【七五】「…眠れない」
広いキングサイズのベッドの上で何度目かの寝返りをうった。
もともとショートスリーパーのきらいがある五条は、眠るということをあまり重要視していない。いざとなれば反転術式で何とかなるだろうと思っているふしがある。
眠れなくたって朝は来るし、別に眠れなくたってさしたる問題はない。
いつだったか、硝子にそうこぼした時は盛大に呆れられたし「人間の三大欲求をなめるなよ」と凄まれた。
別に五条とてなめているわけではないのだけれど、眠ることに適した身体をしていないのだから仕方がない。
六眼を使えば見えるものの量に比例して、どうしたって脳へと送られる情報量が多くなる。刺激を受け続けた脳みそではうまく眠れやしないし、脳みそが落ち着く前に、次の任務やらなんやらが放り込まれるのだから休まるわけもない。ましてや、興奮状態の脳を落ち着かせるのは骨が折れる。
そんなわけだから、眠ることに時間を割くよりも、反転術式で脳みそを丸ごと新しくしてしまった方が格段に効率がいいのだ。
だからこればっかりはどうしようもない。そのはずだったのに。
閉じていた瞼を開いた。
真っ暗の中、何の変哲もない見慣れた天井を視界に入れてからため息を吐き出した。
□
「…顔色がよくありませんが」
厄介な呪詛師を取り逃がしたという連絡を受けて、ここのところ微かな呪力をたどりながら昼夜を問わず走り回っていた。ようやく片が付いて戻ってきた高専の廊下。そこで偶然出くわした七海は、僕を見るなり顔を顰めてそう言った。
珍しいなと思ったのが半分。こういうところが七海だよなと思ったのが半分。
五条のことなど放っておけばいいものを。
「なになに、七海は僕のことが心配なの?」そう言って揶揄れば、無言のまま眉間の皺をこれでもかと深くした。
「……何日、寝ていないんですか」
「さあ?でも、僕最強だし」
ここで話はおしまいだと、そう言外に込めてニコリと微笑んでやる。
いつもの七海ならここで引くはずだ。
そのはずだったのに。
立ち去ろうとした腕をつかまれる。
なんだ?と振り返った僕に、七海はもう一度深いため息をついた後「夕飯はまだですか」とそう言った。
□
「お前が僕を誘うなんて珍しい」
2人の間で轟々と炎が上がっている。肉の油が落ちるたび舞い上がる炎を見ながら
テーブルに埋め込まれた網の上で肉の焼ける音を聞きながらそう言えば、トングで肉をひっくり返していた七海の手がふと止まった。
七海にしてはいささか強引に連れてこられた個室の焼肉屋。
よく来る店なのだろう。五条がぼうっとしている間に手際よく注文を済ませた七海は、出てきた肉をこれまた手際よく次から次へと焼いている。
トングで焼き加減を見ながら五条の皿と自分の皿に焼けた肉を交互にのせているのだからずいぶんと器用なものだ。世話を焼くことになれきっている。
皿に乗せられる肉と野菜を順番に口の中で咀嚼する。
一通り食べ終わったあと、ふいに七海が「…別に大した意味はありません」と口を開いた。そうしてまたせっせと肉を焼きはじめる。
口の中の肉を咀嚼するのに気を取られていたから、さっきの返答だと気づくのが遅れた。
「ふーん」と相槌を打ちながら肉が皿に置かれるのを待つ間、手持無沙汰に小皿のたれを割りばしでかき混ぜる。完全に餌をまつ雛鳥のようだ。
七海との食事は楽だ。余計な事を聞かれないし喋らなくてもいい。
お互い無言のままもくもくと食事を進める。
「……眠れてないんですか」
「…んあ?」
食事も終盤に差し掛かった頃、急に七海がそう問いかけてきた。卵スープをすくっていた手を止めて、目線だけで七海の方を窺えば、こちらを見ずに網の上の肉をひっくり返している。
「なに急に。硝子あたりになんか言われた?」
「……別にそういうわけではありません」
「ていうか、そもそも反転術式あるんだからそこまで気にすることじゃないでしょ。僕、もともとショートスリーパーだし」
「だからと言って寝なくていいわけではないでしょう」
「そんなこと言われても、もともと寝付き悪いんだよ」
その時、ふといたずら心が湧き上がった。
「お前が添い寝でもしてくれんの?」
「……あなたが望むなら」
「は?」
「ソースついてますよ」