空の瞳を持つ少年の初恋「“人魚姫”を探して欲しいのです」
事務所を訪れた、えらく毛並みの良い男から告げられた依頼に、バーソロミューは微笑みを崩さぬまま目を細めた。
“人魚姫”
多くの者はハンス・クリスチャン・アンデルセン作の御伽噺を思い浮かべるだろう。
だがこの港町と、観用少女に興味がある者の間では違った意味を持つ。
二十年ほど前。
とある富豪がある観用少女に惚れ込んだ。
カラスの濡れ羽色の絹のような髪に、褐色の肌。整った顔とスラリと伸びた四肢は中性的な魅力があり、多くの者を虜にした。
そしてその多くの者が観用少女の主人になろうと、少女の瞼をあげようとした。
観用少女は大金を積まれようとも、宝石を用意されようとも、訪れるどの顧客にもその瞳を見せる事はなかった。
だが唯一、目を開く条件があった。
それは海。
海が見える場所ならば、その観用少女は目を開いたという。
その海を彷彿とさせる綺麗な青の瞳から、つけられた名前が“人魚姫”
人魚姫に魅せられたある富豪は、観用少女の店主を説き伏せ大金を積み、豪華船を用意して人魚姫を招いてパーティをひらいた。
招かれた人々はそうそうたる顔ぶれだったそうだ。
そのパーティで人魚姫は目を開き、そしてその身を海に投げ入れた。
もちろん富豪は海を捜索した。
だが人魚姫は見つからず、人々は少女は海に還えっていったのだと噂している。
バーソロミューは窓から海を見てから、「貴方は」とパーシーと名乗った依頼者に問いかける。
「人魚姫を引き上げて何をしたいんですか?」
人魚姫は当時、散財しなければ一生暮らせる金額がつけられていた。
だがそれは約二十年前の話。
今、海から引き上げてもメンテナンスもされていない観用少女はみるも耐えない姿となっているだろう。
だから人魚姫が落ちて数年はダイバー達で港町は賑わっていたが、今はすっかりそのバブルは過ぎ去っている。
「富豪は今も懸賞金をかけているらしく、年に一人二人、一攫千金を夢見て海に潜りはしますが……正直、貴方のような方が必要とする額ではなく、また直接こんな場末のしがない何でも屋に頼む依頼でもないでしょう?」
バーソロミューはそういうと、男が着るスーツとカフス、腕時計を見やる。
しかしこのお坊っちゃん、こんないかにも良いところの出ですよという格好で来て何を考えているんだ。護衛ぐらいつけてきたんだろうな。まさか一人か。スラムほど治安が悪いとは言わないが、決して治安が良いとも言えない所だぞ。裏道とか入らないように注意すべきか。それとも昼のうちに信頼のおけるタクシーにでもつっこんで、お家に返すべきか。
彼の心配というより、彼に何かあった時に直前に出向いていたこちらに火の粉が飛ぶのを厭う。
バーソロミューの言葉に、男は彫刻かというほど整った顔に憂いを乗せた。
「どうかそのように自分を卑下する事を言わないでください」
「んん?」
卑下したか? 自分。
首を傾げていれば、男の耳に心地の良い声が耳朶を打つ。
「船を事務所としている何でも屋といえば知らぬ者はおらず、この港町で困り事があれば貴方の船を訪ればいいと。しがないなどと言わないでください」
「……」
うーんこのお坊ちゃん、依頼する相手にお前の事を調査しているぞと直球で伝えているのだが、警戒されるとは思っていないのだろうか。思っていないのだろうな。
バーソロミューはこっそりため息をついてから、「ええーと、それで」と話を戻した。
「なぜ、“人魚姫”を探しているんです?」
「実は人魚姫が海に還ったあの日、私も船に乗っていまして……私も虜になったのです」
男の目の奥に熱がこもる。
反比例するようにバーソロミューは冷めていく。
「悪いのですが……」
断りの言葉を述べようとした時、男がそれだけで幾らするだという鞄から茶封筒を取り出し、バーソロミューと男を隔てる机に置く。
「これを」
「……」
机の上をスライドするように渡された封筒。
バーソロミューは受け取ると、中の書類を読み始める。
十数分後、バーソロミューは胡散臭そうに男を見ていた。
「……私にとってはとても良い条件ですね」
「はい。そうなるように手配しました」
ニコニコ笑う男に、バーソロミューは舌打ちをしたくなる。
何もものを知らないお坊っちゃんだと思っていたが、どうにも底の知れない何かを感じさせる。
「……私との長期的な契約。一週間に一度は対面での報告。報告が難しい場合は理由を伝える事。成果がなくとも報酬は月額で用意され、かかった諸費用は別途支払われる。……貴方には端金かもしれませんが、世間一般の遊戯にしては少々値がはりますよ?」
「初恋なのです」
男は少し頬を染め、ドラマや映画の俳優のように熱っぽく語る。
「そして私はその初恋をどんな手段をもってしても追いかけ、手に入れると決めている」
——決めているからって、どうしようもない事もあるだろう。
喉まででかかった言葉を引っ込め、バーソロミューは営業用の笑顔を張り付ける。
「そうですか。契約の書類を交わすのは、後日にしてくれますか? 仕事上、契約を交わす事はあれど、専門というわけでもないので、こういった書類の専門家に一度、目を通してもらいたい」
「もちろんかまいません。色良い返事を期待しています。貴方は契約を守る方だときいてますので……」
男はそう言うと、バーソロミューの船を降りていった。
一週間後。
男が再びバーソロミューの船を訪れた。
「答えをお伺いしたくて」
「答え、ねぇ……」
船に招いたバーソロミューは、船をおきにだし、船内ではなく看板で男と対峙する。
「……書類に不備はなく、私に都合の良い内容しかなかったよ」
バーソロミューは丁寧語を取り払い、海を見た。
地平線まで続く海は煌めいて、いつも自分を魅了して離さない。
船の縁、手すりに腰掛けて男を見た。
「もし断ったら、ここ一週間、私に見張りをつけていたパーシヴァル・ド・ゲール殿はどうするつもりなんだい?」
パーシヴァル・ド・ゲール。
かつて“人魚姫”を追い求め、海に逃げられた富豪の息子。
バーソロミューがパーシヴァルを見据えると、彼は嬉しそうに顔を綻ばす。
「名前を調べ、覚えてくれたのですね」
邪気のない笑顔に、もう取り繕う必要もないかとバーソロミューは舌打ちをした。
「傷んだ髪に椿油でもベタベタ塗って、海風に晒された肌にローションでも塗りたくり、綺麗なおべべでも着せてガラスケースにでもしまうつもりかい?」
「まさか!」
一歩、パーシヴァルが近づいてきて、バーソロミューは重心を後ろに傾ける。いつでも落ちれるようにと。
パーシヴァルは悲しそうに眉を八の字にしてから、「初恋なんです」と語る。
父に連れられて乗った船。
同じ年の子は少なく、いい子にしていたものの、パーティはあまり楽しくはなかった。
だから会場を抜け出して船を探索していれば、曲がり角で少年にぶつかった。
髪を乱雑に短く切った少年は、「あ! ごめん!」とパーシヴァルの服に持っていた飲み物を溢した。
「着替えある!? あるよね!? いいとこの子だもんね! メイドさんが持ってたりするよね! よし! 着替えに行こう! で、その着替えて余った汚れた服、私にくれ!」
自分とは違うキラキラした青色の目の少年は、よく通る鈴のような声で捲し立てた。
見たら少年はテーブルクロスを身に巻きつけただけで、幼心にこれはよろしくない、この子が風邪をめしてしまうと、パーシヴァルは焦る。
すぐに父が連れてきていたメイドに声をかけ、着替えを用意してもらう。
着替えを手伝おうとしたメイドを断りきれず、手伝ってもらい綺麗な服に着替える。
その時、メイド達が「人魚姫がいなくなった」「盗まれたの?」などという会話をしていたが、パーシヴァルは少年の事で頭がいっぱいだった。
メイドに汚れた服は持って行かれてしまったが、着替えがどこにあるのか見ていたパーシヴァルは、綺麗な服を一式を持ち出し、隠れていた少年に持っていった。
再会した時、少年はパーティ開場か厨房から拝借したのだろう、大皿に肉とサラダとマッシュポテトとケーキを盛り、もぐもぐと食べていた。
パーシヴァルに気づくと、ゴクンと飲み込み、ニッと笑う。
「君も食べるかい?」
あーんと、マッシュポテトが乗ったスプーンを口元に運ばれる。
誘われるまま食べたマッシュポテトの味はなんだかドキドキしてしまい覚えていない。
幼いパーシヴァルがそのドキドキが分からず戸惑っていれば、「おぉ! 綺麗な服持ってきてくれたのかい!? ありがとう!」と、少年は躊躇いなくテーブルクロスを脱いで一糸も纏わぬ姿となる。
「!?!?!?」
パッと後ろを向く。
急上昇する体温と混乱する頭についていけず、目を回しかけている間に、少年は着替え終わった。
「じゃ、ありがとう。これから騒がしくなるかもだから、部屋が用意されてるならそこで大人しくしている事だ」
手を振り去っていこうとする少年を何とか引き留めたくて、「あの!」と声をかける。
「ん?」
振り返った少年にかける言葉が見つからない。何か言わなきゃと必死に考え、でた言葉は「ボク、パーシーって言います」自己紹介だった。
少年は目を丸くしてから、どこか悲しそうに微笑んだ。
「私も名乗るのがいいのだろうね。でも私には勝手につけられた名前しかない。だからそうだね、次会った時、その時には名前を決めているから、名乗らせてくれ」
「!!」
次会った時。
その言葉をパーシヴァルは純粋に、次も会える約束だと受け取った。
「はい! 是非!」
大きく頷いて、期待に頬を染めて少年を見送る。
それから程なくして、よく通る少年の声で「人魚姫が落ちたぞー!!」という声が船内に響いた。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
パーシヴァルの昔語りが終わり、二人の間に沈黙がおちる。
バーソロミューは額に手をやり、内心、思いだしたー!! と騒いでいた。
あれか! あの子か! てっきり10歳ぐらいと思っていたが、もっと下だったか。今も恵体だもんな。幼い頃から発育は良かったと言う事か。そうだそうだ。パーシーと名乗っていた。忘れてた! え? 待て、“人魚姫”の私ではなく、“私”が初恋!? 見誤った! “人魚姫”が初恋ならば、成長して女でもない観用少女に幻滅してもらう方向で話をもっていこうと思っていたのに!!
「…………」
チラリとパーシヴァルを見れば、熱がこもった目で“私”を見ていた。
「……貴方を海から引き離すつもりはない。そんな事をすへば貴方の瞳はまた閉じられるだろう。だからプライベートビーチも買いました」
一歩、近づいてくる。
「始めは一週間に一度ほど貴方と共に過ごすだけでいい」
また一歩、近づいてくる。
「貴方が不安がるだろうと、父には隠居してもらった」
また一歩、手を伸ばせば届く距離になる。
「だからどうか、貴方の名を貴方の口から教えて欲しい」
言葉の端々が不穏だ。
プライベートビーチ“も”買っただとか、始めはだとか、隠居してもらった、だとか。
「これは純粋な好奇心なのだが……」
跪かれ、そっと右手をとられる。
試しに手を抜こうとしてみるが、一ミリも抜けはしなかった。
「……契約をしなかったり、反故にしたらどうするつもりだ?」
「買ったプライベートビーチの海には定期的に遊びに行きましょうね」
“には”がこわい。
にはではない時間はどうなるというのか。
「契約をしたら、報告をすれば自由に過ごせる?」
「貴方の身が保障される範囲ならば。自由に輝いている貴方が初恋なので」
「……」
「あ、もちろん、月額の給与も契約通りに」
どうしよう。定期的にお賃金ももらえる。根無し草のような仕事には、魅力的な提案すぎる。メカクレが素敵なアニメのグッズやらDVDやら買いすぎたんだよなぁ。ブラインド商品が全て悪い。
「それに、」
と、バーソロミューがぐらついていたのを見てとってだろう。パーシヴァルが右手はバーソロミューの手を握ったまま、左手でスーツの内ポケットから一枚の紙を取りだす。
折り畳まれた紙を器用に広げれば、バーソロミューに見せた。
「そ、それはっ!」
バーソロミューが欲しいと思い憧れていたクルーザー。何千万もするものだから、パンフレットやネットで見るだけでとどめていたもの。
「ここにサインするだけで、貴方の物になりますよ」
「な、う……いやしかし!」
船は整備費やガソリンに出費がかさむ。手に入れたからといえ、それで破産しては意味がな……
「もちろん、定期的なメンテナンスやガソリン補給は私がおこないます。その為にも定期的に会いましょう」
「うぐぅ」
ひらひらとクルーザーの紙が風に揺れる。
安定した給与もついてくる。
しかも報告すれば自由にしてもいいという。
プライベートビーチも気になるし。
なによりも目の前の、大型犬のような顔をして外堀埋めまくり、逃げ道を丁寧に塞いでいく男が気に入った。
「…………バーソロミューだ」
「!」
パァッとパーシヴァルの顔が輝く。
「バーソロミュー・ロバーツ、それが私の名だ」
「あぁ! バーソロミュー! 幸せにします!!」
感極まったらしく、パーシヴァルはバーソロミューを抱き上げて看板で回る。
「待て待て待て! まだ恋人にもなってないだろう! あくまで就業者と雇用者だ!!」
海にバーソロミューの声が響くが、誰もいない沖合。聞いているのは海鳥ぐらいなものだった。