ヤマ千 未来から来た大和くん髪を乾かしてリビングに戻ると、大和くんが居た。
数ヶ月前にもこんなことがあった。一通り家の中を案内してあげて、好きに使うように許可を出したのに、頑なに僕のテリトリーを侵さないよう慎重に動く彼は、同棲を始めた頃のモモくんに似ていて面白かった。当時の僕は作曲に、大和くんはグループについて、お互い精一杯だったから楽しめる雰囲気でもなかったけれど。
扉を開けたままにしているせいか、大和くんは僕に気づかず、キッチンで洗い物をしている。
家事をしている大和くんは珍しい。僕の前ではやってくれないから。彼らが住んでいる寮では家事分担をしているって、MCで言っていたような気がする。多分。
シンク下の引き出しから慣れた手付きで布巾を取り出すのを見たところで、風呂上がりの嗅覚がようやくバターの匂いに気がついた。
「グラタン」
ホワイトソースから作ったのか、シンクの隣に目をやると生クリームのパックや小麦粉、それにグラタン皿がふたつ置いてある。
僕の声に大和くんは顔を上げた。
「千さん。風呂上がったなら言ってくださいよ」
そう言ってタオルで手を拭うと、壁からレードルを掴んで、鍋の中身をグラタン皿に移す。
「アンタが早く上がるなら先にオーブン入れとけばよかった」
ホワイトソースがかかったにんじん、玉ねぎ、マカロニ。鶏肉が入らないように器用によそっているのは、僕の分だろう。
「作ってくれたんだ」
「昨日千さんが作ってくれって言ってたでしょ」
「そうだっけ?」
「相変わらず忘れやすいな。アンタ」
大和くんは嘆息する。カウンターの横に突っ立って見ていたら、冷蔵庫からミックスチーズを取り出した大和くんと目があった。
「そのパジャマ、すげぇ久しぶりに見ました」
チーズをカウンターに置いて、大和くんが近づいて来た。僕のパジャマの襟元を摘んで、素材を確かめるみたいにこする。
いや近いな。モモみたいなパーソナルスペースが狭い子ならともかく、大和くんのような子が目と鼻の先に近づいて、ちょっと身がすくむ。
そう思った瞬間に大和くんの顔が更に近づいて、僕にキスをした。
それから、少し下から僕を覗き込むみたいに目を合わせた。
「ん?」
「なんすか?」
慣れた動作で、甘えるみたいに僕の手をそっと撫でる。
「キスされたから」
大和くんが、僕に。恋人が当たり前にするみたいに、くっつけるだけのキスをしたから。
「驚いて」
僕が言うと、大和くんは怪訝に眉をしかめて、僕のスリッパから髪の毛の先まで見聞するみたいにじっと目線を移した。
「このパジャマ、先週届いたんだけど」
先週モモが泊まりに来たときに丁度届いて、その晩に袖を通したきり。泊まりの仕事で空けていたから、このパジャマを着た僕をみたのはモモだけだ。
大和くんが作り上げた甘い雰囲気に、僕の頭が変に急回転して、疑問が口をついた。
「なんで、グラタン作ってるんだ?」
家出した大和くんが僕の家にいた時だって、どこか警戒したままで、料理なんてしてなかった。探す素振りもなく食材や調理器具を使うのなんて、おかしい。
「というか、何でうちにいるの? 大和くん、呼んだっけ?」
眼鏡越しの瞳が真っ直ぐこちらを見つめてくる。なかなか迫力のある顔だ。あまりやらないみたいだけど、恋愛ものだってやればいいのに。この大和くんなら似合いそう。いつも僕がなんとなく観察していたら、すぐに目を逸してしまうけれど。こんな風にたわむれみたいなキスをして、子犬みたいな空気を作れるのなら。大和くんを殺人鬼扱いしてる視聴者層だって、きっと彼の恋愛を応援したくなるはず……。キスだって!?
「はあぁ?!」
湧き出る疑問をぶつけられた大和くんは、忙しなく宙に視点をさまよわせたかと思うと、急に大声を出して、慌てたようにカウンターキッチンの奥に引っ込んだ。
置いたままになっていた生クリームをひっつかんで、目を凝らすようにパッケージから何かを探す。
指でなぞるようにして読んでいたのは、賞味期限の日付みたいだ。自分に言い聞かせるように何度も読み上げて確認してから、大和くんはこちらを振り返った。
「千さん、今何歳です?」
「26、だけど」
「……ですよね」
「突然若返ったり、年取ったりするわけないだろ」
「……」
大和くんは黙って、ややあってゴクリとつばを飲み込む。
「千さん、驚かないで聞いてください」
「うん」
「俺は未来から来ました」
「は?」
今度は僕が驚く番だった。
「信じられますか?」
脱力してキッチンに手をついた大和くんは、努めて真摯に、僕に言い聞かせるように言った。大和くんと僕はそれなりに親しいとは思っていたけれど、その表情が僕に向けられるような顔じゃなくて、戸惑う。常はメンバーに向けられていたような、大切にしたいと、慈愛が滲み出る瞳だ。
未来から来た大和くんが、お風呂上がりに現れた。
昨日の僕は大和くんと会ってない。ラビチャはしたかな? 正直記憶にない。以前に比べたらたまにスタンプが返ってくるようにはなったけれど、だいたい既読無視だ。それは別にいいんだけど、会う約束なんてしてない。ましてや「グラタン作って」なんて、今の僕には大和くんが素直に従ってくれるとも思えない。
買ったばかりのパジャマを見て「久しぶりに見た」と言った。未来から来たと言う大和くんは、僕がパジャマを着ている様な時間に頻繁にうちに来ているのか。見慣れるくらい。
それに大和くんは僕にキスをした。
前よりは構ってくれる様になったけれど、僕を見るたびに眉をひそめる大和くんが、僕にキスをした。
「何でキスしたの?」
「……」
僕は口元を覆っていた手を外すと、大和くんを見る。耳まで真っ赤になった大和くんが、身を守るみたいに前で腕を組んで僕を睨みつけていた。
「キスくらい、アンタもするだろ」
「しない。仕事でしかしない。今はプライベートだし、ここは僕の家だ。するわけないだろ」
「も、百さんとか」
僕が近寄ると、大和くんは同じ距離後退りしていく。僕にキスしてきたのに、僕から逃げるなんて意味がわからない。カウンターキッチンの奥まで追い詰められて、彼には逃げ場がない。
「口にはしないよ。未来の僕はしてるの? モモとキス」
「してませんよ!!」
触れる距離まで近寄ると、大和くんは両手で顔を覆って、半ば悲鳴みたいに叫んだ。でも指の間から覗くのは、眉を下げて、悩むように揺れた瞳で、完全に僕を拒絶したようには見えなくて、面白い。かわいい。
「未来の大和くんは、僕のこと、好きなのか」
口に出したら、なんだか鼻歌みたいだった。
「僕たち付き合ってるの?」
聞くと、大和くんはずるずる崩れ落ちて、座り込んでしまった。ついで、小さく声が聞こえる。
「くっ……うう……」
「そうなの?」
隣にしゃがんで顔を寄せると、大和くんは恐る恐るこちらを見た。
「……そうですよ」
すっかり観念した様子で、絞り出すように言う大和くんに、僕はなんだか勝ち誇ったような気分で笑いだしてしまった。
僕が一頻り笑い終わったところで、未来から来た大和くんはよろよろ立ち上がった。
「グラタン作るんで、どいてください」
そう言って口をへの字に曲げて『僕と約束したらしい』グラタン作りに戻った。取り直したような素っ気ない態度は、再会した頃の彼を思い出す。
拗ねないでよ。と言うと、鋭い目付きで睨まれて、愉快になる。からかう僕を突き放したいのに、僕の恋人の大和くんにはやり切ることができないんだ。いじらしいな。
改めて調理をする大和くんが珍しくて、後ろをついて回っていたら「大人しくしてろ」と食卓を指された。それで、僕はキッチンの向かいに座って待たされている。
彼がオーブンからグラタンを取り出すと、チーズの溶けた匂いがした。
食卓に置かれたグラタンは、きつね色に溶けたミックスチーズに、パルメザンチーズがのって、その上にバジルまでかけられている。ほかほかと湯気があがって、おいしそう。それにサラダまで用意してくれていたらしい。小分けにされて、ラップをかけてあったものが置かれた。
「大和くん、料理上手なんだだね」
「以前もうちの子どもたちに弁当作ってましたよ」
「この前ラビスタ上がってたの見たよ。いいなぁ。僕も食べたい、大和くんのお弁当」
「それはこの時代の俺でしょ……。まぁ、気が向いたら、作るんじゃないですか」
「いつ食べれるんだろ。たのしみだな」
わざわざ早起きして作るんだ。そんなの、情がないとできない。僕だってモモに作ったことがあるから分かる。それを大和くんから受け取れる権利が得られるのは、魅力的なことに思えた。
「……」
気がつくと、大和くんは僕の前にカトラリーを置いて固まっていた。テーブルに添えられたままの手が、僕の知ってる大和くんの手よりごつごつしていて、少し驚く。
「どうしたの?」
「アンタ、俺が告白した時「いつ大和くんから告られるんだろって、たのしみにしてた」って言ったでしょ」
「え、知らないけど」
「何でバレてたんだって思ってたけど、今じゃん! 今、知ったんじゃないですか」
大和くんは、何もしていない僕を非難するように言う。
「へー。僕、大和くんに告られるんだ」
ハッと目を見開く彼に、自然に僕の口角が上がった。大和くんに告られるんだ。もう一度口の中で言ってみる。
なんだか頬が熱いような気がするけど、大和くんほどじゃないだろう。つれない態度を頑張っていたのに、急に騒がしくなったかと思えば、真っ赤になった頬を抑えている。
「あー……。もう」
肩まで使って、深くため息をついてから、彼は僕の向かいの席に座った。
「告白するくらい、大和くんは僕のことが大好きなんだ」
「今のアンタは嫌いです」
「じゃあ、未来の僕のことは大好きなのか」
「好き……です、けど」
「ふふふ」
「アンタはほんと、うるせぇなぁ。さっさと食べてくださいよ」
「……じゃあ、僕のために作ってくれたグラタン、いただくね」
あまりいじめるのも悪いから、うなだれる大和くんに負けてあげて、僕はフォークを取った。
チーズを割って、クリームをまとったにんじんを掬って、食べる。おいしい。生クリームをたっぷり使って、クリーミーだけれどほんのり塩気もある。大人の味だ。僕だったらモモには作らないだろう。
「そういえば、君はいくつの大和くんなの?」
ふと思いついて、大人の大和くんに訊いてみる。
「答えません」
「何で」
「俺が今の歳になる前に告白されるって、知られるのがムカつくので」
「いいじゃない。どうせ告るんだったら結果は変わらないだろ」
「アンタ絶対に面白がるからヤダ」
ぶっきらぼうに言って、大和くんはマカロニを食べた。
「まぁ、今のアンタよりは年上ですよ。はぁ……マジでムカついてきたな。あの人、この頃から知ってたのかよ……」
僕の方を見やる大和くんの目は、どこか遠くのものを見ているようで、グラタンを食べている僕じゃない僕を見ているみたいだ。
「僕から好きって言ってほしかった?」
「いいですよ。どうせアンタ照れるから。俺が言います。ていうか、今の俺に絶対にこのこと言わないでくださいよ。アンタ、そういうの態度に出るだろ」
僕の情を疑ってないような物言いに驚く。相方のモモにだって浮気者扱いをされるのに、未来の僕はちゃんとやっているのか、大和くんの恋人を。
今の大和くんに「僕たち恋人になるんだよ」って言ってあげたらどうなるんだろう。想像してみる。だけど、頭の中の大和くんとはなかなか実を結ばなかった。
「おいしかった」
「どうも。それ、アンタから教わったレシピですよ」
「そうなんだ」空っぽになったグラタン皿を眺める。その味は、今の僕のレパートリーにはなかったと思う。
「アンタが、俺のために作ってくれたレシピを教えてもらったんです。酒に合うように具材ゴロゴロにしてみたっつってな」
クミンが入っていたような気がする。食べられないものが多いから、見た目を観察して再現するのは得意だ。モモにもお墨付きを貰ってる。けれど、食べきってしまったものを思い出して、全く同じものを作るのはちょっと自信がない。今更、胃の中から取り出して見れたらいいのにと思う。そんな訳にもいかないだろう。
「せいぜい俺好みの料理を作れるようになってくださいよ」
顔を上げると、大和くんは勝ち誇った顔でニヤニヤ笑っていた。
「かわいくない」
「そうですね」
「僕のこと好きなくせに」
「言っときますけど、もう効きませんからね。それ」
憎たらしく言う大和くんの作った、グラタンの再現レシピを、僕は作ることになるらしい。
年上だと言った恋人の大和くんは、とことん僕を甘やかせたいみたいだ。殊勝な僕は後片付けを申し出たけど、断られてしまった。
ソファに収まってぼんやり。お皿を洗う水音が聞こえる。今日は持ち帰った書き物の仕事も、読むべき台本もない。曲の締め切りはまだ先、だったような気がする。誰からも急かされてないので、そういうこと。
「寝ますか?」
「そうね」
いつの間に僕の前に戻ってきた大和くんは、見下ろしながら言った。やっぱり目の前で穏やかな表情を作る大和くんは、僕にとっては違和感がある。そもそも大和くんから僕に近寄ってくることだって、本当に珍しい。その事実が彼が未来から来たことを理解させた。
「大和くんはどうやって未来に帰るんだ?」
「ああ……まぁアンタが寝て起きたら帰ってますよ」
「分かるんだ」
「いや、あーーー。そういうもんみたいです」
大和くんは首の後を引っ掻きながら言った。
「なんか隠してない?」
「隠してないです。それに、過去の千さんに余計なことは言えないですよ。ちょっと……関係ないことにムカついただけです」
大和くんは誤魔化すみたいに眉をあげてから、考え込むみたいに顎に手をやった。さっき僕がからかいすぎたせいか、未来の情報に関して、慎重になっている。
「未来の僕に会いたい?」
「別に……。アンタも俺も忙しいから、会えないのは慣れてます」
眠い。僕は目をこすった。頭が働かないから、未来の大和くんをろくにもてなすことも出来ずにいる。彼だって、本当は恋人と会いたかっただろうに、僕ではきっと役不足だ。期待に応えられないのはもどかしい。ただ、年月を重ねたような彼と未来の僕との距離感がわからなかった。
「ごめんね。今日は、26歳の僕で」
「千さんのせいじゃないでしょ……。たまには年下のアンタも新鮮でいいですよ」
「なんだそれ。僕たちマンネリなのか?」
「なに言ってるんすか。そんなわけないでしょ」
宥めるように言って、大和くんはソファに沈む僕の腕を掴んだ。
「ほら、千さん」
彼の声は穏やかで、掴まれた手をじっと見つめてしまう。持ち上げられて、僕は立ち上がった。
「ベッド連れてってやるからさっさと寝ろって」
「大和くんはどこで寝るの?」
「ソファ借りますよ。客用の掛け布団って今もあります?」
ソファで寝るのか。恋人だというのに、なんだか寂しいように思えた。
「じゃあ、大和くん。一緒に寝る?」
「はぁ?!」
「どうせ未来の僕とは一緒に寝てるんだろ。ほら、僕って手が早いし」
「自慢げに言わないでください」
「僕たちは体が資本だろ。ちゃんとしたところで寝なさい」
「どこでも寝るアンタに言われたくない」
「そうね」
「もー。いいから、ベッド行きますよ」
理由をつくる僕を遮って、大和くんは僕の腕を引いた。寝室の扉をくぐると、昨日と同じベッドが置いてある。僕が未来に来たわけではないのだから、当たり前なのだけれど。大和くんがあまりに慣れた動作で僕の家を歩くから、なんだか僕の立場も、大和くんとの関係も、よくわからなくなってきた。眠いし。
お気に入りの広いベッドの前に来ると、僕の身体は勝手にベッドに吸い込まれる。なんとかベッドの縁に座って、彼を見上げた。寝て起きたら帰ってしまうらしい。僕の恋人の大和くんを、もう少し見ておきたかった。
「やっぱり一緒に寝ない?」
「寝ません」
大和くんは眉を寄せてきっぱりと言う。
「僕のことが好きなのに?」
「好きだから、寝ないんですよ」
「そういうもの?」
「そうですよ。ほらほら、寝てよ」
どうやっても言葉で彼を説得することは難しそうだ。僕は口下手だし、言い負かすのは出来ても、説得が得意ではないのは身にしみて知っている。
布団に潜るまで見守っていそうな大和くんを見つめて、僕は腕を広げた。
少しだけ、無言の時間が続く。大和くんは年下に甘えられるのに弱い。見てきたことだ。だから知ってる。今はせっかく年下の僕なのだから、使わない手はない。
「はぁーーーー。寝るだけですからね」
大和くんは自分の項を撫でると、僕を通り過ぎて、ベッドの端に寝そべった。大和くんが折れて、僕の勝ちだ。
抱きしめられたくて広げた僕の手は、ぱたんとベッドに落ちた。
「大和くんの恋人の僕ってどんな感じ?」
「アンタ、さっきまですぐ寝そうだったのに……。寝てください」
布団を持ち上げられて、僕はその中に入る。こういう時に大きなベッドは良くない。大和くんの方に身体を向けたけれど、同じ分大和くんが後ろにずれるから、追うことはしなかった。
「答えてよ。気になる」
「別に、いつもと変わんねぇよ」
「いつもと変わんない僕が好きなの?」
「はいはい」
そう言って、大和くんはメガネをヘッドボードに置くと布団に入って目を閉じた。
「……ねぇ。僕とはどこまでした? キス以外もしたの?」
「修学旅行じゃねぇんだから。ノーコメント」
「おっ、キス以上もしたんだな。Bまで? Cもした?」
反応がわかりやすい。僕の追撃に、大和くんは閉じた目をぎゅっと瞑った。
「妙に言い方が古いな……。ノーコメントです」
「僕、大和くんとするんだ……」
まじか。恋人ならそうなのだろうけど、想像がつかない。大和くんと僕が?どうやって?
「やめてください! 想像しないで。俺がかわいそうでしょ!」
「ねぇ、どっちがどっち? 男同士でできるの?」
「マジで寝ろ」
身体ごとこちらに向けた大和くんは、顎で僕の後ろを指す。
「そっち向いて寝てください。向かないなら、俺はリビングに戻ってソファで寝ます」
叱るように言うので、僕は大人しく身体を反転させて、背を向けた。
彼は何年後の大和くんなんだろう。僕は何年後に大和くんに告られて、受け入れるのだろう。たくさんの役を演じて、たくさんの感情を表現して、それで、彼はどんな歌を歌っているのだろう。
「大和くんの手、今よりごつごつしててかっこよかった……」
さっき見た大和くんの手を思い出す。あの手に、僕は身体を委ねるのか。想像が出来ないけれど、それが形を伴って同じ部屋にいる。だから、いつか、その日が来るんだろうな。
僕が黙ると、部屋は途端に静かになる。代わりに小さな空調と、加湿器の音だけが聞こえた。眠りの淵で、僕も目を閉じる。落ちるのは一瞬だ。
「……アンタはなぁ」
にわかに腕ごと身体を捕まえられて、目を開く。
振り向けないうなじに、大和くんの吐息がかかった。少し怒ったような声色に、背筋がぞわぞわする。そこにぴったりと大和くんの体温が押し付けられて、息が詰まった。
「大和くん?」
尋ねる自分の声が弱々しくてびっくりした。僕の身体を抱えた腕が、腹に伸びる。
「俺とヤッてる時のアンタは」
そう言いながら大和くんは僕の下腹部に力を入れる。それから熱い手のひらでとん。とん。と軽く叩いていく。
「入れながらココを押されるとめちゃくちゃ感じるんですよ」
叩くリズムに合わせて、身体がギュウッと絞られていく心地がした。からかうような、掠れた声が腰に響く。何かが腹に詰まっているような気がして、逃げ出そうとするのに、大和くんに捕らえられて、動けない。
「んっ」
言葉にならなかった声が、僕の上顎を叩いた。また腹をぞろっと撫でられる。
「アンタ、たまに泣くほど感じて、かわいいですよ」
ひそめて笑う吐息が首筋にかかった。それがまた僕をぞくっと震わせる。自由な首を振ろうとして、ほっぺたをシーツに押し付ける。つるつるしたシーツが頬を撫でて、押し出された吐息が熱い。
「余裕なくなってやがんの」
大和くんはくつくつ笑って、強い拘束が解かれていった。それから、今度は大きな手で子どもをあやすみたいにお腹を撫でられる。知らずシーツを掴んでいた手をぐにゃぐにゃに揉まれて、緊張が解けていく。ややあって、やっと身体が固まっていたことに気がついた。僕の肩を撫でさすってから、背中にくっついていた体温が離れていく。
「振り向かないで、それで寝てください。千さん、眠いでしょ」
言われて、僕のまぶたが閉じる。
「うん」
後ろで布がこすれる音が聞こえて、大和くんが背中を向けたのがわかる。
僕は大和くんに抱かれるんだ。熱い体温が僕の背中にまだ残っているような気がした。
「たのしみだな。大和くんに抱かれるの」
微睡みの後ろで、咳き込むような音が聞こえる。
僕は寝た。おやすみ。