【七五】 運転席から出てきた補助監督に軽く頭を下げて、車の後部座席に乗り込んだ。
シートに腰を落ち着ければ、すぐに車は滑らかに発進する。と、同時に背広のポケットからスマートフォンを取り出した。そのままトークアプリの画面を呼びだす。
自分が数日前に送信したメッセージが画面の最後に現れたのを確認する。「既読」が付かないままのそれは任務の前に見たときから何も変わっていない。
しばらく逡巡した後、文字を打とうとしていた指を止めた。
ハアとため息をつく。思いの外車内に大きく響いたそれに、運転席の補助監督がびくりと肩を揺らした。
けれども、当の七海はそんなことにも気が付かないほどに焦っていた。
五条と連絡が取れなくなって数か月。
変わり映えしない画面を見つめながら七海はもう一度ため息をついた。
□
何がどうなってそうなったのかいまだに分からないが、五条と七海は恋人である。
いくら顔面がこの世のものとは思えないレベルで美しかろうと、圧倒的に呪術にたけていようと何かと厄介で面倒な、できれば関わりたくはなかった先輩だったはずなのにいつの間にやら彼のそばにいたいと願うようになっていた。
恋は思案の外とはよく言ったものである。
コップの縁ギリギリに留まるかのように今にも零れ落ちそうなそれを抑え込みながら彼と過ごす中。もしかしたら五条も七海と同じものを持て余しているかもしれないと気がついたのは必然だった。
お互いに熱の籠もった視線を交わすこともあれば、気安い応酬の中でふいに空気が張り詰めることもあった。
どちら先に言葉にするのか、ただそれだけだった。
けれども彼は絶対に何も言わなかった。
五条は現代最強の呪術師であり、御三家の当主、呪術界の要だ。
もともと五条は七海が呪術界のいざこざに巻きまれることをひどく嫌がる。できるだけ自分に巻き込まないようにと苦心していることも知っていた。
このまま自分に巻き込んでしまえば、いろんなしがらみや、厄介ごとが七海に降りかかることを分かっていたからだろう。
七海だって分かってはいた。
けれど。
いつ溢れ出してもおかしくないそれに気が付きながら、見て見ぬふりができるほど達観していない。
だから、それでもいいと手を伸ばした。
迷うように揺れている彼の瞳を見つめながら、「アナタが好きです。恋人になってください」と伝えた。告げた七海に驚いたように瞳を見開いていた五条が、逡巡したのちにようやくこくりと頷いてくれた時には柄にもなく歓呼の声を上げてしまいそうになった。
そうして付き合い始めて約1ヶ月。
五条と初めてセックスをした。
付き合い始めてからキスや軽い触れ合い程度なら何度かしたことがあるが、最後まで身体を繋げたことはなかった。五条はもともと恋愛経験が少ないようだったし、ましてやお互い男同士で付き合ったこともない。加えて男同士でのセックスはハードルが高いという。ゆっくり進めていくべきなのだろう。
けれども七海は五条をどうしても抱きたかった。
他人から受け取ることが下手くそなこの人に、なんでもいいから自分が何かを与えてやりたかった。
だから、「抱かせてください」と素直に打ち明けた。うららかな光が窓辺から降り注いでいる昼下がり。ソファーで七海の出張土産を頬張っていた五条はこれ以上ないほどに目を見開いたまま「…マジでいってんの?お前、正気?」と呆けた顔でそうこぼした。
言葉だけをとるならならひどい言い草だが、その頬は紅く染まっている。
その様子を見ながら七海は頭を抱えた。
なんだその反応は。
七海の知っている五条はこんなふうに照れたりしない。潤んだ瞳でうろうろと視線を彷徨わせたりしない。
こんなのあまりにも可愛すぎるだろう。
落ち着くために深く息を吸ったけれど、いっこうに落ち着きやしない。
思わずそのまま押し倒さなかった自分を褒めてやりたい。
大の大人が無言のまま、ソファーの上でお互いに顔を赤くしている姿ははたから見ればさぞ滑稽だろう。