お布団ラビリンスお題【冬眠】【さえずり】
「セイジ。朝ごはん出来た」
朝の香ばしい香りを纏いながら、ニコはベッドルームを覗き込む。
朝の眩い光、鳥達のさえずりとそれから街が目覚める音――で微睡みから覚めたと言うよりニコは自分のお腹から鳴り響く、それこそ窓辺に集う鳥すら驚いてしまうくらいの腹の虫を鳴かせて目を覚ました。
欠伸をしながらも朝から相も変わらず食欲求に満たされ、寝ぼけ眼を擦りながらキッチンへと誘われる。
隣にいたセイジは未だに夢の中にいるようで、起こさないようにと気を使うあまり、セイジが履いていたシューズを履いてしまう程度にはニコもまだ眠たい様子だった。
最も履き直すのが面倒なのでそのままぶかぶかなシューズを履いたまま我が物顔でセイジの部屋のキッチンに立ったのだが。
ともあれ、朝ごはんの支度も済んで、腹の虫がいよいよオーケストラコンサートでも始めそうなほどである。だけどせっかくセイジとニコの二人分用意したのだ。暖かいうちに一緒に食べたいと思うのは、欲張りすぎだろうか。
「セイジ、はやく。おれもう待てない」
そういえばセイジは早朝ランニングに出掛ける程度には朝に強い。どちらかといえば、これ程までに健啖家基質でなければニコの方が朝を迎えることを布団の中で拒むかもしれない。
そんなセイジが何故だか分からないが、今日は起きることなく布団の中に籠城しているのだ。
「セイジ、起きて?」
耐えかねたニコが布団の丘頂上を揺さぶるが、うんともすんとも言わず。シーツ同士が擦れる音だけが聞こえて。
そして止まる。
「一緒に食べたかったけど、もうだめだ。限界。先に食べてるから、起きれそうなら来――」
とりあえずの伝言を残して、お腹を押さえながらのニコは食卓につくはずだったのだが。
吸い込まれてしまう。布団の中にいるのがセイジだから身構えもしなくて、油断すらして。
突然ぬらりと伸びてきた手のひらに攫われてしまった。
「ふふ、おはよう。ニコ」
「おはよう……どちらかといえばもうすぐ、こんにちはの時間になるけど」
「あれ、そうなの? 全然気が付かなかった」
大人になってもなお変わらない健康優良児が何を言うのかと、もちろんそう思ったが言ったところでご飯が食べられる訳では無いので、こんな時はだんまりを決め込むに限る。
ずっと布団の中にいたセイジの手のひらは暖かくて下手をすればこのまま夢の世界に戻されてしまいそうになる。
「起きてるなら朝ごはんが食べたい」
「今日は何を作ってくれたの、ニコ?」
「……昨日作ったキャロットラペにマスタードを混ぜてサンドイッチにした。カリカリのベーコンとオニオンスープもある」
「相変わらず、美味しそう。お腹すいてきちゃった」
「――そう思っているならはやく食べよう?」
「うん、そうだね」
しかし言葉とは裏腹に、セイジはニコの腕を離すことはなくて。布団から出ることもしなければ、ニコを見つめながら表情を綻ばせるだけだった。
やろうと思えばセイジの腕を話すことも出来るし、強引に布団をはぐことだって出来る。
恋人という一番の友達の先にあった関係性になってしまえば、そんなこと出来るはずがなかった。
ニコが今出来ることは、溜息を小さく吐きながら心ゆくまでセイジに身を任せるだけなのだ。
――ぐうぅ。
しかし、欲望を忠実に従えるニコは遂にお腹の音を盛大に掻き鳴らした。
「ねえ、ニコ。お腹が大合唱してるのにごめんね?」
「?」
「久しぶりに二人の休みが重なったのに、いつも通りに過ごすのがなんだか勿体なく思えちゃって」
ルーキー研修が終わってしまえば、お隣さん同士で顔を合わせる機会はあってろゆっくりと過ごす、恋人同士の時間を作るのは思いのほか大変なのだ。
二人の好きなものだらけの夕食、眠い目を擦りながら同じベッドに横になって眠りにつくまでのお喋りタイム。
朝になれば、こうしてニコが作った朝ごはんを、美味しいね、なんて言いながら食べて――。
「今日くらいはもう少しだけ微睡んでいたいなーなんて」
「……布団ですっぽり身体を隠していたら、まるで冬眠しているクマみたいだな」
「がおー、可愛い可愛いニコのこと、食べちゃうぞ〜なんて。えへへ、ごめん。久しぶりの二人きりの時間に浮かれちゃった」
「……まあ、もう昨日のうちにセイジに食べられてるから」
「あはは、たしかに」
ニコはシャツの襟元を肩口まで広げる。セイジは含みをもつその言葉と散りばめられた無数の紅い花に、くすりと笑った。
「ご飯はあとから温めれば問題ないし、少しだけでいいなら」
「やった。ありがとうニコ」
「そのかわり、三回おれのお腹が鳴ったらご飯にする」
「はぁい」
ニコより少し大きくて、暖かいセイジに包み込まれながら。
お腹の虫が鳴らなければいいのに、なんて自分でもそう考えてしまうくらいに幸せを噛み締めて。
ニコの思いは虚しく、数秒後には腹の虫が第一楽章を響かせるのだった。