※書き途中です「待ってたぜ、イヌピー」
一度も通すことなくしまわれていた九代目の特攻服を纏って乾は出所した。逮捕された時とは打って変わって、暖かく柔らかな春の風が吹いていた。九代目が潰れたと聞いて、乾の虫の居所は悪かった。親友のココに何処の馬の骨とも知らない奴の話を聞いて更に腹が立った。
柴大寿、見上げるほどにデカいそいつを見ても乾はちっとも恐怖を感じなかった。喧嘩の強さは建端だけでは決まらない事を知っていたからだ。黒龍に対する覚悟なら誰にも負けないと思っていた。殴り合いの喧嘩をする上で精神力は勝負に大きく影響する。確かにそうだ、けれどそんな乾の経験則などあざ笑うくらいに大寿は強かった。その圧倒的な強さは、未知のものだった。
大寿の力と引き換えにココの黒龍入りが無理やりに決まってしまった。ココを引き入れて満足気な大寿は悠然と、王者のような風格さえ漂わせて去っていく。その巨躯の背をただ見ていることしか乾には出来なかった。
「イヌピー立てるか?」
差し出された手と優しい声に目頭が熱くなる。自分があまりに情けなく、弱く惨めに思えた。喧嘩を知らないその小綺麗な手を取らず、乾は地面を握りしめながら責めるようにココに問いかけた。
「なんで黒龍入り受けたんだよ、断ったってよかったのに」
「……ふざけんな」
差し出されていた手が素早く伸びてきて胸ぐらを掴まれる、聞いたことのない槍声だった。
「喧嘩に負けたくらいなんだよ、てめぇの覚悟はそんなもんか? 黒龍復興させてぇんじゃねぇのかよ!」
ココの眉間には筋が立っていて、その目も赤く充血していた。乾は泣きそうに堪えていた自分の目頭がすっと軽くなるのが分かった。どうにもならない現実に、自分の無力さを突きつけられるのはこれが初めてではない。それは親友もそうだ。辛いのはいつだって二人ともそうだった。胸ぐらで固く握られたココの手に触れる。
「ありがとうココ、目が覚めたぜ」
掴まれていた胸元が開放される。いつものココの顔に戻っていた。
それからココと学校を抜け出して、真一郎君のバイク屋に向かった。亡くなったという話は道中で聞いていた。凄く悲しい気持ちになったけれど、涙が出ないのは自分が少し大人になったからなのだと思った。
けれど埃の積もった店内を見て、やっと実感が湧いてきたのか鼻の奥がつんとする。
「大丈夫か、イヌピー」
大丈夫だ、そう返して乾は鼻を少しすすった。焼けて灰になった家、空っぽの先輩の店、みんな変わり果てていく、それでも自分で拠り所を探しつづけるしかない。
「ただ、もう俺にはココしかいなくなっちまったんだな……って思ってさ」
苦しくて泣き出したいような状況のはずなのに、息を吐くと「ふふっ」と笑いが漏れた。人間もう為す術もなくなってしまった時、最後に出てくるのは笑いみたいだ。ココがそっと火傷の跡に触れる。
「十分じゃん? 俺はイヌピーがいればそれでいい、だいたいお前に着いていける奴なんて俺以外いねぇんだからさ」
左頬に添えられたココの手に両手でしがみついた。涙は出ないけれど、胸に張り裂けそうな痛みを感じた。そのままココが抱き寄ってきて、後ろ髪に手でクシを通しながら「髪すっげぇ伸びたな」と言う。