ゆっくり、アンダンテ エントランスで恋人がくるのを待ち、二人並んで夕暮れを歩いて。たまに守られるみたいに肩を抱き寄せられる。セイジがジュードとそんな関係になってからもうこんなにも経ってしまった。
「それくらいの荷物なら持てるよ」
「俺が持ちたいから持っているだけだから、気にするな」
冷蔵庫に閑古鳥が鳴いているジュードの部屋を尋ねる時は買い物をしてから帰るのだが、そういえばいつもジュードが荷物を持ってくれるなと、ふと思ってそう言ってもさらりとジュードに流されてしまう。セイジにとっては何度も繰り返されるやりとりが擽ったくて、手持ち無沙汰になってしまった指先でジュードの制服に小さな皺を作った。裾を気が付かれないように掴みながら少しだけ後方を歩く。服が擦れる度に微かに香る柔軟剤の香りに隠れる彼の香りが意図せずセイジの頬に朱を落とした。
(明日はきっと同じ香りがする……といいな)
二人、夜を明かした次の日を願わずにはいられなくて、心も身体も優しく包み込む感覚を無意識に想像してしまうなんて、一人羞恥が込み上げてしまい、思わず両頬を手のひらでぺちぺちと叩いた。
「あの、ジュードく――わ、ふっ」
「何か考え事でもしていたんだろう。信号、赤だぞ」
「あ、あはは……うん、考え、事。してた」
何でもないように笑って、頬が赤いのがジュードに気づかれないことを願うあまり、顔を逸らしてしまった。
――だから気が付かなかったのだ。ジュードがセイジにしか見せない表情を小さく綻ばせたことに。
「あ、え? ……えっ?」
そのまま自然な流れで、手のひらを合わせて、指先を絡めたことに。ジュードの長い指先がセイジの指の合間を縫って、ぎゅっと掴んで離さない。
「しっかりしてそうに見えるのに、危なかっかしいからな」
「で、でもここ外だよ」
「危なっかしいって自覚はあるのか」
「ちが……わないかもしれない」
「はは、そうか」
人目は気になる。セイジが気にするのは並び立つ恋人が人の視線を一層集めるからだった。独占欲があるわけでもなく、単純に変な噂になってはいけないと思うと、絡めた指先を解いてしまいたくなる。離してもらえるわけがないのに。
いつの間にか青に変わった信号を軽く一瞥してからジュードに手を引かれ、されるがままに歩いた。
「俺がしたくてしているんだ。セイジが嫌だったら言うなり、手を払うなりしてくれ」
「……嫌なわけないよ。ジュードくんはいつも僕がして欲しいなってことをしてくるから。だからすごく嬉しいんだ」
「――それなら」
「?」
ゆっくりと立ち止まって、ジュードは薄暗い路地を指差し、視線を送る。セイジにはその意図が伝わる訳もなくて、小首を傾げるしか出来なかった。
「そこの路地に連れこんで、外壁にセイジをじりじりと追い詰めて逃げられないようにする」
「……?」
「顎を軽くあげてから、息が出来ないくらい乱暴に唇を奪いたいって、もし俺がそう言ったらどうする?」
「えっ」
「それも嬉しいのか?」
セイジだけに見せるジュードらしからぬその行動を想像してみる。聞いているだけでぼんやりと思い浮かべてしまった光景を鮮明にに、色をつけていく。瞳を閉じて言葉に沿って空想の中を導かれるままに巡るうちに繋がれた指先と手のひらに力が入ってしまう。
いつもセイジを見つめて嫌がることをしない彼の恋人。どれだけ考えてもジュードのそんな乱雑な姿を、セイジは想像することが出来なくて。脳内に思い描いたジュードがセイジを路地へと連れ込むという、その場面で空想は一時停止をしたままだった。
「ジュードくんになら、いいよ」
「は?」
「ジュードくんがそんなことをする姿がどうしても想像出来なくて。でも、うん。ちょっとされてみた――あっ」
「ほう」
思わぬ失言にセイジは気づいてすぐ手のひらで口元を隠したが、ジュードが意外にもくすくすと笑っていて、どうやら色々ともう遅すぎるようだ。
「ま、待って今のは違って! えっと言葉の綾で!」
「だが人間、思っていないことは口に出来ないらしいぞ」
「〜〜〜〜!!」
喉の奥深くから声にならない叫びを込み上げたセイジがその場にしゃがみこんで、きっと恥ずかしいのだろう。膝を抱えて表情を隠してしまった。ジュードは自分の言葉一つでコロコロと表情を変えるセイジが面白いのか、愛おしいのか、一度小さく笑ってからセイジに倣ってしゃがんだ。大の大人が二人して何にもない道の途中でしゃがむ姿は少しばかりおかしな、光景。
「セイジが望むなら、試してみるか?」
「……や」
「?」
「や、野菜。痛む、から。早く、帰る」
不自然に吃ったセイジが急に立ち上がって、カチコチのままで歩く。買い物袋を持っていなければ間違いなく同じ両手両足がでているはずだ。それくらい本当にぎこちなく進む。
「――っふ、なんだそれ」
傷みやすいものなんて何を買ったかなんて野暮なことを考えるのは違うような気がして、ゆっくりと立ち上がったジュードは歩幅を大きく、あっという間にセイジに追いつて。隣を歩くジュードに驚いたセイジがせかせかと脚を動かして、ジュードが大きく着実に追いつく。よく分からない競争が始まってしまい、もう何度目か追い抜き追い越した所で二人して脚をとめて、おかしくなって笑った。道行く市民たちの何人かはセイジとジュードを見ては首を傾げているが、二人にとってはなんてこと無かった。
「帰ろうか、ジュードくん」
「そうだな」
夕陽を受けた二つの影が寄り添うようにして、街の奥へと溶けて、夜の帳へと消えていった。