消えた傷、消せない記憶 それは白龍の逆鱗を手にしてから時空を遡り、京へと拠点を移した数日後の事だった。怨霊を鎮める為にムキになって前に出過ぎた為か、放たれた術を避け切ることができず左腕に直撃した。ひりつく痛みで体勢が崩れかけたが、同じく手にしていた右手の剣を咄嗟に杖の代わりに地面に刺して踏み止まり、その時は凌いだ。が、案の定、無事戦闘が終わってから全員に程度はあれど、怒られが発生したのは言うまでもない。
「望美、あまり無茶はしないでね」
しかし1番効いたのはこの、朔のやんわりと優しく嗜められる事だった。
「でも、私にしか出来ないことだし……頑張りたいなって」
「……そうね。そうね、だけれど」
「白龍の神子にしか出来ないことがあるのは事実よ。でも、それまでの事は私や皆も助けとなることが出来るわ。だから、頼ってくれていいのよ」
静かに続ける朔の言葉は、凪のようにやわらかく、望美に響いた。
「うん……そうだね。ありがとう、朔」
「勝手がわからないのは、同じだもの。一緒に頑張りましょうね。さて、望美?ほかに怪我したところがないか、見てもいいかしら」
「うーん、多分ここだけだと思うけど……」
「反対側の腕も念のため、見せてちょうだい。もし気づかない内に怪我していたら、大変だもの」
そう言って差し出すように言われると、望美も素直に袖を捲って見せる。けれど思わず声を上げたのは朔ではなく、望美自身だった。
「あれ、」
前の時空で、同じく京で怨霊を封印した日に負った傷が右腕についていた。それが綺麗にー消えていた。
傷がない、という事はその時空の出来事はもう肉体的には"存在しない"ことと同じで、
なかったことになる。私だけしかもう知らない、記憶。燃える京、それから。気づいた途端に涙がひとつぶ、ふたつぶと瞳から転がり落ちてきた。
「望美?!どうしたの、急に痛みが出てきたの?待っていて弁慶殿を、「さく」
朔が弁慶さんを呼びに行くのを必死で止めた。多分、弁慶さんが今の私を見たら何か気づいてしまうかもしれない。それに、私も気が抜けて何か話してしまうかもしれない。仮に打ち明ける事があったとしても、少なくとも今ではないことは確かだった。
「朔、違うの。ほっとして力が抜けたら安心して……、涙、出てきただけだから」
「そうよね、私ったら……ごめんなさい。慣れない戦闘で驚いたわよね」
柔らかく抱きしめられるその体温に、この時まだ朔は生きているのだと思い、ますます涙が溢れそうになった。けれど、唇を噛み締めて堪える。これ以上、朔に心配をかけたくなかった。
「気分転換をしましょう、兄上にも内緒にしていたとっておきのあたたかい飲み物を持ってくるから。待っていて」
黙ってその腕の中で頷くと、朔はもう一度抱きしめてから飲み物を取りに望美から離れた。
ひとり部屋に残った望美は涙を拭いて、膝の上で手を強く握りしめる。
前の時空で負った傷は、全て次の時空跳躍の際に引き継がれず、消える。なら、これからもたくさんの見えない傷が増えていくのかもしれない。でも、その消えた傷を覚えておこうと望美は思った。それは自分が確かにその時空で生きた証であり、戦った証であり、ー助けられなかった戒めでもあるのだから。