それぞれの前夜「朔殿は大丈夫ですか、景時」
陣幕から一人出てきた景時に向かって声をかけると、思ったよりも肩の力を抜けさせてこちらに歩み寄ってきた。
「うん、もう大丈夫。あとは寝て回復するしかないだろうからね」
「……無茶をさせてしまったな」
「白龍の神子がいればまた違ってくるんでしょうが」
「白龍の神子、か」
「おや九郎。その声は信じていませんね」
「そういうわけではないが……、俺はこの目で見るものでしか、判断できないだけだ」
弁慶がからかうように声をかければ、九郎はやや眉を寄せた表情を浮かべる。嘘をつくことを知らないまっすぐな源氏の総大将は、自分の感情にも素直であった。
「九郎らしいね~」
「なんだと」
褒めているのになあ、と景時は苦笑しながら、あつらえられた席に座る。弁慶は三人そろった卓に持ち出してきた書を広げる。これからの京への進め方、そして、景時と弁慶はお互い言わないがー実践として初めて源氏軍に加わった、自分たちの下にいる黒龍の神子のことを嫌でも意識せざるをえなかった。
平家が生み出す怨霊には苦しめられてきた。しかし、それは世界が正しく回る秩序の反逆でもある。この機構を正そうとする龍神は、必ずもう一人の神子を呼び出すことも時間の問題だろう。さて、それをどうにかこの陣営に引き込めればいいが、と二人の軍師はひそかにため息をついた。
***
「敦盛、寒くないか」
「兄上」
夜更け過ぎの事だった。ここ福原は京に比べればまだ温暖ではあったが、それでも秋の夜長は日ごとに冷やされていく。敦盛がこの体になってから、あまり寒さを感じないのだが、それでも皆気遣ってあれやこれやと貧する中でも差し出そうとする。今の経正もそうだった。どこからか調達してきたのか、小ぶりな火鉢の用意を侍従に持たせ、こうして訪ねてくれる。
「ありがとうございます、兄上。しかしこれは他の皆にやってくれませんか。この身はもう、あまり寒さを感じないらしい」
「……敦盛。寒さを感じなくとも、体は思ったよりも冷えているものだ。お前が風邪でもひいたら一大事ではないか」
「怨霊も風邪をひくのでしょうか」
思わず疑問がそのまま口から突いて出てしまった。聞いたこともない、と思ったが何しろ前例がない。何しろ自分が始まりなのだから。
「さあな。それでも、お前には忘れてほしくないのだよ」
ここに、といって経正は侍従に銘じて部屋に火鉢を入れ温める準備を進めてく。手慣れたもののようで、あっという間にカチ、と小さく爆ぜて火が入る。部屋の中が少し明るくなったような心地がした。その様子をぼうと眺めていると、敦盛、と再び声がかかる。その光に照らされた経正の顔もまた、敦盛と同じく熱をあまり感じさせない肌の色をしていた。
「お前も私も怨霊かもしれない。それでも、人の形をしている以上は人間として生きることを忘れてはならないよ。……お前には人を思いやる心があるのだから」
「……心します、兄上」
***
ぼちぼち降りそうだな、とヒノエは真上に広がる曇天の空を見上げた。晩秋の京は紅葉が美しいとされるが、その燃えるような赤黄色も木枯らしに吹かれ少しずつその葉を地に落としている。
「頭」
「その声は鎌倉だな。どうだ?」
熊野は各地に烏を飛ばしているが、その中でもこいつは鎌倉に潜り込ませていたやつだ。情報を制する者は特に自分たちのようにどちらに肩入れするか、見極めるためには。振り返らずにそのまま話せと続けると、慣れたように報告が続く。
「は、源九郎義経率いる源氏一派がこのまま京へ向かうことは確実かと」
「なるほどね。なら、しばらく京が主戦場か」
ゆっくり休め、と声をかけて烏を下がらせる。熊野でゆっくりと身を休める日はまだ遠くなりそうだ。やれやれと首を伸ばして、やがて迫る決断の日がそう遠くないことをヒノエは感じていた。
***
「クリスマス、何が食べたいですか?先輩」
「やっぱチキンでしょ、それからケーキ!譲君の作るのはどれもおいしいから迷っちゃうけど、やっぱりこれは外せないかな」
「あ、俺前テレビで見たやつ食べてえな。なんとかパイ」
「……兄さん、全然説明になってないんだけど」
「もしかしてCMでやってたやつ?ホットミートパイ!あれ、美味しそうだったね」
「お、さすがだな望美~えらいぞ」
「リクエストするからには手伝ってもらうからな、兄さん」
「は!?」
「そうだよー、働かないもの食うべからず、だよ!私も今年は譲先生に教えてもらうんだから!」
「……譲」
「何だよ。……手は多い方がいいだろ」
「……へいへい、わかったよ」
「クリスマス、楽しみだね」
***
静かに舞っていた雪が降りやんだ。男はそれを知ってたかのように一歩、歩みだしーそして止まった。
「……神子」
愛おしむように囁くその言葉は、誰もいない雪原に吸われ、消えていく。それでいいというように男はその後、何も言わずにただ、ただ待っていた。
終