ、してやられたな。ちょっとだけ悔しくて、同時に愛しさが込み上げて、緩みきった頬はもうどうすることも出来なかった。
隣ですやすやと寝息を立てるサンタクロースにそっとキスをして、俺ももう一度眠ろう。
「愛してるよ、栄治。メリークリスマス」