青い瞳、葉巻きの烟 初めてその男に会ったとき、まず目についたのはその瞳の碧だった。
「……どーも」
父に部屋で待っていろと言いつけられ、暇を持て余しては瞬きを繰り返していた。どれほど時間が経ったのかは不明だけれど、扉を叩く音、それから入ってきた父の後ろにいた長身の男に、悔しいが目を奪われた。
目の色は青く、左目は眼帯で覆われている。髪の毛は左側のみが長く、国王である父がいるにもかかわらず葉巻きを吸っている。
「ミカル、今日からおまえの護衛をするラディムさんだ。挨拶なさい」
「……は? 前の人は?」
「辞めてもらった。左脚を落としたんだ、仕方ないだろう」
「はあ? 勝手に決めんなクソ親父」
「その粗暴な言葉遣いを直せと何度言ったら分かる? もう十九になるのだから、少しは一人前の人間としての自覚を持ちなさい」
短い髭を撫でるのは、父の昔からの癖だ。俺に手を焼いているとき、失望したときによく顎髭を触る。無意識に俺を見下しているのだと、嫌でも理解する。
「……ミカル、挨拶をしなさい」
父が再度促す。俺は父の隣で空気になろうとしているその男を仕方なく見上げ、仕方なく手を差し出した。
「ミカル・バーチ。よろしく。へばんなよおっさん」
「……ラディム・イビスキュスだ。ぬるま湯に浸かってるどこぞの第三王子よりは鍛えてるから、安心しな」
「言うじゃん。護衛なんかいらない。その辺で草むしりでもしてろ」
もう十九だと思うなら、護衛などつけなければいいだろう。それなのに父は俺をいつまでも半人前扱いし、口先では一人前の男なのだからと抑圧する。そんな生活はもちろん窮屈で、首を絞められるような圧迫感が毎日のように続く。
メイドの話では、このラディムという男は雇われの傭兵らしい。なるほど屈強そうで、こちらの悪意にも敏感だ。だからなのか、ラディムは俺の手を取ろうとしなかった。どこか憐れむような目で見つめられ、全身がかっとなる。こんな傭兵なんかに同情されたことが何よりも腹立たしく、同時に悔しい。思わず舌打ちをすると、父が咎めるような視線を寄越してきた。
「あー……はいはい、草むしりねぇ。言葉遣いはそれっぽいけど、やっぱりお坊ちゃんだな。育ちの良さが出ちまってる」
「んだそれ、馬鹿にしてんのか。人がせっかく握手してやろうとしてるのに」
「オレは育ちが悪いもんで言わせてもらうけどな、国や親に守られてることに気づかない、外に出たこともないよちよち歩きの甘ったれた僕ちゃんに小ちゃな身体で威嚇されても怖くねぇよ」
分かったら喧嘩売るのやめな、とラディムが低く囁く。目の前が真っ赤になる。よりによって、父の前で馬鹿にされた。奥歯を噛みしめてラディムに飛びかかるが、その瞬間背中に衝撃が走る。目を開けると、天井のシャンデリアが揺れていた。
「反射神経も悪いな、王子さま。あんたが馬鹿にしてる傭兵に投げ飛ばされた気分はどうだ?」
声が遠い。ラディムの影が俺を覆う。視線を動かすと、父は何も言わずに部屋を去っていた。
ぐらりと目の前が揺れる。視界がぼやける。心臓が痛い。父の失望を理解せざるを得ない事実が、自分が使えない人間だという現実が、頭を揺さぶる。
「ん? おーい、聞いてんのか? お坊ちゃーん、もしもーし」
「……るせーよ」
「しおらしくするなよ、ガキは生意気なくらいがちょうどいいぞ」
ほら、と今度はラディムから手を差し伸べてきた。その手を取るのは、自分が目の前の男より弱い人間だと認めるようで気まずい。俺が躊躇っていると、ふっとラディムから息が漏れる。喉の奥で笑っているのだと気づいた瞬間、羞恥が襲ってくる。
ラディムは、その手を俺の頭に乗せた。わしわしとやや乱暴に撫で繰り回され、じわりと体温が上がっていく。
こんな感覚は、知らないし知りたくもなかった。むず痒くていたたまれないけれど、安心してしまったのだ。初対面の、素性も分からない男に頭を撫でられただけなのに。
「ミカル。いい名前だな」
「……それほどでも」
「少しは頭冷えたか?」
「おかげさまで」
「オーケー。じゃあ握手しようぜ」
眼帯の位置を直しながら、もう片方の手で俺の手を握る。その手を握り返すと、ラディムが口の端をつり上げる。
逆光の中でも、その碧だけは宝石のようにきらめいている。じいっと見つめていると、不意にその目が細められた。
「大人しいと猫みたいだな。顎の下撫でてやろうか」
「ふざけんな。誰が猫だ」
「黒猫そっくりだ。今度鳴いてみてくれよ」
その冗談に応える気はないけれど、こうやって砕けた調子で話しかけられるのはなかなか悪くない。前の護衛も、両親も、兄弟も、俺とは関わりたがらなかった。
この男は、他の人間とは違うのかもしれない。まだ見ていない景色を、見せてくれるかもしれない。
「ミカル……うーん……ミカって呼んでもいいか?」
「ぜってー嫌」
「まあまあ、これから仲良くしような、ミカちゃん」
「嫌だって言ってんだろ」
馴れ馴れしく頭に手を乗せられ、また雑に撫でられる。それでも、棘だらけの心が少しだけ熱を取り戻したような気がした。